【18話】剣の勇者
今回はいつも通りです
午前十時。
応接室。
「――では、この条件で、来月から本格導入という形でよろしいでしょうか」
上司が言う。
穏やかな声。
営業用の、作られた柔らかさ。
向かいの取引先がうなずく。
「はい、問題ありません」
「ありがとうございます」
上司が笑う。
タイミングも完璧。
いつも通り。
正義は隣で資料をめくる。
仕様書。
見積書。
チェック項目。
一つずつ確認する。
ズレはない。
漏れもない。
「鈴木くん、最終ページ」
「あ、はい」
資料を受け取る。
最後の確認。
サイン欄。
ペン。
――これで終わりだ。
「では、こちらにご署名を」
カリカリ、と音。
止まる。
契約成立。
「本日はありがとうございました」
椅子。
名刺。
会釈。
すべて、問題なし。
自動ドアが閉まる。
取引先の背中が遠ざかる。
「ふぅ……」
上司が息を吐く。
笑顔が消える。
「おつかれ」
「おつかれさまです」
資料をまとめる。
「さっきの先方の係長さん」
「ああ、はい」
「えらく仕切ってたでしょ」
一拍。
「でもね」
口元が、わずかに緩む。
「隣にいた鈴木さんの方が、なかなかの切れ者らしいわよ」
沈黙。
「……そうなんですか」
「ええ。裏で全部組んでるタイプ」
肩をすくめる。
「表に出てこない人ほど、厄介なのよね」
くすっと笑う。
「今回も、多分あの人が全部仕切ってるわよ」
正義は小さくうなずく。
無駄がなかった。
流れも、精度も。
最初から――決まっていた。
「……だから、こういう仕事は面白いのよ」
上司が言う。
「見えないところで、全部決まってる」
足音が響く。
その時――
画面の隅。
黒い通知。
一瞬だけ、点滅。
正義の指が止まる。
視線だけ、動く。
クリック。
画面が切り替わる。
無機質な黒。
【指令】
【対象】
剣の勇者
【能力】
剣特化
【罪状】
大量殺戮
【任務】
排除
沈黙。
正義は画面を見る。
わずかに。
「……一人か」
背後から声。
「正義くん、どうしたの?」
上司。
「外回り?」
正義は答える。
「はい」
一拍。
上司が笑う。
「いってらっしゃい」
正義は立ち上がる。
椅子の音。
周囲は変わらない。
キーボード。
会話。
誰も見ない。
だが――
確かに、ここは“普通の世界”。
正義は路地裏へ歩き出す。
ポケットの中。
指が、わずかに動く。
そして――
空気が、揺れる。
視界が歪む。
音が遠のく。
足元が消える。
落ちる感覚。
一瞬。
――着地。
正義はゆっくりと顔を上げる。
村。
崩れた柵。
倒れた家屋。
静かすぎる。
人の気配は――ない。
だが。
地面には赤が広がっている。
一歩、踏み出す。
足元に倒れている。
村人。
動かない。
斬られている。
綺麗すぎる断面。
一撃。
抵抗の形跡は、ほとんどない。
正義の視線が動く。
もう一人。
さらに奥。
複数。
同じく全て――一太刀。
その時わずかに。
音がする。
金属の擦れるような音。
正義が顔を上げる。
視線の先には獣人の女。
背を向けている。
手には――剣。
血が滴る。
だが。
獣人の娘の動きが、止まっている。
沈黙。
次の瞬間。
娘の腕が――動く。
意思とは、ずれている。
不自然に。
引かれるように。
剣が振られる。
空を斬る。
何もないはずの空間を。
――だが。
空気が、裂ける。
遅れて。
遠くの建物が、崩れる。
正義の目が細くなる。
「……動きが」
正義の目が細くなる。
「……剣筋が、遅れてる?」
次の瞬間。
獣人の女が踏み込む。
速い。
だが――
その動きは、どこか“ずれている”。
一拍遅い。
いや。
身体と剣が、噛み合っていない。
正義は一歩下がる。
風が頬をかすめる。
紙一重。
今のは、本来なら当たっている。
だが当たらない。
「……」
正義の視線が剣に向く。
振るたびに、わずかに軌道が“引っかかる”。
まるで――
見えない何かに、調整されているような。
女の呼吸が乱れる。
構え直す。
もう一閃。
今度は上から。
重い。
速い。
だが――
