【14話】国王の勇者(後編)
1話分が長いので分けました
王都。
王宮。
石壁。
高い柱。
静かな回廊。
その影。
三つの気配。
正義。
琥珀。
男。
物陰に身を潜める。
琥珀が小さく息を吐く。
「……ねえ」
声を潜める。
「さっきの人たちも……」
男が壁にもたれる。
「ああ」
正義は前を見たまま。
「恐らく、城の全員」
沈黙。
琥珀がちらりと見る。
「……そういえばさ」
小声。
「名前、聞いてないんだけど」
男が一瞬だけ視線を向ける。
そして、軽く笑う。
「今さらかよ」
肩をすくめる。
「竜美だ」
短く。
それだけ。
琥珀が少しだけ驚く。
「りゅうび……?」
男――竜美は前を見たまま言う。
「“りゅうび”じゃねえ」
「たつみだ!」
軽い口調。
だが、その指は弦に触れたまま。
いつでも鳴らせる位置。
正義は何も言わない。
ただ一歩、前へ出る。
「行くぞ」
高い門。
分厚い鉄。
左右に門番。
動かない。
だが、確実にこちらを見ている。
琥珀が小さく息を吐く。
「……さすがに、ここは止められるよね」
男――竜美が肩をすくめる。
「まあな」
軽く言う。
「で?」
視線を琥珀に向ける。
「お前の出番か?」
琥珀は一瞬だけ黙る。
そして――
ポケットから、小さなマイクを取り出す。
黒い機材。
手のひらサイズ。
琥珀がマイクを口元に当てる。
一拍。
静寂。
そして――
「……っ」
声にならない息。
次の瞬間。
――低い振動音。
耳では捉えきれない、重い波。
空気が歪む。
足元の砂が、わずかに跳ねる。
門番の表情が変わる。
眉が歪む。
「な……っ」
言葉にならない。
そのまま――
視界が揺れる。
膝が崩れる。
ドサッ。
もう一人も同じ。
音もなく、落ちる。
完全に。
琥珀がゆっくりマイクを下ろす。
小さく息を吐く。
「……効いた」
竜美が目を細める。
「今の……聞こえなかったな」
琥珀が肩で息をする。
「可聴域、外してるから」
短く言う。
「鼓膜じゃなくて、直接揺らすの」
竜美が小さく笑う。
「えげつねえな」
門を抜ける。
内部。
石の通路。
長い廊下。
奥へと続く、一直線。
足音が響く。
三人。
無言。
――その時。
角の先。
気配。
複数。
正義が足を止める。
「来る」
短く。
次の瞬間――
騎士が現れる。
三人。
鎧。
剣。
こちらを見る。
「侵入者――」
言い切る前に。
竜美が一歩、前に出る。
ギターを前に構える。
指が弦に触れる。
一瞬の静止。
そして――
弾く。
ジャッ――
鋭い一音。
空気が裂ける。
だが、それだけじゃない。
弦が“伸びる”。
目に見えないほど細く。
しかし確かにそこにある。
一瞬で。
騎士の腕に絡む。
脚に絡む。
首元をかすめる。
「なっ――」
反応する前に。
竜美の指が、軽く引く。
ピンッ――
張る。
次の瞬間。
騎士たちの動きが止まる。
完全に。
拘束。
見えない糸に吊られたように。
一歩も動けない。
剣が落ちる。
カラン。
琥珀が目を見開く。
「……なにそれ」
竜美は視線も向けない。
指先で弦を操る。
「ただの弦だ」
軽く言う。
だが、その張りは鋼のよう。
騎士がもがく。
だが――
食い込む。
動くほど締まる。
竜美がもう一度、弾く。
ポロン。
低い音。
その瞬間――
騎士たちの意識が落ちる。
力が抜ける。
ぶら下がるように、沈黙。
完全に無力化。
竜美が指を離す。
弦が戻る。
何もなかったかのように。
騎士たちはその場に崩れる。
ドサッ。
静寂。
琥珀が小さく呟く。
「……えぐ」
竜美が肩をすくめる。
「殺してねえだけ優しいだろ」
正義が歩き出す。
「行くぞ」
止まらない。
奥へ。
王室へと続く廊下。
三人の足音だけが、響く。
廊下の奥、突き当たりに巨大な扉が立ちはだかる。
重厚な装飾と静寂が空間を支配していた。
三人はその前で足を止める。
琥珀が小さく息を整える。
「……この先だね」
竜美は壁にもたれ、ギターに指を置いたまま低く言う。
「空気、違うな」
正義は何も答えず扉を見つめる。数秒、
動かない。
ただ呼吸だけがある。やがてポケットに手を入れ、指輪に触れた。ほんの一瞬、目を閉じる。
そして開く。
「行くぞ」
短く告げ、扉に手をかける。
重い音とともに扉が開く。
広がる玉座の間。
赤い絨毯、高い天井、並ぶ柱。その奥に王。そして隣には、細身で鋭い目をした老人。
