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第14巻:如月令嬢は『電波の虚飾を信じない』  作者: アリス・リゼル


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エピローグ:『残響』

 月見坂放送局のスマートシティ三十周年記念特番『月見坂・未来への軌跡』の放送当日。

 編成部の一角にある薄暗い仮眠室で、ディレクターの泊宗一は、まるで死刑執行の時刻を待つ囚人のように、毛布を被って震えていた。彼の目の下には色濃い隈が定着し、三日間の地獄の収録と、その後の狂気に満ちた編集作業によって、体重は数キロ落ちていた。

 手元のスマートフォンが、放送開始の十分前であることを無情に告げている。


「……終わった。俺のキャリアは、今日で完全に終わるんだ」


 泊は、乾ききった唇から虚ろな声を漏らした。

 本来であれば、この特番は月見坂市の輝かしい未来と、如月コンツェルンの先進的な取り組みをスタイリッシュに紹介する、完璧なPR番組になるはずだった。スポンサーには名だたる巨大IT企業が名を連ねており、局の上層部からの期待も極めて高かった。

 だが、あの一人の令嬢――如月瑠璃が現場に現れたことで、すべてが完全に崩壊した。

 ドキュメンタリー撮影では予定調和の演出を次々と破壊され、バラエティクイズのコーナーでは美術スタッフが精魂込めて──予算を削って──作った偽物の小道具を『ただのゴミじゃな』と物理的証拠付きで秒殺され、あろうことか『テレビ局のヤラセ』をカメラの真正面から暴き立てられた。

 そして極めつけは、番組の背骨であるトップ会談だ。市長、社長、会長という月見坂の三巨頭が揃い踏みした神聖な場で、瑠璃は一本の銀の匙のルーツを暴き、彼らに用意された美しい台本を捨てさせた。結果として収録されたのは、先進的なスマートシティの映像などではなく、旧市街の泥臭い質屋から始まった、昭和の土建屋顔負けの人間臭いドキュメンタリーだった。


 泊は編集室で、何度もそれらの映像をカットし、予定通りの無難な番組に仕立て直そうと試みた。だが、瑠璃にペースを完全に握られ、さらには現場のカメラマンたちが『本物の画』に魅了されてしまったあの映像素材から、テレビ的な虚飾だけを抽出することは不可能だった。

 苦肉の策として、彼はありのままを繋ぎ合わせた。令嬢がテレビの嘘を暴き、大物たちが泥臭い真実を語る、その異様な熱量を持った映像を、ほぼ無編集で電波に乗せるという狂気の決断を下したのだ。


「ヤラセを自ら放送するなんて、BPO案件どころじゃない。スポンサーは激怒して降板するだろうし、コンツェルンのイメージを損なったとして、俺は明日には月見坂湾の底に沈められているかもしれない……」


 胃袋がギリギリと軋む音を聞きながら、泊は毛布の中で硬く目を閉じた。

 そして、午後八時。

 運命の特番が、全国ネットの電波に乗って放送を開始した。


 泊は祈るような気持ちで、スマートフォンのSNSアプリを開いた。せめて、放送事故だと叩かれる前に、一握りの視聴者でもいいから『面白い』と言ってくれないだろうかという、微かな未練だった。

 タイムラインに『#月見坂特番』のハッシュタグを入力し、検索ボタンを押す。


 ――その瞬間。

 泊のスマートフォンの画面が、尋常ではない速度で滝のように流れ始めた。


『え、なにこれ。ただの市町村PR番組かと思ったら、なんか様子がおかしいぞ』

『おい、ひな壇の芸能人が完全にドン引きしてるじゃねえかwww』

『この黒いドレスの美少女誰!? めちゃくちゃ可愛いんだけど!』

『如月コンツェルンのお嬢様らしい。てか、今、局の用意した小道具を「新品の偽物」ってガチで論破しなかったか?』

『ヤバいヤバいヤバいwww テレビのヤラセを身内の特番で完全に暴露してんぞこの令嬢www』

『「あらかじめ用意されたクイズなど愚鈍」……言っちゃったよこの子! 放送していいのかこれ!』

『瑠璃様、ルーペで鑑定する姿が美しすぎる……!』

『一切の忖度なしのガチ鑑定スゲェ! しかもゴシックドレスで超かわいい! 俺の嫁!』

『俺の嫁とか言ってる奴は一秒で論破されて泣かされるぞ』


 泊は、目を疑った。

 炎上はしていなかった。いや、炎上という言葉の定義を超えるほどの、爆発的な『熱狂』が、SNSの海を完全に呑み込んでいたのだ。

 視聴者は、テレビ局が用意した『見え透いた嘘』にとうの昔に飽き飽きしていた。そこに突如として現れた、圧倒的な美貌と、権威や空気を一切読まずに物理的真実のみでテレビの虚飾を切り裂く『如月瑠璃』という特異なキャラクターは、大衆の鬱屈した渇望を見事に撃ち抜いたのである。


