【24話】農業の勇者
今回から、新シリーズになります。
午後六時三十二分。
営業部。
カタカタカタ……。
パソコンのキーを叩く音。
そして――
「……送信」
正義が、 本日最後の報告メールを送った。
終業。
「っしゃあ~!」
田中が両手を上げる。
「終わったぁ! 今週長ぇ!」
「まだ水曜だけど?」 女子社員。
「うそだろ……」
「現実見なさぁい」課長が艶っぽく笑う。
営業部に、 いつもの空気が流れる。
「お疲れ様でーす」
「先に失礼します」
「資料そこ置いといてー」
帰宅準備。
一日の終わり。
正義も、 静かにデスクを片付ける。
「正義くん、直帰?」 課長。
「はい」
正義は一礼し、 営業部を後にした。
――会社前でスマホが鳴る。
ブブッ。
「……?」
スマホが震えた。
歩きながら、 画面を見る。
メール一件。
差出人: 不明
「……」
正義の足が、 ほんの少しだけ止まる。
件名: 【お疲れ様です】
本文を開く。
【虎です、お仕事終わりでしょうか?少しだけ、お時間をいただけませんか?】
【駅前を少し過ぎた先の河川敷の遊歩道で待っています】
「……」
数秒。
その一文だけで、 ほんの少し眉が動く。
だが、 そのままスマホを閉じた。
――十分後。
街明かりが少し遠のく。
夜風が、 少しだけ冷たい。
河川敷の遊歩道の先、街灯の下に、 一人の男が佇んでる。
「こんばんは」
虎だった。
黒いジャケット。
落ち着いた表情。
いつもの柔らかな笑顔。
「……よく、俺のメールが分かったな」 正義。
「能力をちょっと使いまして」
虎は、 少しだけ笑った。
「缶コーヒー、飲みます?」
見ると、 手には自販機の温かい缶。
「ブラックです」
「……気が利くな」
一本受け取る。
プシュッ。
少しの沈黙。
正義が先に言う。
「で?」 「用件は」
虎は、 缶を見ながら答えた。
「監視者の中で、少し動きがあります」
「……監視者?」
正義の声は低い。
「ええ。私達と同じ監視者ですよ。」
虎は一拍置いて続ける。
「その中で、クーデターのようなものが起きています」
「クーデター?」
正義が眉をひそめる。
「はい」
虎の声は淡々としていた。
「中心にいる人物がいます」
「そいつが?」
「監視者たちをまとめている、リーダー格です」
「何をしてる」
虎は缶を軽く揺らした。
「監視者達を意図的に刺激して取り込んでいます」
一拍。
「世界の“混乱”を増やすために」
虎は缶を見ながら続けた。
「そしてもう一つ」
正義が視線を向ける。
「“光の勇者”の《LUX》という、システムから抜き取ったチップがあるのですが。」
「チップ?」
「ええ」
虎は静かに言う。
「監視者のクーデター関与リストが入ってました。」
一拍。
虎は、缶コーヒーを静かに置いた。
「こちらが、その関与者リストです」
スマホ画面が正義へ向けられる。
そこに並ぶ、複数のコードネーム。
正義は無言で視線を流し―― その中の一つで止まった。
【農業の勇者】
「……農業?」
思わず眉が動く。
もっと危険な名を想像していた。
だが虎は真顔だった。
「現在、この人物の動きを優先的に追っています」
「理由は?」
「地方の監視者達との接触が、異常に多い」
夜風が吹く。
虎は続けた。
「表向きは、地域支援活動家です」
「ですが――」
一拍。
虎はそっと、誰にも聞かれない様に正義に耳打ちする。
虎の耳打ちを聞いた瞬間――
正義の表情が、わずかに変わった。
「……なるほどな」
低く呟く。
さっきまで半信半疑だった視線が、静かに消えていた。
缶コーヒーを飲み干す。
「つまり、その農業の勇者を調べればいいんだな?」
虎は小さく頷いた。
「ええ。まずは接触理由を探ります」
数秒の沈黙。
やがて正義は、軽く肩を鳴らした。
「分かった」
夜風が、二人の間を抜ける。
「その依頼、引き受ける」
正義は、空になった缶を軽く握り潰し虎は静かに頷く。
「助かります」
河川敷の空気が、ふっと揺れた。
――グニャリ。
何の前触れもなく、空間に歪みが生まれる。
そこに黒い裂け目が開く。
夜風が吸い込まれるように消えた。
「それでは、行きましょうか」
虎が淡々と言う。
正義は一度だけゲートを見て、すぐに歩を進める。
「ああ、」
