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過去を掘り返すイノシシ3


 真奈が語った内容を要約すると、次のようになる。



 一か月ほど前から、枯木家の庭にイノシシが出没するようになった。

 土という土を手当たり次第に掘り返して、真奈の母親が植えていたクリスマスローズや翁草、イチリンソウといった草花をぐちゃぐちゃにしてしまった。


 イノシシは定期的に現れ、そのたびに土を掘り返していく。

 しかも人が見張っているときには絶対に姿を現さない。

 真奈と母親が寝静まった深夜にやってきては、短時間でいたずらをしていくため、追い払うことも難しかった。


 真奈の母親は町の農政課に相談してみたけれど、有効な手立てを見つけることはできなかった。

 怒った真奈は、自室のカーテンの隙間から夜通し庭を見張ることにした。


 効果はあった。


 ついに姿を現したそのイノシシは――、


「光っているように見えたの」

「どういうこと?」


 由歌が訊き返すと、真奈は続けた。


 そのときの時刻は、深夜の三時くらいだった。

 周囲を警戒しながら枯木の庭にやってきたイノシシは、ぼんやりと光っていた。目がくらむような輝きではなく、薄く白く控えめな輝きだった。


 体毛が発光しているらしいと、真奈は見当をつけた。

 もちろん、そんなイノシシがいるなんて聞いたことがない。

 あれはこの世のものではないだろう。


 世闇の中でぼうっと光るイノシシは神秘的だった。


 イノシシは、一心不乱に土を掘り返した。

 なんだか、見てはいけないものを見ているような気分になってきた。真奈は、ごくりと唾を飲み込んだ。その音が聞こえたわけじゃないだろうけど、イノシシは顔を上げて、真奈の方に視線を向けた。


 目が合った、と真奈は思った。


 先に視線を逸らしたのはイノシシだった。「ふん」と鼻を鳴らすと、枯木家の庭からおとなしく出ていったのだ。

 真奈は安堵のため息をついた。

 そしてもう一度、イノシシが掘り返した土を見てみると――、


「最初は花か何かが落ちていると思ったの。でも違った。土の中から、手が突き出ていた」

「手?」


 腕じゃなくて?


「私、怖くて見に行くことができなくて。お母さんが起きてくるまで、布団を被ってずっと震えていたの」


 真奈は一睡もできないまま、朝を迎えた。


 起きてきた母親を引っ張って、すぐさま庭に向かった。土はえぐられていたものの、そこから突き出ていたはずの手は、影も形も見当たらなかった。


 あれは見間違いだったのかな、あるいはイノシシが現れたところから夢だったのかも――真奈はそう考えた。だって、光るイノシシなんているはずがないのだから。

 その認識が覆るのに、時間は要しなかった。

 

 次の日である。


 母と一緒に近所のスーパーに買い物に行く途中で、光るイノシシと再会した。


 イノシシは、住宅と住宅の狭間にある空き地にいた。そして土を掘り返していた。

 車通りが普通にある場所で、真奈と母親の他にも、ランニングをしている人や犬の散歩をしている人がいた。

 でも誰一人として、光るイノシシに気がつかなかった。


 真奈は母親の肩を揺さぶった。あそこに光るイノシシがいると。昨夜はあれが庭にやってきたのだと。

 でも母親は「どこにもいないよ」と答えた。


 真奈にしか見えていないのだと、このときに気がついた。

 

 この日から、枯木家の庭に限らず、真奈の行く先々にイノシシが出没するようになった。

 公園、空き地、あぜ道、山道――土があるところならどこにでも現れた。そしてもちろん、土を掘り返すのだ。


 中に埋まっているのはいつも同じ、あのしわくちゃの手だ。

 最初は手首の辺りまでしか見えていなかったのに、すぐに肘まで見えるようになり、今となっては二の腕の辺りまで掘り起こされている。


 どんな場所のどんな土を掘ろうと、決まって前回の続きから始まるのだ。

 体全部が土から掘り起こされるのも時間の問題だろう――。


「埋まっているものに、心当たりはあるの?」


 由歌が訊くと、真奈はぎゅっと体に力を込めた。


「おばあちゃんだと思う」

「どうして光るイノシシが、真奈のおばあちゃんを、土の下から掘り起こしているの?」

「それは……」


 真奈は黙ってしまった。


 由歌は手持無沙汰になり、すでに飲み干してしまった湯呑を両手で持ち、何をするでもな(もてあそ)んだ。

 真奈は俯いたまま何も言わない。由歌も急かすようなことはしない。

 