また、ズレる。
正義はその瞬間、体をひねる。
刃が肩をかすめる。
同時に。
足を踏み込む。
「……ここだ」
短く。
一撃。
脇腹へ。
鈍い音。
娘の身体がよろめく。
だが――
倒れない。
踏みとどまる。
「まだ……っ」
声が漏れる。
その瞬間。
剣が、もう一度動く。
今度は無理やり。
身体を引きずるように。
正義の眉がわずかに動く。
「……自分の重心じゃない」
踏み込み。
今度は深く。
相手の動きの“ズレ”に合わせるように剣を払う。
――ザッ。
娘の動きが止まる。
剣が、地面に落ちる。
乾いた音。
静寂。
その瞬間――
娘の身体から、力が抜けた。
膝が崩れる。
「……っ、はぁ……」
荒い呼吸。
目が揺れている。
正義は動かない。
視線だけを向ける。
娘は自分の手を見る。
震えている。
「……違う」
かすれた声。
「私じゃ……ない……」
剣から離れた瞬間。
糸が切れたように、意識が戻る。
娘はその場に座り込む。
額に汗。
息が乱れている。
「今の……私の動きじゃ……」
言葉が途切れる。
視線が遠くなる。
「見えてたのに……」
一拍。
「やってたのに……止められなかった」
正義の目が細くなる。
「……操られていた?」
問いではない。
確認に近い。
娘は首を振る。
強く。
「違う……操られてたんじゃない」
喉が詰まる。
言葉を探す。
「剣を握ってる間……ずっと」
「見えてた」
「全部」
一拍。
「斬ってる感覚も……音も……血の熱も……」
手が震える。
「なのに……止められなかった」
「……呪い、か」
正義が小さく言う。
その時――
カン、と乾いた音。
剣が、わずかに跳ねた。
誰の手にも触れられていない。
ただ、空気の揺れのように。
次の瞬間。
刃が浮く。
真っ直ぐに。
獣人の女へ。
「……っ」
反応より早い。
胸元。
刃が突き刺さる。
空気が止まる。
女の目が見開かれる。
「え……?」
一拍。
そして――
剣が、抜けた。
だが落ちない。
地面にも戻らない。
まるで何かに引かれるように。
ふわり、と空へ。
「……っ!」
正義の視線が追う。
剣は宙に浮いたまま、ゆっくりと距離を取る。
逃げるように。
いや――
避けるように。
女はその場に崩れかける。
胸を押さえる。
呼吸が乱れる。
「今の……何……」
声が震える。
正義は剣を見上げたまま、動かない。
ただ一言。
「……やはり」
剣が、空中に静止したまま微かに震える。
空気が、歪む。
「……ふん」
低い声。
確かに“剣”から響いていた。
「使えねえ女だな」
女は動かない。
正義の視線が剣に向く。
「……喋るのか」
剣が、わずかに笑ったように揺れる。
「喋る? 違ぇな」
間。
「お前らが勝手に聞いてるだけだ」
空気が重くなる。
まるで周囲ごと、圧が変わる。
「で」
剣が、ゆっくりと傾く。
誰も握っていないのに。
「この程度で終わりか?」
沈黙。
村の空気が、さらに冷える。
正義は剣から目を離さない。
「お前が……やっているのか」
「やってる?」
剣が、少しだけ楽しそうに揺れる。
「違ぇよ」
「俺はただ“振られてる”だけだ」
一拍。
「使えねえのは、剣じゃねえ」
空気が張り詰める。
「お前らの方だ」
剣が、ゆっくりと浮く。
一瞬の静止。
次の瞬間――
空気が裂けた。
一直線。
正義へ。
速い。
だが、ただの突進じゃない。
軌道が、妙に“正確”だった。
首でも心臓でもない。
狙いは――手。
正義の眉が動く。
「……そこか」
踏み込み、回避。
風が頬をかすめる。
だが剣は止まらない。
すぐに角度を変える。
追う。
執拗に。
手首。
指先。
まるで――
“握らせるため”に動いているような軌道。
正義は一歩下がる。
もう一度、剣が跳ねる。
「……違うな」
小さく呟く。
「呪いじゃない」
剣が空中で止まる。
笑うように揺れた。
「やっと気づいたか」
正義の目が細くなる。
剣は、ゆっくりと角度を変える。
今度は真正面。
しかし狙いは同じ。
手。
「お前を殺すつもりはねぇ」
剣が言う。
「握らせるだけだ」
沈黙。