二人はそのまま、歪んだ裂け目の中へ消えた。
視界が戻ると、そこは一面の田園だった。
夕暮れの光に染まった水田が静かに広がっている。
風が稲を揺らし、遠くで鳥が鳴いていた。
「……普通に農村だな」
正義は短く呟く。
虎は周囲を一瞥して頷いた。
「ここが目的地です」
正義が辺りを見回す。
その時だった。
――ザク、ザク。
一定のリズムで土を起こす音。
視線の先、田んぼの中で一人の男が鍬を振るっていた。
泥にまみれた手。無駄のない動き。
ただの農民にしか見えない。
「……あれが?」
正義の視線が止まる。
虎は静かに答えた。
「はい。監視者の一人です」
虎が一歩前に出る。
「少し、いいですか」
声は穏やかだった。
男の動きが止まる。
ゆっくりと顔を上げる。
「……何だい?」
汗を拭いながら、軽く笑う。
虎は同じ調子のまま続けた。
「この辺りの監視をされている方ですか」
男は一瞬だけ間を置き、また笑った。
「監視?」
泥のついた手を払いながら、気の抜けた調子だ。
その時、虎が静かに言った。
「同業者です」
一拍。
男の動きが止まる。
田んぼの風だけが通り抜けた。
「……へぇ」
男は目を細める。
さっきまでの農民の顔が、わずかに薄れる。
田んぼの風が、少しだけ冷たくなる。
男は鍬を地面に立てかけ、腕を組んだ。
「同業者、ねぇ……」
軽く笑いながらも、目だけは笑っていない。
虎は表情を変えずに続ける。
「最近、他の監視者と接触はありましたか」
一拍。
男の視線が、虎と正義を順に見る。
「……なんでそんなことを?」
土のついた手が、わずかに動く。
正義は黙ったまま、そのやり取りを見ていた。
男は鍬の柄を軽く握り直した。
「上からの指令以外では、他の監視者には会っていないな」
あっさりとした口調。
だが、その一言には妙な確信があった。
虎は小さく頷く。
「そうですか」
正義は、男の顔から視線を外さなかった。
虎は視線を変えずに続けた。
「もう一つ伺います」
男が眉を上げる。
「この世界で、禁制作物の栽培と、それを現世側へ流通させる動きがあると聞いています」
一拍。
「あなたは、それに関わっていますか」
静かな声だった。
正義の視線が、男に固定される。
空気がわずかに重くなる。
男は、虎の言葉に一瞬だけ眉をひそめた。
「……それを、なぜ知ってる」
視線が鋭くなる。
次の瞬間だった。
男の目線が、ふっと田んぼへ落ちる。
――ザッ。
地面が沈むように崩れた。
泥ではない。土そのものが波打つように動く。
「っ」
正義の足元が取られる。
ぬかるみではなく、“引きずり込むような土”。
「地面が……!」
一歩踏み出した瞬間、さらに沈む。
虎が低く言う。
「来ます」
その一言と同時に、男は田んぼの奥へと跳ねるように走った。
さっきまでの農民の動きではない。
無駄のない、逃走の動き。
「逃げるぞ!」
正義が地面を蹴る。
しかし足元はまだ重い。
泥のようでいて、意思を持つように絡みついていた。
正義の足元が、さらに沈む。
泥ではない。
“掴まれている”感覚があった。
「っ……!」
一瞬、膝まで取られる。
その瞬間だった。
正義は腰の位置を低く落とす。
「邪魔だ」
短く吐き捨てる。
――抜刀。
空気が鳴った。
正義の一閃が、足元の“周囲の土”をなぎ払うように走る。
ザッ。
泥が裂けた……ように見えた。
しかし切断されたのは土そのものではない。
“拘束している力の輪郭”だった。
一瞬、足が軽くなる。
「今だ!」
正義はその隙に地面を蹴る。
ねじるように体重を逃がし、一気に引き抜く。
ぬちゃ、と音を立てて足が抜けた。
正義は地面を蹴り、体勢を立て直した。
「追うぞ」
短く言う。
虎も迷いなく頷いた。
二人は逃げた監視者の気配を追って、田んぼを抜けた。
風景が切り替わる。
水田から、整えられた畑へ。
そこには、規則正しく並んだ作物が植えられていた。
土は乾き、手入れも行き届いている。
まるで“管理された農場”そのものだ。
正義は足を止める。
「……さっきと違うな」
虎は周囲を見渡しながら答える。
「こちらが本体の栽培区画でしょう」
その時だった。
畑の中央に、逃げた監視者の姿があった。
男は立ち止まり、こちらを一瞥する。
