第24話 息が止まる
最初の三月は、獣で潰した。
宿の裏で、鼠を捕まえた。傭兵たちが面白がって、犬や猫まで持ってこようとしたが、断った。大きい獣は、量の見当がつけにくい。それに目立つ。
鼠でいい。小さいほど、境目がはっきり出る。
やり方は、単純だった。
青い包みの中身------乾いた根だ------を湯に入れて蒸す。立ち上がる気を鼠の入った箱に導く。
量を少しずつ変える。
弱ければ、鼠は普通に動き回る。強くすれば、動きが鈍る。もっと強くすれば、倒れる。さらに強くすれば、動かなくなる。
動かなくなった鼠は、二種類いた。
しばらくして起き上がるものと、二度と起き上がらないものだ。
その境目が、俺の探しているものだった。
三月で、鼠を四十匹ほど使った。
書き留めたのは、根の量、湯の量、蒸した時間、箱の大きさ、そして結果。
数が溜まってくると、線が見えてきた。
倒れて、起きる量。倒れて、起きない量。その間は、思っていたより狭い。
------狭すぎる。
俺は、帳面を見て、そう思った。
効く量と殺す量の差がこれほど狭いなら、人に使うのは綱渡りだ。
綱渡りを渡れるようにするには、二ついる。一つ、落ちない工夫。組み合わせて、それぞれの量を薄くする。一つ、落ちたときの、網。息が止まったら、外から送る。
単体の毒を一発で決めようとするから、綱渡りになる。前の世界の麻酔は、綱を渡らなかった。落ちる前提で、下に網を張っていた。少し多ければ死ぬ。少し少なければ、痛みで暴れる。
しかも、鼠の目方と、人の目方は違う。
目方で割って計算する。だが、それが正しいかどうかは、わからない。人は鼠ではない。
そして、もう一つ、俺を悩ませたことがあった。
鼠の中にも、差があった。
同じ大きさ、同じ量で、倒れる鼠と、倒れない鼠がいた。
同じ大きさ、同じ量で、起きる鼠と、起きない鼠がいた。
------個体差だ。
また、これだ。
俺は、帳面に線を引いた。
獣にも、魔力があるのか。
あるとすれば、薬の効き方にも影響するのか。
わからない。確かめる方法がない。
わからないまま、次に進むしかない。
秋の終わりに、俺は、自分で試した。
場所は、薬師の工房の奥だ。老人が、渋々、貸してくれた。
「…本当にやるのか」
「うん」
「先に言っておくが、わしはお前の親でも師匠でもない。死んでも知らんぞ」
「うん」
「阿呆が」
老人が用意したのは、水を張った桶と、乾いた布と、鞴だった。
「これ、なに」
「息が止まったら、これで空気を送る。効くかは知らん」
俺は、その鞴を見た。
前の世界の蘇生の道具とは、似ても似つかない。だが、原理は同じだ。肺に空気を送る。
「ありがとう」
「礼を言うな。気味が悪い」
俺は、量を測った。
鼠の目方から計算した量の、十分の一。
安全側に極端に振った。効かなくていい。まず、死なないことを確かめる。
蒸した気を布越しに吸った。
一息。二息。三息。
------何も、起こらなかった。
「どうだ」
「なんとも、ない」
「なら良かった」
「よくない。全然、効いてない」
俺は、量を倍にした。
また吸った。
十息ほどで、指先が、痺れた気がした。
「じいさん。指が、痺れる」
「止めるか」
「まだ」
さらに倍。
今度は、はっきり来た。
視界の縁が、暗くなった。手足の感覚が、遠くなる。頭の中に綿を詰められたような、鈍い感じ。
痛みは、感じない。
俺は、自分の腕を爪で強く抓った。
------感じる。
痛い。鈍いが、痛い。
まだ足りない。これでは、皮膚を切れない。
「もう、いっかい」
「坊主」
「もういっかい」
老人の声が、遠かった。
俺は、量をまた増やした。
吸った。
次に気づいたとき、俺は床に倒れていた。
顔が濡れている。水をかけられたらしい。
老人が、俺の胸に馬乗りになって、鞴の口を俺の口に突っ込んでいた。
「......じい、さん」
「起きたか、この阿呆が!」
老人が、鞴を放り出した。手が、震えていた。
「止まってたぞ。息が。三十は数えた」
「…そう」
「そうじゃない! 死ぬところだったんだぞ!」
俺は、天井を見ていた。
視界が、まだ揺れている。頭が重い。吐き気がする。
だが------
痛みは、なかった。
