エピローグ
丘の道は、緩やかに登っていた。
農地の畦が、果樹園に変わる。果樹園の枝が、肩のあたりで揺れた。葉の擦れる音が、低い。
道の先に、苔の生えた石壁が見えてきた。
木製の門。鉄の留め金。門柱の上に、石造りの鳥の像が一つ、こちらを見下ろしていた。
シズリが、邸宅の戸を叩いた。トウマは後ろに立っている。
女中が出た。シズリが名乗ると、奥へ入っていった。
戻ってきた女中が、中へシズリとトウマを案内する。
居間は、石壁と木の梁で組まれた広い部屋だった。壁には鳥の絵が何枚も掛けられている。
女が、立ち上がって二人を出迎えた。
三十をいくつか過ぎているだろうか。髪を高く結い上げ、深い紅の色合いの衣に、首飾り。はめ込まれた赤い石が、柔らかく輝いているように見える。
「カルラ・イェスリだ。この家の主として、西の戦の英雄トウマ殿を、歓迎しよう」
「カルラ殿。このたびは、機会をいただき感謝申し上げる」
「まずは、楽にされるとよい」
カルラと名乗った女性は、トウマたちに腰掛を勧めた。
すぐに、あたたかな飲み物が供される。良い香りが、部屋を満たした。
中庭から、鳥が一羽、カルラの膝に止まる。
「これから客人とお話なのだよ」
とカルラがささやくと、口笛を吹いた。
すると、鳥は飛び去り、中庭の他の鳥も上空へ舞い上がった。
シズリは、それを見てはっとした顔を見せた。
「驚きましたな。鳥を操る術とは聞いていたが」
トウマがそう言うと、カルラは、何も言わずに微笑んだ。
「あの、差し出がましいのですが、私はカルラ様をお見かけしたことがございます」
シズリが、身を乗り出した。
カルラが、シズリの方を向く。
「ほう、どこで」
「私が、まだ幼い頃のことです。都の広場で、鳥に話しかけていらっしゃいました」
「そんな変人は、確かに私くらいだな」
「変人だなどと……。その自由さをうらやましく思い、あこがれたのです」
「自由か。そう見えるかもしれんな」
カルラは、寂しげな顔を一瞬見せ、すぐに表情を改めた。
「さて、トウマ殿。用向きは、兵舎を使いたいとのことだったな」
「は。カルラ殿がガイ・トウジン討伐に兵を集められた時に、使われていたものがある、と。そこを使うよう内務卿から指示がございました」
「処分の仕方を委ねていたら、そなたが来たということだ」
「お貸しいただけませんか。王下内偵府として」
「王下護民衛士府、という名で聞いたが」
「その通りです。ただ、お貸しいただくには、実態をお伝えしようと思いまして」
「それは心配に及ばん。私も内偵や諜報の真似事を、最近までしていたのさ」
「それでは」
「ああ、好きに使えば良い。この隣なのでな、鳥が騒がしい時もあるが、それは許してもらおう」
「感謝申し上げる。それと、もう一つ」
「なんだ」
「カルラ殿に、その長をお願いしたい」
トウマの言葉に、シズリは、驚いてトウマを見た。
カルラは眉根を寄せて、しばし考えるようなそぶりをした。そして、ふっと力を抜いて椅子の背もたれに寄りかかる。
「それは、あんたの仕事だ。王が、内務卿が、貴族でなければ、この件を認めないと?……そんなはずはない。あんたがやるんだ」
「俺は」
「あんたが、やるんだ。自分で、全ての責任を負って」
カルラは、その鋭い顔を、トウマに向けた。
* * *
兵舎の戸口に、靴が並んでいた。
数足。揃っていない。革の編み方も異なっている。
朝の風が、果樹園を抜けてきた。
トウマは、戸口の段に腰を下ろした。卓の上に、書状が一通、置かれている。
王下護民衛士府 トウマ衛士長殿
書状の脇に、印を押された別紙が一枚。控えめだが、組織を動かすには十分な、資金についての通達だった。
シズリが、戸口の影から入ってきた。手に、薄い帳面を抱えている。
「隊長……いえ、衛士長」
「おう。やっぱり慣れんな。隊長でいいぞ」
「しばらく様子を見ましょう。私も慣れます。ところで、ティハラから到着した人員ですが、内偵活動にはこの三人を当てます」
シズリが、帳面の中——名簿を見せる。
「わかった。だが、俺の訓練は全員受けてもらうぞ」
「……私もですか」
「どうしたものかな。副長だからな、他と一緒に、とはいかんか」
「毎朝、個別に教えていただきます」
「俺の負担が大きいぞ」
「すぐに覚えます。そうしたら、私が教えるので、負担は減りますよ」
「……しばらく、早起きだな」
そうですね、と言いながらシズリは、いつのまにか、卓の隅に置いた籠から、緑の皮の実を一つとっていた。皮を剥いて食べ始める。
「それは、俺が楽しみにしていたやつだ」
「この前、私の分を食べてました」
シズリに言い返され、トウマは頭をかいた。
「また送ってもらおう。それか、もう一度行ってもいいな。都は息が詰まる」
「ここの周りは、農地と果樹園と、鳥の住処ですよ。のんびりしたものです」
「すぐに忙しくなるさ」
トウマは、都の方を眺めた。鳥が一声、低く啼く。
「ところで」
「なんだ」
「ラトゥの様子を伺ってまいりました」
「どうだった。まだ生気のない様子か」
「牢の中で、一目しか見てはおりませんが、変わらないようです。ただ、外には定期的に出ているようで、食事もそれなりには。あとは、調書がいくつか取られていました」
「国の者でもなく、裁くに当たっては悩むところだな。将軍は、王に献上すると言っていたが」
「今のところ、そのような話は聞いておりません。それより、調書に一つ、腑に落ちぬことが」
「腑に落ちぬこと?」
「ラトゥによれば、マハリを運んだのは遺体置き場——祖霊の森だと。しかし私は、採掘場でマハリを見つけたのです。ラトゥの鑿はその下に」
「霧が出ていた日だ。運ぶ先を誤ったか」
「背後から私を襲ったのは、採掘場に入れまいとしたナバリです。さらに私を脅かそうとしたか、とも」
「……そうだな。それとも、どうかな。マハリ婆が、ラトゥを止めたかった、かもしれんな」
「私もそれを、考えてしまうのです」
風が、潮の匂いを運んできたように、感じた。