前には騎士が五人、剣を構えている。
王が口を開く。
「ようこそ――」
言い切る前に、正義が動いた。
消えたように見えた次の瞬間、すでに一人目の懐に入り込んでいる。
「な――」
反応は遅い。音もなく首筋を断たれ、騎士は崩れ落ちる。
止まらない。
横へ滑るように移動し、振り下ろされる剣の内側へ潜り込む。肘を叩き込み、骨の軋む音とともに剣が落ちる。そのまま喉元へ―。
三人目は振り向く前に背後を取られる。刃が沈み、声にならない息が漏れる。
四人目が叫ぶ。
「敵――」
だが、その声は途中で断ち切られる。一閃。血が遅れて噴き出す。
最後の一人が後退する。
恐怖に歪む顔。それでも剣を振り上げるが――届かない。
正義は一歩踏み込むだけで距離を消し、その前にすべてを終わらせた。
静寂。
わずか数秒。床には五つの身体が転がり、血の匂いだけが広がる。
琥珀が息を呑む。
「……はや」
竜美が小さく笑う。
「やっぱ、八丁堀が一番怖えな」
正義は振り向かない。ただ前を見る。
王。
そして側近の老人。
老人の目が細められる。興味と警戒が入り混じる視線。
王の顔から笑みが消えた。
完全に。
正義が一歩進む。
「対象確認。これより排除する」
王の顔が歪む。
「ま、待て――」
その時。
隣にいた老人が、わずかに動く。
一歩。
後ろへ。
誰にも気づかれないほどの、小さな動き。
だが――
竜美の目だけが、それを捉える。
「……逃げる気か」
小さく呟く。
老人は何も言わない。
ただ、静かに距離を取る。
そして――
踵を返す。
走る。
速い。
年齢を感じさせない動き。
脇の扉へ。
琥珀が反応する。
「待って!」
マイクを構える。
だが――
竜美が手で制する。
「いい」
短く。
一歩、前へ出る。
視線は、逃げる老人へ。
「そっちは俺が行く」
軽く言う。
だが、その目は笑っていない。
正義は振り向かない。
止めない。
ただ一言。
「任せた」
それだけ。
竜美が笑う。
「言われなくてもな」
次の瞬間――
床を蹴る。
一気に加速。
扉へ。
老人の背中が消える、その直前。
竜美も、同じ扉へ飛び込む。
バタン――!
扉が閉まる。
静寂。
玉座の間に残るのは――
正義と琥珀。
そして、王。
琥珀が小さく呟く。
「……二手に分かれたね」
正義は、王から目を逸らさない。
「問題ない」
一歩、前へ。
「対象は、目の前だ」
王の喉が鳴る。
恐怖。
完全に。
逃げ場は、ない。
――王宮・隠し通路。
壁の一部が閉じる。
石が噛み合う音。
完全な密室。
薄暗い空間。
老人――側近が、壁にもたれる。
肩で息をする。
「……はぁ……はぁ……」
沈黙。
やがて、小さく笑う。
「……愚かだ」
誰もいない空間に、声が落ちる。
「あと少し……」
視線が宙を泳ぐ。
「あと少しで、完成していた」
拳を握る。
震える指。
「王の力なら……」
歪んだ笑み。
「国民すべてを……意のままに操れた」
静寂。
その時――
ピン……
微かな音。
老人の表情が止まる。
「……?」
首元。
違和感。
見えない何かが、触れている。
次の瞬間。
締まる。
「――っ!?」
一気に引き上げられる。
足が浮く。
空中。
首に食い込む“弦”。
見えない糸。
だが確かに存在する。
両手で掴む。
外せない。
食い込む。
呼吸が潰れる。
「が……っ……!」
足がもがく。
床を探す。
届かない。
空気が入らない。
視界が揺れる。
その奥。
闇の中。
足音。
一歩。
また一歩。
現れる影。
竜美。
ギターを肩にかけたまま。
無表情。
指先が、わずかに動く。
弦が軋む。
ピン、と張る音。
老人の身体が、さらに持ち上がる。
完全に吊られる。
「……残念だな」
低く。
静かな声。
「完成する前に終わりだ」
老人の目が見開かれる。
何か言おうとする。
だが――
声にならない。
竜美がポケットから、ピックを取り出す。
指に挟む。
一瞬。
静止。
そして――
弦を弾く。
ジャッ――
鋭い音。
同時に。
弦が震える。
首に食い込む。
一気に、深く。
――音が、止まる。
身体の力が抜ける。
揺れる。
ゆっくりと。
完全に。
動かない。
沈黙。
竜美はしばらく見上げる。
確認。
そして――
弦を緩める。
身体が落ちる。
ドサッ。
音が響く。
それだけ。
竜美は背を向ける。
