第十章 トウマと将軍
桟橋の杭が、目の前にあった。
船頭が綱を投げる。波止場の石の柱に、結びつけられた。船が、ゆっくりと止まる。
焼魚の匂いが漂ってくる。そして、油の匂い。
トウマは、船縁に手をかけて立ち上がった。膝が軋んだ。船板の濡れた木が滑る。
シズリが、ラトゥの腕を片方持った。縛りなおした縄の端を、トウマが受ける。
桟橋の上に、警備兵が二人、立っていた。腰に剣を提げている。浅い褐色の肌。トウマを見て、敬礼した。
「トウマ様。タヅミ総督の命で、お待ちしておりました」
「おう。俺は付き添いはいらん。こいつを預かってくれ。明日、都へ送る。牢に、一晩入れておけ」
兵が頷いた。ラトゥの両腕を、左右から取る。
ラトゥは、抗わなかった。
首が、一度だけ動いた。海の方角へ。台地の白い縞は、もう薄い線になっている。視線が、その線の上で、止まった。
すぐに目は、伏せられた。
兵に連れられて、桟橋を歩き出す。黒い耳飾りが、首の動きにつれて、揺れた。
足音が、石の柱の合間に消えていった。
「……隊長」
「今晩にでも、報告書を書く。簡単なやつだ。それを添えて、都へ送る。三人殺してる。牢に入れるべきだろう」
「はい」
トウマは、桟橋の板を踏んだ。乾いている。濡れた足跡だけが、点々と続いた。
* * *
「これは、これはっ、トウマ様。お戻りでございますかっ」
タヅミ総督の声が甲高い。唾が飛ぶ。
「ああ。少し話があってな。寄らせてもらった」
トウマは、半歩退いた。一人だ。
港町ティハラに着き、軽く食事を済ませた後、シズリとは行動を別にした。
「さ、さ、奥へ。お疲れでございましょう」
タヅミが先に立って、奥へ向かった。両の手をもみ合わせている。
部屋と不釣り合いに立派な机と椅子が、変わらずに置いてあった。
卓の上の調度品が増えたようだ。花と果実の盆に加えて、青い釉薬の壺がひとつ。両脇に、銀の燭台が二つ。
机の端には、螺鈿装飾の箱が置かれている。
トウマは、腰掛に座った。
タヅミも、向かいに座る。卓の縁を両手で押さえるようにして、身を乗り出した。トウマの首が、微かに横へ逸れた。
「島の件、いかがでございました」
「用向きは終えた。理由あってな、一人、都の牢へ送る」
「は、はぁ。それは、ようございますが」
「島に死者を操る術は無かったぞ」
「それでは、その話は噂ばかりということで」
「まあな……。あとは、焔石。あんたの言う通り、質も量も大したことは無かった。だが、最近持ち込まれる量が増えたのは、村の仲間割れの結果らしい」
「仲間割れ……?」
「簡単に言えば、そうだ。野放図にひたすら採って、売りさばく奴が出てきたのさ。だが、最初に売り先が無いと、そんなことにはならんな」
「そ、そうですか」
「最近許可を求める商会が増えたと言っていたが、逆じゃあないのか?」
「それは、どういうことでしょう」
「タガネ商会以外にも焔石を扱わせようと、島で焔石がもっと取れることを喧伝した……とかな」
「そんな、滅相もない」
タヅミは、口から泡を飛ばす。
トウマは身を引いて、あたりをゆっくりと見回した。
「立派な品が、増えたな。どれも手に入れるのに苦労したろう。それとも、誰かが運んでくれるのか?」
タヅミの額に、汗の粒が浮いた。袖口で、それを拭う。
トウマは、笑った。
「まぁ、いいさ。あんたの仕事ぶりは、前に聞いた通りだ。帳簿の数字も、几帳面で良いな」
「ありがたいことでっ……」
「俺の仕事ぶりも見てもらいたいな。監察って仕事なんだが」
「い……いえ、それは、あの、はい。あ!……いいえ。あの」
「あまり、派手にしない方がいい」
トウマは声を低くした。
タヅミの口が、半開きで止まった。
「……は、はい」
沈黙が、場を支配した。
トウマは、卓の上の果実を一つ、手に取る。緑色の皮。掌に収まる大きさ。前に屋台で食べた、あの実だった。
皮を剥いた。果汁が指を伝う。
口に運んだ。甘い。
「タヅミ総督」
「はいっ」
