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「ねえ、マティ。ジルは全てを忘れてしまっていたわ。もし、彼が望むなら私は彼を解放してあげてもいいとさえ思うの。だって、こんな私がいたらまたジルは美女から狙われてしまうもの」
「シシュカ様、何を馬鹿なことを仰っているんですか。ジルベール様がシシュカ様に向ける愛は異常です。執着です。怖いくらいに。記憶になくてもお嬢様の手を離さなかったでしょう?
むしろシシュカ様が離れようとした時点で怒り狂って監禁なんてことも平気でしますよ。それくらい偏執な激重の愛で包まれているんですからそのままでいた方がいいと思います」
「マティったら大げさよ。ジルは誰にも優しくて私に大甘なだけよ?きっと傷を負った私なんてすぐに嫌になるわ」
「……だといいのですが」
私はマティとそんな話をしながらこの日はすぐに眠りについた。
翌日、いつものようにマティを連れてジルの部屋へと向かった。
「ジル、おはよう。今朝の調子はどうかしら」
「シシュカ、おはよう。朝、目を覚まして君の姿が無くて不安だった」
「もう、ジルったら。冗談が上手いわ。私はちゃんとここにいるもの」
従者はジルベールを抱え、背中にクッションを入れてゆっくりと身体を起こす。
傷口はしっかりと塞がっているため痛みはないみたいだけど、何日も眠っていたため、自分ひとりで起き上がるのはまだ難しいようだ。
「昨日は気づかなかったが、君は、君のお腹の中には子供もがいるのか?」
「ええ、そうよ。来月には生まれてくるわ」
「父親は……。どこのどいつだい?」
ジルベールは眉を顰め、苛立つように、真剣な表情で聞いてきた。
「それは、ジルベール。貴方よ。ごめんなさい。覚えていないのに突然父親だとか言われても困るわよね。ジル、無理しなくていいの。もし、嫌なら言ってくれれば私一人で育てるから大丈夫よ」
「!! 違う! 違うんだ! シシュカ! 違うんだ。俺はまた自分に怒っていたんだ。
こんな可愛いシシュカが妊娠していてもうすぐ子供が生まれるというのに。俺以外の子供だったらどうしようかって。変だよな。
俺には記憶がなくて、昨日会ったばかりなのにシシュカがとても気に入っていて、シシュカから離れたくなくて……」
彼はそう言って今にも泣きそうな顔をしている。
その表情を見ていると、なんだか昔を思い出し、懐かしく思ってしまう。
私はジルの横に座り、彼をぎゅっと抱きしめた後、頬を撫でる。
「ジル、私は貴方のことが昔から大好きで、今も変わることなく大好きよ。愛している。例え貴方が私を忘れていても、嫌いになったとしても、私は貴方が好きよ。覚えておいて」
私はそう言うと、ジルベールはぽたぽたと涙が零れている。
「わからない。俺は君を忘れてしまっているのに、心のどこかで君を求めているんだ。狂おしい感情が今にも爆発しそうで怖い」
「ふふっ。ジルは昔から私のことが大好きで、お義父様が私に話しかけでもしたら怒っていたわ。大丈夫。私はずっと貴方の傍にいるわ」
「うん。ずっとそばにいて。俺は頑張るよ。例え君を思い出せなくても、今もこうして君を愛おしいと思っている。誰にも渡したくない。いつまでもこうして寝ている場合じゃないな」
「そうね。一緒に頑張りましょう? 私もまだ上手く歩けないけれど、頑張るから」
「シシュカ、聞いてもいいか? どうして俺もシシュカも怪我をしているんだ?」
「それは……」
私は彼に言うかどうか迷い、言葉を詰まらせてしまった。
私たちに起こった出来事があまりにも重すぎたもの。もしかして怪我の影響で記憶を無くしたのではなく、精神的なものでなくしていたら、と思ったの。
私だって本当は辛くて苦しくて思い出したくもない。家族にだって話したくはなかったわ。でもそれじゃだめだと思ったから。
でも今のジルに本当のことを話していいのか分からない。もしも、私が牢屋に入っていたことで彼の心が耐えられなかったらどうしよう。
私が牢屋に居る間に、王女様と何かあったのかもしれないって心のどこかで醜い感情が私を揺さぶってくる。
彼を信じているけれど、もしもそれが引き金になっていたのなら……。
「シシュカ、泣かないでくれ。俺はシシュカを悲しませたいわけじゃないんだ」
彼はそっと私の頬に伝わる涙を拭ってくれた。
「……ジル、ごめんなさい。上手く言えないんだけど、私たちが大怪我をしたのはこの国の王女様が私たち夫婦に嫉妬したからなの。本当はもっと詳しくジルに知ってもらわないといけないと思うんだけど、まだ、上手く、言葉が出てこない。ごめんね」
「いいんだ。シシュカが言葉にできないほど辛い思いをしたんだろう。俺はシシュカの涙を止めたい。シシュカには笑顔でいてもらいたい。きっと記憶を失う前の俺もそう思っている」
「う、うん……」
ジルはそう言って何かを決意したみたい。
そこから従者に頼み、少しずつ身体を動かすことを始めた。




