第36話 辿る
冬が明けてから、俺は、自分の来た道を逆に辿ってみることにした。
きっかけは、薬師の老人の言葉だった。
------そいつらが、何も聞かずに変な注文を通してくれてると思うか。
あの夜、俺は天井を見上げたまま、その言葉を頭に入れた。入れて、そのまま半年放っておいた。忙しかったからだ。患者が来る。切る。縫う。数える。それだけで日が過ぎた。
だが、放っておくべきではなかった。
自分の足元が、自分の思っている通りかどうかを確かめないのは、怠慢だ。前の世界でも、そうだった。器具が滅菌されていると信じて使う者は、いつか、されていない器具を使う。確かめる者だけが、確かめずに済む。
俺は、自分の道具の出所を自分の交渉の成果だと、信じ込んでいた。信じ込むことは、確かめないことだ。確かめずに済ませていたのは、俺のほうだった。
俺は、自分の持ち物を床に並べた。
四本の刃物。糸と針。細口の管。青い包み。乾いた薬草が六種。小さな蒸留器。鞴。そして、獣脂の灯りを収める、金属の枠。
一つずつ、どこから来たかを思い出した。
刃物は、下水口の外れの鍛冶だ。鍋と鎌を直して食っている男。俺は三度打ち直させ、四度目に折れない鉄を使わせた。
------折れない鉄。
俺は、そこで手を止めた。
あの男は、こう言った。「あるにはある。高い」と。
鍋と鎌を直す男が、なぜ、折れない鉄を持っている。
持っていたのではない。取り寄せたのだ。取り寄せられる先をあの男は知っていた。
俺は、次に蒸留器を見た。
これは、薬師の老人から借りた。借りたが、老人の工房にあったものではない。老人は「使わなくなったのがある」と言って、三日後に持ってきた。
三日。
どこから、三日で。
ガラスの器は高い。この街で作れるのは、坂の上の工房だけのはずだ。それが三日で下水口に届く経路が、あるということになる。
金属の枠は、中層の錠前屋に作らせた。あれも、俺が図を描いて渡したものを文句一つ言わずに作った。灯りの光を一方向に集める枠だ。何に使うのかを訊かれなかった。
訊かれなかったことが、おかしい。
見たこともない形の枠を注文されて、職人が用途を訊かないはずがない。訊かなかったということは、訊く必要がなかったということだ。
------先に聞いていた。
細口の管は、坂の下のガラス吹きだ。
ガラス吹き。
------下水口にガラス吹きがいるはずがない。
ガラスは、坂の上のものだ。教会の窓に嵌まっていた、あの透明な板。あれを作る技術を持つ職人が、なぜ、下水口の外れで、俺の注文する細い管を吹いている。
俺は、床に並べたものをしばらく眺めていた。
そして、外套を掴んだ。
鍛冶の男は、俺の顔を見て、鼻を鳴らした。
「また変なもんを注文しに来たか」
「今日は、違う」
「なんだ」
「あの折れない鉄」
男の手が、止まった。
「どこから取り寄せた」
「…知ってどうする」
「ただ、知りたい」
男は、しばらく俺を見ていた。
それから、鞴に手をかけて、火を熾し始めた。話を打ち切る仕草だ。
俺は、動かなかった。
炉が赤くなるまで、待った。男は、俺が帰るのを待っている。俺は、男が諦めるのを待っている。どちらが先に折れるかの、単純な勝負だった。
半刻ほどして、男が舌打ちをした。
「おっさん」
「なんだ」
「俺は、あんたに何回も、打ち直させた。面倒だっただろ」
「面倒だったな」
「あのとき、俺は、十二だった。金も、たいしてもってなかった」
「持ってなかったな」
「なんで、やった」
「銭をもらったからだ」
「それだけか」
男の手が、また止まった。
炉の火が、赤く揺れていた。
「…ガキが、人を助ける刃物を打ってくれと言ってきた」
男は、火を見たまま言った。
「そんな注文は、初めてだった」
「初めて?」
「刃物を打ってくれ、と言ってくる人間は、いくらでもいる。だが、そいつらが何に使うかは、大体決まっとる」
男は、鉄を挟んで、炉から出した。
「人を切るためだ。誰も、隠さん。隠す必要がないからな」
赤い鉄が、暗い工房の中で光っていた。
「お前は、逆のことを言った」
「......」
「だから、通した」
「通した?」
「上に訊いた」
------上。
その言葉を、俺は聞き逃さなかった。
「上って、なんだ」
「鉄を回してくれる筋だ」
「じいさんか」
男が、俺を見た。
その目にわずかな驚きがあった。
「…薬師のじいさんを知ってるのか」
「薬を買ってる」
「ふん。ならもう、半分は知ってるようなもんだ」
男は、そう言って、また火に向き直った。
「わしは何も知らん。鉄を回してくれる相手がいて、そいつが『通していい』と言った。それだけだ」
「そいつは、だれだ」
「知らん」
「嘘だろ」
「本当だ」
男は、鉄を炉に入れた。
「顔を見たことがない。文で来る。文で返す。届けるのは、別の人間だ」
俺は、その説明を頭の中に置いた。
顔を見ない。文でやり取りする。運ぶ者は別。
------それは、隠れている者のやり方だ。
しかも、よくできている。誰か一人が捕まっても、他が芋づるにならない。届ける者は中身を知らず、注文する者は相手を知らない。
前の世界にも、似た形はあった。禁じられた本を回す者たち。取り締まられる思想を持つ者たち。彼らはいつも、同じ形に行き着く。
「おっさん」
「もう帰れ」
「一つだけ」
俺は、言った。
「あんたが、その上のやつに、俺のことをどう伝えた」
男は、答えなかった。
長い沈黙の後で、こう言った。
「…『下水口の子医者が、人を切る刃を打ってくれと言ってきた』と書いた」
「返事は」
「一行だった」
男は、鉄を叩き始めた。
金属を打つ音が、工房に響いた。
その音の合間に男は言った。
「『打ってやれ。銭は取れ』」
俺は、その一行を頭の中で繰り返した。
打ってやれ。銭は取れ。
------助けるが、施しはするな。
そういう意味だ。
銭を取れというのは、こちらの側に立ちすぎるな、ということでもある。取引の関係にしておけば、いざという時に切れる。互いのために。
「おっさん」
「まだいたのか」
「ありがとう」
男の手が、一瞬止まった。
それから、また、鉄を叩き始めた。
「銭はもらった」
俺は、そこから、順に回った。
錠前屋。ガラス吹き。薬草を運ぶ男。
全員が、同じことを言った。
顔を見たことがない。文で来る。通していい、と言われた。だから通した。
そして、全員が、薬師の老人を知っていた。
ガラス吹きだけが、一つ、余計なことを言った。
「坊主。あんた、いつかでかくなるらしいぞ」
「だれが、そう言った」
「文にそう書いてあった」
俺は、その言葉をしばらく噛んだ。
俺のことを、俺の知らないところで、誰かが値踏みしている。
それは、必ずしも心地よくはなかった。
俺は、最後にその工房の前に立った。
煙の匂いがした。乾いた草と、樹脂と、何かが焦げた匂い。
九つの春に初めてここへ来た。あれから、七年になる。
俺は、戸を叩いた。