風が止む。
「それで終わりだ」
正義は剣を見たまま動かない。
一歩下がる。
剣が、また追う。
速い。
だが――
狙いは変わらない。
手。
指先。
逃げても、必ずそこへ戻ってくる軌道。
「……しつこいな」
正義が呟く。
剣が笑うように揺れる。
「逃げられねぇようにしてんだよ」
次の瞬間。
剣が踏み込んだように加速した。
空気が裂ける。
避ける。
だが――
完全には外れない。
かすかに、指先を掠める。
熱。
痛み。
そして――
剣が、止まる。
正義の目の前。
ほんの数センチ。
「もう終わりにしろ」
剣が言う。
「握れ」
一拍。
風が止まる。
村の音が消える。
正義は、ゆっくりと剣を見る。
沈黙。
そして――
手を伸ばす。
指が、剣に触れた。
瞬間。
空気が、変わる。
正義の視界が揺れた。
音が消える。
風も消える。
ただ――
“何か”だけが、流れ込んでくる。
剣の声。
いや、声というより圧。
「……来い」
「俺に従え」
意識の奥に直接響く。
押し潰すような感覚。
視界が黒く染まりかける。
正義の腕が、わずかに動く。
剣を握ったまま、引かれるように。
その時――
正義の口が動いた。
「……バカが」
短く。
それだけ。
次の瞬間。
空気が裂けるように変わる。
剣の“圧”が止まる。
ほんの一瞬。
確かに、揺らぐ。
正義の中に流れ込んでいたものが、逆流する。
「お前の思考は単純すぎる」
その瞬間。
逆流。
剣へ。
正義の“意志”がそのまま流れ込む。
「……何だこれは」
正義の中から、逆流が走る。
押し返した“意志”。
その先に――
流れ込むものがあった。
断片。
声。
記憶。
死んだはずのものたちの“残響”。
剣に斬られてきた勇者たちの感情。
恨み。
恐怖。
後悔。
「……なんだ、これ」
剣が、震えた。
「……っ」
初めて、明確な“ひび”のような音。
カン……
乾いた亀裂音。
剣の表面に、細い線が走る。
空気が止まる。
正義は剣を見たまま動かない。
流れは止まらない。
まだ続く。
恨み。
叫び。
届かなかった言葉。
それらすべてが、“一つの方向”を持って流れ込む。
――剣へ。
「……お前」
剣の声が、かすかに揺れる。
余裕が消える。
カン……
もう一度、乾いた音。
剣の表面に走ったヒビが、さらに広がる。
空中で揺れる剣。
先ほどまでの余裕は、もうない。
「……おい」
剣の声が、初めて乱れる。
「待て」
正義は動かない。
視線だけを向ける。
剣が、わずかに震える。
「これ以上は……やめろ」
一拍。
その声は、先ほどまでの“支配”とは違っていた。
焦り。
歪み。
「俺はまだ……」
言葉が詰まる。
「まだ終わる器じゃねぇ」
カン。
ヒビがもう一つ増える。
剣の呼吸のような揺れが乱れる。
「ふざけんなよ……」
低く、掠れた声。
「こんなとこで……折れるわけねぇだろ……」
正義は剣を見る。
静かに。
「折れる?」
一拍。
「もう折れてるだろ」
正義は剣に冷たく言う。
「罪は世界を選ばねえ」
剣が止まる。
カン……と乾いた音。
次の瞬間、ヒビが一気に広がった。
「……っ」
剣の声が途切れる。
そして――
剣は崩れた。
砕けるのではなく、光の粒になって空中に散る。
残ったのは、ただの柄だけだった。
午前十時。
会議室。
取引先も含めた打ち合わせが始まる。
正義は資料を確認するだけ。
今回は主に、説明役は鈴木だった。
「では、こちらの改善案ですが」
鈴木が前に出る。
淡々とした説明。
数字と工程だけで話が進む。
無駄がない。
「なるほど、その流れなら問題なさそうですね」
会議はそのままスムーズにまとまった。
大きな引っかかりもなく終了する。
会議後。
取引先が出て行ったあと。
上司が満足そうに言う。
「ほらね」
「やっぱり鈴木さんが全部仕切ってたでしょ」
正義は軽くうなずく。
「そうですね」
少しだけ間を置いて。
苦笑いする。
上司は少し得意げに笑う。
「見えないところで回してる人が一番強いのよ」
最近知りましたが、結構勇者アンチ物ってあるんですね。




