【9話】スライムの勇者(前編)
今回も琥珀が活躍します。
営業部。
蛍光灯の光が白く、机の上の書類がちらつく。
正義はパソコンの前でメールを確認していた。
「正義さん?」
振り向くと、課長が座っている。
派手なメイク。派手な口紅。指先には光るネイル。
眉をひそめ、ゆっくりと口を開く。
「最近、外回り多いわねぇ?」
甘ったるく、でも皮肉たっぷりの声。
「ええ、今日も急ぎの案件です」
正義は淡々と答える。
課長は片手を顎にあて、笑う。
「ふーん、外回りばっかりして、事務仕事はどうするの?
……あら、営業の顔してるわね、まるで働き者みたい。」
鋭い皮肉。笑みを隠さない。
「必要なことです」
正義はパソコンを閉じ、書類を手に立ち上がる。
「今日のアポイント先は古い商店街です」
課長は肩をすくめる。
「外回り、頑張ってね。あんまり羽目を外さないように」
軽い警告のようで、どこか楽しんでいる口調。
正義は返事をせず、営業部を後にする。
古い商店街。昼前の光が路地を照らす。
正義は金物屋の前で足を止める。
「松……」
戸を開けると、チリン、と鈴が鳴る。
店内は薄暗く、鉄の匂いが漂っていた。
カウンターの向こうに松が立っている。
「来たか」
低い声。
正義は静かに言う。
「……琥珀のマイク、凄かったな」
松は鼻で笑う。
「そうか? 見てただけか?」
「……ああ、戦闘の間合いで、声だけで攻撃と防御を使い分けてた」
正義は俯き、静かに言葉を続ける。
「どうやってあんなことが……」
松は肩をすくめる。
「簡単な話だ。マイクの中に結晶を入れてある。アダマンタイトとミスリルだ」
「アダマンタイトは防御用、衝撃や斬撃から守る」
「ミスリルは攻撃用、声の振動で飛ばすことができる」
正義は黙って聞く。
松は少し間を置いて言う。
「つまり、声の高さや強さ、抑揚で結晶が反応する。歌うだけで戦えるわけだ」
正義はゆっくりと頷く。
「……なるほどな」
松は視線を上げる。
「理解したか?」
正義は静かに答える。
「ああ」
その時、店の扉が開いた。
チリン。
「失礼します」
琥珀が店に入ってきた。
肩に黒いケースを下げている。
松が顔を上げる。
「どうした」
琥珀は少し緊張した表情だった。
「さっき指令が来ました」
正義のスマートフォンも、ほぼ同時に震える。
通知画面を確認する。
任務情報。
正義は小さく息を吐いた。
「……なるほど」
松が首をかしげる。
「何の話だ?」
琥珀が答える。
「新しい勇者の案件です」
正義はスマートフォンをポケットに戻す。
「それと、もう一つ」
琥珀が見る。
「今回の任務、俺も同行するらしい」
琥珀が驚く。
「えっ?」
正義は肩をすくめる。
「教育係だとさ」
少し間が空く。
正義は小さくため息をついた。
「……子供のお守りは苦手なんだよな」
琥珀は少しむっとした顔になる。
「子供じゃありません」
松はくくっと笑った。
「まあいい。現場で揉まれてこい」
「……で、どういう任務だ?」
「対象は――スライムの勇者」
松が眉を動かす。
「スライム?」
正義は続ける。
「人間じゃない。
スライムそのものが勇者らしい」
少し沈黙が流れる。
松が小さく笑った。
「……また妙な勇者が出てきたもんだな」
「まあ、初心者は最初はスライムから狩るもんな」
松は大声で笑った。
町の広場。
昼だというのに、人通りは少ない。
店の戸もいくつか閉まっている。
正義と琥珀は通りを歩いていた。
琥珀が小声で言う。
「……思ったより静かですね」
正義は周囲を見ながら答える。
「スライムの噂が広がってるんだろう。
人は危険を感じると外に出なくなる」
二人は露店の前で足を止めた。
正義が店主に声をかける。
「すみません。少し聞きたいことがあるんですが」
店主は警戒した顔でこちらを見る。
「何だ?」
正義は落ち着いた口調で言う。
「この辺りでスライムが出ると聞きましてね。
商売で通る予定があるんです。
できれば危ない場所は避けたい」
店主は少し顔をしかめる。
「……ああ、その話か」
「最近だ。人が何人もやられてる」
琥珀の表情が固くなる。
その時。
後ろから声がした。
「おい、あんたら」
振り向くと、鎧を着た男が立っていた。
腰には大きな剣。
どう見ても冒険者だ。
男は正義たちをじっと見る。
「スライムを探してるのか?」
正義は少し間を置いてから答える。
「いや、逆だ」
「商人なんでね。
できれば遭遇したくない」
冒険者は鼻で笑う。
「ならこの町から出た方がいい」
男は剣の柄を軽く叩く。
「俺はそのスライムを狩りに来た」
琥珀が小さく呟く。
「……スライムを?」
冒険者は低く言った。
