第32話 組む
俺たちは、組むことにした。
正式な話し合いをしたわけではない。ただ、リィシャが週に三日、宿の裏に来るようになった。それだけだ。
「教会は、いいのか」
「雑務は、朝のうちに終わらせます」
「外の仕事は」
「それは、続けます。それも、私の仕事なので」
リィシャは、二足の草鞋のままだった。
教会の雑務と、外での癒し。それに加えて、俺のところ。三足だ。
「あんた、いつ寝てる」
「寝ています」
「隈が、濃くなった」
「......」
俺は、それ以上言わなかった。
言えた立場ではない。俺自身、夜は帳面をつけ、暗闇で肉を切っている。
組み方は少しずつ決まっていった。
俺が切る。彼女が保たせる。
それだけでは足りないと、すぐにわかった。
最初の共同作業は、傭兵の脇腹の傷だった。深い。指三本。内臓には届いていないが、筋肉が深く裂けて、出血が止まらない。
「リィシャ。ここに」
「はい」
彼女が、光を流す。傷の周りだけに。
男の顔から、緊張が抜けた。
「…痛く、ねえ」
「動くなよ」
俺は言った。
「痛くなくても、切ってる」
俺は、傷の奥を洗い、出血源を探した。
------見えない。
血が、視界を邪魔する。
「リィシャ。血が、邪魔だ」
「拭きます」
彼女が布を取ろうとした。
「違う。拭くと、また、出る。止めて欲しい」
「…止める?」
「血が、出てくるところに光をあてられるか。塞ぐんじゃない。ゆるく、あてて、出方を弱くする」
リィシャは、戸惑った顔をした。
「やってみます」
彼女が、傷の底に光を向けた。
------弱まった。
完全には止まらない。だが、湧く勢いが、明らかに落ちた。
「そのままだ」
俺は、その隙に出血源を見つけ、糸で縛った。
三つ。全部縛った。
「もういい。光を上にもどせ」
「はい」
俺は、深部から順に縫い、最後に皮膚を閉じた。
半刻もかからなかった。
男は、起き上がって、自分の腹を見た。
「…なんだこりゃ。痛くもなんともなかったぞ」
「金は、銅貨で三十だ」
「高え!」
「二人ぶんだ」
男は、渋々払った。
俺は、そのうちの半分を、リィシャに渡した。
「…いりません」
「うけとれ」
「私は、癒しの対価を取らない決まりで」
「これは、祈りの対価じゃない」
俺は、言った。
「仕事の、対価だ」
リィシャは、しばらく銅貨を見つめてから、受け取った。
そこから、二人での症例が増えた。
俺の速度が、上がった。
痛みで暴れる患者を押さえる必要がない。押さえる人手が要らない。急がなくていい。丁寧にやれる。
丁寧にやれば、結果が良くなる。
帳面にその差が出始めた。
同じような傷で、麻酔ありとなしを比べると、後の膿み方が違う。麻酔なしで急いだ処置は、洗い残しが出る。麻酔ありなら、時間をかけて全部取れる。
「リィシャ。これ、見ろ」
俺は、帳面を見せた。
「読めないですが」
「読んでやる。ここ。あんたが来てから、膿が減ってる」
彼女が、身を乗り出した。
「本当ですか」
「数がまだ少ない。断言は、できない。でも減っている」
「…それは、私の癒しの効果でしょうか」
「違うと思う」
俺は、首を振った。
「時間をかけられるようになったからだ。急がなくていいから、全部洗える」
リィシャが、しばらく考えた。
「では、私は、癒していない?」
「治してない」
俺は、はっきり言った。
「あんたは、保たせてる。治してるのは、そのあいだに、俺がやったことと、患者のからだだ」
彼女の顔に複雑な色が浮かんだ。
「…それでも、いいのですか」
「いいも、わるいもない。それが、事実だ」
俺は、帳面を閉じた。
「でも、あんたが、保たせなかったら、俺は何もできない」
「......」
「あんたは、治してない。でも、助けてる」
リィシャは、その言葉を長いこと噛んでいた。
「クレイ」
ある夜、彼女が言った。
「教会の記録を見てきました」
俺は、顔を上げた。
「他の候補のか」
「はい」
彼女は、写した紙を出した。
「五年分です。候補が癒した記録と、癒せなかった記録」
俺は、それを受け取った。
「読めないな」
「読みます」
三日かけて、書き写した。
そして、並べた。
------同じだった。
どの候補も、指二本より深い傷は、ほとんど癒せていない。
古い傷も、癒せていない。
例外は、二人。
「この二人、だれだ」
「…エルミナ様と」
リィシャが、そこで止まった。
紙を繰る手が、止まっている。
「どうした」
「…名前が、ありません」
「ない?」
「ここです」
彼女が、紙の一箇所を指した。
俺は、覗き込んだ。読めない書体だが、行の形はわかる。他の行と同じように日付があり、傷の記述があり、結果がある。
名前の欄だけが、空いていた。
「書き忘れか」