 番組が中盤から後半へと差し掛かり、問題の『トップ会談』のシーンが放送されると、熱狂の質は「笑い」から『圧倒的な感動』へと変化していった。


『嘘だろ……あの如月弦十郎会長が、台本捨てたぞ』

『六十年前の質屋の思い出……泥まみれの土下座……』

『スマートシティの土台が、こんな血の通った人情でできていたなんて知らなかった』

『市長も泣いてる。これもあの令嬢が銀のスプーンの真実を暴いたからか』

『やばい、不覚にも号泣してる。最近の作られたお涙頂戴ドラマなんかよりずっと刺さる』

『この番組を作ったディレクター、マジで天才だろ。テレビのヤラセというタブーすら逆手にとって、最終的にこんな泥臭くて熱い本物のドキュメンタリーに繋げるなんて……』


 泊のスマートフォンが、けたたましい着信音を鳴らし始めた。

 画面には、編成局長の文字。クビの宣告かと思いながら恐る恐る電話に出ると、受話器の向こうからは、局長の興奮しきった大声が響き渡った。


『泊!! お前、やったな!! SNSのトレンド、世界一位から五位まで全部うちの特番の関連ワードで独占してるぞ!! スポンサーのIT企業からも「これほど人間味のある素晴らしい理念のPRはない、自社のブランド価値まで上がった」と泣いて感謝の電話が来てる!!』


「えっ……? あ、あの、ヤラセの暴露については……」


『あれが最高のスパイスになってるんじゃないか! 【自らの嘘を認めてでも真実を伝える】というテレビ局の姿勢が、ネットで大絶賛されてるんだよ! 瞬間最高視聴率は、うちの局の歴代記録を塗り替える35%超えだ!! お前はテレビの歴史を変えた天才ディレクターだ!! 明日、社長賞の授与があるから覚悟しておけ!!』


 一方的に電話が切れ、仮眠室に静寂が戻った。

 泊は、スマートフォンの画面と、真っ暗な天井を交互に見つめた。

 番組は大成功。視聴率は歴代最高。スポンサーは大喜び。自身は天才ディレクターとして世間から大絶賛。

 すべてが、最高のハッピーエンドだった。


「……違う」


 泊は、ポケットから胃薬を取り出し、水も飲まずにボリボリと噛み砕いた。


「俺は、何もしてない……。ヤラセを逆手に取ったわけじゃない、ただあの理不尽なお嬢様に現場を破壊されて、どうしようもなくてそのまま放送しただけだ……。俺は天才なんかじゃない……ただの被害者だ……!」


 泊の悲痛な叫びは、歓喜に沸く月見坂放送局の喧騒にかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。

 こうして、電波の虚飾を打ち砕いた一人の令嬢の活躍は、『高視聴率の怪物』という奇妙な都市伝説を生み出し、テレビ業界の歴史に深く、決して消えない傷跡を刻み込んだのであった。


**


「最高だ。これこそが、資本主義の正しい恩恵というやつだ」


 特番の放送から数日後の放課後。

 僕は、如月学園の旧校舎、その一階の奥深くにある静寂に包まれた図書室で、ふかふかのソファに深々と身を沈めながら、極上の平穏を満喫していた。

 僕の目の前の机には、昨日発売されたばかりの最新型のハイエンド・タブレット端末が鎮座している。そして耳には、プロのミュージシャンがレコーディングで使用するレベルの、超高級ノイズキャンセリング・ヘッドホンが装着されていた。

 手元には、大好物のコンソメ味のポテチの特大袋と、氷をたっぷり入れた冷たいコーラ。タブレットの鮮やかな有機ELディスプレイには、僕の推しである地下アイドル『魚魚ラブ』のセンター、箱崎彩華ちゃんのライブ映像が、まるでそこに実在するかのような高画質で映し出されている。


 これらの最新ガジェットとジャンクフードは、すべて自腹で購入したものではない。

 あの三日間にわたる地獄のテレビ収録を潜り抜けた翌日、僕の銀行口座には、如月コンツェルン社長である如月彰氏の個人名義で、目玉が飛び出るほどの『臨時嘱託費』が振り込まれていたのだ。

 通信欄には一言、『現場の指揮、見事だった。娘の通訳、これからも頼む』とだけ記されていた。


 あの極限状態での僕の『裏回し』と『番組ジャック』が、彰社長や弦十郎会長に評価されたという事実。それはそれで恐ろしいことだが、振り込まれた金額のゼロの多さを前にしては、どんな恐怖も霞んでしまった。

 僕は速やかに家電量販店へと走り、欲しかったガジェットを迷うことなくカートに放り込んだ。そして今、この図書室という誰にも邪魔されない聖域で、ポテチを齧りコーラで流し込みながら、最新技術の結晶を浴びるように堪能しているのである。


「はぁ……生きててよかった。あの胃が捻り切れそうなプレッシャーも、泊ディレクターの絶叫も、今となっては良い思い出……ではないけど、まあ、対価としては十分すぎる」


 僕はヘッドホンから流れる重低音のリズムに体を揺らしながら、ゆっくりと目を閉じた。

 心地よい疲労感と、ジャンクなカロリーがもたらす圧倒的な安心感が全身を包み込む。僕は泥のような、しかし極めて良質な眠りの淵へと、少しずつ意識を沈めていった。


 ――ドンッ!!


