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第14巻:如月令嬢は『電波の虚飾を信じない』  作者: アリス・リゼル


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第3話『対談』 ~section 2:ギリギリの鑑定と、暴かれた原点~

「……と、いうわけでございまして、これからのスマートシティ・月見坂は、単なるインフラの自動化に留まらず、ビッグデータを用いた予測型行政サービスへと移行していく段階に入っております。南雲市長、この点について市の見解はいかがでしょうか」


 ホテル・セレーネ月見坂の特別VIPサロン。

 三台の大型カメラの赤いランプが点灯し、厳粛な空気が支配する中、月見坂放送局の看板アナウンサーである田中有希さんが、手元のバインダーに視線を落としつつ、淀みない口調で南雲四之助市長に話を振った。二十九歳という年齢に似合わない可愛らしいルックスと、有名大学卒の知性を兼ね備えた彼女の進行は、まさに『完璧』の一言に尽きる。

 だが、その完璧な進行に応えるはずの月見坂市のトップ、南雲市長の様子が、どうもおかしい。


「あー、ええ。その通りです。予測型、ですね。予測型の行政サービス。我々行政としても、過去の、あー、膨大なデータを解析いたしまして、市民の皆様が、えーと、何を求めているのかを、先回りして……」


 恰幅の良い体格と、銀縁の眼鏡の奥に理知的な光を宿したベテラン政治家であるはずの南雲市長が、しどろもどろになっていた。言葉の端々に不自然な間が空き、普段の力強い演説からは想像もつかないほど声が上ずっている。さらに、彼の視線はカメラや田中アナウンサーではなく、自分の斜め後ろ、マホガニー製の重厚な書棚の方向へと、チラチラと何度も泳いでいた。


「市長? あの、どうかされましたか?」


 田中アナが、小首を傾げて不思議そうに尋ねる。彼女の座っている位置からは、三台の大型カメラと照明機材が壁となって、市長が気にしている視線の先を見ることはできない。

 南雲市長はビクッと肩を揺らし、ポケットからハンカチを取り出して、額に浮かんだ大量の冷や汗を拭った。


「い、いや! なんでもありませんよ! 部屋の空調が少し効きすぎているのかな、ははは! で、データですね! データに基づいた市民への寄り添いが、これからの……」


 必死に取り繕おうとする南雲市長だったが、その顔色は明らかに青ざめていた。

 無理もない。

 カメラのフレームの境界線、そのわずか数センチ外側の『完全なる死角』。そこに、深紅と漆黒のヴィクトリアン調ドレスに身を包んだ十六歳の令嬢、如月瑠璃が立っているのだ。

 彼女は純白の手袋をはめた両手を胸の前で組み、アメジストの瞳を細め、殺気にも似た強烈な集中力で、書棚に飾られた『一本の銀の匙』を凝視している。彼女のドレスの腰に提げられた銀の懐中時計からは、チッ、チッ、チッ、と、時限爆弾のカウントダウンのような規則正しい秒針の音が、静かなVIPサロンに響き続けていた。


 カメラには一切映っていない。テレビの向こう側の視聴者には、この異様な光景は微塵も伝わらない。

 だが、現場にいる権力者たちにとって、それは真綿で首を絞められるような拷問に等しかった。

 昨日のクイズ番組で、市長は彼女のその恐るべき『物理的観察眼』の前に、自身の万年筆にまつわる秘書の苦労を公共の電波で丸裸にされたばかりなのだ。その恐怖が骨の髄まで染み込んでいる彼にとって、背後で懐中時計の音を響かせながら何かを鑑定しようとしている少女の存在は、いかなる政敵の追及よりも恐ろしいプレッシャーだった。


「……南雲市長の仰る通りです。コンツェルンとしても、行政との連携をさらに密にし、データの、その……匿名性を担保しつつ、えーと……」


 今度は、如月彰社長までもが言葉を噛み始めた。

 冷徹な計算と完璧なプレゼンテーション能力で知られる如月コンツェルンのトップが、自らの娘の放つ『フレーム外からの無言の圧力』に耐えきれず、完全にペースを乱されている。彰社長もまた、南雲市長と同じように、チラチラと背後の瑠璃さんの姿を気にしては、瞬きの回数を異常に増やしていた。


「社長? お水、飲まれますか?」


 田中アナが、心底心配そうな顔で彰社長を覗き込む。

 彼女は本当に何も分かっていない。このサロンの空気が、たった一人の少女の『真実への執着』によって歪められていることに気づいていないのは、純粋に進行に集中している彼女だけだった。


