【20話】ハーレムの勇者(後編)
夜。
村の外れ。
風が、止んでいる。
「……ここだ」
男に教えられた場所。
森の奥。
ぽつりと建つ、大きな屋敷。
場違いなほど、綺麗だ。
「……趣味悪いね」
琥珀が呟く。
灯りがついている。
人の気配も、ある。
だが。
「静かすぎる」
正義が言う。
「普通じゃない」
一歩、踏み出す。
地面を踏む音すら、妙に響く。
「行くぞ」
二人は、迷わず進む。
扉の前。
ノックはしない。
正義が、そのまま押し開ける。
軋む音。
中へ。
――甘い匂い。
「……っ」
琥珀が顔をしかめる。
広いホール。
赤い絨毯。
豪華な装飾。
そして――
女。
何人も。
座り込んでいる。
壁際。
床。
ソファ。
全員。
目が、虚ろ。
「……マジかよ」
琥珀が低く吐く。
誰も、こちらを見ない。
ただ。
「……勇者様……」
ぽつり。
一人が呟く。
続くように。
「勇者様……」
「勇者様……」
「勇者様……」
声が、重なる。
祈るように。
狂気のように。
「……完全に支配されてる」
琥珀の声が硬い。
そのとき。
奥。
階段の上。
コツ、コツ。
足音。
ゆっくりと降りてくる。
一人の男。
「……ああ?」
軽い声。
整った顔。
だが、その笑みは歪んでいる。
「なんだ、お客さんか?」
肩をすくめる。
「珍しいな、この辺の奴じゃねえな」
正義は答えない。
ただ、見る。
「……お前が、勇者か」
短く。
男は笑う。
「ああ、そうだよ」
楽しそうに。
「勇者様だ」
腕を広げる。
「こいつらの、な」
周囲の女たちが、微かに反応する。
「勇者様……」
恍惚。
「……気持ち悪い」
琥珀が吐き捨てる。
勇者の目が、琥珀に向く。
「あれ、お前アイドルの琥珀に似てるな」
舌なめずりするような視線。
「アイドルもいいな」
一歩、降りる。
「安心しろよ」
笑う。
「すぐに仲間にしてやる」
空気が、変わる。
「――黙れ」
琥珀の声。
命令。
見えない圧が、勇者を叩く。
本来なら、それで終わる。
だが。
「……あ?」
勇者は、普通に口を開いた。
「なんだ今の」
「……は?」
琥珀の目が揺れる。
もう一度。
「――黙れ」
圧が強まる。
空気が軋む。
それでも。
「効かない?」
琥珀が、低く呟く。
勇者が、ゆっくりと琥珀を見る。
「命令とはこうするんだよ。」
一歩、近づく。
目が合う。
「――従え」
静かな声。
だが。
重い。
空気が沈む。
一瞬。
沈黙。
「……っ」
琥珀の体が、わずかに震える。
「琥珀!」
正義が呼ぶ。
返事はない。
勇者が、笑う。
「ほらな」
満足そうに。
指を、正義へ向ける。
「――やれ」
命令。
「そいつを、攻撃しろ」
一瞬。
静止。
そして。
琥珀の足が、動く。
正義へ。
琥珀が、一歩踏み込む。
「――っ」
息を吸う。
次の瞬間。
「……ッ!!」
音。
目に見えない衝撃が、空間を叩く。
ドンッ!!
正義の体が弾かれる。
床を滑る。
正義はすぐに体勢を立て直す。
だが。
来る。
連続。
「……ッ!!」
二撃、三撃。
空気が震えるたびに、衝撃が走る。
壁が砕ける。
床がひび割れる。
さらに強い一撃。
正義が腕で受ける。
ドンッ!!
