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うちの宮廷魔術師がちっちゃくなった話

とある日の昼下がりの事だった。


「テオ見てねえ?」


 魔術師塔の廊下に顔を出したルキウスがそう言うと、書類の束を抱えていたユリアンは、きょとんと目を瞬かせた。


「え? さあ……てっきり殿下とおられるかと……」

「いや、それが、テオと街まで出る予定だったんだけど……あいつ来なくて」

「テオドール様が殿下との約束を反故に……?」


 ユリアンの顔から、すっと血の気が引いた。


 テオドールが約束を忘れることは、まあ、ある。

 食事を忘れる。睡眠を忘れる。返事を忘れる。自分が人間であることを忘れたように働くこともある。


 だが、ルキウスとの約束だけは別だった。

 雨が降ろうが雪が降ろうが矢が降ろうが、命に換えても向かう。そういう人間だ。

 

「……殿下、テオドール様に何か」

「何か……って何だよ」 


 ルキウスの声から、いつもの軽さが消える。

 ユリアンもそれ以上は言わなかった。


 宮廷魔術師テオドールは、教皇の子であり、国内最高峰の魔術師であり、そして何より、第二王子ルキウスの傍にいる存在だ。

 疎ましく思う者はいる。政治的に邪魔だと考える者もいる。第一王子派、古い貴族、王家と教会の均衡を盾に取る者たち。


 いずれ何かしてくるのではないか。

 ルキウスがそう思っていなかったと言えば、嘘になる。


「……まさかあいつら、こんなタイミングで……!!」

「そんな、テオドール様!!」


 2人が最悪の想定をした、その時だった。

 

「あの」


 小さな声がした。


 ルキウスとユリアンは、ほとんど同時に振り返った。

 廊下の端に、見知らぬ子供が立っている。


 五つほどだろうか。小さな体に、妙にきちんとした白い服。

 髪は短く、頬には幼さが残っている。けれど、片目にかかる髪の流れと、妙に静かな灰色の瞳には、どうしようもなく見覚えがあった。


 子供は両手を前で揃え、緊張した様子で一礼した。


「ておどーる、と、呼ばれたのですが」


 幼い声で、ひどく丁寧に言う。


「ぼくのことでしょうか」


 ルキウスとユリアンは固まった。

 