「この港町に、都で働く意欲のある、優秀なものがいるはずだ。俺が都に戻ったら、書状を送る。何人か推挙してくれ」
タヅミの指が、机の縁から離れた。両の手を、重ねる。
「……承知、しました。そんなことなら、いくらでも」
もみ手が始まった。タヅミに笑顔が戻る。
トウマは立ち上がった。腰掛が、軽く軋む。
タヅミが慌てて立ち上がる。
「あと、今晩の宿をとってくれ。二部屋な」
「は、もちろんでございます。すぐに手配いたしますっ」
トウマは、もう振り返らなかった。
石段を下りる。潮風が、正面から顔に当たった。
* * *
宿の前にトウマが立っている。
夕の光が、白い漆喰の壁を橙に染めている。
シズリがやって来るのが見えた。髪の端が、風にわずかに揺れる。
「ここですか。聞けば、街一番の宿だそうですが」
「おう。タヅミ総督は気前がいいな」
シズリは、トウマと並んで、宿の戸口の脇に立った。
「ヤジマとは、会えたか」
「はい」
「向こうの様子は」
「やはり小さな商いのようで。ラエンタン島での焔石と、港で仕入れた余り物を乾物にするくらいでした」
トウマは頷いた。
「ヤジマは、ナバリが北の岸を使って焔石を取引していたことを知っていたのか」
「気づいていたが確証がなかった、と。他の商会とは折り合いが悪いようです。カヨを寄越していたのは、その確証を得るためと、誰が主導しているのかを知るためだったとのことです。私の話で、向こうにも辻褄が合ったようでした」
シズリは、一拍置いた。
「オムアンたちの意向を伝えました。装飾品など、焔石だけでなく島のものを商って欲しい、島はこれからもタガネ商会と取引したい、と」
「向こうは、何と」
「ありがたい、と。それだけです」
トウマは、宿の戸口を片手で押した。良い材質の木が使われているのが、指の腹に伝わってきた。
「それでいい」
「はい」
風が、二人の間を吹き抜けた。潮の匂い、そして宿の奥から、肉を焼く香りが漂ってきた。
「飯にするか」
「そうですね。あの果物があれば良いのですが」
「俺はもう、一つ食べたぞ」
二人は、軽く笑って、中に入っていった。
* * *
赤土の道を、街道が北へ伸びていた。
来たときと、同じ道。木漏れ日が、肩に斑を落としている。
トウマは、前を歩いていた。シズリが、半歩後ろを歩いている。
来た時より、道が広く見えた。すれ違う旅人の数も、来た時より多い。
荷馬が五頭、前へ進んでいるのに追いついた。布で覆われた木箱。どれも同じ商会の文様。荷運びは一人だが、若い兵が二人、横についている。革の鎧。ティルマ国軍の制服。
トウマは、足を止めた。
「おう。お前」
「はい」
「ご苦労。監察官長のトウマだ」
トウマは、身分を示す札を出した。兵が敬礼する。
「商人の護衛か」
「は」
兵が、少し言いよどんだ。
「将軍の命令で、この道の警護を。軍が直接受け持っております」
「確かに俺は警備を強化するよう伝えたが、商人の護衛をしろとは言ってないぞ」
「は」
「この荷は、焔石だな」
「は、そのように」
「商会はずいぶん儲かるな。護衛は軍がやっているんだからな」
兵が、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「どうした」
「いえ」
「いつから軍は商人になったんだ」
兵の目が、地面に落ちた。
「ですがトウマ様、これは将軍の命で」
声が、細い。
トウマは、空を見上げた。木の葉の隙間から、ななめに光が落ちてくる。眩しい。思わず目を、しばたたいた。
「わかった。俺が何とかしよう」
トウマは、それだけ言うと、速足で歩き出した。
兵は、敬礼の姿勢のまま、トウマの背中を見ていた。
シズリが、トウマの後に続く。
赤土が、靴の裏に貼りついた。一歩、二歩、進むたびに、ねちゃりと音が立った。
* * *
将軍の部屋は、二階の奥だ。
もう何度通っただろうか。廊下を歩く。自分の足音が大きい。
