第30話 保たせる手
俺は、彼女を宿の裏の物置に連れて行った。
そこには、俺が二年かけて集めたものが、全部ある。
四本の刃物。糸と針。薬草を煮る鍋。薬師から借りた小さな蒸留器。鞴。そして、分厚くなった帳面。
リィシャは、それを見回して、少し引いていた。
「…ここに、住んでいるのですか」
「そうだ」
「人が、住む場所には」
「見えないな」
「見えません」
俺は、鞴を手に取った。
「これ、なにに使うか、わかるか」
「火を熾すものでしょう」
「違う。息をおくる」
「息?」
「人間に」
リィシャの顔が、怪訝になった。
俺は、床に座って、説明を始めた。
「俺は、腹を開けたい」
「…腹?」
「腹の中で、何かが切れたり、破れたりしてる。それを治したい。そのためには、腹を開けて、中を見るしかない」
リィシャの顔が、蒼白になった。
「それは------」
「罪だ、って言うんだろ」
「人の身体は、神からの預かりものです。切り開くことは」
「知ってる」
俺は、遮った。
「でも、開けないと、治せないやつが、いる」
「癒しがあります」
「祈りは外から、治す。中で切れてるものは、治せない。昨日、見ただろう」
リィシャが、口を閉じた。
昨日の子供の顔が、たぶん、彼女の中に浮かんでいる。
「俺は、一度、開けた。女の、腹を」
「…なんですって」
「孕んでて、刺されてた。中の臓器が、切れてた。開けて、縛って、子供をだした。二人とも、生きてる」
リィシャが、俺を見つめた。
その目に浮かんでいたのは、恐怖だった。
だが------それだけではなかった。
「…生きて、いるのですか」
「生きてる。今も」
「切り開いて、それで、生きて」
「そうだ」
彼女は、しばらく、言葉を失っていた。
俺は、待った。
この少女の中で、何かが軋んでいる。教わったことと、聞いたことが、衝突している。
「でも」
やがて、彼女は言った。
「痛みは、どうしたのですか」
------そこか。
俺は、少し、感心した。
この少女は、正しいところを突いてくる。
「その女は、死にかけてた。意識がなかった。だから、できた」
「では、意識のある人は」
「できない」
俺は、はっきり言った。
「半刻も痛みにたえられるやつはいない。耐えようとしても、先に心臓が、止まる」
「......」
「だから、今、それを作ってる」
俺は、蒸留器を指した。
「眠らせる薬だ。痛みを消す。その間に切る」
「そんなものが」
「まだ、ない。作ってる。試した。死にかけたがな」
「死にかけた!?」
「自分で、吸った」
リィシャが、立ち上がった。
「なぜ、そんな------」
「ほかに試すやつが、いない」
「他人で試せばいいでしょう!」
言ってから、彼女は、口を押さえた。
自分が何を言ったか、気づいたらしい。
俺は、その反応を見ていた。
そして、静かに言った。
「それは、しない」
「…すみません。今のは」
「あんたが、わるいんじゃない」
俺は、首を振った。
「でも、それは、しない。絶対に」
「…なぜですか」
俺は、少し考えてから、答えた。
「人の命は、そいつのものだ。まだ、終わってない。終わってないものを、俺のためしのために使うのは------」
言葉を探した。
「そいつの人生を材料にかえることだ」
リィシャが、俺を見た。
「それだけは、しない。どんな理由があっても」
人の命は、そいつのものだ。まだ終わっていない。終わっていないものを、俺の試しの材料にすれば、それはもう患者ではない。量りだ。
この一線は、後に王都の府を断る理由になる。だが、この時の俺は、まだ、それを知らない。ただ、越えない、とだけ決めていた。
物置が、静かだった。
灯りが、揺れていた。
「…あなたは」
リィシャが、口を開いた。
「変な人ですね」
「そうか」
「人の身体を切り開くと言いながら、そんなことを言う」
「変か」
「変です」
彼女は、そう言って、少し笑った。
それから、真顔に戻った。
「それで、私をどうしたいのですか」
来た。
俺は、彼女をまっすぐ見た。
「あんたにやって欲しいことが、ある」
「何を」
「俺が、切ってるあいだ、患者を保たせて欲しい」
「…保たせる?」
「息をさせる。血を止める。心臓を動かし続ける。痛みを鈍らせる」
俺は、言った。
「一息に治す、そういう祈りじゃない。少しずつ、長く、細かく、当てる。あんたが、得意だって言う、それだ」
リィシャの目が、見開かれた。
「そんな使い方は」
「したこと、ないだろ」
「…ありません」
「誰も、してないからだ」
俺は、続けた。
「みんな、祈りは傷を塞ぐものだと思ってる。塞ぐのが、一番、目立つからだ。数えやすいからだ」
「......」
「でも、あんたの力は、塞ぐのに向いていない。代わりに細かく、長く、続けるのにむいてる」
俺は、彼女の手を指した。
「教会は、それを測りもしなかった」
リィシャの手が、震え始めた。
「俺は、それが、欲しい」
彼女は、自分の手を見下ろした。
荒れた、小さな手。
祈っても、深い傷を塞げなかった手。数が足りず、候補を外された手。
「…私にできるでしょうか」
「わからない」
俺は、正直に言った。
「やったことがないからな。俺も、あんたも」
「......」
「でも、試せる。少しずつ。ゆっくり」
俺は、手を差し出した。
「手が、足りない」
リィシャが、顔を上げた。
「ずっと足りなかった。今足りない。これからも足りない」
俺は、言った。
「だから、欲しい」
彼女は、俺の手を見ていた。
長い時間だった。
そして------
その手を握った。