「教会の記録で、そんなことは起きません」
リィシャの声が、硬くなった。
「写しは、二人で照合します。抜けがあれば、必ず直されます」
「じゃあ」
「…消されたのだと思います」
俺は、その行をもう一度見た。
日付は、四年前。
傷の記述が、いくつも並んでいる。深い傷。古い傷。エルミナという候補ですら、記録の上では二度しか癒せていない類のもの。
それをこの名無しは、七度癒している。
「リィシャ」
「はい」
「これ、四年前だ」
「…はい」
「あんた、そのころ、なにしてた」
「候補でした。外に出始めた頃です」
「じゃあ、同じときにいたはずだ」
リィシャの顔から、血の気が引いていた。
「この名前のないやつ。誰か、わかるか」
彼女は、答えなかった。
紙を見つめたまま、動かなかった。
「リィシャ」
「…わかりません」
「知らないのか」
「知りません」
彼女は、そう言った。
「候補は、多い時でも十人ほどです。全員、顔も名前も知っています。四年前にいた候補も、全部言えます」
「じゃあ」
「この記録の人は、その中にいません」
物置が、静かになった。
灯りが、揺れていた。
俺は、その空白の欄を長いこと見ていた。
------名前を消された候補が、いる。
しかも、リィシャの記憶からも、消えている。
エルミナより優れた成績を残しながら、記録から名前を抜かれ、同じ場所にいた人間にすら覚えられていない。
「リィシャ」
「はい」
「これ、写したのは、あんたか」
「いえ。私が写しの仕事から外される前に綴じてあったものです」
「もとの、記録は」
「聖堂の書庫にあります」
「見られるか」
彼女は、しばらく黙ってから、首を振った。
「…書庫は、許しがないと入れません。私は、もう」
外された、と彼女は言わなかった。
言う必要が、なかった。
俺は、その空白の行を自分の帳面に書き写した。
日付。傷の記述。結果。名前の欄は、空けたまま。
書きながら、思っていた。
------消したということは、消す理由があったということだ。
失敗を消すなら、わかる。都合の悪い死を消すなら、わかる。
だが、これは成功の記録だ。エルミナより優れた成績が、そこにある。
優れた成績のほうを消した。
失敗を消すなら、わかる。都合の悪い死を消すなら、わかる。だが、これは、成功の記録だ。エルミナより優れた成績を名前ごと、抜いた。
消す理由が、成功の側にある。それは、この候補が、優れていたこと自体が、都合が悪かった、ということだ。誰にとって、都合が悪かったのか。その問いを、俺は、帳面の隅に書いた。
なぜだ。
俺は、その問いを帳面の隅に書いた。
答えは、まだない。
だが、この空白は、いつか使う。
「エルミナ、ってのは」
話を戻した。
「今の、聖女様です」
俺は、その名を帳面に書いた。
「この人は、深い傷も治してる」
「はい」
「数、多いな」
「聖女様は、別格です」
リィシャは、そう言った。
その言い方に複雑なものが混じっていた。
「知り合い、か」
彼女は、少し黙ってから、答えた。
「同じ年に選ばれました」
「同じ年」
「六つの時に一緒に教会へ入りました。十一まで、同じ部屋で育ちました」
俺は、彼女の顔を見た。
「そして、外れた」
「はい」
「相手が、エルミナは、聖女になった」
「はい」
リィシャは、俺を見なかった。
俺は、それ以上、訊かなかった。
代わりに記録を見た。
エルミナという候補の記録は、確かに飛び抜けていた。深い傷も癒している。数も多い。
------本物だ。
この人物は、本当に力がある。それは、記録が示している。
だが、と俺は思った。
この記録には、割り当ての情報がない。
誰が、どの患者を割り当てられたか。それが書いていない。
もし、割り当てが順不同なら------実力の差だ。
もし、割り当てに偏りがあったなら------別の話になる。
「リィシャ」
「はい」
「患者の割り当ては、どうやって、決めてた」
彼女が、顔を上げた。
その顔から、血の気が引いていた。
「…順番です」
「順番」
「並んだ順に、その日出ている候補が、順に受け持ちます」
「じゃあ、たまたまだな」
「…はい」
俺は、記録を見下ろした。
たまたま深い傷が回ってきた候補は、成績が落ちる。
たまたま浅い傷ばかりだった候補は、成績が上がる。
そして、成績で、聖女が決まる。
「リィシャ」
「はい」
「これはまだ、なんの証明にも、ならない」
俺は、そう言った。
「数が、足りない。五年分じゃ、足りない。それに割り当ての記録がない。誰が、どの傷を受け持ったかわからない。それがなければ、比べられない」
「…はい」
「でも」
俺は、記録を丁寧に畳んだ。
「いつか、比べられるようになるかもしれない」
リィシャの手が、震えていた。




