過去を掘り返すイノシシ4
由歌の予想していた通り、真奈は次の日もそのまた次の日も百瀬家にやってきた。今度は私服姿だったので、母親に許可をもらったのかもしれない。
でもどうやって?
学校を休んで、同学年の男子の家に行きたいんだけど。その子は不登校だから家にいるの。いろいろと相談したいことがあるんだ――それで許可を出す親がいるだろうか。あるいは親もまた、真奈が直面している問題を知っているのか。
いずれにしろ、真奈は毎日、百瀬家にやってきた。
祖父が作るお昼ご飯を一緒に食べてから、家に帰るというサイクルを送った。
でも話の続きというか、本題にはなかなか入らなかった。
由歌もまた無理をして聞き出すようなことはしなかった。
自分が抱えている不思議じゃないから、真奈の自由意思に任せている状態だ。
とはいってもタイムリミットはあるだろう。
土の中の何かが完全に掘り起こされたとき、何がどうなるかわからない。それまでには事態を収束させたい。
一週間が経った。怪異については何も進展しなかったけど、でもそれ以外のすべてが有意義だったと言えるような一週間だった。
あるときは真奈と一緒に、
「今日はフキ味噌だぞ。地方によっては、ばっけ味噌と言う。その名の通り、フキノトウ刻んで味噌で和えたものだ」
「うわあ~、美味しそう。百瀬のおじいちゃん! ありがとう」
「真奈ちゃんは細っこいから。いっぱい食べな」
「いただきます!」
フキ味噌を食べた。
少し苦いけれど、由歌の嫌いな苦さじゃなかった。ご飯のお供にちょうどいい味だ。
またあるときは、山菜の天ぷらを塩だけで食べたりした。
買ってきた細いフキノトウと、祖父の山で採った、ぽってりとしたフキノトウを食べ比べたりもした。
真奈は食事の度に良い反応した。
「うわあ~」「美味しい!」「凄いね!」「楽しい」と、少し大げさに思えるほどリアクションだった。それらの反応が嘘ではない証拠に、真奈の顔色はどんどん元気に、健康的になっていった。
最初に感じた幽鬼のような雰囲気はどこへやら、表情が豊かになり、喜怒哀楽がくるくると変わる女の子になっていた。
「この家に来るとね、帰ってからも光るイノシシが現れないの」
そうなのか。
「最近、久しぶりにぐっすり眠れているよ」
確かに、目の下のクマも薄くなっている。
場所は由歌の自室である。ウワバミを膝の上に抱いて、頭を撫でている。ウワバミはされるがまま、嬉しそうに目を細めていた。こういうときのウワバミは、猫の自我が勝っているのだろうか。そもそも自身のアイデンティティをどのように理解しているのか気になる。
猫なのか、人なのか、怪異なのか。由歌はウワバミのことを何も知らない。
「結界が張ってあるからかな」
「え? 結界? 何それ」
真奈の食いつき方は、由歌の想像以上だった。かなり距離を詰めてきたので、由歌も同じだけ下がった。背中が壁にぶつかる。
僕にもよくわからないけど――と由歌は前置きして、
「この家はいろいろと、その……妙な力があるらしくて。守り神みたいな存在が、この家を守るために結界を張ってくれているんだよ」
当の守り神は、真奈の膝の上にいる。
「真奈も、この家に来るだけで結界の影響を受けるのかもしれないね。だから光るイノシシが現れないのかも」
結界には残り香のようなものがあるかもしれない。匂いではないから、言葉としては不適当だけど。
「残り香……」
真奈は自分の体をくんくんと嗅ぐような仕草をした。
「由歌は、その結界を張れないの?」
「僕には無理だよ」
「そっか」
真奈は、ごろんと畳の上に転がって、
「このまま、何事もなく終わってくれればいいな」
何が、どうやって終わるというのか。イノシシが姿を現さなければ、この事態が終わったことになるのか。土の下にいる真奈のおばあちゃんとはなんなのか。
ウワバミが真奈の膝から立ち上がって、警告を発するように「にゃあ」と鳴いた。おそらく、何一つ事態は好転していないのだろう、由歌はそう思った。
こんな具合で真奈と話していると、久しぶりにスマホが鳴った。メッセージの通知だ。今は人と話しているわけだし、後で確認すればいいかと思っていると、
「見ていいよ」
と真奈が言った。それじゃあお言葉に甘えて、由歌はスマホを開くことにした。
幼馴染の鰐川凛からだった。
『友達はできた?』