倒れる前、俺は自分の腕を抓っていた。その記憶がある。抓った感覚が、途中から、消えている。
消える点が、ある。
そして、その点は、息が止まる点と、近すぎる。
「じいさん」
「なんだ」
「半分、違う。痛みが、消えるのと、息が、止まるのが」
「…何を言ってる」
「近すぎる。ちょっと間違えたら、死ぬ」
俺は、起き上がろうとして、失敗した。
まだ、身体が動かない。
「これじゃ、使えない」
「当たり前だ! 使うな!」
老人が怒鳴った。
俺は、天井を見たまま、考えていた。
この薬は、単体では使えない。効く量と死ぬ量が近すぎる。
前の世界の麻酔は、どうやっていた。
------組み合わせだ。
一つの薬で全部やるのではない。痛みを消す薬、意識を落とす薬、身体を動かなくする薬、それぞれ別のものを少量ずつ組み合わせる。少量ずつなら、それぞれの毒性は低い。組み合わせることで、必要な効果だけを積み上げる。
そして、何より。
息が止まったら、送ればいい。
前の世界では、それを人工呼吸と呼んだ。麻酔中に呼吸が止まるのは、異常ではなく、前提だ。止まることを前提に外から空気を送り続ける。
だから、深く眠らせられる。
「じいさん」
「もう喋るな」
「その鞴。もっと、いいのが、欲しい」
老人が、俺を見下ろした。
その顔に浮かんでいたのは、呆れと、それから、別の何かだった。
「…お前、本気で、これを続ける気か」
「うん」
「何のためだ」
俺は、答えた。
「腹を開けるため」
老人は、しばらく、何も言わなかった。
それから、床に座り込んで、深く息を吐いた。
「わしはな、坊主」
「うん」
「若い頃、坂の上にいた」
俺は、老人の顔を見た。
「施療院で、薬を作ってた。二十年いた」
「なんで、降りてきたの」
老人は、答えなかった。
代わりにこう言った。
「向こうじゃな、こういうことは、やらせてもらえん」
「こういうこと?」
「なぜ効くのか、を調べることだ」
老人は、俺を見た。
「効く薬を決められた通りに作る。それだけだ。なぜ効くのかを調べようとすると、止められる。神の領分に踏み込むな、とな」
「じいさんは、調べた?」
「調べたさ」
老人は、鼻で笑った。
「それで、降りてきた」
俺は、その言葉を長いこと噛んでいた。
坂の上には、設備がある。書物がある。薬がある。
だが、問うことができない。
問おうとした者は、降りてくるしかない。
「じいさん」
「なんだ」
「一人で、おりてきたのか」
老人の手が、止まった。
背を向けたままだった。だから、顔は見えなかった。
「…なぜ、そう思う」
「二十年、いたんだろ。友達も、いたはずだ」
老人は、答えなかった。
しばらくして、こう言った。
「坊主。この街はな、広いようで狭い」
「どういういみだ」
「降りてきた人間は、下で暮らすしかない。下で暮らせば、いずれ顔を合わせる」
老人は、そこで言葉を切った。
「それだけだ」
それだけ、で終わる話ではなかった。
俺は、そう思った。
思ったが、訊かなかった。この老人は、訊いて答える種類の人間ではない。答えるときは、勝手に答える。
代わりに、俺は、天井を見上げたまま言った。
「じいさん。俺が、こういうことをやってるって、ほかのやつに言った?」
「言うわけがなかろう」
「本当か」
老人が、振り返った。
濁った片目が、灯りを受けていた。
「......お前が使う薬草、どこから来てると思ってる」
俺は、答えなかった。
「わしの工房で採れるわけがない。山に行く人間がいて、干す人間がいて、運ぶ人間がいる。全部、名前のある人間だ」
「......」
「そいつらが、何も聞かずに変な注文を通してくれてると思うか」
俺は、天井を見たまま、その言葉を頭に入れた。
蒸留器も、鞴も、細い刃を打った鍛冶も、青い包みも。
俺は、それを全部、自分の銭と交渉で手に入れたと思っていた。
「じいさん」
「もう喋るな。休め」
老人は、そう言って、また背を向けた。
俺は、それ以上、追わなかった。
だが、覚えておいた。
俺は、たぶん、自分で思っているほど、一人ではない。
そのことが、心強いのか、それとも気味が悪いのか。
その時の俺には、まだ、判断がつかなかった。




