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第14巻:如月令嬢は『電波の虚飾を信じない』  作者: アリス・リゼル


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第3話『対談』 ~section 4:サクタロウの決断と、真実の指揮者~

「待ってください! カメラを止めるな! 回し続けてください!」


 僕の唐突な乱入と腹の底からの怒号に、収録中止のサインを出そうと両手を振り上げていたフロアディレクターが、目を丸くして完全に動きを止めた。


「さ、朔くん!? なにを血迷っている! 君は画面に映っちゃいけない部外者だぞ! どけ! これは泊ディレクターからの絶対の指示だ! いますぐ止めないと……」


「ディレクターは、サブコントロールルームのモニター越しに『番組の体裁』と『スポンサーの顔色』しか見ていない! だからあんな見当違いな指示を出せるんです!」


 僕はフロアディレクターの腕を強く掴み、真っ直ぐに彼の目を見据えた。僕自身の声が、極度の緊張とアドレナリンの過剰分泌によって微かに震えているのが分かる。高校生であり、単なる如月コンツェルンの臨時嘱託員に過ぎない僕が、プロのテレビマンに真っ向から逆らうなど正気の沙汰ではない。後でどれだけ怒鳴られ、最悪の場合コンツェルンからどんなペナルティを受けるか、想像しただけで胃袋が捻り切れそうだった。

 だが、それでも、僕は一歩も引くわけにはいかなかった。


現場(ここ)を見てくださいよ! 今の会長たちの表情を、ちゃんと肉眼で見てください!」


 僕の悲痛な叫びに、フロアディレクターが弾かれたように三人の権力者へと視線を向けた。

 弦十郎会長の、六十年の過酷な歳月と後悔、そして商売人としての誇りが深く刻み込まれた皺。

 彰社長の、完璧な経営者の仮面を完全に脱ぎ捨てた、泥臭くも晴れやかな少年のごとき笑顔。

 南雲市長の、己の政治家としての原点を思い出し、大粒の涙を流して肩を震わせる姿。

 それは、どんなに優秀な脚本家が台本を書いても、どんなに名優が演技をしても決して作り出せない、圧倒的な『本物の権力者の顔』だった。


「あの三人は今、テレビ用の虚飾を完全に捨てて、自分の魂の底から嘘偽りのない言葉を紡ごうとしているんです。スマートシティのPRだとか、先進的なイメージだとか、そんな薄っぺらい大人の事情で、この『本物の情動』を切り捨てるんですか!? 月見坂の歴史そのものが語られているこの瞬間に、カメラの録画ボタンを切るのが、あなたたちテレビマンの本当の仕事なんですか!!」


 僕の痛切な訴えが、静まり返ったVIPサロンに響き渡った。

 フロアディレクターは息を呑み、そして、完全に言葉を失った。彼の中にあるサラリーマンとしての保身と、映像制作者としての本能が激しく衝突しているのが手に取るように分かった。


「……朔くんの、言う通りだ」


 沈黙を破ったのは、中央のカメラを構えていたチーフカメラマンだった。

 彼は無精髭の生えた口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ファインダーから片時も目を離すことなく、フロアディレクターに向かって言い放った。


「サブ室で喚いてる泊には『機材トラブルで通信が切れた』とでも言っておけ。俺は四十年この業界でカメラを回してきたが……今ここで録画を止めたら、カメラマンとして一生後悔して死に切れねえ。こんな極上の被写体、二度と撮れるもんかよ」


 チーフカメラマンの言葉に呼応するように、左右のカメラマンたちも無言で力強く頷き、レンズのフォーカスリングを微かに回した。三台のカメラの赤い録画ランプは、誰一人として消そうとはしなかった。

 現場の空気は決した。

 テレビの理不尽なシステムに対する、現場のプロフェッショナルたちの静かな叛逆。

 僕はフロアディレクターの腕から手を離し、深く一礼した。そして、あらかじめ用意していたスケッチブックと極太のマジックを握り直し、カメラの死角となる床すれすれの低い位置へと身を沈めた。

 ここからは、僕がこの現場の『真実の指揮者』として、この奇跡の空間を最後まで成立させなければならない。


 僕は猛烈な勢いでスケッチブックに指示を書き殴り、それをチーフカメラマンへと向けた。


【1カメさん! 会長の手元の『銀の匙』を限界まで寄りで抜いてください! その傷跡が今日の主役です!】


 僕のカンペを見たチーフカメラマンが、ファインダー越しに親指を立てて応える。

 ウィィィン、という微かな駆動音と共に、中央のカメラが弦十郎会長の顔から、彼の手の中に握られた黒ずんだ銀の匙へと、滑らかなズームインを開始した。マホガニーの書棚や高級なソファといった周囲の虚飾が被写界深度の奥へとボケて消え、ピントは匙の裏側に刻まれた不格好な『×』の傷跡だけにピタリと合う。


