第百七話 少女達の戦法
オスワルド・サネは、街に漂う異様な気配を肌で感じ取っていた。
それは、リベリオン挙兵の報を受け、エリュシオン側とアテーナ側へ兵を配置し終えた頃のことだった。
八番領地の中心――領主邸の方角から、夜空を赤く染める光が立ち昇った。
静まり返っていた街並みを、その赤い光は、まるで不吉な狼煙のように照らし出している。
最初、オスワルドは領主邸で何か起きたのかと思った。
すぐにでも向かうべきか――そう考えたが、同時に、敵の陽動という可能性も脳裏をよぎる。
加えて、領主邸にはレオンがいる。
ならば、自分は東と南、どちらからの襲撃にも対応できるこの位置を守るべきだ。
そう判断し、オスワルドはその場に留まった。
その判断は、守将としては正しかった。
だが――リベリオンの狙いを考えれば、決して正解とは言えなかった。
「アリア……こいつか?」
「たぶん……そう……です」
不意に頭上から聞こえた二つの声。
オスワルドは、ゆっくりと視線を上げた。
建物の屋根の上。
月明かりを背に、小さな影が二つ、こちらを見下ろしている。
「子供……か?」
長く戦場を渡り歩いてきた彼にとって、子供が武器を手にしていること自体は、さほど珍しい光景ではない。
だが、その姿には僅かな違和感があった。
一人は、自身の体格には明らかに不釣り合いなフルプレートアーマーを纏い、右手にはロングソード、左腕には大盾。
もう一人は、身の丈ほどもある大剣を、両手で抱えるように持っていた。
「これもサブクラスの特性ってやつか……」
本来なら、到底扱えるはずのない装備。
それを当然のように使いこなしている姿に、オスワルドは今さらながら、この島の“ルール”に薄ら寒いものを覚えていた。
「あなたが……オスワルド……さん……です?」
大剣の少女が、たどたどしく問いかけてくる。
「ああ、そうだ。娘よ。リベリオンからの刺客と見て間違いないか?」
オスワルドは大剣を具現化しながら答えた。
「そう……です。私は……アリア・ノーランド……です。こっちは……ゾーイ……ちゃん……です」
その名を聞き、オスワルドは一瞬だけ目を細めた。
(ノーランド……どこかで聞いた名だな……)
「どうした? おっちゃん」
ゾーイと呼ばれた少女が、不思議そうに首を傾げる。
アリアとは対照的に、感情を隠さない真っ直ぐな性格らしい。
「ああ、いや……すまん。俺はオスワルド・サネ。九番領地の騎士だ」
そう名乗り返すと、彼は二人を見据えた。
「さて、娘達。武器を持ってここへ来た以上、やり合う覚悟はできているんだろうな?」
すると、ゾーイはニヤリと笑った。
次の瞬間、屋根から勢いよく飛び降りる。
続いて、アリアも静かに着地した。
「そうだぞ、おっちゃん! 私達の相手をしてくれ!」
その声音は、まるで遊びに誘う子供のように無邪気だった。
オスワルドは眉をひそめる。
「これは遊びではないぞ?」
低く、威圧するように言う。
だが、ゾーイはきょとんとしていた。
「?」
「わかってる……です」
代わりに答えたのはアリアだった。
「よくわからんけど、とにかく相手してくれるってことだな!」
ゾーイは勝手に納得すると、大盾を前に構えた。
「じゃあ、いくぞ!」
地を蹴り、一気にオスワルドへ突進する。
「英雄か、蛮勇か――見極めてやろう」
オスワルドは大剣を構え、真正面から迎え撃った。
轟音。
大剣と大盾が激突し、火花が散る。
「ふむ。正面からなら、十分に対処できそうだな」
押し合いの最中、オスワルドは余裕を崩さない。
勢い任せの突進では、彼の剣は崩せない。
「ま、わかってたけどな!」
ゾーイは体を捻り、即座に距離を取る。
「なるほど。壁際を避け、広い通りで戦うための位置取りか」
「そりゃそうだろ! 壁を背負ったままじゃ、まともに動けないぞ!」
(ただの勢い任せではない、か)
オスワルドはゾーイを見据えながら、その後方に立つアリアにも視線を送る。
絶妙な間合い。
互いを邪魔せず、それでいて、いつでも援護できる距離。
(試してみるか)
次に動いたのは、オスワルドだった。
大地を蹴り、一気にゾーイへ踏み込む。
ゾーイは受け止めるように盾を構えた。
大剣が振り下ろされ、再び激音が響く。
だが今度は、ゾーイの足が大きく後方へ滑った。
靴底が石畳を削り、二本の深い擦過痕を刻む。
(やはり、後ろの大剣娘は距離を合わせている)
