第百十四話 サクラの決断
取り返した八番領地の領主邸は、敵の支配から解放された兵士達でごった返していた。
彼らは領主邸の地下牢や、武器を取り上げられたうえで数軒の民家へ分けて監禁されていた者達だった。
「これで全部か……」
イマリは、その美しい顔に苦悶の表情を浮かべながら呟く。
「ああ。ここにいる者達で全員じゃ。二百人近くいた兵士の大半は、戦いの中で命を落とすか、捕らえられたあとに殺されてしもうたわ」
イマリと話しているのは、敵の拘束から解放された八番領地の宰相、ジランドだった。
「兵士達の遺体はどうしたのじゃ?」
「レオンが中心となり、町外れに共同墓地を造らせたそうじゃ。亡くなった兵士達は、そこに葬られておる」
「そうか……」
「少なくとも、死者を野ざらしにはせなんだようじゃ」
イマリとジランドは、淡々と言葉を交わす。
「戦いを知らぬ子どもが領主として担ぎ上げられ、調子に乗ると、こうもむごいことが起きるとはの……」
ジランドは窓の外へ視線を向けた。
その老いた横顔も相まってか、全身から深い哀愁が漂っていた。
「それが戦争じゃ」
そんなジランドに、イマリはきっぱりと言い切る。
「わかっておる。だがな……兵士達の遺体を見下ろしていた、あのフジムラという領主の目が忘れられぬのだ」
「……」
「悪ガキが物を壊した時に浮かべるような、何の感情もこもっておらぬ薄笑い。あの顔がな」
ジランドは、震える拳を強く握り締めていた。
「ジランド。今は休め」
イマリはその肩へ手を置き、そっと老体をいたわった。
「いや、大丈夫じゃ。休んでいる暇はない。やらねばならぬことは山ほどある」
ジランドは首を横に振りながら答えた。
多くの兵士を失い、一週間足らずとはいえ、この地は敵の支配を受けていた。
その間に何が起きていたのか、その全容すら把握できていない。
まずは、そこから調べなければならなかった。
その時だった――
「イマリちゃん、ジランドさん」
窓際に立つ二人の背後から、声がかけられた。
二人はゆっくりと振り返る。
「おお、姫様。ご無事で何よりです」
話しかけてきたサクラの顔を見ると、先ほどまで怒りと哀しみに揺れていたジランドの表情が、たちまち好々爺のそれへと変わった。
「ジランドさんも、無事でよかったです」
サクラは笑顔で答える。
「それと……戻ってくるのが遅くなって、ごめんなさい」
そう言って、サクラは深く頭を下げた。
「これこれ、やめなされ。姫様が戻ってきてくださった。それだけで、領民達もきっと喜んでおります。謝る必要などないのです」
ジランドは、優しく語りかける。
「そうだと……いいけど」
頭を上げたサクラは、自嘲気味な笑みを浮かべて呟いた。
「それで、どうしたのじゃ? 何か話があったのじゃろう?」
イマリが本題を尋ねる。
「うん。このあとのことを話したくて」
その言葉を聞いたジランドは、驚いたように目を丸くした。
そして、隣にいるイマリへ視線を送る。
これまでサクラが、自ら八番領地の未来について語ろうとしたことなど、一度もなかった。
今回の奪還も、イマリがリベリオンを説得し、サクラを連れて戻ってきたのだとばかり思っていたのだ。
信じられないと言わんばかりのジランドの視線を受け、イマリは静かに微笑みながら頷いた。
「ジランドさんは、救出されたばかりだから……日を改めたほうがいいかな?」
サクラが心配そうな表情を浮かべて尋ねる。
「いえいえ、とんでもない! 今からお聞きしましょう!」
ジランドは、少し興奮気味に答えた。
「本当ですか!? じゃあ、お茶を淹れてくるので、執務室で待っていてください」
そう言うと、サクラはその場から駆け出していった。
取り残されたイマリとジランドは、しばらくの間、その背中を目で追っていた。
「一体、何があったのだ?」
ジランドは、駆けていくサクラの背中から視線を外すことなく尋ねる。
「そうじゃな……まあ、その話は長くなりそうじゃ。いずれ話すとしよう」
イマリは、いつもの悪戯な笑みを浮かべていた。
「……」
「さあ、今は姫様の言う通り、執務室で待つとしよう」
そう言って、イマリは歩き出したのだった。
――八番領地・領主邸執務室
蝋燭の火に照らされた執務室には、書類や調度品が至るところに散乱していた。
フジムラ達が慌ただしく逃げ出したことが、その有様からも窺える。
片付けは後日行うことにし、イマリ、ジランド、そしてサクラの三人は、応接机を挟んで向かい合って座っていた。