 映像の画角は決まった。

 次は、完全に進行がストップしてしまっているこの対談自体を、再び動かさなければならない。

 僕は新たなページをめくり、マジックを走らせて、進行役の田中アナウンサーへとカンペを突き出した。


【田中アナ! 台本は完全に無視してください! そのまま三人の『泥臭い思い出』を聞き出して! アナウンサーとしての本当の腕の見せ所です!】


 僕の突き出したスケッチブックを見た田中アナウンサーは、ハッと息を呑んだ。

 彼女は自分の手元にある、美辞麗句が並んだ分厚いバインダーを見下ろし、そして、目の前で涙を流している南雲市長や、真剣な眼差しで過去を見つめている弦十郎会長の顔を交互に見た。

 一秒、二秒。

 彼女の中で、猛烈な葛藤が渦巻いているのが分かった。局の看板アナウンサーとして、用意された台本を守るのが彼女の職務である。しかし、目の前にあるのは、台本を遥かに凌駕する圧倒的な人間の真実だ。


「あっ……」


 田中アナウンサーの口から、微かな声が漏れた。

 彼女の手から、進行用のバインダーが滑り落ち、ペルシャ絨毯の上にパサリと音を立てて落ちたのだ。

 いつもの『ドジっ子』な一面が出たかのように見えた。

 だが、顔を上げた彼女の瞳の奥には、お茶の間向けの愛嬌の欠片もない、有名大学を首席で卒業した超一流のジャーナリストとしての、研ぎ澄まされた知性と覚悟の炎が燃え上がっていた。彼女はバインダーを拾おうとはせず、姿勢を正し、マイクを持たない両手を膝の上でしっかりと組み直した。


「弦十郎会長。彰社長。そして、南雲市長」


 田中アナウンサーの声は、先ほどまでの明るくポップな進行用のトーンから、夜更けのラジオのように深く、静かで、相手の心に寄り添うような温かいトーンへと見事に切り替わっていた。


「スマートシティ・月見坂が、冷たいデータの集積ではなく、名もなき人々の泥臭い情動と信頼の上に成り立っているというお話、深く胸を打たれました。……弦十郎会長。その『質屋の銀の匙』から始まった人情が、どのようにして現在の巨大なインフラ開発、そしてこの街の発展へと繋がっていったのでしょうか。その、決して綺麗事だけではなかったであろう道のりを、ぜひ市民の皆様に教えていただけませんか」


 完璧なファインプレーだった。

 単に過去の苦労話を聞き出すだけでなく、その泥臭い原点から、現在の『スマートシティ』という着地点へと視聴者を導くための、見事な架け橋となる質問。

 彼女の知性と人間力が、僕の書いた拙いカンペを、極上のインタビューへと昇華させてくれたのだ。


 弦十郎会長は、田中アナウンサーの真摯な問いかけに、深く頷いた。


「スマートシティの根幹を成すのは、土地だ。巨大な通信ケーブルを地下に這わせるにも、自動運転のネットワーク網を構築するにも、まずはこの街の基盤となる『土地』を一つにまとめ上げなければならなかった。それが、コンツェルンが最初に着手した大規模なインフラ整備事業だった」


 弦十郎会長は、手元の銀の匙をローテーブルの上にそっと置いた。


「しかし、旧市街に住む昔気質の住人たちは、企業による大規模な区画整理を激しく拒絶した。立ち退きの話を持ちかければ、塩を撒かれ、水をぶっかけられる毎日だった。彼らにとって、我々は先祖代々の土地を奪いに来た冷血な侵略者に他ならなかったのだからな」


「ええ。私もよく覚えています」


 彰社長が、当時の苦労を噛み締めるように目を細めた。


「どんなに最新の都市計画の図面を見せても、どれほどの補償金を提示しても、彼らは首を縦には振らなかった。論理や金では、彼らの『故郷への愛着』という情動を動かすことはできなかったのです。プロジェクトは完全に頓挫し、我々は絶望の淵に立たされていました。……ですが、その膠着状態を打ち破ったのは、父様、あなたが過去に蒔いた『種』でしたね」


 彰社長の言葉に、弦十郎会長が照れくさそうに鼻を鳴らした。


「……ある日、立ち退き反対派のリーダー格だった頑固な町内会長の家へ、土砂降りの雨の中、土下座をする覚悟で向かった時のことだ。玄関先で怒鳴られるのを覚悟していた私を、その町内会長は無言で家の中に招き入れ、熱い茶を出してくれたのだ」


 弦十郎会長の視線が、再び銀の匙へと向けられる。


「彼は、私の顔をじっと見て、こう言った。『あんた、四十年前、旧市街の如月質店で店番をしていただろ。俺が女房の医療費を払えなくて首を括ろうとしていた時、俺の持っていったガラクタの時計を、黙って高値で引き取ってくれたあの若旦那だろ』とな」


