過去を掘り返すイノシシ2
あっという間に百瀬家に着いた。
女の子を家まで送っていくという話だったので、祖父はジムニーをいったん駐車場に止めてから、
「君の家はどこら辺だ?」
体をひねって、後部座席の方を見ながら尋ねた。
「ここはあなたの家ですか?」
女の子は質問に答えず、逆に質問してきた。
「ああ、そうだよ」
「これからお昼ご飯を食べますか?」
「君を送った後でね」
「私は、帰りたくありません」
またしても祖父は、困ったように由歌を見た。
由歌は肩をすくめてから助手席のドアを開け、車から降りた。
もうこのやり取りが面倒だったのだ。
「まあ、いいんじゃない? 一緒にお昼を食べて、その後帰ってもらえば」
「しかしだな。一応、親御さんにご連絡を……」
「親には言いたくありません」
女の子が答える。ダメなAIのような返答だ。
祖父はぐしゃぐしゃと自分の頭を乱暴にかいてから、
「お昼を食べたら、帰るんだぞ」
根負けしたらしい。
由歌がさっきと同じように助手席を前に倒し、女の子とウワバミが車から降りた。
祖父が、用意していたビニール袋にフキノトウを詰めて持ち出した。いったんそれを玄関口に置いてから、由歌と女の子に、
「ちょっと待ってろ」
と言い、裏庭の方に向かった。
女の子はその忠告を無視して祖父の後を追ったので、由歌も慌ててついていった。
祖父は一度だけ振り返ったけど、何も言わずに歩を進めた。
裏庭には、二つの土蔵がある。
百瀬家を守っている結界の役割を果たしているらしいけど、今はこれに用があるわけじゃない。
祖父は土蔵の近くに生えている、人の背丈ほどもあるトゲトゲした細い植物をひょいとつかんだ。もちろん棘は避けている。そして、その植物の天辺にある緑色の冠のような何かをもぎ取った。
後をついてきた由歌と女の子に向き直って、
「これがタラの芽。山菜の王様」
「へえ」と由歌が感嘆し、
「知っています」と女の子が冷たく答えた。
祖父は二人の反応を気にすることなく、裏庭に生えているタラの芽を次々に取っていった。
続いて、これまた人の背丈くらいある、すべすべした細い植物の方に近づいた。こちらも天辺に緑色の何かが生えているのだが、タラの芽より細長い形をしていた。
祖父はこれももぎ取って、
「これがコシアブラ。美味いよ」
「へえ」と由歌が言い、
「知っています」とやっぱり女の子が答えた。
タラの芽とコシアブラか。
正直に言って、どちらもただの草にしか見えない。
祖父はタラの芽を紹介するとき、若干テンションが高かったように思う。
言葉に熱が入っていた。なんせ山菜の王様とまで呼んでいたし。
二つの山菜には、味に明確な違いがあるのかもしれない。
天ぷらにして、めんつゆをつければ、なんでもめんつゆの味になるんじゃないの? と由歌はずっと疑っている。
祖父は熱心にコシアブラを取っていたのだけど、急に「うわ!」と声を上げて体勢を崩した。
何かにつまずいたらしいけど、受け身を取ったので無事だった。
どうやら足元の土がえぐれていたようだ。
「いてて」
「大丈夫?」
由歌は慌てて駆け寄った。
祖父は右手をひらひらと動かして、
「ああ。大丈夫。それよりも、なんだろうこれは。裏庭の土が掘り返されている」
「イノシシ?」
「そうとしか思えないが、でも昨日までこんな跡はなかったな。いつの間に入りこんだのか……」
土蔵が近くにある場所での変事に、由歌は嫌な予感がしてたまらなかった。
たとえば穿鼠という怪異は、土蔵の結界を破壊することで、深淵までの横穴を創り出してしまった。
今回も、それに近い怪異なんじゃないか?