というシンプルな一文に、由歌は笑みがこぼれた。言語化が苦手だという凛のメッセージはいつも短い。でもこの言葉の裏に、どれだけの想いが込められているのか、由歌は知っている。
『できたよ』
『それは良かったね』
これ以上、メッセージを往復させなかった。
スマホを切って、机の上に置く。真奈がこちらに視線を向けてきたから、
「東京の友達からだった」
「へえ、なんて?」
「友達はできたか、って」
「なんて答えたの?」
「できたよって」
ここで真奈は一瞬黙って、
「それって私のこと?」
「そうだよ」
「……まあ友達か」
と、真奈はごにょごにょ答えていた。歯切れが悪いけど、嫌がってはいないようだ。まさか由歌の自室にまで上がり込んでおいて、友達じゃない認定は無理があるだろ。
とはいえ、少し前の由歌だったら「友達ができた」と断言することは難しかったはずだ。
ウワバミと出会ったおかげで――彼が由歌のことをあっさりと友達だと言ってくれたおかげで、由歌も少しだけ大胆になった。
ウワバミの性格が伝染したのかもしれない。
「私さ、スマホを持ち歩いていないの」
「え? うん」
「だから連絡先の交換は、また今度でいい?」
「別にいつでもいいけど、いきなりどうしたの?」
由歌が訝し気に問うと、真奈も首を傾げた。
「あれ? 友達ってSNSのアカウントを教え合う仲のことじゃないの?」
どういう定義だ。
由歌は真奈のSNSを知らない。でももう友達だ。
「それがすべてではないと思うよ」
「……そっか。そうだよね」
真奈は寂しそうに笑った。
◇
ウワバミは、真奈の前で一度も人間の姿にならなかった。
だから真奈が帰った後に「なんで?」と訊いてみた。今のウワバミは人間の姿になってあぐらをかいている。
「前も言ったが、俺は、自分のことをあまり人間に知られたくない。君は特別なんだ」
由歌にはわからない面倒ごとが増えるらしい。
特別という言葉は甘美な響きだけど、周囲に隠さなければならないのは大変だ。由歌にも、ウワバミの正体を隠す責任がある。それを怠ってしまえば、ウワバミは容赦なくこの家から出て行ってしまう気がする。いや、本当の正体とやらは、由歌も知らないけど。
話を真奈のことに戻そう。
「この家に来ると、帰ってからも光るイノシシを見ないって真奈は言っていたけどさ。あれはなんで?」
「健康になったんだろう」
どういう意味?
由歌が首をひねっていたからか、ウワバミはより詳細に、
「真奈は基本的な生活ができていなかったように見受けられる。つまり睡眠と食事だ。それが、この家に来たことである程度満たされた。仁の作る料理は美味しいからな。しかも今は、山菜が食べられる時期だし」
「お腹いっぱい食べて、ぐっすり眠ったから、怪異も現れなくなったってこと?」
「端的に言えばそうだ。今回の怪異は、人間の心の隙を突くタイプだからな。健康でさえいれば、向こうもあまり手出しできないだろう」
結界の残り香理論は違ったか。
光るイノシシが現れなくなったのは真奈が健康になったから、という単純な理由だったけど、それこそが一番重要で、一番難しいことなのかもしれない。
「ウワバミは、怪異の目星がついているんだよね?」
もう教えてくれてもいいタイミングだろう。
ウワバミは頷き、
「おそらく時猪だろう」
「それはどういう怪異なの?」
「過去を掘り起こす」
抽象的かつ、抒情的だ。
これまた由歌が訊くよりも早く、ウワバミはより詳細に、
「ターゲットに見定めた人間の心の中から、一番目を背けたいと思っている何か……言い換えるなら隠したいと思っている過去を、ターゲットにしか見えない形で掘り起こすんだ。すると、ターゲットは徐々に衰弱していく」
「……衰弱ね」
「隠したいものをすべて掘り起こしたとき、ターゲットは死ぬ。その後、時猪は、奴らにとってもっとも甘美な味である『人間の心の弱い部分』を食べるんだ」
「……」
今まで出会ってきた怪異より、回りくどい追い詰め方をしてくる。正直に言えば醜悪だと思った。
でもこれは由歌の感じ方でしかない。
向こうに美醜、善悪の価値観はないだろう。それこそ現実のイノシシと同じように、ただ美味しいものを掘り起こして食べたいだけのような気がする。
