第百十話 第三ラウンド
「はぁ……はぁ……」
オスワルドは激しく息を切らしながら、目の前で前後に並ぶ二人の少女を見据えた。
三人が対峙する八番領地の通りには、無数の穴が穿たれ、これまでの戦いの激しさを物語っている。
前方に立つ少女――ゾーイは、確かに“硬い”。
単に打たれ強いというだけではない。
こちらが攻め込んだ時はもちろん、自ら踏み込んでくる時でさえ、決して守りを疎かにしなかった。
戦闘技術そのものは、オスワルドに遠く及ばない。
いくら守りに重点を置いていようと、動きの中に隙がないわけでもなかった。
しかし、彼女の後ろに立つ少女――アリアが、その隙を的確に埋めながら反撃を仕掛けてくる。
まるで、ゾーイが見せた隙そのものが、オスワルドを誘い込むための餌であるかのように。
二人の呼吸は完全に同調し、付け入る隙を与えてはくれなかった。
(厄介だな……)
気づけば、オスワルドの身体には、無数の浅い切り傷が刻まれていた。
一つ一つは大した傷ではない。
だが、これ以上増えれば、流した血の量も無視できなくなる。
それ以上に問題なのは、戦いの序盤に傷つけられた足首の腱だった。
完全に断ち切られたわけではないため、動くことはできる。
しかし、いつものように身体を自由に制御することは叶わない。
そして、何より厄介なのは――
「おっちゃん! そろそろ引いてほしいんだぞ!」
「……」
(やはりか……)
目の前にいる少女たちは、オスワルドが本気で彼女たちの首を取りにいっているのに対し、彼を殺す気など、さらさらないということだった。
戦場において、その心の余裕の差は大きい。
オスワルドは二人を討ち取り、この場を突破しなければならない。
だが、彼女たちはオスワルドを足止めし、撤退させるだけでよかった。
あわよくば、戦闘不能にできればなお良い。
目的の違いが、そのまま心の余裕の差となって表れている。
そして、彼女たちの戦法は、その余裕を最大限に活かしたものだった。
「なるほどな……お前たちの狙いは、俺を引かせることか」
「そうだぞ!」
隠そうともせず、あっさりと目的を口にするゾーイ。
その後ろに立つアリアは、表情を変えない。
「ならば、なおさらここで引くわけにはいかないな」
オスワルドは静かに言った。
「なんでだ?」
「今頃……領主邸は……仲間たちが……制圧してる……です」
ゾーイが首を傾げ、その後ろからアリアが言う。
「そうか……もし本当にそうなら、レオンが退却の狼煙を上げているはずだが」
「!?」
「それが上がっていない以上、領主邸は占領されていないということだ」
もちろん、はったりだった。
オスワルド自身、すでに領主邸が制圧されている可能性は高いと考えていた。
敵地である八番領地に長く留まることを嫌っていたレオンのことだ。
敵襲に加え、四方から領民が蜂起する気配まで感じ取れば、間違いなく退却の狼煙を上げるはずだった。
それが上がっていないということは、今も戦闘中なのか。
あるいは、すでに捕らえられているのか。
(それとも……殺されたか……)
彼の脳裏には、最悪の事態まで浮かんでいた。
だが、そのはったりは効果抜群だったようだ。
「そんな……わけ……ない……です……」
否定しながらも、その声には明らかな動揺が表れていた。
「アリア! しっかりするんだぞ!」
ゾーイが、動揺するアリアを落ち着かせようと声を上げる。
(まだまだ未熟だな)
局地戦での判断力には、目を見張るものがある。
だが、戦場全体を見渡す経験は、まだ浅いらしい。
オスワルドは、そこにアリアの未熟さを見いだしていた。
「考えてもみろ」
オスワルドは呼吸を整えながら、言葉を続ける。
「蜂起の狼煙が上がってから、もうかなりの時間が経っている」
「だが、これだけ派手に暴れているというのに、待てど暮らせど、その領民部隊はやってこない」
「……ッ!」
「つまり、あの狼煙はただのはったりだ」
「頭の悪い俺でも気づく。キレ者のレオンが気づかないわけがない」
アリアはわかりやすく動揺し、一歩後ろへ下がる。
「アリア!」
ゾーイは前を向いたまま、アリアとの距離が開かないように、自らも一歩後退した。