突然、僕の目の前の机が激しく揺れ、タブレットの画面とコーラの氷が跳ねた。

 驚いて目を開けると、そこには、いつの間にか旧校舎に現れた深紫と漆黒のゴシック・ドレスの令嬢が、僕を見下ろして立っていた。

 如月瑠璃である。


「ひっ!? き、如月さん!? い、いつの間に……ていうか、ポテチこぼれたじゃないですか!」


 僕は慌てて高級ヘッドホンを外し、ソファから飛び起きた。

 彼女は僕の狼狽ぶりや散らかったポテチなど一切気にする様子もなく、純白の手袋をはめた手で、机の上に置いた『あるモノ』をツンと小突いた。

 それは、ガラスの器に乗せられた、美しい琥珀色のカラメルソースがたっぷりとかかった『かためのプリン』だった。


「大儀であった。報酬じゃ」


 瑠璃さんは、アメジストの瞳を真っ直ぐに僕に向け、まるで王族が臣下に褒美を取らせるような尊大な態度で、そう言い放った。

 僕は呆然とそのプリンを見つめ、そして、瑠璃さんの顔を見上げた。


「ほ、報酬って……えっ、これ、如月さんの大好物ですよね? くれるんですか?」


「あのテレビの収録において、お主なりに『事実』を曲げずに大人たちを操作しようと足掻いたこと、少しは評価してやる。わしの愛する旧市街の老舗洋菓子店のプリンじゃ。特別に一つ、お主に食す権利を与えよう」


 僕は、言葉を失った。

 あの如月瑠璃が。他人の情動に一切共感せず、自分の興味とルーツ探求にしか時間と労力を割かないあの孤高の天才令嬢が、僕の三日間の苦労を労い、あろうことか『自分の大好物』をわざわざ差し入れしてくれたのだ。

 これは、奇跡だ。テレビのヤラセが暴かれたことや、三巨頭が涙を流したことなど比べ物にならないほどの、宇宙的な奇跡である。


「き、如月さん……! ありがとうございます! 僕、一生ついていきます!」


 僕は感動のあまり涙目になりながら、両手を合わせてプリンを拝んだ。

 ポテチとコーラも最高だが、コンツェルン令嬢が認める老舗のプリンの輝きは別格だ。ガラスの器の中で、しっかりと熱の通った卵の黄色と、ほろ苦いカラメルの色が美しいコントラストを描いている。

 僕は震える手で、添えられていた銀のスプーンを手に取った。


「では、遠慮なく……いただきます!」


 スプーンの先端を、かためのプリンの表面に突き立てようとした、その瞬間。


「さあ、食すが良い」


 瑠璃さんが、美しく、そしてこの上なく不敵な笑みを浮かべて宣告した。


「そして食べ終わったら、すぐに出発するぞ。そのプリンの卵が産み落とされた鶏舎の場所は特定済みじゃ。今回は、その鶏舎が建っている土地の『土壌のルーツ』から、鶏の食べる飼料の成分、そしてこのプリンの比類なき弾力に至るまでの物理的因果関係を、徹底的に解明する」


 ピタリ、と。

 僕の手の中で、スプーンの動きが完全に停止した。


「……え?」


「わしは言ったはずじゃ。『食す権利を与えよう』とな。だが、ただ食べて美味いなどという動物的な感想で終わらせることは許さぬ。お主は我が下僕として、このプリンを構成するすべてのルーツの解明に同行し、記録係を務める義務がある。さあ、一秒で食い終えろ。日が暮れる前に行くぞ」


 瑠璃さんは、ドレスのポケットから重厚な銀の懐中時計を取り出し、カチャリと蓋を開けた。

 チッ、チッ、チッ、という秒針の音が、図書室の静寂を切り裂いて響き始める。


 僕は、目の前の美味しそうなプリンと、アメジストの瞳を輝かせる理不尽な天才令嬢を交互に見つめ、そして、深く、深く息を吸い込んだ。


「……いやああああああああああああああああっ!!」


 せっかく手に入れた最新ガジェットでのジャンクで平穏な時間は、たった一つの最高級プリンによって無残に粉砕された。

 僕の絶望の絶叫が、夕暮れの迫る如月学園の旧校舎に、いつまでも空しく響き渡っていた。



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