歩き出す。
何もなかったかのように。
暗闇に、足音だけが残る。
玉座の間。
静寂。
王と、正義と、琥珀。
三人だけ。
王の目が、ゆっくりと細められる。
「……なるほど」
低く、呟く。
「騎士を一瞬で排除するとは」
視線が動く。
正義へ。
そして――
琥珀へ。
「だが」
一歩、前へ。
「意味はない」
その瞬間。
王が、二人を“見る”。
視線が、合う。
一瞬。
空気が、重くなる。
押し込まれるような感覚。
思考に。
意識に。
琥珀の身体が止まる。
「……え」
小さく漏れる声。
目が、逸らせない。
吸い込まれる。
王の瞳に。
「……動け、ない……」
指先が震える。
だが、それ以上は動かない。
完全に、縛られる。
王が微笑む。
「そうだ」
静かに。
「抗うな」
一歩、近づく。
「楽になれ」
琥珀の瞳から、光が消えていく。
焦点が、固定される。
呼吸だけが残る。
操られる直前。
その時――
王の視線が、正義へ向く。
「次は、お前だ」
目が合う。
真正面。
数秒。
沈黙。
だが――
何も起きない。
王の表情が止まる。
「……なぜだ」
わずかに、後ずさる。
「なぜ、効かない」
正義は、ただ見ている。
瞬き一つしない。
「耐性があるのか……?」
違う。
正義が一歩、前へ出る。
「対象の能力、確認」
淡々と。
「精神干渉型」
王の顔が歪む。
「……ならば!」
声を荒げる。
「なおさら従え!」
圧が強まる。
見えない力が、押し寄せる。
空気が軋む。
床が、わずかに震える。
琥珀の身体が、さらに固まる。
だが――
正義は動く。
止まらない。
一歩。
また一歩。
王の瞳を見たまま、進む。
王の声が揺れる。
「やめろ……来るな……!」
距離が詰まる。
恐怖が、顔に出る。
完全に。
正義が、目の前に立つ。
手が動く。
一瞬。
正義の手が、王の喉元で止まる。
あと一瞬で終わる距離。
王の瞳が揺れる。
完全な恐怖。
「ま、待て……!」
声が震える。
「頼む……話を……聞いてくれ……!」
正義は動かない。
ただ見ている。
王が言葉を吐き出す。
必死に。
「俺は……元は、この世界の人間じゃない……!」
息が乱れる。
「前の世界では……議員だった……」
琥珀の身体が、わずかに反応する。
だが、動けない。
王は続ける。
「国を……変えたかった……!」
声が震える。
「腐った仕組みを……壊したかった……!」
拳を握る。
「でも……無理だった……!」
歯を食いしばる。
「誰も動かない……誰もついてこない……!」
「正しいことを言っても……支持は得られない……!」
沈黙。
そして――
力が抜ける。
「……だから、願ったんだ」
かすれた声。
「やり直したいって……」
視線が揺れる。
「そしたら……ここにいた」
小さく笑う。
乾いた笑い。
「そして……この力だ」
目を見開く。
「見ればいいだけで……人は従う」
震える声。
「ようやく……思い通りにできると思った」
一歩、後ずさる。
だが、逃げ場はない。
「争いは消えた……」
「誰も逆らわない……」
「完璧な国だった……!」
だが――
声が、崩れる。
「……でも」
目が揺れる。
「それでも……怖かった」
小さく。
「誰も“自分の意思”で動いてないって……」
沈黙。
王が顔を上げる。
正義を見る。
「……分かるだろ?」
縋るように。
「正しいことをやろうとして……否定される苦しさ……!」
「だったら……こうするしかなかったんだ……!」
声が響く。
必死に。
「俺は……間違ってない……!」
「これは……救いなんだ……!」
静寂。
正義は、しばらく何も言わない。
ただ見ている。
そして――
ゆっくりと口を開く。
「多数の意見ではなく」
短く。
「正しい意見に従うべきだ」
一拍。
王の目が揺れる。
正義が続ける。
「だが」
静かに。
「それは、“奪っていい理由”にはならない」
王の呼吸が止まる。
「……違う……」
かすれる声。
だが――
言葉は続かない。
正義の手が、動く。
今度は止まらない。
「罪は世界を選ばねえ。」
迷いはない。
一瞬。
それだけ。
――終わる。
王の身体が崩れる。
力が抜ける。
床に沈む。
音は、小さい。
静寂。
その瞬間――
空気が、変わる。
見えない圧が消える。
張り詰めていた何かが、ほどける。
琥珀の瞳が揺れる。
「……あ」
膝が崩れる。
その場に座り込む。