「奴がタラの芽近くの土をえぐったときも、結界が破られたわけじゃない。真奈が敷地内に入ったときに、心の隙間に隠れながら一緒にくっついて来ただけだ。だから俺は、真奈のことをある程度、危険視していた。彼女が出入りするたびに、時猪も結界を越境していたわけだからな」
「慎重になっていたのは、それが理由?」
「まあ、そうだな。ターゲット以外には危害を加えないタイプの怪異だが、それでも不測の事態は起こり得る。百瀬家に火の粉が飛ばないようにするのは簡単だ。真奈を追い出せばいい。だが、仁も由歌もそういう人間じゃないだろう?」
「そうだね」
「だから憶測でものを言うのは止めて、しっかりと情報を集めることにした。そして真奈を追い出す以外の解決策を求めたんだ」
現在、百瀬家の守り神となっているウワバミにとって、最重要事項はこの家の安全なのだろう。それなのに、怪異を持ち込んでくる真奈に対して、排除ではない道を選んでくれた。
そのことが由歌は嬉しかった。
「心身が健康でありさえすれば、時猪は手出しができないんだよね?」
「ああ、そうだ」
「真奈はどんどん健康になっている。今しばらくこの生活を続けていれば、時猪は諦めるんじゃない?」
それこそ真奈の言った通り、何事もなくこの事態は収束するのではないか。
ウワバミは、「そんなことはない」と反論した。続けて、
「人間関係というものは、簡単に変わるよ。永遠にこの生活を続けることはできないし、破綻も目に見えている。そして時猪はそのことをわかっている」
「……まあ、そうかもしれないけど」
ウワバミの言い方はきついけれど、それが正論であると由歌はわかっていた。
真奈が学校を休んで百瀬家に来ている現状は、それが良いか悪いか別にして、長く続く生活じゃないことだけは確かだ。
たとえば真奈は、百瀬家で一緒にお昼を食べている。それに対して真奈の母親がお礼を言ってきたことはないし、その逆に、もう行くなと真奈を止めることもしていない。由歌が知っている限りでは、ということだが。
つまり真奈は、母親に内緒でここに来ている。なぜ内緒にしているのか。その理由はきっと、言えば止められるからだろう。
それに今は中学三年生だし、もうすぐ高校受験だってある。
ここ一週間の生活は奇跡のようなものであり、ウワバミが言うように、破綻は目に見えていた。
そうなれば時猪は再び攻勢に転じるだろう。
「あのさ、ウワバミ……」
「言っておくが、俺は百瀬家の味方であって、正義の味方じゃない。俺の力をそういう風に頼られても困る」
「まだ何も言っていないけど」
「時猪を斬ってくれないか、と言うつもりだったんだろ?」
「……」
言うつもりだった。
由歌が無言でいると、ウワバミがため息を吐いた。
「時猪はターゲット以外に、滅多に姿を見せない怪異だ。俺が奴を斬るチャンスはそう簡単に巡ってこない」
「じゃあ、もしもそのチャンスが訪れたら?」
ウワバミは口をとがらせて、
「斬るのも、やぶさかではない」
回りくどい言い回しに笑ってしまった。するとウワバミは「なんだよ」と、すねたように言い、畳の上にごろりと寝ころんでしまった。
由歌が「ごめんごめん」と笑ったことを謝ると、ウワバミは寝ころんだまま、こちらを向いた。
由歌は話を変えるように、
「そういえば、ターゲットにしか見えないはずの過去を――真奈のおばあちゃんを、どうして僕は見ることができたんだ?」
「そこはやはり、由歌に才能があるからだろうな」
「才能……」
怪異を見ることができる才能。
ウワバミが言語化するところの、『形のないものに触ることができる才能』というやつだ。
由歌自身に、あまり実感はないけれど、この能力を見込んで、ウワバミは由歌の体内にお酒を入れたと説明していた。それ以上の理由がありそうだけど、今はまだわかっていない。
「ウワバミにも見えていたよね?」
「まあ俺は、あっち側の存在だから」
そりゃそうか。
「僕に、何かできることはあるのかな」
「今でも充分、真奈の助けになっているだろ。真奈にしか見えないものを、一緒に見てやれよ。その辛さを共有してやれよ」
「それだけでいいのかな」
「それが一番重要だろう」
そんなことはないと思う。一番重要なのは時猪を斬ることであり、それが可能なのはウワバミだけだ。寄り添うとか共有するとか、そういったことに由歌が注力できるのは、根本を断つことができるウワバミが味方をしているからだった。
「明日も来るかな」
由歌は窓の外を見ながら、そう呟いた。