そして、指を軽く鳴らした。
――パチン。
瞬間。
地面から植物が跳ねるように伸びる。
蔓が、茎が、異常な速度で膨れ上がり、正義達へと襲いかかる。
「来るぞ!」
虎が低く声を上げた。
蔓が空気を裂くように迫る。
正義は一歩も退かない。
「邪魔だ」
短く吐き捨てる。
――抜刀。
光が走った。
一閃、二閃。
迫る植物が次々と断ち切られていく。
ズバッ。
緑の破片が宙に散り、畑の土へ落ちた。
だが、攻撃は止まらない。
左右、前方、足元。
別の蔓が次々と地面を突き破り、正義へ殺到する。
「数で来るタイプか」
正義は舌打ちし、刃を構え直した。
虎が静かに言う。
「囲まれますね」
蔓が四方から迫る。
正義は一度だけ周囲を見回し、小さく息を吐いた。
「……らちが上がらねえな」
短く言うと、懐から護符を取り出す。
それを刀へと軽く当てた。
――刹那。
空気が変わる。
刀身が、音もなく炎に包まれた。
揺らめく火は静かで、だが確かな熱を持っている。
正義は構え直した。
「まとめて焼く」
次の瞬間、炎の刃が走り。
炎をまとった刃が振るわれる。
一閃。
二閃。
三閃。
赤い軌跡が走るたびに、迫っていた蔓が次々と焼き切られていく。
バチッ、と乾いた音を立てて炎が広がり、畑の上を舐めるように燃え上がった。
みるみるうちに、植物は炎に包まれていく。
緑だった世界が、橙と赤に染まっていく。
熱風が吹き抜け、残っていた蔓も力を失って崩れ落ちた。
「……ふん」
正義は刀を軽く振り、炎を払うように構えを戻す。
静けさが戻る畑の中、焼け跡だけが残っていた。
正義は刀を軽く下ろし、呼吸を整える。
「……終わりか」
その言葉に、虎が小さく視線を落とした。
そして、静かに息を吐く。
「流石ですね」
正義が横目で見る。
虎は続けた。
「監視者の中でも、トップクラスの実力です」
畑の残骸を見渡しながら、淡々とした声だった。
焦げた畑の静寂の中。
正義は刀を下ろし、呼吸を整えていた。
そのとき――
監視者の男が、ゆっくりと鍬を拾い上げる。
「……やるじゃねぇか」
低く呟き、柄を握る。
次の瞬間だった。
――ギギッ。
鍬の形が歪む。
木と金属が軋む音とともに、その姿が変質していく。
刃が伸び、柄が延びる。
やがてそれは、一本の槍へと姿を変えた。
「……っ」
正義が目を細める。
虎が静かに呟いた。
「……その鍬、神具ですか」
男は槍を軽く回し、笑う。
「農具だよ。昔からな」
空気が、再び張り詰めた。
監視者が、槍を構える。
次の瞬間――
「っ!」
鋭い踏み込みと同時に、槍が投げ放たれた。
空気を裂き、一直線に正義へ迫る。
正義は横へ一歩、最小限の動きでそれを避けた。
ズバンッ、と背後の地面に突き刺さる。
だが――
「……!」
槍はそこで止まらない。
突き刺さった瞬間、地面を弾くように抜け、空中で軌道を変える。
まるで意思を持つように、持ち主の手元へ戻っていく。
正義が目を細める。
「戻る武器か」
監視者は、戻ってきた槍を軽く受け取り、肩に担いだ。
「これならどうだ!」
また、槍を正義目掛けて投げる。
槍が再び唸りを上げて迫る。
正義は一歩も引かない。
「……ふん」
短く息を吐くと、刀をわずかに横へ傾けた。
受けるためではない。
“ずらすため”の角度。
カンッ。
刃が槍の矛先の横に触れた瞬間――
正義はそのまま、力を抜かずに滑らせた。
軌道が、わずかに横へ逸れる。
だが止めない。
むしろ“流れた勢い”をそのまま利用するように、刀を回転に沿って返す。
ギィン、と槍の軸が揺れた。
回転の中心が崩れる。
一瞬、空中で制御が外れたように槍がぶれる。
その“空白”を、正義は見逃さない。
踏み込み。
刃の腹でさらに回転を押し崩し――
次の瞬間、空中で浮いた槍をそのまま掴み取った。
「……もらうぞ」
正義の手に、投げられた槍が静かに収まる。
槍を奪われた瞬間、監視者の動きが止まる。
さっきまでの余裕は消え、わずかに目が揺れた。
「……っ」
畑の風だけが通り抜ける。
無力化された監視者には、もう手札がない。
正義は槍を軽く地面へ突き立てると、視線だけを向けた。
「終わりだな」
静かな声。
その横で、虎が一歩前に出る。
「捕縛します」
懐から取り出したのは、小さな核のような結晶。