 サロンの空気が、さらに一段階、密度の濃いものへと変わった。

 カメラの駆動音すら吸い込まれていくような、圧倒的な人間のドラマ。


「私は驚いた。そんな昔のことなど、とっくに忘れていたからな。だが、彼は忘れていなかった。彼は私に深く頭を下げ、『あの時あんたに救われた命だ。如月の若旦那が、この街を本気で良くしようって言うなら……俺はあんたを信じて、この土地を預けるよ』と言ってくれたのだ」


 弦十郎会長の声が、微かに震えていた。


「論理でも、金でもない。彼らを動かしたのは、四十年前のちっぽけな質屋が施した、一握りの『情け』と『信頼』だった。……それが突破口となり、旧市街の区画整理は奇跡的に進み始めたのだ。あの質屋での泥臭い商売がなければ、現在のスマートシティの通信網も、自動運転のインフラも、決して完成することはなかった。この街のすべては、あの路地裏の質屋から繋がっているのだ」


 弦十郎会長の熱い吐露に、南雲市長も深く頷き、言葉を重ねた。


「行政としても、まったく同じ思いです。スマートシティのシステムは、放っておけば冷酷な効率化の暴力になりかねません。しかし、如月コンツェルンが構築したインフラの根底には、常に『弱者を見捨てない』という哲学が流れている。だからこそ、市民はこの新しいシステムを受け入れ、共に歩むことができた。……私の父を救ってくれた質屋の温もりが、今もこの巨大なネットワークの隅々にまで血液のように通っている。そう信じて疑いません」


 奇跡のセッションだった。

 弦十郎会長の圧倒的な原点の告白。彰社長の冷静な補足。南雲市長の行政からの視点と感謝。そして、それらを絶妙な間合いで引き出し、包み込む田中アナウンサーの完璧な相槌。

 四人の作り出す対話のグルーヴは、事前の打ち合わせや台本では絶対に到達不可能な、最高密度の空間を形成していた。


 僕はスケッチブックを下ろし、ただその光景を、息を止めるようにして見つめていた。

 大人の嘘と虚飾にまみれたテレビという箱庭の中で、今、間違いなく『本物の真実』が光り輝いている。僕の強引な番組ジャックは、最悪の放送事故になるリスクを孕んでいたが、結果として、月見坂市の歴史に残るであろう極上の映像を生み出すことに成功したのだ。


 僕は全身から滝のような冷や汗を流しながら、カメラの死角――マホガニーの書棚のさらに奥で、静かにこの光景を観察している令嬢の方へと視線を向けた。

 如月瑠璃。

 彼女は、この感動的な対談を前にしても、涙を流すことも、微笑むこともなかった。ただ、純白の手袋を外し、アメジストの瞳で、ローテーブルの上に置かれた銀の匙と、熱く語り合う大人たちの姿を、どこまでも冷徹に、分析的に見つめているだけだった。


「……滑稽なほどに必死じゃな、サクタロウ」


 瑠璃さんの小さな呟きが、僕の耳に届いた。

 彼女は、僕が裏で必死にカンペを書き、現場の大人たちを丸め込んで回している姿を、すべてお見通しだったのだろう。


「でも、おかげで最高の対談になりましたよ」


 僕が小声で返すと、瑠璃さんは小さく鼻を鳴らした。


「わしは、事実としてそこにあるモノの『物理的真実』を暴いただけのこと。あの匙が、過去にいかなる人間の欲望や悲哀を吸い込んできたのかを明らかにしたに過ぎぬ。……その真実を基に、お主らがどのような物語を紡ぎ、いかなる情動を捏造して大衆に電波で送り届けるかなど、わしの知ったことではない」


 相変わらずの、身も蓋もない言い草だった。

 だが、僕は彼女のその『一切の忖度がない真実への執着』があったからこそ、この奇跡が生まれたのだということを痛いほど理解していた。

 彼女が虚飾のセットを破壊してくれなければ、三巨頭の『本物の顔』が引き出されることは永遠になかったのだから。


「それでも、如月さんが暴いてくれた『ルーツ』が、この街の未来を語る上で、絶対に欠かせないものだったことは間違いありませんよ」


 僕がそう言うと、瑠璃さんはアメジストの瞳を僅かに細め、僕から視線を外した。


「……勝手に意味を見出せばよい。人間の情動などというものは、所詮その程度の脆く曖昧なものじゃ」


 対談は、いよいよクライマックスを迎えようとしていた。

 田中アナウンサーが、輝くような笑顔で三人に最後の質問を投げかける。

 僕は再びスケッチブックを握り直し、この狂気と奇跡に満ちた特番収録の、最後の総仕上げにかかる覚悟を決めた。

 胃袋の痛みも、後で受けるであろう泊ディレクターからの激怒も、今はもうどうでもよかった。目の前で紡がれているこの『真実の物語』を、最後まで見届けること。それが、今の僕に課せられた唯一の使命だった。



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