過去を掘り返すイノシシ8
真奈を深淵に引き込み、入れ替わるようにしてウワバミは枯木家の居間に飛び出た。
時猪が、すぐそばにいた。さすがに逃げる暇はなかったか。
ウワバミが刀を抜く。対する時猪は、それまでの迂遠な追い詰め方が嘘のように、一直線に突進してきた。ここは逃げるよりも、ウワバミを倒した方が得策だと判断したようだ。
「いいぜ。牡丹鍋にして食ってやるよ!」
ウワバミの斬撃と、時猪の突撃がぶつかる。
甲高い金属音が鳴り響いた。
同程度の威力、衝撃だったのか、お互いに弾き飛ばされる。
これまでさまざまな怪異をいともたやすく斬り捨ててきたウワバミの斬撃だったが、時猪には刃が通らなかった。泥や土にまみれる動物の毛は、複雑に絡まり合ってとんでもなく固くなる。
時猪も、怪異とはいえイノシシのそういった要素を受け継いでいるらしい。あれだけ土と戯れていれば、そうなるか。
時猪が素早く反転して、砲弾のように突っ込んできた。ウワバミは、その突進をもろに食らい、窓ガラスをぶち破って庭へと吹き飛ばされた。これだけ動けるのなら、人間を追い詰めるときも、あんな回りくどい方法を取らずにぶっ飛ばしてしまえばいいのに。
いや、関係ないか。
時猪の目的は、人間を殺すことじゃない。
ターゲットにした人の前で、心の中の一番弱い部分を掘り起こす。
ターゲットが衰弱し、すべてを諦めた後で、そこに埋まっている甘美な何かを、奴らは食いたいのだ。
まったく、食い意地が張っている。
ウワバミには理解ができない。同じように人間を利用し、その体内に酒を入れることで、より甘美な味へ昇華させることを目的としているウワバミは、時猪と違って人間に敬意を抱いていた。体内の酒を熟成させることができる、心の奥深さが好きだった。
ウワバミは立ち上がって刀を構えた。
早いところ時猪を斬って、深淵の様子を見に行きたい。
ウワバミは、深淵に送り込んだ真奈と、そこで待ち構えている由歌のことを心配していた。ウツロがいるから大丈夫だろうとは思うが、それでも深淵という場所は、何が起きるかわからない。
「それにしても、由歌は面白い奴だな」
時猪との戦いの最中でも、由歌のことを思い出して笑みがこぼれた。あいつが提案した作戦は、ここまで見事にうまくハマっている――。
◇
「スマホ以外で、真奈と繋がる方法があるかも」
「え?」
「でもその前に、一度は会う必要がある」
「おい、一人で納得していないで詳しく教えろ」
「怒らない?」
「いいから言ってみろって。内容を聞いてから、怒るかどうか決めるから」
ウワバミが詰め寄り、しぶしぶながら由歌が口にした作戦は、正直に言って受け入れられるものじゃなかった。
それは――、
ウワバミの酒を真奈の体内に入れる。
というものだ。そうすれば、東屋の倒壊から由歌を助けたときのように、空間を省いて一気に向かったり、あるいは深淵に呼び寄せたりできる。
また、真奈自身が助けを求めなくとも、体内の酒が危険に晒されればウワバミにはわかる。つまりスマホの連絡よりも確実だ。
この案をウワバミは思いつくことができなかったが、それは自分の信条に反するからだ。ウワバミは、人間に敬意を抱いている。心の奥深さに感嘆している。
とはいえ、これはあくまでも傾向の話だ。すべての人間が敬意に値するかと言えば、もちろんそうじゃない。
凄い奴と同じくらい、しょうもない奴も見てきた。
酒は、一度入れてしまったら二十歳になるまで取り出すことができない。だから自分の酒を熟成させてくれる心の持ち主かどうかは、しっかり見定めたかった。
今生きている中で尊敬できる人間は、由歌しかいない。
その由歌が頼んできたのだ。ならば応えるにやぶさかではない。
「いいね。それでいこう」
由歌の提案に対して、ウワバミはそう答えた。
それから、由歌と二人、枯木家の前で真奈を待ち伏せして、学校から返ってきたタイミングで声をかけた。