以前の“蜘蛛の勇者”から回収されたものだった。
それが軽く弾かれる。
――パキン。
瞬間、空中に細い糸が走った。
しかしただの糸ではない。
意思を持つように伸び、監視者へと絡みついていく。
「……っ、何だこれ!」
監視者が動こうとするが、糸は逃がさない。
関節、体幹、動きの起点そのものを封じていく。
対“勇者”用の拘束術式。
一度絡めば、自力ではほどけない。
虎は淡々と告げる。
「以前の個体から回収した対処素材です」
糸は収束し、監視者の動きを完全に止めた。
「捕縛完了です」
畑に静けさが戻る。
拘束された監視者は、糸に縛られたまま地面に膝をついていた。
正義は槍を肩に担ぎ、淡々と視線を落とす。
「話せ」
短い一言。
監視者は一度だけ顔を歪めたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「……別に、大した話じゃねぇよ」
虎が無言のまま立つ。
監視者は続けた。
「このクワ……いや、神具だな」
視線が、変形した農具へ向く。
「これで耕すと、作物の成長が異常に早くなる」
正義の目が細くなる。
監視者は自嘲気味に笑った。
「普通の数倍どころじゃない。土が“育てる環境”になる」
一拍。
「だから、価値が出る」
静かな風が畑を抜ける。
「現世側に流せば金になる。単純だろ」
虎が低く言う。
「それが目的ですか」
監視者は肩をすくめた。
「監視者の仕事なんて報酬が安いんだよ」
「だったら、こうやって稼ぐしかない」
正義は一歩だけ近づく。
「……だから歪めていい理由にはならない」
監視者は何も言わなかった。
ただ、地面を見ていた。
正義は槍を肩に担いだまま、淡々と視線を落とす。
虎が一歩前に出る。
「もう一つだけ」
静かな声だった。
「それを指示したのは誰ですか」
一拍。
監視者の目がわずかに揺れる。
「……それは――」
口を開きかけた、その瞬間。
――ピクリ。
正義の手元に立てかけられていた神具の槍が、わずかに震えた。
次の瞬間。
ギィン、と空気が鳴る。
槍が自らの意思を持ったかのように浮き上がり――
一直線に走った。
「っ!?」
誰も反応できない速度。
――ズドッ。
監視者の胸を、貫く。
糸で拘束されたまま、体が大きく跳ねる。
「……な……」
目を見開いたまま、言葉にならない声。
槍はそのまま静かに抜け、再び宙で止まると、何事もなかったように地面へ落ちた。
畑に、重い沈黙が落ちる。
虎は目を細めたまま、動かなかった。
畑に、重い沈黙が落ちる。
風だけが、焼けた土の上を通り抜けていった。
虎はしばらく動かず、倒れた監視者を見下ろしていた。
やがて静かに息を吐く。
「……首謀者の情報は、聞けずじまいですね」
淡々とした声。
正義は槍を一瞥し、軽く舌打ちした。
「口封じか」
虎は何も答えない。
ただ、遠くの畑を見渡すだけだった。
畑に残ったのは、焼けた土と静けさだけだった。
虎はしばらくその場に立っていたが、やがて小さく息を吐く。
「……まだ、クーデターの関与者は残っています」
正義を見ることなく、淡々と言う。
「追って、また連絡します」
そう言って、軽く手を上げる。
空間に歪みが生まれ、ゲートが開く。
「では」
虎はそのまま、迷いなく中へ消えた。
畑には再び風だけが残る。
正義は槍を肩に担ぎ、焼け跡を一度だけ見回した。
「……面倒な話だな」
小さく呟く。
しばらくして、正義もまた踵を返す。
静かな田園を背に、元の世界へと戻っていった。
会社の昼休み。
営業部の休憩スペースに、どん、と大皿が並べられていた。
「今日はね、近くの農家さんからお裾分けもらってきたのよ」
課長が楽しそうに笑いながら、取り分け用の箸を置く。
サラダ、煮物、炒め物。
どれもこれも、やたらと量が多い。
「ほら、遠慮しないで食べなさい」
社員たちが次々と皿に手を伸ばす。
「うまっ、これすごいですね」
「野菜甘いな……」
正義は、その光景を見て固まった。
(……農家)
(……大量)
一瞬、畑の光景がよぎる。
正義は無言で箸を持ち上げて――
深く息を吐く。
「……新鮮で美味しそうですね。」
うなだれるように、箸を皿に伸ばした。
いつもと傾向違いますがよろしくお願いします。




