第23話 痛みの値段
その男は、腕を落とすことになった。
肩から先だ。獣に噛まれた傷を三日放置して、宿に転がり込んできた。腕は既に黒く、匂いが変わっていた。
「落とすしかない」
俺は、そう告げた。
男は、しばらく黙ってから、頷いた。
「…頼む」
「痛い」
「知ってる」
「すごく、痛い」
「知ってる、って言ってるだろ」
男は、笑おうとして、失敗した。
俺は、宿の主人に酒を持ってこさせた。強い酒だ。それを男に飲ませる。飲めるだけ飲ませる。
酒は、麻酔にならない。
なるわけがない。意識を鈍らせる量まで飲ませれば、呼吸も血圧も落ちる。落ちた状態で腕を落とせば、そのまま死ぬ。
だが、他に何もない。
「押さえ手。四人。肩、胸、腰、脚」
宿の男たちが、押さえにかかる。
俺は、刃を握った。
------速く。
それしか、方法がない。
痛みを消せないなら、痛む時間を短くする。それが、この世界の外科の唯一の慈悲だ。
前の世界でも、麻酔がなかった時代の外科医は、速さを競った。腕を落とすのに何十秒かかったかが、その医者の腕前だった。速い医者は、名医と呼ばれた。
俺は、その記録を読んだことがある。読んだときは、野蛮な時代の話だと思った。
いま、俺がそれをやっている。
皮膚を切り、筋を断ち、血管を締め、骨を切る。
男が、叫んだ。
押さえていた四人のうち、一人が弾き飛ばされた。
構わない。手を止めない。止めれば、痛む時間が延びる。延びれば、男が死ぬ。ショックで死ぬ。
骨を切る音が、物置に響いた。
腕が、落ちた。
そこから、断端を処理する。血管を縛り、筋を寄せ、皮膚を被せて閉じる。ここは丁寧にやる。急ぐのは切断までで、閉じる工程を雑にすれば、後で膿む。
男は、途中で気を失っていた。
助かった、と俺は思った。
気を失ってくれた方が、こちらもやりやすい。
------そう思った自分を、俺は、覚えておくことにした。
終わったのは、半刻後だった。
俺は、血まみれの手を洗いながら、思っていた。
これは、医療ではない。
拷問だ。
結果として命は助かる。だが、この処置を受けた男は、これから何年も、あの痛みを覚えている。夜中に飛び起きる。腕がない場所が痛む。前の世界では、それを幻肢痛と呼んだ。
痛みは、身体に残る。
そして------
もっと大きな問題がある。
痛みがあるから、時間をかけられない。
時間をかけられないから、丁寧な処置ができない。丁寧な処置ができないから、複雑な手術ができない。
腹を開けて、中を探して、破れを見つけて、縫う。
これにどれだけ時間がかかる。
前の世界でも、腹の手術は一刻以上かかることが普通だった。一刻。人が、素面で耐えられる痛みの時間ではない。
あの夜、あの女の腹を開けたとき、女は既に意識が朦朧としていた。だから、できた。
意識のはっきりした人間の腹を、俺は、開けられない。
開けようとすれば、暴れる。暴れれば切れない。押さえつけても、痛みで心臓が止まる。
つまり------
麻酔がなければ、この世界に外科は生まれない。
痛みが、時間を奪う。時間がなければ、丁寧な処置ができない。丁寧にできなければ、腹は、開けられない。
速さだけを競う外科は、腕を落とすのが精一杯だ。中を探って、破れを見つけて、縫う――そこへは、決して、届かない。麻酔は、慈悲の道具ではない。外科そのものの、入口だった。だから、俺は、自分の身体で、その入口を測ることにした。
薬草の書を、俺は思い出した。
蒸した気を吸わせる、と書いてあった一つ。
あれを試すしかない。
俺は、その夜、初めて、本気で薬草を探しに行くことを決めた。
翌朝、俺は薬師の老人のところへ行った。
久しぶりだった。家を出てから、一年近く経っている。
「なんだ、生きてたか」
老人は、俺を見て、そう言った。
「じいさん。あれ、欲しい」
「あれとは」
「眠らせるやつ。むした、のを吸わせるの」
老人の手が、止まった。
「…坊主。あれは、毒だ」
「知ってる」
「量を誤れば死ぬ」
「知ってる。だから、測りたい」
「測る?」
「どのくらいで、眠って、どのくらいで、死ぬか。それを測りたい」
老人は、しばらく、俺を見ていた。濁った片目と、濁っていない片目で。
「誰で測る」
来た、と思った。
この老人は、俺が思っているより、鋭い。
「まず、けもので」
「獣で測っても、人には当てはまらんぞ」
「わかってる。だから、その次は」
俺は、言葉を切った。
言うべきか、迷った。
言えば、この老人は、俺を止めるかもしれない。だが、嘘をつけば、この先の協力が得られない。
「------俺で」
老人の眉が、動いた。
「自分で吸うのか」
「うん」
「死ぬぞ」
「死なないように少しずつ、ふやす」
「一人でか」
「......」
そこだった。
一人では、できない。
眠らせる薬を自分に使う。眠っている間、俺は自分の状態を確かめられない。息が止まっていても、気づけない。
誰かが、そばにいなければならない。
そして、その誰かは、俺が息を止めたときに、俺を起こせる人間でなければならない。
「じいさん」
「なんだ」
「見ててくれないか」
老人は、長いこと、黙っていた。
それから、深く息を吐いた。
「…阿呆が」
「じいさん」
「わしは医者じゃない。お前が死にかけても、助けられん」
「息、してるか、見てるだけでいい。止まったら、起こしてくれればいい」
「起こして、起きなかったら?」
俺は、答えなかった。
答えは、明らかだったからだ。
老人は、また、長いこと黙っていた。
それから、奥の棚を顎で示した。
「…あの棚の、三段目だ。青い包み」
「じいさん」
「わしは、何も知らん。お前が勝手に持って行った。それでいいな」
「うん」
「阿呆が」
老人は、そう言って、背を向けた。
その背中に、俺は、頭を下げた。
この老人は、坂の上に行って、戻ってきた男だ。
なぜ戻ってきたのか、俺はまだ訊いていない。
だが、この人は、たぶん、「わかるのは神様だけだ」と言いながら、それを心の底では信じていない。
信じていたら、青い包みの場所を教えなかったはずだ。