真奈の体内に酒を入れた直後、玄関の扉が開いた。ウワバミと由歌は、慌てて退散した。なんとか姿を見られずにすんだようだ。
由歌が胸をなでおろしながら、
「焦った~。ありがとう、ウワバミ」
「ああ。それよりもあの女、勘が鋭いな」
もしかしたら、真奈が不思議な存在に追い詰められていることを、うすうす察しているかもしれない。そうだとするなら、娘の異常に目を背けているだけ、ということになる。
ともかくこれで条件は整った。後は真奈が――正確に言うなら真奈の体内にある酒がピンチに陥るのを待つだけだ。
そのときは一週間後にやってきた。深夜である。
ウワバミは猫の姿のまま、由歌の部屋で寝ていた。酒の宿主が危機であるとわかり、飛び起きてすぐに人間の姿となった。由歌を乱暴に叩き起こす。
由歌はすぐに事態を察した。まずは時刻を確認し、今が深夜の二時であると知ってから、机に置いてあるメモ帳に、ボールペンで何やら書き始めた。
「真奈から、助けてって連絡があった。おじいちゃんには言わないで出て行くけど、心配しないで」
前回怒られた反省から、一応、書置きを残したのだ。それから由歌は、気合を入れるように自分の頬をバシッと叩いた。枕元に用意していあった靴を掴む。
真奈のもとに向かうには、一度深淵を経由する必要がある。いつも羽織っているボロボロの着流しで、頭から全身をすっぽりと包み込めば、深淵に入ることができる。まずは由歌を深淵に入れ、続いて自分も深淵に向かった。もちろん着流しもちゃんと深淵に持ち込んだ。
由歌のことをウツロに任せて、ウワバミは真奈のもとに向かった。
「久しぶり。元気だった?」
というのんきな声が背中に聞こえてきた。どうやらあの二人――正確に言うなら一人と一匹か。まあ、なんでもいいが、由歌とウツロは仲が良いらしい。前回、道案内のためにウツロを付けたのだが、妙に意気投合している。
由歌からは「ウツロによろしく伝えてくれ」と頼まれ、ウツロからは「由歌は元気か」と問われるような有様だった。再び会えて満足だろう。ときどき、こういった場を設けてもいいか、とウワバミは思った。
真奈を深淵に誘い、くっついてきた祖母の対処をウツロに任せた。真奈と入れ替わるようにして、ウワバミは枯木家の居間に出た。そして時猪との戦いが始まったのだ。
しかし、とにかく固い。
斬撃が弾かれてしまう。
枯木家の庭で幾度か衝突し、でも突破口は見えなかった。それは時猪の方も同じなのだろう、嫌がるように身をよじった。それから奴は、視線をそこら中に向けた。戦いの最中で、よそ見をしている暇があるかと斬りかかったが、すんでのところで躱されてしまう。
どうやら時猪は、逃げ道を探していたらしい。
先の交差によって、奴の背後に道路がある立ち位置になってしまった。もちろん時猪は身を翻して、道路に飛び出た。もともと好戦的な怪異じゃない。奴にとっては、ウワバミとの決着などつける必要も理由もない。
周囲の民家には明かり一つ点いていない。もちろん車通りも、人通りもない。深夜の田舎町とはいえ、奴がなんの能力も使わずに道路上を疾走するわけがない。時猪は、ウワバミとはまた違った結界を、周囲に張っていた。本来は、邪魔をされずに餌を食うための能力だったはず。それを今、逃げるためだけに使っている。
ウワバミは後を追う。
時猪が苦労して土から掘り返した真奈の祖母は、きっとウツロが食らっただろう。これで真奈のことを諦めてくれればいいが、実際、時猪がどう動くかわからない。わからない以上、逃がすわけにはいかない。
走り出した時猪が、急に足を止めた。奴の前に、たくさんの白い手が泳いでいた。その中心にいるのは木戸七海だ。彼女が住んでいるこの町で、ここまで派手に暴れたんだ。いくら時猪が結界を張っていたとしても、情報通の七海が、知らないはずがなかった。このタイミングで関わってきたのには理由があるはずだ。
「淵屋様。力をお貸ししましょうか?」
七海が言った。