荒い呼吸。
「はぁ……っ……」
手が震える。
自分の身体を見下ろす。
「……動く」
かすれた声。
現実に戻る。
正義は、何も言わない。
ただ、王を一瞥する。
任務完了。
それだけ。
その時――
背後。
扉が開く音。
ギィ……
足音。
ゆっくりと。
振り向く。
竜美が立っている。
ギターを肩にかけたまま。
表情は変わらない。
琥珀が顔を上げる。
「……そっち、は?」
竜美は短く答える。
「終わりだ」
それだけ。
沈黙。
三人の間に、わずかな静けさが落ちる。
血の匂い。
倒れた王。
そして――
元に戻り始める世界。
正義が背を向ける。
「帰るぞ」
短く。
歩き出す。
琥珀がゆっくり立ち上がる。
竜美も続く。
誰も振り返らない。
王宮を後にする。
任務は、終わった。
王宮の外。
夕方。
空が赤く染まっている。
三人が歩く。
しばらく、無言。
琥珀は少し後ろ。
正義と竜美が並ぶ。
足音だけが続く。
その時。
正義がポケットに手を入れる。
指輪を取り出す。
血は、もう乾いている。
一瞬。
それを見る。
そして――
竜美に差し出す。
「持っていけ」
短く。
竜美が視線を落とす。
「……あ?」
少しだけ眉を動かす。
正義は続ける。
「依頼主のものだ」
それだけ。
竜美は受け取らない。
しばらく、見る。
「お前が持っとけよ」
軽く言う。
「そういうの、柄だろ」
正義は首を振る。
「必要ない」
一拍。
そして、少しだけ言葉を足す。
「好きに使え」
竜美の目が細くなる。
「……は?」
正義は前を見たまま。
「音楽だけじゃ、食えないだろ」
淡々と。
竜美が小さく笑う。
「余計なお世話だ」
だが――
手が伸びる。
指輪を取る。
重さを確かめるように、指で転がす。
沈黙。
「……まあ」
ポケットに入れる。
「ありがたくもらっとく」
その時。
琥珀が、ふと思い出したように口を開く。
「……ねえ」
少し前を歩く竜美に向けて。
「さっきさ」
一拍。
「なんで“八丁堀”って呼んだの?」
足音が一瞬だけ揃う。
竜美は歩みを止めない。
だが、少しだけ口元が緩む。
「ああ、あれか」
軽く言う。
「別に大した話じゃねえ」
視線は前のまま。
「そいつのご先祖様がな」
顎で正義を指す。
「昔、“八丁堀”って呼ばれてたらしい」
琥珀が目を瞬く。
「え……正義の?」
竜美が頷く。
「裏で人を始末する連中の一人だ」
あっさりと言う。
「つまり――同業者ってことだな」
短く。
それだけ。
琥珀が正義を見る。
少しだけ表情が変わる。
「……そうなんだ」
正義は何も言わない。
ただ前を見て歩く。
否定も、肯定もない。
それが答え。
竜美が小さく笑う。
「だから、つい呼んじまった」
肩をすくめる。
「血は誤魔化せねえってな」
夕焼けが、三人を包む。
長く伸びる影。
重ならない。
それでも――
同じ方向へ進んでいる。
――翌日。
午前九時。
営業部。
蛍光灯。
キーボードの音。
紙をめくる音。
いつも通りの朝。
正義は、席に座っている。
画面を見る。
数字。
資料。
昨日の書類。
まだ、山のように残っている。
手は止まらない。
入力を続ける。
その時。
「正義くん」
顔を上げる。
上司が立っている。
同じ笑顔。
同じ書類。
「昨日の件、どう?」
軽く言う。
正義は一瞬だけ視線を落とす。
量を測る。
「……終わりそうもありません」
淡々と答える。
上司は少しだけ考える。
そして――
振り向く。
「みんな」
声を上げる。
周囲が顔を上げる。
「手が空いてる人、これ手伝ってあげて」
一瞬の間。
だが――
誰も逆らわない。
「了解です」
「やります」
自然に動き出す。
資料が運ばれる。
椅子が引かれる。
キーボードの音が増える。
空気が変わる。
上司が言う。
「上の命令は絶対だけどさ」
軽く笑う。
「終わらせることが一番大事だからね」
それだけ。
正義は何も言わない。
ただ、再び画面に向き直る。
指が動く。
規則正しく。
昨日と同じように。
だが――
少しだけ、違う。
周囲にも、人がいる。
同じ作業をする仲間がいる。
音が重なる。
仕事が進む。
静かに。
確実に。
正義は、画面を見る。
何も言わない。
ただ、続ける。
――
いつも通りの朝。
それでも。
確かに、何かは変わっている。
八丁堀ってギリセーフですよね?