オスワルドは追撃せず、アリアを見る。
ゾーイが後退すると同時に、アリアもまた距離を調整していた。
「見事だ。大剣の娘」
だが、アリアは答えない。
その沈黙に、オスワルドは逆に確信を深めた。
(ならば――)
「おいおい! よそ見すんなよ、おっちゃん!」
再びゾーイが突進してくる。
同じ突進。
単純な攻撃。
だが、オスワルドの意識は、その背後にあった。
(やはり、そう来たか)
ゾーイの影に紛れるように、アリアが迫る。
しかも、ゾーイより速い。
オスワルドは、あえてゾーイの突進を受ける構えを取った。
二人の攻撃が重なる、その瞬間。
彼は流れるような体捌きでゾーイをかわし、その奥にいるアリアへ狙いを定める。
「まずは一人目だ」
低く冷たい声。
それは、勝者による宣告だった。
――だが。
「なに!?」
そこにいるはずのアリアがいない。
次の瞬間。
左足に鋭い痛みが走った。
「チッ……!」
視線を落とす。
左足の腱近くを浅く斬られ、血が流れていた。
そして、少し離れた石畳には、アリアが抱えていたはずの大剣が転がっている。
背後を振り返ると、いつの間にか回り込んでいたアリアが、血のついたナイフを握っていた。
大剣を手放したことで身軽になり、ゾーイの大盾と体を死角にして、オスワルドの脇をすり抜けたのだ。
オスワルドは即座に大剣を横薙ぎに振るい、二人を下がらせた。
「……なるほど。最初から足狙いだったか」
「はい……です」
「まさか、大剣使いが大剣を捨てて、アサシンのような真似をするとはな」
オスワルドは、アリアの握るナイフを見る。
「重そうに大剣を抱えていたのも、すべて布石か」
「はい……です」
「だが、なぜ俺がお前を狙うと読めた?」
アリアは、ゾーイをちらりと見る。
「私達……一人ずつでは、あなたに勝てない……です」
そして、再びオスワルドへ視線を戻した。
「でも、ゾーイちゃんを倒すには……時間がかかる。だから、あなたは先に私を狙う……です」
「俺が二人の連携を警戒し、お前を先に潰そうとすることまで読んでいたわけか」
「はい……です。あなたなら……その選択をするしかないと思った……です」
「完全に術中だったわけだ」
オスワルドは苦笑する。
「しかし、大剣を捨てる発想は見事だ」
「サブクラス武器じゃなくても……傷は……つけられる……です」
「その通りだ。包丁でも、人は斬れる」
サブクラス武器は、装備者の能力を底上げする。
だが、それだけだ。
STRが上がったからといって、肉体そのものが鋼鉄になるわけではない。
防具に守られていない部位や関節を狙えば、ナイフでも十分に傷を与えられる。
とりわけ足の腱近くを傷つければ、相手の機動力を大きく奪うことができる。
「その洞察力、感服する」
「恐縮……です」
アリアは、ぺこりと頭を下げた。
まるで師弟のように淡々と言葉を交わす二人を見て、ずっと蚊帳の外に置かれていたゾーイが頬を膨らませる。
「なぁ」
呆れたように、二人の間へ入った。
「お前達、親子か?」
「ゾーイちゃん……私……お父さん……いない……です」
「知ってるぞ!」
ゾーイが思わず叫ぶ。
(父親が……いない……)
オスワルドは、そのやり取りを見ながら、ふと口を開いた。
「……母親も、いないのか?」
「はい……です?」
なぜそんなことを聞くのかわからない。
そんな顔で、アリアは答える。
「そうか……」
オスワルドは、一瞬だけ視線を落とした。
ノーランド。
その姓が、脳裏に引っかかり続けていた。
だが――。
「さぁ、おっちゃん! 続きいくぞ!」
ゾーイの明るい声が、その思考を断ち切る。
(……今は、考えている場合ではないか)
オスワルドは左足へ重心を掛け、走った痛みに僅かに眉をひそめた。
傷は浅い。
だが、先ほどまでと同じように動けば、確実に傷口は広がるだろう。
それでも、大剣を握る手に揺らぎはない。
静かに息を吐き、再び大剣を握り直した。
「……ああ、そうだな」
その瞳から、迷いは消えていた。
「来い!」
「いくぞ!」
ゾーイが石畳を蹴る。
その後ろを、影のようにアリアが駆けた。
傷ついた左足へ力を込め、オスワルドもまた、大剣を振り上げる。
三つの影が交錯し、夜の街に再び轟音が響き渡った。
遠くでは、領主邸から立ち昇った赤い光が、今なお夜空を染め続けている。
まるで、この戦いの行く末を見届けるかのように――。