すると、由歌の足元に、黒猫姿のウワバミがそろりと進み出た。
ウワバミが毛を逆立てて、えぐれた土の下の何かを威嚇するように鳴いた。
「おお、これこれ。クロ、どうした」
祖父がウワバミをなだめる。
やっぱり何かがいるらしい。後でウワバミに訊かなくてはならない。
一気に混沌と化した裏庭の中にあって、女の子が、
「……おばあちゃん」
と小声で呟いたのを、由歌は聞き逃さなかった。
その言葉が引き金となったのか、由歌の目にも『それが』見えるようになった。
えぐれている土の中から、しわくちゃの手だけが突き出ていた。手というか腕だ。まるで天に向かって助けを求めているかのようだ。
由歌はまず真っ先に木戸七海のことを考えた。
あの、泳ぐような白い手に囲まれている女性のことを。
でも今、目の前にある腕は、七海の周囲にいる魚のような手と全然違った。しわくちゃで、生気こそ感じられないものの幽玄とは程遠い。
さらに土を掘り返せば、腕の先の肉体まで出てくるだろうと想像できた。
あそこに何かが埋まっている。
ウワバミにもこれが見えているのだろう。でも祖父には見えていないようだ。
やっぱり女の子の一言が重要だったのだと思う。彼女の言葉が由歌の認識を変転させた。それは彼女の能力というわけじゃなくて、ただそこに『それ』があるのだと、示しただけのような気がする。
由歌はその言葉を直に受け取ってしまったのだ。
訝し気な視線を女の子に向けると、彼女は「しまった」というように口元を両手で覆って、玄関の方に走っていった。
由歌もその後を追う。
女の子は運動不足なのかすぐに咳き込み、立ち止まってしまった。
だから角を曲がったところで追いつくことができた。
「なんで追いかけてきたの? というか、あなた誰? こんな時間に何をしているの? 学校はどうしているの?」
振り向いた女の子は、矢継ぎ早に質問してきた。由歌にさっきの呟きを言及されたくないのだろう。
でも無駄だ。
女の子の質問をすべて無視して、
「土の下に何が見えた?」
由歌は本題に切り込んだ。
女の子が怯えたような表情をして、一歩後ずさった。
「あ、あなたも……見えたの?」
「しわくちゃの腕が」
女の子はいきなり気絶した。
「お、おいおい!」
由歌は、彼女の背中をとっさに支えることができた。
後頭部から倒れるという最悪のパターンを阻止できて、安堵のため息を漏らす由歌だった。
◇
女の子の名前は枯木真奈。
中学三年生。つまり由歌と同学年だ。
時系列に沿って話そう。
お座敷で客用布団に寝かされていた女の子は、ニ十分も気絶していた。この間、由歌とウワバミはしわくちゃの腕について会話をしたけれど、
「思い当たる怪異はいるが、もう少し情報を集めたい」
と、ウワバミはいつもより慎重な態度をとった。
「また結界が破られたの?」
土がえぐられていたのは敷地内だ。
ウワバミは考え込むように視線を下げ、
「いや、あれは結界が破られたというより……引き入れてしまったような」
「どういう意味?」
由歌が訊いても、ウワバミはそれ以上答えなかった。
ちなみに、女の子が気絶すると同時にしわくちゃの腕は消えてしまった。
一応、土の下を掘ってみたけれど、何も出てこなかった。
女の子が目を覚ました。
困惑した表情で祖父と由歌を眺める彼女はしおらしく、つい先ほどまであった他人を拒絶する刺々しさが消えていた。
それだけの元気がない、といった方が実情に近いかもしれない。
祖父が入れてくれたお茶をゆっくりと飲み、
「ありがとうございます」
と答えた。
そして由歌とお互いに自己紹介をした。ここで彼女の名前が枯木真奈だと知ったのだ。
「あなたのこと、なんて呼べばいいの? 水野くん?」
「由歌でいい」
「じゃあ私のことも真奈でいい」
真奈は部活動に所属しておらず、学校もそれほど真面目に通っているわけじゃないらしい。休みがちだが勉強は得意で、成績もそこそこ良いと教えてくれた。
自分で言うからには、『そこそこ』どころか相当良いのだろうと由歌は思った。