「さてさて、今後のことでしたな。伺いましょうか」
ジランドは、サクラが淹れてくれた茶を美味しそうに一口すすってから、話を切り出した。
「はい」
そう答えると、サクラは一度、大きく息を吸い込んだ。
「私は……」
そこで、サクラは一旦言葉を止める。
そして――
「九番領地に“復讐”したい」
その言葉が落ちた瞬間、執務室から音が消えた。
蝋燭の火が、小さく揺れる。
誰も口を開かない。
ジランドは目を見開き、イマリは持ち上げかけた茶器を宙で止めていた。
『復讐』
いつも穏やかなサクラの口から、そこまで強い言葉が出るとは、二人とも思っていなかった。
しかし、サクラの表情は真剣そのものだった。
イマリとジランドが言葉を失っていると、サクラは続ける。
「もちろん、第一に考えなきゃいけないのは、領内の復興です。だけど……私の考えを、お二人には伝えておきたくて……」
サクラは一気に言い切った。
そこで、ジランドが我に返る。
「この場にリベリオン側の者を呼んでおらぬということは、復興にある程度の目処がついたあと、“我々”だけで九番領地を攻めるおつもりですかな?」
ジランドは、確認するように尋ねた。
「はい」
サクラは、はっきりとジランドの目を見て答える。
その思いが正しいかどうかは別として、そこに強い意思があることをジランドは感じていた。
「うーむ……」
ジランドは腕を組み、考え込む。
「迷いはないのじゃな?」
今度は、イマリが確認する。
「迷いはあるよ。もちろん、ある」
イマリの言葉を受け、サクラの視線はジランドからイマリへとゆっくり移った。
「でも……許せないの。あの人達を」
そう言ったサクラの目は、イマリ達が今まで見たことのないほど強い決意に満ちていた。
「それに……」
「それに?」
「私は、前に進みたい」
(こちらが本心のようじゃな)
イマリはそう思い、隣にいるジランドへ視線を向ける。
彼もまた、イマリと同じものを感じ取っているようだった。
「正直に言うとね。この島を戦い抜くことなんて、私にはできない……ずっと、そう思ってる」
サクラは視線を落とした。
その先にある、膝の上へ置かれた両手は、固く握り締められている。
「でもね、このままの私じゃ、この領地のみんなを不幸にしてしまう。こんな私についてきてくれている、みんなを……」
「……」
「だから、私、決めたの。ちゃんとしようって。前に進もうって」
サクラが顔を上げる。
「ふむ」
「ちゃんと前に進めるところをアサヒ君に見せて、もう一度お願いしようと思うの」
サクラは胸元へ手を添え、言葉を続けた。
「『一人じゃ怖いです。一緒に戦わせてください』って。今度は、正直に言うつもり」
それは、サクラが自分の弱さから目を逸らさず、悩み抜いた末に出した答えだった。
自分の弱い部分と向き合い、それを他人へ正直に打ち明ける。
それは、決して簡単なことではない。
サクラの想いは、イマリにも、そしてジランドにも伝わっていた。
「一つ言っておくがの」
イマリが静かに口を開く。
「ワシらの主は姫様じゃ。たとえリベリオンの傘下に入ろうとも、それだけは変わらん」
その言葉に、サクラは目を見開いた。
「そうですな。爺もイマリの意見に賛同いたしますぞ。ただ……」
今度はジランドが口を開いた。
「ただ?」
「現実問題として、我々だけで九番領地を取れるのかという問題がありますな」
ジランドの言葉を受け、サクラは俯いた。
「我々のサブクラス持ちは、イマリと愚息の二人だけ。それ以外は、一般兵だけで事に当たらねばなりません」
「そう……ですよね」
サクラの表情が曇る。
「なあに。当てならあるぞ」
執務室に漂う重い空気を吹き飛ばすように、イマリの声が響き渡った。
「何だと? どこにだ? どこにそんな当てがある!?」
ジランドは驚き、食い入るようにイマリを見る。
イマリは右手を高く掲げた。
艶やかな和服の袖が滑り落ち、白い二の腕が僅かに覗く。
その手をゆっくりと下ろすと、細い指先で床を示した。
「下じゃ」
悪戯な笑みを浮かべるイマリが指差した先。
それは執務室の床よりも、さらに“下”。
領主邸の地下に備えられた牢屋を示していた。
そこには、イマリに敗北し、今は治療と拘束のために眠り薬を飲まされている一人の男が横たわっている。
レオン・バスカビル。
九番領地の騎士。
そして――
イマリが、その実力を認めた数少ない男。
九番領地の騎士を使い、九番領地を討つ。
それが、イマリの見つけた“当て”だった。