トウマは、階段を上がった。手すりの鉄が、冷たい。
将軍の部屋の前で、衛兵が敬礼した。
「トウマ様、どうぞ」
戸が開いた。
将軍が、机の向こうに座っていた。顔を伏せて書類を見ている。厚い眉。こちらをちらりと見て、また顔を伏せた。顔の陰影が前より深くなったように見えた。
トウマは、戸口で敬礼した。
「戻りました」
「ご苦労だったな。座れ」
「いえ、このままで」
将軍の顔が、少し上がった。
「……構わん。だが、こっちに寄れ。遠すぎると話すのも億劫だ」
また、顔を伏せる。
トウマは、机の正面に立った。両の手を横に垂らし、肩幅に足を開く。
「ラトゥは、ご覧になりましたか」
「お前が送った、褐色の肌の部族の者だな。驚いたぞ。目が青い。報告書は読んだが、人を殺してるとは思えんほどに、憔悴しとった。とりあえず、粥は食っとるようだ。体力が戻れば、王に献上する」
「ご随意に」
「で、その島と部族だが」
「大した人数はおらず、変わった術もなし。風習は独特のものがありますが、言葉も通じ、ティハラとは交易も若干だがある」
「北との戦いの支援にはならんな」
「そうですな」
「焔石は」
「ありましたが、量も質も大したことはない。それでも、この都の需要なら、多少は割に合う商売にもなるかもしれませんな」
「そうか。わかった。ご苦労だった」
トウマは、動かなかった。
「どうした」
「もうひとつ、ご報告が」
将軍が、顔を上げた。
「街道で、軍が焔石の護衛をしておりました」
「……それが何だ」
「軍が、商いに手を貸しております」
将軍は、机の上で、両の手を組んだ。骨ばった指の節。
「お前の提言だ」
「街道の守備と、商会の護衛は違いますな」
「同じことだ」
「俺は、軍を辞めますよ」
「なんだと」
将軍の眉が、動いた。
「辞めます」
「お前、正気か」
「ええ」
部屋が、静かになった。窓の外で、鳥が一声、低く啼いた。
将軍は、ゆっくりと椅子の背にもたれた。木が、軋む。
「理由を、聞こう」
トウマは、姿勢を崩さなかった。
「仕事は変えませんが、王の直下に。陰で民を害するものを、抑えるための」
「それが軍だ。今まで通りでいいだろう」
「私にとっては違いますので、別の組織に」
将軍の目が、しばらくトウマを見ていた。直接目を、これほどしっかりと見るのは何年ぶりだろうか。
それから、口を開いた。
「許さぬ」
「いいえ、将軍はお許しになります。これは、許してもらわねばお互い困ります」
「何の冗談だ」
「将軍は、奥様を亡くされて、数年前に再婚されましたな」
将軍は、怪訝そうな顔をした。
「若い奥様の散財に、ずいぶん苦労されていませんか。ワダンの市で、毎度派手に買い物をされている。金が入り用でしょう。最近値が上がっている焔石の商売に、噛みたくもなる」
将軍の顔が、みるみる険しくなる。
「貴様……」
「将軍、これは脅しているのではありません。大事な時期に、妙な噂を立てない方が良い、と長年の部下からの忠告です」
「何が言いたい」
トウマは、机の縁に両手を置いた。
「息子さんは立派な方だ。カヴァリアル家のご令嬢と、縁談の話が進んでいるとか。将軍も貴族に列せられるわけですな」
トウマの、くっきりと黒い目が、将軍を見据えた。
「軍を出ることを、お許しください」
将軍は、目を伏せた。
「……お前、変わったな。南で、何があった」
「いずれ、それを語り合える日もあるでしょう」
トウマは、それきり黙った。姿勢は、そのままだ。
静寂が、部屋を支配した。遠くで、鉄を打つ音が聞こえる。
先に口を開いたのは、将軍だった。
「長い間、ご苦労だった。二度と、儂と儂の家族の前に姿を現すな」
トウマは、深く一礼すると、廊下に出た。
石の床が、来たときよりも、温い気がした。窓から、夕の光が、ななめに差し込んでいる。
階段を、ゆっくりと下りた。
踊り場で、トウマは立ち止まり、腰の短剣に、手をやった。
息を深く吐いて、吸って、そしてまた、階段を下り始めた。