「普通のスライムじゃない」
少し間を置く。
「人を殺すスライムだ」
冒険者はしばらく黙っていた。
やがて低い声で言う。
「……あのスライムに村を潰された」
琥珀が息を呑む。
男は続ける。
「俺の故郷だ」
拳がわずかに震えている。
「家も、人も、全部だ」
「逃げたのは……俺だけだった」
広場に重い沈黙が落ちた。
琥珀が小さく呟く。
「そんな……」
男は剣の柄を強く握る。
「だから俺が殺す」
「どんな化け物だろうが関係ない」
「必ず仕留める」
そう言うと、男は正義達のあとを去った。
夜の森。
目の前には、巨大なスライム。
月明かりに照らされ、青い体がゆっくり揺れている。
戦士は低く唸る。
「見つけたぞ……化け物」
スライムはしばらく沈黙していた。
やがて、声が響く。
「化け物?」
人の声だった。
だが、どこか冷たい。
「人間という生き物は面白いな」
スライムの表面がわずかに揺れる。
「自分たちが狩られる側になると、
すぐに相手を化け物と呼ぶ」
戦士の目が見開かれる。
「……喋るのか」
戦士は剣を構えていた。
スライムの体が静かに波打つ。
そして――
ずるり、と形が崩れた。
粘液が集まり、伸び、固まる。
やがてそこに立っていたのは、人の姿だった。
戦士が息を呑む。
「……人間?」
男は静かに首を傾ける。
「人間ではない」
淡々とした声。
「ただ、人間の形が一番便利なのでな」
青い瞳が戦士を見る。
「さて――」
「今日は何人殺せば、次のレベルに届くかな」
男は怒りを込めて踏み込む。
剣が振り下ろされた。
斬撃。
だが――
手応えがない。
剣はスライムの体を通り抜けただけだった。
「なるほど」
「剣か」
静かな声。
次の瞬間。
スライムは指を一本、戦士に向けた。
その指が――
鋭い針へと変形する。
戦士が反応するより早く。
突き出された。
ドッ。
鈍い音。
針は戦士の胸を貫き、心臓を突き刺していた。
戦士の目から光が消える。
剣が地面に落ちた。
スライムは静かに呟く。
「……人間は弱いな」
次の瞬間。
森の奥から足音がした。
正義達だった。
琥珀が立ち止まる。
正義も視線を前に向けた。
地面には、倒れた戦士。
胸を貫かれ、動かない。
そしてその前に、人形スライムが立っていた。
人の形をしている。
整った顔立ち。
だが足元では、青い粘液がゆっくりと揺れている。
琥珀の声が震える。
「……スライム?」
人形スライムはゆっくり振り向いた。
青い瞳が二人を見る。
「なるほど」
静かな声。
「次の人間か」
琥珀は思わずマイクのケースを握る。
「正義さん……」
正義は戦士の死体を一瞥した。
胸を貫く細い穴。
一撃。
正義は低く言う。
「下がれ、琥珀」
「……あれは普通の勇者じゃない」
人形スライムは首を傾ける。
「勇者?」
少し考えるように目を細めた。
「そうか、知っているのか」
人形スライムの体の表面が、わずかに波打つ。
青い粘液が腕へと集まり、形を変える。
鋭い刃のように伸びていく。
人形スライムは静かに言った。
「だが――」
「私はただ、強くなりたいだけだ」
その時。
「……まて……」
かすれた声がした。
琥珀が振り向く。
倒れていた戦士の指が、わずかに動いた。
「まだ……生きてる!」
琥珀が駆け寄る。
戦士の胸からは血が流れ続けていた。
呼吸は浅く、今にも止まりそうだ。
戦士は震える手で、正義の服を掴んだ。
「……頼む……」
言葉を絞り出す。
「町の……騎士団に……知らせてくれ……」
「このままじゃ……あいつは……」
戦士の視線が、人形スライムへ向く。
「……町も……終わる……」
琥珀が言う。
「でも、騎士団を呼んでる時間なんて……」
戦士は首を振る。
「頼む……」
そして最後の力を振り絞るように言った。
「報酬は……」
「村の宝……宝珠を……渡す……」
正義の目がわずかに細くなる。
「宝珠?」
戦士はうなずいた。
「代々……村に伝わる……魔宝具だ……」
「それを……全部……お前たちに……」
戦士の手の力が、少しずつ弱くなる。
「……だから……頼む……」
正義は一瞬だけ黙る。
そして静かに答えた。
「……分かった」
正義はそれを受け取る。
宝珠は手の中で、かすかに温かかった。
戦士は安心したように小さく息を吐く。
「……これで……」
「……村の仇を……」
そこまで言うと。
戦士の手から力が抜けた。
目から光が消える。
静寂が森に落ちた。
琥珀が小さくつぶやく。
「……死ん…だの?……」
正義は何も言わず、手の中の宝珠を見つめた。
「琥珀!」
正義はスライムを見据える。
「仕事の時間だ」
琥珀がお気に入りになったかも。