力を貸す、か。雷霆鱗のときに助けてくれたときとは違い、今回は借りができてしまうようだ。ウワバミは少し考えて、
「いや、必要ない」
ウワバミは、巨大な黒蛇へと姿を変えた。一車線しかないとはいえ、道路を塞いでしまうほどの幅の蛇だ。この形でしかできない剣術がある。刀は持っていなかった。黒蛇の肉体と同化していた。
道路はちょうど一直線に、ずっと先まで続いている。これだけの長さがあれば充分だ。イノシシが疾走する以上の、より適切な使い道がここにはある。
ウワバミは、滑るように、うねるように時猪に近づいた。音がなかった。その巨体すべてが斬撃と化した。黒い閃光が時猪を飲み込んだ。斬ったのではなく、飲み込んだのだ。
時猪の背後に立っていた七海は、民家の屋根へと避難していた。斬撃の軌道上にいなかったのだが、あまりの衝撃波の凄まじさに、白い手を固めて集め、ガードする必要があった。
それはもはや、斬撃というよりも災厄だった。
触れたものすべてを粉微塵にする災害だった。
ウワバミは人間の姿に戻って、振り返った。時猪が跡形もなく消えているのを見て満足したが、牡丹鍋にすることはできなかったなと、そこだけは不満に思った。手加減できる相手じゃなかった。
「軌道上にあるすべてを飲み込んでしまうほどの斬撃……。噂にたがわぬ威力です。ウワバミという名は本名ではございませんよね。先の斬撃から取ったのですか? それとも蛇の姿から? あるいは単純に大酒飲みだから?」
七海が屋根から飛び上がって、ウワバミの近くに降り立った。
「なんだっていいだろ」
ウワバミはぶっきらぼうに返した。
七海はふっと笑い、
「気になるのです。そういう性分なのですよ」
「いつか教えるよ。そのときはとっておきの情報を教えてくれ」
「承知いたしました」
七海は頭を下げて、ウワバミに背を向けた。どうやらこれで帰るらしい。
「今日はありがとう」
と、去って行く背に声をかけた。
七海は振り返って、
「何もしていませんが」
「来てくれたじゃないか」
「恩を着せようとしただけですよ」
それも必要なかったようですが――と七海は言う。続けて、
「淵屋様がご執心のあの子、水野由歌様ですが、なかなか興味深いですね」
「……やらんぞ」
「ふふふ。手は出しませんよ。これまでもこの先も、私が淵屋様と敵対することはございません。あなた様のお作りになるお酒は、他に替えのない代物ですから。これも胃袋を掴まれたと言うのでしょうか」
七海の言う事を信じるほど、ウワバミは愚かではない。彼女の背後にいる白い手は、いくらなんでも数が多すぎる。手に入れることができる情報の量は膨大だろうし、そこから何を取捨選択して、どう動いているのかウワバミにはわからない。ただ今のところ、彼女がウワバミの不利になるような動きはしていない。
「知らないよ」
ウワバミがそう答えると、七海はもう一度微笑んで、今度こそ去って行った。その背を見送ってから、「さて」と自身の着流しを頭から被る。
深淵に行き、まずはウツロにお礼を言った。
その後、由歌には万事うまくいったと伝え、真奈と共に深淵から無事、脱出させた。
「この人が、さっき言った僕の友達。光るイノシシを斬ってくれたんだ。名前はウワバミ」
と、由歌がウワバミのことを紹介した。もちろん由歌は、ウワバミが百瀬家にいる黒猫と同一人物だとは言わない。そこはしっかり隠し通してくれている。
真奈は首を傾げて、
「この前、私の胸に触った人?」
「触ってない」
ウワバミは否定し、由歌は苦笑した。
真奈は「冗談です」と頭を下げた。
「私のために何かをしてくれたんでしょ? あなたたちが、影でいろいろと動いてくれたのはわかるよ。ありがとう。光るイノシシを斬ってくれて、ありがとうございます」
「わかればよろしい」
ウワバミが尊大に答えると、真奈が笑った。
いろいろあったが、やっと――、
「すべて終わったな。由歌」
「いや、まだだよ」
由歌はそう答えた。




