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第百四話 偽りの包囲網

――数日前、エリュシオン城・会議室。



「それは……領民を兵士として前線に立たせろ、ということかの?」



イマリの鋭い視線が突き刺さった瞬間、会議室に緊張が走った。


つい先ほどまで、カワナミさんが頭を下げ、決意を示したことで生まれていた穏やかな空気は、跡形もなく消え失せている。



「そのようなことは申し上げておりません。ただ、“合図”とともに火を灯していただきたいだけです」



デンスは、その鋭い視線を真正面から受けながらも、穏やかな笑みを崩さず答えた。



「領民の方々にお願いするのは、あらかじめ指定した場所で火を灯し、すぐに屋内へ戻っていただくことだけです。


 九番領地の兵士と接触させるつもりはありません」



二人の間に生まれた緊張感が、波紋のように室内全体へ広がっていく。



「落ち着け、イマリ。デンスも、皆にわかるよう説明してくれ」



俺が場を収めるように口を開くと、そのやり取りを静かに見守っていたリオデルカが、穏やかに頷いた。



「仕方ありませんね。では、順を追ってご説明しましょう」



デンスは肩をすくめる。


俺は続けて、イマリへ視線を向けた。


イマリもまた、やれやれといった様子で肩をすくめると、全身に入っていた力を抜いた。


その隣では、カワナミさんだけが表情を変えず、真っすぐデンスを見据えている。



「まず、八番領地に対する我々の目的を再確認しましょう」



俺は無言で頷いた。



「我々の目的は、あくまで八番領地を実効支配している九番領地から、その支配権を奪い返すことです」



「そのとおりじゃ」



イマリが短く同意する。



「つまり、九番領地の領主――フジムラ ソウタ本人を討ち取る必要はない、ということになります」



会議室に集まった面々が、静かに頷いた。



「要は、八番領地から撤退させればよいのです」



「撤退、か……」



俺は小さく呟いた。



「ええ。我々がエリュシオン西の駐屯地と、アテーナ北の駐屯地へ兵を集結させれば、


 現在八番領地に駐屯している者たちは、“いよいよリベリオンが攻めてくる”と判断するでしょう」



「ですが、相手は三十番領地の兵力も取り込んでいます。


 兵力だけで見れば、こちらと互角になるのではありませんか?」



イリスが同意を示しつつも、疑問を投げかける。



「そのとおりです。ただし――“兵を並べただけ”なら、ですが」



デンスはそこで一拍置き、ゆっくりとイマリへ視線を向けた。



「……そういうことか」



イマリが目を細める。



「おわかりいただけましたか?」



「まったく……嫌味な男じゃの」



イマリは呆れたように息を吐いた。



「ご、ごめん……イマリちゃん。どういうこと……?」



カワナミさんが、恐る恐る尋ねる。



「あやつらは今、敵地に駐屯しておる状態じゃ」



「うん」



「その敵地の領民が、一斉に反旗を翻したように見えたら、どうなる?」



「……まず、そっちの対応をする?」



「そうじゃ。そうせざるを得ん」



イマリはそこで、ニヤリと笑った。



「実際に領民を戦わせる必要はない。決められた場所で一斉に火を灯す――たったそれだけでいい」



「火を灯すだけで……?」



「暗闇の中、街の至るところで同時に火が上がれば、敵には領民の蜂起が始まったように見える。


 あるいは、街の中に兵が潜んでおったようにな」



「そっか……!」



カワナミさんの顔が、ぱっと明るくなる。


領民を戦わせるわけではない。


それでも、自分たちの行動が領地の奪還につながる。


そのことが、彼女にとっては何よりも嬉しいのだろう。



「ですが、相手はレオン・バスカビルです。そう簡単に崩れるとも思えませんが」



アランが不安を口にする。



「それに、これほど大規模な軍事行動です。他領地が黙って見ているとも思えませんわ」



リンウェルも続けた。



「お二人の懸念は、もっともです」



それでも、デンスの笑みは揺らがない。



「ですが、それらについても、陛下の許可をいただいたうえで、既に対策を講じております」



そう言うと、デンスは抱えていた書類の束から一枚を抜き出し、高く掲げた。



「それは……」



近くにいた者たちが、その内容を見て目を見開く。


当然だった。


そこに記されていたのは、本来ならリベリオンを窮地へ追い込むはずの文書だったからだ。



「これは、“リベリオン包囲網”の条文です」



遠くて内容が見えない者たちへ向け、デンスが説明する。


会議室がざわついた。



「……まあ、条文の草案を作成したのは、私なのですが」



そのざわめきを楽しむように、デンスは肩をすくめる。



「ほう……お主が書いたものじゃと?」



イマリが眉を上げた。



「ええ。もっとも、私が用意したのは条文だけです。参加領主たちの署名は、すべて本物ですよ」



デンスは書類へ視線を落とした。



「十六番領地の署名を得るのには、少々手間取りましたので、ある方に協力していただきましたが」



そう言って、デンスの視線が一瞬、シェリーへ向けられる。


当の本人は、薄く微笑みながら静かに目を閉じていた。


書類には、こう記されていた。


――十六番領地 領主 イシダ タクミ


――十三番領地 領主 タケグチ ジュン


――九番領地 領主 フジムラ ソウタ


――六番領地 領主 タチバナ ミヤビ



「見事に、リベリオンを囲う領地ばかりですな」



アランが感心したように呟く。



「ええ。ただし、この中で十三番領地と六番領地は、既にこちら側です」



「ほう……」