 沈黙。

 さらに沈黙。


「子供……? どうして王宮にこんな小さな子が……」

「……待て、ユリアン」

「はい?」 

「似てる」

「はい?」

「初めて会った時の、あいつに……」

「……はい?」


 ルキウスはゆっくりと子供の前にしゃがみ込んだ。


「……お前、名前は?」


 子供は小さく息を吸った。


「テオドール・フォン・シェルナーと申します。きょうこうげいか、セドリック・フォン・シェルナーの子として、かみのごぜんにはじぬよう、つとめております」


 ルキウスが両手で顔を覆った。


「テオだ…………」

「テオドール様ですね……」


 ユリアンも書類を抱えたまま震えた。

 小さなテオドールは、困ったように二人を見上げた。


「あの、ぼくは、なにかしてしまいましたか」

「したんだろうな、でっけえお前が」

「殿下、心当たりは……」

「ねえよ、何でちっちゃくなってんの……」


 ルキウスが呆然と呟く横で、ユリアンはようやく我に返った。


「お調べします……テオドール様に掛かっている魔術回路を逆算して原因を……」


 ユリアンが小さなテオドールの周囲に慎重に術式を展開する。淡い光の輪が足元に広がり、細い線が幾重にも重なった。

 小さなテオドールはそれを不安そうに見下ろしている。


「これは、いたいことですか」

「痛くありません。大丈夫です」

「はい」


 その返事があまりにも素直で、ルキウスはまた顔を覆った。

 ユリアンは術式を読み解きながら、次第に顔色を悪くしていく。


「ああ……これは……」

「やべえの?」

「誰にも言えないわけです……」

「そんなやべえの?」

「ええ。禁忌も禁忌です。局所的な時間術式、それも肉体年齢の巻き戻しに近い。命と時間の魔法は、基本的に触れてはならない領域です」


 ルキウスの顔も引き攣った。


「お、おいおい」

「幸い一時的なもののようですが……これを人間に掛けたというのがまずいです。こんなことが知れたら、テオドール様どころか、教皇聖下ごと首が飛びます」

「は!?」

「ですので」


 ユリアンは真顔で言った。


「絶対に、この方がテオドール様だとバレてはいけません」

「……なるほど」


 ルキウスとユリアンが小さいテオドールを見下ろす。

 不安そうなテオドールが、首を傾げていた。


 *


 王宮内は目立つ。

 ルキウスとユリアンは、街へ出てテオドールが戻るまで時間を稼ぐ事にした。

 テオドールをルキウスが腕に抱くと、ルキウスのクラバットをテオドールの小さな指がきゅっと掴んだ。


「るきうすは、おうじさまなんですね」

「そう。で、お前の親友」

「しんゆう?」

「お前と仲良い友達ってこと」

「……」


 灰色の瞳が、ゆっくり揺れる。

 知らない言葉を聞いた、というより、知っているはずのない概念を差し出されたような顔だった。


「……」

「テオ?」


 ルキウスが覗き込む。

 小さなテオドールは、クラバットを掴む指に少しだけ力を込めた。


「ともだち、ほかにいないです」


 ルキウスは止まった。

 ユリアンも止まった。

 廊下の空気まで一瞬止まった気がした。


「……そっか」


 ルキウスは、できるだけ軽く言った。

 軽く言わないと、何かが顔に出そうだった。


「じゃあ俺が一番だな」


 小さなテオドールは、少しだけ目を丸くする。

 テオドールはしばらく考えた。

 考えて、考えて、それから本当に小さく頷いた。


「……えへ……」


 ルキウスは天井を仰いだ。


「ユリアン」

「はい」

「なんか今胸のあたりがギュゥンッてした」

「殿下、それ父性です」


 小さなテオドールは、また不安そうに眉を寄せる。


「ぼく、またなにか、まちがえましたか」

「間違えてない」


 ルキウスは即答した。


「完璧。今のは百点」

「ひゃくてん」

「そう。すげえ良い」

「……ちちうえには、いただいたことがありません」


 ユリアンの呼吸が喉の奥で凍りついた。

 ルキウスの目から、笑いが消えかけ、すぐに戻した。

 

「よーし、テオ、街でいっぱい遊ぼうな。いっぱい百点やるから」

「あそぶ?」

「おう、なんでもいいぞ、王子様だからな、俺。そのうちこの国で一番偉い人になる男と親友だぞ、すごいなーテオ」


 テオドールが目を輝かせたその時、廊下の向こうから、穏やかな声がした。


「ルキウス」


 第一王子クラウディオが、数名の従者を伴って歩いてくる。

 ルキウスとユリアンは同時に固まった。

 小さなテオドールは、ルキウスの袖をきゅっと掴んだ。


「ルキウス、その子は?」

「ん? うん、ん? これは、その」


 ユリアンは目だけで訴えた。

 殿下、頑張ってください。

 クラウディオは小さなテオドールを見て、少し目を細めた。


「おや、この歳で魔力がある。よほど信仰が深いのだね。教会の子かな」

「あ、そ、そう、その」


 ルキウスは視線を泳がせた後、ユリアンを見た。


 「ユリアンの隠し子で」

 「でぉっ……!?」


「殿下、お前」が限りなく短縮された音がユリアンの喉から出て響いた。

 クラウディオは数秒黙った。


「…………アーネストの?」

「そう、でも、ほら、ユリアンの家は男爵家だろ。色々あって、教会に一時預けられてたんだけど、ええと、なんかこう、信仰が深くて、あと、事情が複雑で」


 ルキウスは嘘八百をべらべら並べ始めた。なんだかそれっぽい事を言うのが上手い。ユリアンは絶望しながらも、そこだけは素直に感心した。

 クラウディオはしばらくユリアンを見た。


「……苦労したんだね」

「えっ、あっ、はい、そうですね」

「いくつだい」


 小さなテオドールは、ルキウスの袖を掴んだまま、黙って指を五本立てた。


「そうか。五つか。ふふ」


 クラウディオは微笑んだ。

 小さなテオドールは、さらにルキウスへ寄る。


「なんだか、ユリアンよりお前に懐いているね、ルキウス」

「……えっ、さ、さっき遊んでやってたからかな!!」


 小さなテオドールが、ぽつりと言った。


「しんゆうなので」


 ルキウスが固まった。

 クラウディオの目が愉快そうに細くなる。


「へえ」


 小さなテオドールが、不安そうにルキウスを見上げる。


「ちがう……?」

「ちが、くない」


 ルキウスは絞り出すように言った。

 ユリアンは胃を押さえた。

 クラウディオは肩を揺らして笑う。


「ははは。テオドールが聞いたら拗ねるぞ、あれは。今度は海でも割るんじゃないか」

「ぼくはすねません」

「そうかそうか、ははは」

「…………」

「…………」


 クラウディオが去ると同時に、ルキウスはその場で膝から崩れかけた。


「あぶねぇええええ!! 兄上ってああいうとこあんだよな!!」

「魔力を読める方にはバレかねませんね。普通、この歳で信仰が深いことなどありませんから」

「はー……テオ、お前、すげえんだな」


 小さなテオドールは真面目な顔で答える。


「かみは、つねにみておられますから」

「ブレねえなあ」


 小さなテオドールは、ルキウスの袖を引いた。


「るき」

「ん? どうした」

「ぼく、きょう、おいのりしてません。れいはいどうにいきたいです」

「あー……礼拝堂ね……良いけど……」

「殿下、礼拝堂は」

「わかってる。わかってるけど」


 テオドールがじっとユリアンを見る。


「だめでしょうか……」


 勝てなかった。

 