 無為な時間だけが過ぎていく。


 ここでウワバミが、「ふわわわ」と人間のようなあくびをした。そして、すくっと立ち上がる。

 そのタイミングで襖が開かれた。顔を出したのは祖父だ。


「フキノトウとタラの芽、コシアブラの天ぷらができたぞ」

「ありがとう、おじいちゃん。ちょうどお腹が空いてきたところだった」


 行き詰った空気を変えるという意味でも、ちょうどのタイミングだ。


 ウワバミが、祖父の横をするりと通り抜けて居間に向かった。どこまで真奈の話を聞いていたのか気になる。ウワバミのことだから、目をつむっていたとはいえ耳に入れていただろうけど。


 由歌も座布団から立ち上がった。

 天ぷらを揚げるときは手伝うつもりだったけど、真奈との会話が思いのほか長引いていた。

 そして未だ、本題に入っていないような気がする。


「そちらの、枯木さんとこのお嬢さんも、食べていくかい?」

「いえ、私は……」


 真奈は固辞しようとしたが、その言葉に反旗を翻すように、彼女のお腹が「ぐううう~~」と音を立てた。


 祖父はもう一度、


「どうする?」

「えっと……はい。いただきます」


 どうやら食欲はあるみたいだ。由歌は少しだけ安心した。




 確かに絶品だった。


 フキノトウの天ぷらは、食べると口の中でとろけた。ほのかな苦みがちょうど良く、めんつゆの塩気と合わさって、濃厚かつ、さっぱりとした食べ心地となっていた。とにかく食感が素晴らしい。ちなみにオスとメスで、味の違いはわからなかった。


 コシアブラは、何か特徴があるわけではないが、それでも箸を持つ手が止まらなかった。食べやすいのかもしれない。でも同時に、名前にもある通り油っぽいというか、どことなく胃がもたれるような感じもあって、食べすぎには注意しようと思った。


 タラの芽は、一番食べ応えがあった。どれも大きく、また衣のサクサクとした食感と適度に弾力のある芽が合わさって、山菜の王様にふさわしい一品だと言える。魚や肉がなくても、これだけでメインを張れるだろう。


 一番特徴的だったのはフキノトウだったけど、一番好みだったのはタラの芽だ。

 味は、どれも美味しかった。

 祖父がもっと採りたかったと嘆いていたけれど、その理由が今ならわかる。


 由歌はご飯をおかわりするほど食べたし、ウワバミもたくさん食べていた。

 真奈も、ゆっくりとだったけど、確実に箸を動かしていた。一口食べるごとに「美味しい」と呟いている。おそらく無意識だろう、顔がほころんでいた。


 ああ、こんな顔もするのかと、由歌は見ていて思った。

 彼女はしばらくしてから、おずおずと恥ずかしそうに、


「あの……ご飯、おかわりしていいですか?」

「もちろん、いいとも。いっぱい食べなさい」

「ありがとうございます」


 そんな真奈の様子を、祖父も嬉しそうに見つめていた。


「タラの芽もコシアブラも、知っているんじゃなかったの?」


 由歌が意地悪く言うと、


「知識としては知っているけど、食べたのは初めてなんだ。こんなに美味しいとは思っていなかった」


 真奈は、恥ずかしそうに答えた。その素直な言葉に、由歌はそれ以上の追撃を諦めた。

 

 食べ終えてから、由歌がみなの食器をまとめて立ち上がった。


「あ、私が洗うよ」


 と一緒に立ち上がろうとした真奈を、祖父が留めた。


「お客さんが、そんなことを気にせんでよろしい」


 続けて由歌に向かって、


「食器は流しに置いておけばいい。今日は俺が洗う」

「でもおじいちゃんは作ってくれたわけだし、僕が」

「ユウタは、枯木さんの相手をしてくれ」


 この発言に真奈は慌てた様子で、


「あ、えっと! 今日はこれで帰ります!」


 今日は?

 とツッコむようなことを由歌はしなかった。

 食後に本題へと入るつもりでいた由歌は、肩透かしを食ったような気分だ。続けて話すには、体力のいる話なのかもしれない。


「由歌のおじいちゃん! 明日も来ていいですか」

「次は、しっかりと親御さんに許可をもらってから来なさい」

「わかりました」


 本当にわかっているのか?

 ここで真奈は由歌に向き直って、


「話の続きはまた今度ね」


 もしかしたら、この事態が終わるまで、真奈は百瀬家に通うつもりかもしれない。

 祖父と由歌とウワバミが玄関まで見送りに出た。真奈は扉を開ける前に深呼吸をした。緊張しているらしい。

 彼女が意を決して開けたその先の土は、平坦なままだった。

 

 真奈は安堵の息を吐いてから振り返った。そして、


「最初は嫌な感じで接してしまって、ごめんさない」


 頭を下げた。祖父はにこやかな笑顔で、


「気にしていない。また来なさい」

「はい。ありがとうございます。それじゃあ、また明日」


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