 僕はカーテンの陰から、胃をギリギリと締め付けられるような思いでその死闘を見守っていた。

 右耳のインカムからは、サブコントロールルームにいる泊ディレクターの悲鳴が、ひっきりなしに鼓膜を叩いている。


『おい! どうなってるんだ! 市長も社長も、なんであんなに挙動不審なんだよ! 視線が泳ぎまくってるじゃないか! 朔くん! お嬢様は今どこで何をしてる!』


「ど、どこって、カメラの画角のギリギリ外で、飾ってあるスプーンをガン見してます」


 僕が声を殺して報告すると、泊氏は『ヒィッ!』と短い悲鳴を上げた。


『スプーン!? なんでそんなものをガン見してるんだ! 頼むから止めてくれ! あんなホラー映画の幽霊みたいなポジションに立たれたら、そりゃあ三人も気になって対談どころじゃないだろ!』


「無理ですよ! 今僕が飛び出したら、それこそカメラに映っちゃって放送事故になります!」


 僕の切実な訴えに、泊氏は絶望の呻き声を漏らし、通信は途絶えた。

 どうすることもできない。僕たちはただ、この異常な空間で、権威ある大人たちの精神力が削られていくのを傍観するしかなかった。


 当の瑠璃さんは、三巨頭の流す冷や汗など全く意に介していなかった。

 彼女の意識は、現世の対談というノイズから完全に切り離され、目の前にある『銀の匙』の深淵へと潜り込んでいた。

 彼女は純白の手袋をはめた指先で、ベルベットのスタンドに立てかけられていたその匙をそっと持ち上げた。そして、ドレスの隠しポケットから重厚な銀のルーペを取り出し、躊躇なく右目に当てた。


 アメジストの瞳が、ルーペ越しに銀の匙の表面を嘗め回すように動く。

 テレビ局の美術スタッフは、この匙を『知的な書斎に相応しい、ヨーロッパのアンティーク銀器』として配置したのだろう。確かに、表面は黒く変色し、いかにも年代物といった風情を醸し出している。

 だが、瑠璃さんの『物理的観察眼』は、その薄っぺらい見栄えの底にある真実を、瞬時にして解体し始めていた。


(愚鈍な。これがアンティークの銀器じゃと?)


 瑠璃の脳内で、冷徹な論理の構築が始まる。


(まず、この硫化による黒ずみじゃ。純銀が長年の空気に触れて自然に酸化および硫化した場合、変色はもっと均一に、あるいは手で触れる凸部が磨かれて凹部にのみ黒ずみが残るという、特有のグラデーションを描くはずじゃ。だが、この匙の黒ずみは不自然に薄く、純銀特有の深みがない。それどころか、空気中の硫黄成分ではなく、漂白剤などの化学薬品を用いて意図的に『古く見せかける』加工を急造で施した痕跡が明白じゃ)


 瑠璃は、指先で匙の重さを確かめた。


(そして何より、決定的なのはこの質量と熱伝導率じゃな。ヨーロッパのアンティーク銀器であれば、必ずどこかに純度や製造年、工房を示すホールマークと呼ばれる極小の刻印が打たれておる。だが、この匙にはそれがない。材質も純銀ではない。この軽さと手触り、これは銅と亜鉛とニッケルの合金である『洋白(ニッケルシルバー)』じゃな。それに薄い銀メッキを施しただけの、大量生産された安物じゃ)


 瑠璃の眼光が、さらに鋭さを増す。


(では、なぜこの安物の洋白銀器が、ここまでボロボロになるまで使い込まれておるのか。美術スタッフが手を加える前から存在していた、この無数の傷のルーツは何か)


 瑠璃はルーペの焦点を、匙の柄の裏側へと合わせた。

 そこには、肉眼では単なる擦り傷の集まりにしか見えないが、ルーペで拡大すると明らかに人為的に刻まれた、特殊な『傷』があった。

 ルーターや彫金用の工具で美しく彫られたものではない。釘か何か、鋭利で硬い金属の先端を使って、何度も力任せに引っ掻いて刻み付けたような、粗暴で、しかし明確な意図を持った『符丁』。


(この傷跡に込められた情動。これは、持ち主が自らの所有物であることを示すために刻んだ名前ではない。これは『商売人』が、ある特定の品物を識別するために極秘裏に刻む暗号じゃ。それも、正規の取引では使われぬ、裏の符丁)


 瑠璃はルーペを外し、冷ややかな息を吐き出した。

 テレビ局の美術スタッフは、この傷を『アンティークの歴史の証』と勘違いし、オシャレな小道具としてスタンドに飾ったのだろう。

 なんと浅はかで、愚鈍なことか。

 この匙に刻まれた真実は、彼らが演出しようとしている『スマートでクリーンな権威』というテーマとは、対極に位置する泥臭いものだった。


「次世代の、その、モビリティサービスにつきましても」


 フレームの中では、依然として彰社長が冷や汗を流しながら、必死に言葉を紡いでいた。

 南雲市長も、引きつった笑顔で無意味に頷き続けている。

 ただ一人、弦十郎会長だけは、孫娘の放つ異常な気配に動揺を見せつつも、八十年の人生で培ってきた圧倒的な精神力で、カメラに向かって威厳を保ち続けていた。


「我々コンツェルンは、常に市民の目線に立ち、最先端の金融とインフラ技術をいかにして日常の温もりへと変換するかを模索してきた。スマートシティは無機質なシステムではない。血の通った、人間のための、揺るぎない信頼の上に構築されたものだ」