好きなものは静かな部屋、嫌いなものは財布。
現在は母親と二人で暮らしている。
そして由歌の事情――つい最近、東京から引っ越してきたけれど、こっちの学校やフリースクールに通っていない――ということを知っても、「ふうん。そうなんだ」と頷いただけだった。
自己紹介を終えた真奈は祖父に向かって頭を下げ、
「あ、あの……由歌くんと二人でお話ししたいことがあるのですが」
「ん? おお。そうか。それじゃあ後はユウタに任せるか」
祖父は、お座敷の座布団から立ち上がった。信頼されているのか、あるいは今回のケースでは歳の近い由歌に任せた方がいいと判断したのか。
いずれにしろ祖父は居間に引っ込んでしまった。
真奈と由歌、そしてウワバミの二人と一匹は、お座敷で顔を突き合わせる。
真奈は布団を畳んで端に寄せ、由歌と同じように座布団に座った。二人の間には、欅の一枚板でできているテーブルが横たわっている。
二人とも、まずはお茶を一口。
同時に「ほう」と息をはき、湯呑をお茶うけに置いた。ことん、という音が響く。
ちなみにウワバミは、座布団の上で丸まって目をつむっていた。
「それで、由歌は見えたんだよね?」
ありがたい。向こうから口火を切ってくれた。
「見えたよ。しわくちゃの腕」
さすがに今度は気絶しなかった。
真奈は顔をしかめて、胸が苦しいのか自分の心臓のあたりをぎゅっと握った。その状態のまま、彼女は口を開いた。
「私以外に見えた人、初めて」
「……そう」
「ねえ、なんで? なんで見えたの?」
真奈が、テーブルの上に身を乗り出すようにして訊いてきた。
おかしなものが見えてしまったというこの事態は由歌にとって喜ばしいことじゃないけれど、真奈にとっては違うようだ。
不思議を共有できる仲間だと思ったのかもしれない。
「由歌には霊感があるの?」
「わからない」
ずっと棚上げしていた問題だ。
自分に霊感があるかどうか。そもそも霊感とはなんなのか。
たとえば祖父は、よく不思議な現象に遭遇するが、危機的状況に陥ることはない。だから自分の性質を問題視していない。
由歌は一か月前に深淵に引きずり込まれるまで、不思議な経験をしたことがなかった。
いや、十年前に一度しているか。でもあまり覚えていないから、実感はない。
それなのに、この町に来てなぜか立て続けに不思議と遭遇している。それら不思議の正体は深淵に住まう『何か』であり、ウワバミが言うには怪異と呼称されている。
つまりそれ以外の不思議――幽霊や宇宙人といったものは見たことがない。
妖怪は、どうだろう。怪異と近しい存在な気がする。
幽霊を感じ取る力が霊感で、妖怪を感じ取る力が妖力だとするなら、怪異を感じ取る力はなんだろう。怪異感? 語呂が悪い。
この能力を表す言葉がないのは不便だから、便宜的に霊感と呼称していいのではないか、と由歌は考えている。
とはいえ、今はまだ自分の意見に自信がなかった。だから、
「とりあえず、しわくちゃの腕は見えたよ」
無難にそう答えた。
「そういったものが見えるから、不登校なの?」
「え? 違う違う。全然違うよ」
確かにそう結びつけたくなるのもわかる。でも違う。
由歌が不登校になったのは、ネット空間にうまく対処できないせいだ。大枠で、思春期の悩みとくくってしまっていいのかもしれない。そこに両親の不仲も関係してくるだろう。
とにかく、怪異のことはまったく関係がなかった。
もちろんここまで説明することはしない。だって初対面だし。
真奈は詳しく訊きたそうにしていたけど、由歌が何も言わないのを見て、少しテンションを落としてくれた。
「これまでも、そういったものを見たことはある?」
「まあ、うん」
ここで嘘をつけるほど、由歌は器用じゃなかった。それに真奈は、縋るような目で由歌を見ている。
「ねえ、由歌は私の言う事を信じてくれる?」
「内容によるよ」
そう答えると、真奈はより真剣な目つきになった。
「私は、イノシシに追われているの――」