 二人は小さなテオドールを連れて、礼拝堂の方へ向かう。

 礼拝堂の近くは、当たり前だが多くの教会関係者が出入りする。

 そして、この日は運悪く

 

「これはこれは、ルキウス殿下」


 教皇セドリック・フォン・シェルナーが、静かにそこに立っていた。

 ルキウスとユリアンの顔から、同時に血の気が引く。

 

 ――親はやべえだろ。


「教皇聖下」


 ルキウスは小さなテオドールを抱き上げたまま、どうにか笑顔を作った。


「ご機嫌麗しく」


「殿下も。テオドールと共に随分と賑やかなことをなさっているようで」


 声は穏やかだったが、内容は、明らかに嫌味だった。


「ええ、まあ、その、色々と。では俺は急ぐのでこれで」

「ルキウス殿下、お待ちを」


 足が止まる。


「……何か」


 セドリックの視線が、ルキウスの腕の中にいる子供へ向いた。


「その腕に抱いた子を、よく見せてはいただけませんか」


 ルキウスの背筋に冷たいものが走る。


「…………いや、この子は、ユリアンの」

「殿下」

「……失礼!!」


 ルキウスは走った。


「殿下、お待ちを――!」


 ユリアンも走った。


 小さなテオドールはルキウスの腕の中で目を丸くしている。


「るき、ろうかをはしっちゃだめなんだよ」

「今だけは良い!」


 角を曲がった瞬間だった。

 腕の中の重さが、急に変わった。


「っ、うわ」


 ルキウスの足がもつれる。

 小さかった体が一瞬で伸びる。軽かった腕の中が、普段の重さに戻る。抱えきれるはずもなく、ルキウスはそのまま床に倒れ込んだ。


「殿下、何か音が――」


 沈黙。

 元に戻ったテオドールが、ルキウスの上に乗っていた。

 その姿勢のまま、セドリックが角から現れる。

 テオドールは顔を上げた。


「……父上」


 

「…………テオドール、何をしている」

「……」

「……」


 ルキウスも黙った。

 ユリアンは一瞬だけ遠い目をしたあと、急に声を張った。


「あ、あーっ! 預かっていた甥っ子が、またどこかへ行ってしまって困ったなーっ! やんちゃなんだからなーっ!」


 セドリックはユリアンを見た。

 それから、床に倒れているルキウスと、その上に乗っているテオドールを見た。


「…………テオドール」

「…………はい」

「探してやりなさい」

「は、はい」


 セドリックは深くは追及しなかった。

 ただ、何もかも察したような顔で去っていった。

 しばらく、誰も動けなかった。


「……なんとかなった、のか」


 ルキウスが床に転がったまま呟く。

 テオドールは顔色の悪いまま、ゆっくり立ち上がった。


「多分、全部バレてるけど……多分父上にとっても不都合だろうから、多分大丈夫だよ」

「多分多いな」

「しばらく帰れないな僕」


 ユリアンが震えた声で言う。


「テオドール様、良かったです、戻られて……!!」

「ああ、うん。ごめんね、ユリアン。苦労をかけたね」

「本当だよ」


 ルキウスがようやく起き上がる。

 テオドールは少しだけ眉を下げた。


「ルキも、ごめん」

「いいよ。なんか懐かしかったし」

「そう?」

「ああ。お前と初めて会った時、あんなんだったなって」


 ルキウスは、少しだけ声を落とした。


「なんかにずっと怯えてて、人の顔色窺っててさ」

 

 テオドールは一瞬だけ黙った。


「ああ……そうだったかも。神様が見てるから」

「今はさ」


 ルキウスは笑う。


「なんかお前、ちゃんと笑えるようになったじゃん」

「……うん」


 テオドールは小さく頷いた。


 それはね、ルキウス。

 神様が僕よりもずっと自由で、怖くないって思えたから。


「なあ、なんでお前ちっちゃくなってたの?」

「……君が壊した剣を直そうと思って、ついでに新品にしようとしたら、魔術反射が付いてるのが混ざってて、跳ね返ってきたんだよ」

「あ、この間買ったやつだそれ」

「言ってよ……」

「悪い悪い」


 ユリアンは2人を見ながら、少しだけ息を吐いた。

 どうか、この二人の行く末が、なるべく楽しいものだけでありますようにと。

 神の慈悲を、祈らずにいられなかった。

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