「それにな。目的を果たしたいなら、戦いを無駄に長引かせるものじゃないぞ」
オスワルドが、その言葉を発した瞬間だった。
アリアの背後に、突如として一つの気配が現れたことを、ゾーイは感じ取った。
「アリアぁぁっ!!」
人影は流れるような所作で、一言も発することなく、手に握った短剣をアリアの首筋めがけて振り抜く。
反応が遅れたアリアは、急いで防御しようとする。
しかし、大剣を差し込んで防ぐには、もう間に合わない。
残された選択肢は、腕に装備した籠手だけだった。
アリアは咄嗟に腕を持ち上げる。
籠手と短剣が激突し、鈍い金属音が辺りに響いた。
短剣による一撃とは到底思えない衝撃が、アリアの身体を襲う。
そのままアリアは、激しく後方へ吹き飛ばされた。
「うっ……ぐ……」
アリアは八番領地の通りを何度も転がり、その勢いのまま建物の壁へと叩きつけられる。
「がッ……!」
激しい衝撃とともに壁が軋み、ようやくその身体が止まった。
「くそっ!」
ゾーイは急いでアリアのもとへ駆け寄ると、前方へ盾を構え、彼女を庇う。
「アリア! アリア! 大丈夫か!?」
「だ、大丈夫……です……」
アリアは口元から血を流しながら、弱々しく答えた。
「なんですか。大きな音がしてるから来てみれば……」
乾いた女の声が、通りに響く。
「ガキ二人に、ずいぶん苦戦してるようじゃねぇですか」
アリアへ短剣を振るった女は、楽しげにそれを宙へ放り投げながら言った。
白い肌を惜しげもなくさらした、露出の多い軽装。
その小柄な体躯から放たれたとは、到底思えないほどの一撃だった。
丸みを帯びた短い髪の隙間から、人を見下すような瞳がオスワルドを捉えている。
「カリーナ……」
オスワルドが、女の名を呟いた。
「でけぇ図体して、なんですか、そのざまは」
「“無冠の傑物”の名が泣くじゃねぇですか」
「ほざけ」
オスワルドはカリーナへ目を向けることなく答える。
「お前のような者にはわかるまい」
「それと……その二つ名は、レオンのものだ」
二人の関係が良好でないことは、その短いやり取りだけでも十分に伝わってきた。
もっとも、カリーナのほうは、相変わらず他人の肩書きなど覚える気すらないらしい。
オスワルドは、一度大きく息を吐いた。
「まあ、悪いが、ここからは二対二でやらせてもらう」
「ッ!」
ゾーイは左手に持つ盾へ力を込める。
右手は、立ち上がろうとするアリアの身体を支えていた。
「第一ラウンドでは、まんまとやられた」
「第二ラウンドでは、お前たちの連携に翻弄された」
「ここからは第三ラウンドだ」
オスワルドは、静かに大剣を構える。
「今度はこちらに有利に進めさせてもらう」
「しょうがねぇですね」
カリーナは、いまだ手に持つ短剣で遊びながら言う。
「アタシは、あの硬そうなのをやればいいんですか?」
「ああ。硬いが、動きは遅い。お前向きだ」
オスワルドが答えると、カリーナは短剣で遊ぶのをやめ、ゆっくりと俯いた。
そして――
カリーナの肩が、小刻みに震え始める。
「やっと……」
地の底から湧き上がるような、低い声が漏れた。
「やっとじゃねぇですか!」
カリーナが勢いよく顔を上げる。
「人を斬れる……人の血を……味わえる!!」
その顔には、おぞましいほどに歪んだ笑みが浮かんでいた。
その異様な表情を目にした瞬間、ゾーイとアリアの背筋に冷たいものが走る。
理由など、わからない。
だが、二人の本能が同時に警鐘を鳴らしていた。
――この女は危険だ。
「まったく……お前は……」
オスワルドが、呆れたように呟く。
「まあ、とにかくだ……始めようか、娘たちよ!」
そう言うと、オスワルドは傷ついた脚に走る激痛を押し殺し、カリーナと同時に地面を蹴った。
轟音とともに石畳が砕ける。
巻き上がった土煙が通りを覆い、張り詰めていた空気が一気に弾け飛んだ。
ゾーイは盾を構え直す。
その隣では、アリアも血の滲む口元を拭いながら、大剣を握り直していた。
先ほどまでとは違う。
二対二。
互いに退くことのできない、第三ラウンド。
狂気に歪んだカリーナの瞳が、獲物を見つけた獣のようにゾーイを捉える。
八番領地の冷たい夜風が吹き抜ける中、四人の戦いは、さらに激しさを増そうとしていた。