衝撃。
足が沈む。
歯を食いしばる。
視線は、逸らさない。
「琥珀――」
呼ぶ。
だが。
返事はない。
一歩、踏み込む。
一瞬、早い。
衝撃が放たれる前。
懐へ。
距離、ゼロ。
琥珀の目が、わずかに揺れる。
だが、遅い。
トン。
首筋。
正確な一撃。
力は最小限。
琥珀の体から、力が抜ける。
崩れる。
正義が支える。
静かに、床へ。
動かない。
呼吸はある。
視線だけ、落とす。
一瞬。
それだけ。
すぐに、離す。
立つ。
振り返る。
勇者を見る。
…勇者が、笑う。
「いいね」
軽く手を上げる。
「――やれ」
その一言。
女たちの目が、一斉に正義へ向く。
ふらりと。
「勇者様……」
呟きながら。
歩く。
いや――
走る。
一斉に。
正義へ。
迫る。
足音が重なる。
正義は、動かない。
一瞬だけ。
視線を落とす。
そして。
抜く。
刀。
音が、小さく鳴る。
最初の一人。
振り下ろされる手。
躊躇はない。
正義が、踏み込む。
一閃。
音は、軽い。
女の体が、崩れる。
次。
また一人。
また一閃。
崩れる。
血。
床に広がる。
それでも。
女たちは止まらない。
表情は――
変わらない。
恐怖も痛みもない。
「勇者様……」
同じ声。
同じ顔。
同じ動き。
ただ、迫る。
「……」
正義は何も言わない。
ただ。
斬る。
一人。
また一人。
数が、減る。
だが。
尽きない。
踏み越える。
倒れた体を。
足を止めない。
斬られても。
倒れても。
最後まで、手を伸ばす。
その異常さが。
空気を歪める。
……
最後の一人が迫る。
手を伸ばす。
正義が、踏み込む。
一閃。
静寂。
血の匂いだけが残る。
正義は、刀を振り血を払う。
鞘に収める。
一歩。
前へ。
倒れた体を越える。
進む。
勇者の前へ。
止まる。
勇者が、笑う。
「……やるな」
軽い声。
だが、目は笑っていない。
「じゃあ次はお前だ」
指を向ける。
「――止まれ」
命令。
空気が沈む。
圧。
だが。
正義は、動く。
一歩。
そのまま、前へ。
勇者の笑みが、わずかに歪む。
「……あ?」
もう一度。
「――止まれ」
強く。
だが。
効かない。
正義は止まらない。
視線は、逸らさない。
勇者が、眉をひそめる。
「なんだ、それ」
一歩、下がる。
「効かねえ?」
正義は答えない。
ただ、歩く。
距離を詰める。
「……まさか」
正義は、
「男には効かねえみてえだな。」
勇者は
「知ってたのか?」
焦る勇者。
背後で。
「……っ」
小さな息。
琥珀が、目を開ける。
ゆっくりと起き上がる。
視線が揺れる。
「……あれ」
自分の手を見る。
「……戻ってる」
正義を見る。
「命令……解けてる」
正義は振り返らない。
ただ、短く。
「来い、命令しろ」
一歩、横にずれる。
道を空ける。
琥珀が立つ。
勇者を見る。
「――黙れ」
近距離。
命令。
一瞬。
沈黙。
「……っ」
勇者の口が、止まる。
動かない。
目だけが、見開かれる。
「……は?」
声が、出ない。
喉が震える。
だが。
音にならない。
琥珀が、不思議そうな目をする。
そのとき。
正義が、わずかに口を開く。
「……距離だ」
低く。
「お前の能力の有効範囲は短い」
一歩。
さらに距離を詰める。
逃がさない。
勇者の瞳が揺れる。
正義は勇者の前に行き一言
「罪は世界を選ばねえ」
と言い
「後はお前がやれ」
と琥珀を見る
「……終わりにしようか」
小さく。
冷たい声。
勇者を見る。
「女を、壊して」
一歩。
近づく。
「心まで、踏み荒らして」
視線は逸らさない。
「それで“勇者様”?」
吐き捨てる。
「……笑わせないでよ」
空気が、震える。
手を上げる。
音が歪む。
「さっきの、返すね」
一瞬。
「――消えろ」
音もなく。
勇者の体が、崩れる。
静寂。
血の匂い。
そのとき。
ギィ……
入口の扉が、ゆっくりと開く。
足音。
一人の男が入ってくる。
長身。
無駄のない体。
鋭い目。
「……やっぱり」
静かに言う。
視線は、正義へ。
「あなたは強い」
一歩、踏み出す。
倒れた体には目もくれない。
「瞬時に相手の弱点を見抜く」
淡々と。
事実を並べるように。
「虎、、、」
正義の口元が締まる。
虎が、わずかに目を細める。
「……髑髏の勇者以来ですね」
静かに。
懐かしむでもなく、ただ事実のように。
視線は、正義に向いたまま。
「今回の戦い方――参考にさせてもらいました」
淡々と。
一歩、下がる。
「近いうちに」
言葉を区切る。
「応援を頼むことになるかもしれません」
その瞬間。
空気が、揺らぐ。
影が、濃くなる。
姿が、溶けるように崩れる。
「……その時は、よろしく」
最後にそれだけ。
次の瞬間。
――消えた。
静寂が戻る。
虎の気配は、もうない。
琥珀が、ため息をつく。
「……何か、胡散臭いね」
軽く肩をすくめる。
視線は、消えた入口へ。
「信用していいタイプじゃないでしょ、あれ」
正義は、答えない。
ただ、立っている。
視線は、闇へ。
何も言わない。
沈黙。
それだけが残る。
翌日。
営業部。
いつも通りの朝。
キーボードの音。
紙をめくる音。
蛍光灯。
「ねえ、正義くん」
上司の声。
顔を上げる。
「この前の経理の人、いたでしょ?」
「ああ、田中ですか」
正義は短く答える。
上司が、ため息をつく。
「捕まったらしいわよ」
書類をひらひらさせながら。
「横領だって」
「……そうですか」
表情は変わらない。
上司が肩をすくめる。
「やっぱりねぇ」
苦笑い。
「顔のいい男って、裏で何やってるか分からないわね」
くすっと笑う。
正義は何も言わない。
上司が、ふっと笑う。
「でも、正義くんは安心ね」
正義の手が、止まる。
わずかに。
視線だけ、上げる。
「……どういう意味ですか」
いつも通り。
何も変わらない朝。
虎とは何者でしょうか。




