第百六話 赤き狼煙の夜
――八番領地・西方の山中。
山の中腹から見下ろす八番領地の景色は、どこか幻想的だった。
夜の街のメインストリートには、一定間隔でかがり火が焚かれている。
だが今は、それだけではない。
闇の中に、ぽつり、ぽつりと新たな灯りが増えていた。
事の始まりは、八番領地の中心部から放たれた、ひと際強い赤い光だ。
夜空を裂くように打ち上がったその光は、まるで領内各地へ――“今だ”と告げているようだった。
その合図に応えるように、領民たちが家々の前で火を焚いていく。
誰も武器を手にしてはいない。
それでも、闇の中に次々と生まれる火は、領内各地に巨大な軍勢が潜んでいると思わせるには十分だった。
静まり返っていたはずの八番領地が、今まさに目を覚まし始めている。
「どうやら、イマリはうまくやったようだな」
俺は隣に立つカワナミさんへ、ぽつりと声を漏らした。
「うん。イマリちゃんがやってくれた。よかった……」
彼女は胸を撫で下ろすように、小さく息を吐く。
張り詰めていたものが、少しだけ緩んだように見えた。
「それより……よかったの? 私と一緒に八番領地へ来ちゃって。デンスさん、止めてたけど……」
カワナミさんは、不安げにこちらを見る。
「ん? 問題ないよ。カワナミさんたちが故郷を取り戻す瞬間を、俺も見届けたかったんだ。
それに、研究成果であるフレアガンが実戦でどう機能するのかも、実際に見ておきたかったしな」
当初の計画では、この場で指揮を執るのはデンスだった。
俺はエリュシオン西方の駐屯地で待機する――それが、本来予定されていた配置だ。
だが俺は、その配置をひっくり返した。
“王自ら前線へ出るなど何事ですか”と、デンスには随分呆れられた。
もっとも、リオデルカが面白がるように援護射撃してくれたおかげで、最終的には押し切れたのだが。
「私たちの陛下は、こういうお人なんですわ!」
後方に控えていたリンウェルが、どこか誇らしげに胸を張る。
「すごいね、アサヒ君は……ちゃんとみんなと信頼関係を築けていて」
カワナミさんはそう言って、少し自嘲するように笑い、視線を落とした。
「カワナミさんだって同じだろ。イマリなんて、君のためなら、一人でも俺たちと戦う覚悟だったと思うぞ」
俺がそう言うと、彼女はゆっくりと顔を上げる。
「うん……イマリちゃんには、本当に感謝してるよ……」
その笑みは柔らかかったが、どこか寂しさを帯びていた。
俺はそれに軽く笑みを返しながら、次の展開へ意識を向ける。
「イマリは注文どおり仕事をこなした。あとは――」
「アリアたちですわね……」
リンウェルが言葉を継いだ。
今回、同時進行している二つの軍事作戦。
俺はそこへ、リリィ、アリア、ゾーイという“お転婆娘三人衆”を組み込んだ。
正直に言えば、気は進まなかった。
だが、リオデルカからの助言もあり、最終的にその判断を下したのだ。
リリィは、十六番領地攻略部隊へ。
頭に血が上ると一直線になりがちな彼女には、ミスラ、イリス、シェリーという経験豊富な三人を同行させている。
いざという時には、三人がリリィを止めてくれるだろう。
あちらは、彼女たちに任せておけば問題ない。
そして今、この八番領地へ来ているのが、アリアとゾーイだ。
ゾーイは、まだ俺の配下について日が浅い。
アリアに至っては、正直、未知数な部分も多かった。
だが、彼女を見つけてきたリオデルカは「問題ない」と断言している。
そして彼女たちに与えられた役目は――
八番領地を実効支配している九番領地。
その武力的脅威であるオスワルド・サネを引きつけ、セシルがジラールさんたちを救出するための時間を稼ぐこと。
そして可能であれば、そのままオスワルドを八番領地から撤退させることだった。
正直、気が気ではない。
イマリがレオンを引きつける。
もう一人、この地へ潜入しているサブクラス持ち――セシルが、捕らえられているジラールさんたちを捜索する。
アリアとゾーイには、その二人が役目を果たすための時間を稼いでもらわなければならない。
本来なら、この場にいるのはデンスで済んだ。
護衛も、一般兵だけで十分だったはずだ。
だが俺が来たことで、リンウェルがこちらの護衛に回ることになってしまった。
デンスとしては、“保護者役”として彼女をアリアたちへ同行させたかったのだろう。
そう考えると、少し申し訳なさもあった。
「リンウェルも、やっぱり心配か?」
胸の奥にあるざわつきを共有したくて、俺は尋ねた。
「そうですわね……ゾーイはともかく……」
リンウェルは少し考えるように視線を落とし、続ける。
「アリアが、オスワルドを追い詰めた末に殺してしまわないか心配ですわね。
彼は優秀な戦士ですから、リベリオンに欲しい人材ですもの」
「……え?」
思わず聞き返した。
「え?」
リンウェルもまた、「何かおかしなことを言いましたか?」とでも言いたげに瞬きをする。
「あの……アリアって、そんなに強いのか?」
「強い……というより、冷静沈着で、洞察力がずば抜けていますの。完全に指揮官向きですわね」
「洞察力……」
「ステータスだけなら圧倒的なリリィが、模擬戦ではアリアの策に嵌まり、一度も勝てていませんもの」
「ま、マジか……」
思わず声が漏れる。
「陛下も、ご自身の配下の実力を知るため、もっと訓練へ参加するべきですわ!」
リンウェルが遠慮なく言い放った。
「ああ……うん……そうだな……」
俺が露骨にやる気のない返事をすると、隣でカワナミさんがくすりと笑った。
そういえば――。
今回の作戦会議で、アリアたちへあの任務を与えた時、誰一人として反対しなかった。
それはつまり、皆がアリアの実力を理解していたということなのだろう。
俺だけが、何も知らなかったのかもしれない。
「まぁ、とにかくだ」
俺は軽く息を吐き、改めて八番領地へ目を向ける。
「作戦の第一段階は完了した。あとは、セシルがジラールさんたちを見つけ出してくれることを祈るばかりだな」
「そうだね。“サブクラス武器を発現できない地下牢”にいる可能性が、一番高いと思うし……」
カワナミさんが静かに頷いた。
「よし――それじゃあ、俺たちも予定どおり進軍するとするか」
「うん」
「そうですわね」
俺が号令をかけると、後方で待機していた二十名ほどの兵士たちが、一斉に姿勢を正した。
夜風が山肌を撫でる。
遠くでは、八番領地の各地に灯された火が、まるで地上に落ちた星のように揺れていた。
その光景を背に、俺たちは静かに歩き出す。
鎧の擦れる音も、草を踏む足音も、深い夜の闇へ溶け込んでいく。
赤い狼煙が照らした八番領地へ向けて――。
俺たちは、密やかに進軍を開始した。