リオデルカが顎髭を撫でる。



「十三番領地には、当面の食料支援を行うことで協力を取りつけました」



デンスは淡々と説明を続ける。



「六番領地には、十六番領地攻略後、その配下にある十七番領地を譲渡することを条件に、一定期間の不干渉を取りつけています」



いつの間にか、会議室は静まり返っていた。


誰もが、デンスの言葉に聞き入っている。



「さて、先ほどのお二人の懸念ですが……まず、リンウェル殿の不安については、この包囲網によって解決できるかと」



リンウェルは、力強く頷いた。



「周辺領地は、既にリベリオンを包囲する側として動いているように見えます。


 少なくとも、この戦いへ新たに介入してくる可能性は低いでしょう」



「ええ。理解しましたわ」



「そして、アラン殿の懸念ですが――この“仕組まれた包囲網”の中に九番領地が含まれている時点で、答えは見えているでしょう」



「……なるほど」



アランは感嘆混じりに呟いた。


その時だった。


会議室の入口付近から、場違いともいえる声が上がる。



「メイド長……どういうこと?」



「全然……わからない……です」



リリィとアリアが、揃ってシェリーを見る。



「うむ! わからん!」



ゾーイまで腕を組み、堂々と宣言した。


そのあまりにも率直な反応に、会議室へ思わず和やかな空気が広がる。


デンスも苦笑しながら、説明を続けた。



「包囲網というものは、中心にいる敵を牽制するか、あるいは四方から攻め滅ぼすためのものです。ここまでは大丈夫ですね?」



「うん!」



「はい……です」



「わかるぞ!」



三人は揃って頷いた。


その横で、カワナミさんまで真剣な顔で何度も頷いているのを、俺は見逃さなかった。



「では、包囲されている側が先に動いたら、どうなるでしょう?」



「えっと……動いた方向と反対側の領地が、その隙を突く?」



リリィが自信なさげに答える。



「半分正解です」



その瞬間、リリィの顔がぱっと明るくなった。



「別に、反対側だけである必要はありません。


 動いた方向の勢力が敵を引きつけている間に、残った領地が一斉に攻めればよいのです」



「そうだな!」



なぜかゾーイが胸を張った。



「今回でいえば、我々が八番領地へ向けて動けば、九番領地は“包囲網に参加している他の領地も、リベリオンへ攻め込む”と考えるわけです」



「あ……そっか……です」



アリアがようやく理解したように、目を輝かせる。



「ですが実際には、十三番領地も六番領地も動きません」



デンスは掲げていた書類を、机の上へ置いた。



「味方であるはずの領地が一つも動かず、自分たちだけがリベリオン軍と、八番領地で発生した蜂起に挟まれた」



デンスの声が、静まり返った会議室に響く。



「そう判断すれば、九番領地は包囲網そのものを疑い始めます」



「自分たちだけが、囮にされたと思うんだね……」



カワナミさんが、目を丸くしながら呟いた。



「そのとおりです」



デンスは頷く。



「さらに、八番領地で消耗している間に、本国である九番領地まで狙われる可能性も考えるでしょう」



「なるほど……」



「敵地で起きた蜂起の気配。自分たちと互角規模の軍勢。そして、動かないはずの味方」



デンスは、一つずつ指を立てる。



「これらが重なれば、ある程度知恵の回る者なら、八番領地を守るために無理な戦いを続けるより、撤退を選ぶはずです」



「これは驚いた……さすがとしか言いようがありませんな」



アランが、素直に感嘆する。



「癪ではあるがの」



イマリも小さく同調した。


会議室では、各々が理解を深めながら、この作戦について議論を始める。


その光景は、俺にとって――いや、リベリオンにとって、とても良いものに見えた。


皆が同じ未来を見据え、同じ戦いへ向けて思考を重ねている。


立場も、性格も、生きてきた道も違う。


それでも今は、一つの目的のために言葉を交わし、互いの意見に耳を傾けている。


そんな確かな一体感が、そこにはあった。


やがて、議論が一段落した頃。


それまで静かに聞いていたリオデルカが、ゆっくりと口を開いた。



「一つ、聞きたい」



その声だけで、場の空気が自然と引き締まる。



「はい」



デンスの表情からも、笑みが消えた。



「八番領地については理解した。多少の危険はあろうが、大きな問題はないだろう」



リオデルカは、静かに続ける。



「だが、お主は先ほどから、“十六番領地を取る”と言っている」



「はい。申し上げました」



デンスは、真っすぐに答えた。


リオデルカは一度だけ頷く。



「その話も、聞かせてもらおうか」



威圧しているわけではない。


だが、その一言には、退位したとはいえ、王としての重みが宿っていた。


兵の命を預かる者として。


一つの綻びすら許さぬ統治者として。


まさに、“賢王”の問いだった。



「かしこまりました」



デンスは静かに一礼すると、机の上に広げられていた八番領地の地図を脇へ退けた。


代わって、その下から取り出されたのは、十六番領地の地図。


その中央には、領主邸へと続く経路と、いくつもの赤い印が書き込まれている。



「では――十六番領地攻略について、ご説明いたします」



その瞬間。


先ほどまで作戦の成功を確信し、わずかに緩んでいた会議室の空気が、再び静かに張り詰めた。


八番領地を取り戻すための策は、敵を惑わせ、退かせるためのもの。


だが、これから語られるのは違う。


十六番領地。


イシダ タクミを討つための、本当の戦いだった。


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