1-5 風我雷蔵は村を出立するが、やがてミリーの身が危機であることを知る
翌朝、俺は窓から射し込む朝日で目を覚ました。起きてすぐに身支度を済ませ、広間へと足を運ぶ。
村長はまだ朝食を取る前だったらしい。長机に座って給仕を待っている村長に挨拶を済ませようと思い、俺は村長に声をかけた。
「余裕がないというのに、何から何まで世話になった」
俺は村長に頭を下げる。それを見た村長は慌てて席から立ち上がり、俺の側に寄る。
「いえいえ、我が村の民をゴブリンから救い出して下さったのですから、それくらい当然の施しです」
「……ただの村民ではなく、息子の嫁となるかもしれない娘だからというのもありましょう?」
「おや、耳ざといですね。まあ親である私が決めた話ではなく、当人同士の婚約ですが……それも息子の片想いのようで」
「……息子さんは、ミリーにはあまり好かれていないようですが?」
「……息子は、些か合理的な考え方の持ち主です。村の利益のためには小事を切り捨てるという考えを持っています。ミリーは息子のそんなところを嫌っているのでしょう。ただ……」
「ただ?」
「私としても、結婚自体に反対はしていません。ミリーの兄ハリーは、冒険者になってこの村を出るつもりでいます。残された娘ひとりでの生活となれば不便も多いでしょうし、それにこの凶作です。彼女のためを思えば、この家に嫁ぐことは悪い話ではないのです」
「……ならば、あの兄が村に残ると言えば、ミリーとクイルが結婚する必要性はなくなると?」
「息子のミリーに対する好意を無視すれば、その通りです。あの兄妹はずっとふたりで生きてきました。もしもハリーがこの村に残ってくれたら、この危機も乗り越えられると感じます。しかし、兄がいなくなればただひとり残された妹は…」
「……そうか。まあ、後は当人たちの問題だ。良い方向に話が向かうことを願っている」
俺は村長に深く頭を下げ、その場を後にした。
村長は、せめて最後に一緒に朝食をと勧めてきたが、流石にこれ以上は厄介になれないと、気持ちだけ受け取り踵を返した。
村の出口を目指し歩みを進めていると、ハリーとミリーの家の前に通りかかった。
(……アイツらの顔を見てから行くか)
玄関の前にいたのは、ハリーだけだった。相変わらず木の棒で素振りをしている。
「少しは様になったな。」
「あっ、雷蔵さん!」
素振りを止めたハリーがこちらに歩み寄る。
「すいません……昨日は別れ際に失礼なことを言って」
「気にするな。お前は間違ったことは言っていない」
「雷蔵さんは、もう行かれるのですか?」
「ああ、これ以上この村に厄介になるのは悪いからな。そういえば、ミリーは家の中にいるのか?姿が見えないが…」
「え〜っと……ミリーは、出ていきました」
「……やはり喧嘩になったか」
「えっ?」
「昨日、村長宅の前で村長の息子とミリーが口論していたのをたまたま見かけてな。ミリーは、村長の息子との結婚が心底嫌みたいだが」
「それは…」
「お前にとっては、あの子のためを思ってのことだったのだろうが、あの子にとっては兄であるお前に厄介払いをされたと……そう捉えられてもおかしくないことをお前は言ったんじゃないのか?」
「俺は、そんなつもりじゃ…!」
「……考えを変えるつもりはないのか?」
「……何と言われようと、俺は冒険者になるんです!」
「そうか…」
「……俺も来週には、この村を出ます。この村を出て、冒険者ギルドに申請して正式に冒険者になります!」
「……決意が変わらないと言うのならば、俺から言うことは何もない。ミリーによろしくな」
俺がその場を離れようとした、その時…
「大変ー!大変よハリーッ!」
ひとりの村娘が、慌てた様子でこちらに走って来た。
「さっき、村の子供たちが…ミリーがあのゴブリンが出た森に入って行ったのを見たって!」
「何だって!?」
——————
昨晩、私はお兄ちゃんと喧嘩した。今までふたりっきりの家族だったのに、お兄ちゃんは私とクイルとの結婚の話を進めていた。私には何も言わずに…
家を飛び出した私は、またあの森に入った。
子供の頃から遊び回っていたよく知る森だけど、ゴブリンがいると分かった以上、周りを警戒して歩かなくちゃ。そう、十分注意して行くなら大丈夫。大丈夫…
私は、森の中でできるだけ多くの食べ物を集めた。果物も野草もキノコも、目についたものにはとにかく手を伸ばした。
背負った籠が森の恵みでどんどん重くなる。飢えさえ解決すれば、お兄ちゃんが冒険者になる必要もないし、私がクイルと結婚する必要もなくなる……
最も、これっぽっちじゃ村全体に食べ物を行き渡らせるには程遠い。けれど、私は動かずにはいられなかった。
「よし、もう少し採ったら村に帰ろうかな……あっ!」
私が今歩いている林道の先に、動く人影が見えた。違う、あれは人じゃない。ゴブリンだ!
でも、あのときと違って一匹だけだし、まだ私の存在には気付いていない様子だ。
今ならまだ間に合う。後ろを向いて走って逃げよう。そう思って振り返った瞬間……
『ギィーッ!』
『ギギャーッ!』
あの悍ましい緑色の怪物たちが、私の行く手を阻んでいた。
「あっ……いや……!」
何て私はバカなんだろう。お兄ちゃんのことをどうこう言えない。
もう助けなんて望めない。村の皆はゴブリンが出るって分かった以上、この森には近寄らない筈だし、雷蔵さんは、きっともう村を出ている頃だ。
……お兄ちゃんは、私のことを助けに来てくれるのかな?
昨日は、酷いこと言っちゃったな……『お兄ちゃんなんかが冒険者としてやっていける筈がない』とか、『お兄ちゃんはこの村が嫌になったから町に行くんでしょ』とか。
(ごめんなさいお兄ちゃん……私だって本心では分かってる。お兄ちゃんが、この村と私のことをどれだけ大切に想ってくれてるのかなんて…)
『ギギーッ!!』
ヨダレを垂らした一匹のゴブリンが、立ち尽くす私に飛び掛ってきた。
「助けて冒険者さん!助けて!お兄ちゃーんッ!」
恐怖のあまり、私は思わず目を瞑り叫び声を上げた。
それは、もう届かない筈の人を呼ぶ声と、今一番会いたい人を呼ぶ声だった。
ザンッ!!
何かが斬れるような音がした。
私は恐る恐る瞼を開く。まず視界に入ったのは、足下に転がる斬首されたゴブリンの死体だった。
「どうやら、今度は服を破かれずに済んだようだな」
足下から視線を上げると、私の目には見覚えのある風変わりな格好をした人のシルエットがぼんやりと浮かび上がった。
森の中は陽の光で明るいのに、その人の姿がぼんやりとしか見えなかったのは、無自覚のうちに私の目から溢れ出た涙のせいだと今になって気付いた。
でも、涙で姿がはっきり見えなくても、私にはその暖かな声色で目の前の人が一体誰なのか、はっきりと認識できた。
「冒険者…さぁん!」
「……そういえば、お前にはまだ俺の名を名乗っていなかったな」
冒険者さんは横目で私の方にチラリと視線を送ると、初めてその名を口にした。
「俺の名は雷蔵…風我雷蔵だ」