 弦十郎会長が、台本通りの美しく力強い言葉を語ろうとした、まさにその時。


「アンティークなどではないな」


 静かな、しかし確かな質量を持った瑠璃さんの呟きが、弦十郎会長の耳に届いた。

 それは、マイクにはギリギリ乗らない程度の、小さな声だった。だが、研ぎ澄まされたサロンの空間にあって、その声は弦十郎会長の鼓膜を正確に打ち抜いた。


「これは、ただの安物の洋白銀器じゃ。そして、この裏側に刻まれた不格好な傷」


 弦十郎会長の言葉が、ピタリと止まった。

 カメラの赤いランプが光り続けているにもかかわらず、彼の口は半開きのまま凍りつき、その鋭い眼光が、驚愕にわずかに見開かれた。


「この傷は、質屋が『偽物の銀だと分かっていて、情けで引き取ったガラクタ』に刻む独自の符丁じゃな」


 その言葉が放たれた瞬間。

 弦十郎会長の脳裏に、六十年もの間、彼自身の心の奥底に厳重に封印し、コンツェルンの輝かしい歴史の下に埋もれさせていた『原風景』が、鮮烈な色彩と匂いを伴ってフラッシュバックした。


 それは、巨大コンツェルンの豪華な会長室ではない。

 月見坂の旧市街。埃っぽく、日雇いの労働者や明日の生活にも困る人々がひしめき合う路地裏にあった、古ぼけた『小さな質屋』。

 今から約六十年前。スマートシティの構想すら影も形もなかった時代。如月コンツェルンの金融と不動産事業のルーツは、その泥臭い質屋であった。

 当時、まだ二十代の若者だった弦十郎は、店番を任されていた。

 厳格で商売に厳しい父であり、瑠璃の曾祖父にあたる如月(きさらぎ)征十郎(せいじゅうろう)が、たまたま仕入れで留守にしていた雨の日のことだった。

 一人のひどく痩せこけた、飢えた若者が店に転がり込んできた。彼は泥だらけの手で、一本の匙をカウンターに叩きつけたのだ。


『頼む、親戚の形見の純銀のスプーンだ。これで、なんとか三日分の飯代を貸してくれ』


 若き日の弦十郎は、その匙を一目見ただけで、それが純銀などではなく、何の価値もない安物の洋白銀器であることを見抜いていた。質草としての価値はゼロだ。父・征十郎であれば、一秒で追い返していただろう。

 だが、弦十郎は、カウンター越しに見えた若者の、すがるような、そして飢えに狂いそうな目から視線を逸らすことができなかった。

 彼は無言でレジの金を掴み、若者に握らせた。若者は泣きながら何度も頭を下げ、雨の中へと消えていった。


 後に残されたのは、何の価値もない偽物の銀の匙。

 弦十郎は、自らの商売人としての甘さを呪い、そして二度と同じ過ちを繰り返さないための戒めとして、その匙の裏側に、釘で深く、深く『バツ』の符丁を刻み込んだのだ。偽物を掴まされた愚か者の印として。

 当然、帰宅した征十郎にはそのことがバレて、何時間も正座で大目玉を食らう羽目になったのだが。


「これは……」


 弦十郎会長の分厚い唇が、微かに震えた。

 ホテルの美術スタッフが、どこかの骨董市かリサイクルショップで『見栄えの良いアンティーク』として適当に見繕ってきたのであろうその銀の匙。

 それは天文学的な確率で、かつて如月弦十郎自身が、飢えた若者を救うために嘘を呑み込み、自らの戒めとして符丁を刻んだ『あの質屋の匙』そのものだったのだ。六十年もの時を経て、幾人もの手を渡り歩き、再び彼の背後に『知性の虚飾』として飾られることになるとは、いったい何の因果か。


「か、会長? 弦十郎会長? どうされましたか」


 言葉を完全に失い、虚空を見つめて石像のように固まってしまった弦十郎会長に、田中アナウンサーが焦ったように声をかける。

 彰社長も南雲市長も、弦十郎会長の明らかな異変に気づき、顔面を蒼白にして彼を見つめていた。

 サブコントロールルームの泊ディレクターは、完全にパニックに陥っている。


『会長!? なんで黙るんですか! 台本! 台本の三ページ目! 未来の都市構想について語る場面です! 止まるな! 放送事故になる!』


 インカム越しの絶叫が僕の耳を劈くが、弦十郎会長の耳には届いていない。

 如月瑠璃の特異な『物理的観察眼』は、テレビ局の用意した重厚な権威のセットを一瞬にして機能不全に陥らせ、そして、月見坂市の頂点に立つ男の最も泥臭く、最も人間臭い『原点』を、白日の下に引きずり出してしまったのだ。

 カメラの駆動音だけが、完全に静まり返ったVIPサロンに、無情にも響き続けていた。



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