王宮のクソガキども
「俺だけの隠し通路が欲しい」
ルキウスがそう言った瞬間、ユリアンは手元の書類から顔を上げた。
よくない。これは、たいへんよくない話の始まり方だ。
テオドールも同じことを思ったのだろう。羽ペンを置き、真正面からルキウスを見る。
「一回聞くよ」
なんで聞いちゃうんですか、とユリアンが目を伏せた。
「街に降りたんだけど」
「……いつ」
「二日前」
テオドールの目が、すっと冷えた。
「君、またひとりで?」
ルキウスが慌てたように首を振った。
じっとりと向けられた視線に、怒られる気配を感じたらしい。
「いやほら、現実的な民の声を聞くのも大事だろ」
「護衛をつけて聞きなよ。君が刺されたら民の声も何もないだろう」
「それじゃあ忖度するだろ!」
ユリアンは静かに胃を押さえた。
この時点ですでに十分怒られ案件である。
だが、ルキウスの顔を見る限り、本題はまだここではない。
「で? 民の声を聞いてなんで隠し通路になるんだい」
「仲良くなった子供たちが、森の中に秘密基地作っててさ。木の枝とか拾った布とかで、すげえ雑なんだけど、本人たちはめちゃくちゃ楽しそうで。うわ、いいなそれ、って思って」
ルキウスは机に両手をつき、妙に真剣な顔で続けた。
「でも王宮じゃ無理だろ? どこにいても誰かに見られるし、どの部屋も誰かの管理下にある。じゃあ、お前の私室を俺の秘密基地ということにしようと思って」
「ん?」
テオドールの思考が止まった。ユリアンも止まった。
理論が飛んでいる。
「今、何て?」
「お前の私室を、俺の秘密基地にする」
「僕の私室を?」
「うん」
「君の?」
テオドールはしばらく黙った。
「……なんで?」
ですよね。とユリアンが頷いた。
テオドールの私室は別に秘密でも何でもない。魔術塔の一角、宮廷魔術師団達の宿舎の一室で、誰でも知っている。
王族が立ち入るような場所でもないのは確かだが、秘密基地と呼ぶには少々秘密が足りなかった。
「で、秘密基地には秘密の通路かなって」
「ルキウス、僕の話を聞いてよ」
「こう、庭からさ。地下通ってお前の部屋とか行けない?」
「……あのさ、ルキ」
テオドールの声が静かになった。
ユリアンは少しだけ安堵した。
さすがのテオドールも、これは止めるらしい。王宮の庭から魔術師塔の私室まで地下通路を通すなど、構造上も警備上も問題しかない。
「それを言うなら、庭の地下に秘密基地を作ればいいだろう」
「テオドール様?」
ユリアンの声が、思わず素に戻った。
ダメだこの人、殿下の事になると急にIQ下がる。
ユリアンの怪訝な顔とは裏腹に、ルキウスの表情がぱっと明るくなる。
「作れるのか!?」
「まあ、できるよ。魔術で深めの穴を掘って空間を作ろう。王宮の主要構造に干渉しない位置なら、崩落の危険も少ない」
「テオドール様!?」
「入り口は魔術師塔の脇なら不自然じゃない。資材用の小倉庫の床下あたりに偽装すればいい」
「テオドール様!!!!」
テオドールが変な企みを淡々と真面目に語った数日後。
「作った」
「テオドール様……!!!」
ユリアンは崩れ落ちるように膝をついた。
魔術師塔の脇、普段は誰も気に留めない小さな倉庫の床下に、見事な地下空間が出来上がっていた。
広さは小部屋ひとつ分ほど。壁は滑らかに均され、天井には水晶灯が嵌め込まれている。床は乾いていて、空気も澱んでいない。結界術の応用で地盤は補強され、壁面には薄い防湿術式まで巡らされていた。
完璧だった。完璧なのがまずかった。
「すげえ!」
ルキウスは目を輝かせて地下空間へ降りた。
「本当に秘密基地じゃん! 寝椅子置けるな。菓子も置ける。剣は……」
「振らないでよ」
「流石にか」
「壁の術式傷つけたら虫とか入るからね」
テオドールは淡々と言いながら、壁に刻んだ術式を確認している。
「結界術の応用で地盤や壁は強固にしてある。ただ、空間の上部に魔力光が少し漏れるね。地上から見ると、部屋の位置だけ地面がうっすら光る」
「本当だ」
ルキウスが地上へ戻り、足元を覗き込む。
たしかに、倉庫脇の地面がほんのり淡く光っていた。
「なんか秘密基地っていうより、ここにありますって言ってるな」
「認識阻害を重ねればごまかせる」
「ああもう知りません。知りませんよ私は」
ユリアンは両手で顔を覆った。
「私は何も見ていません。王宮の庭の地下に秘密基地などありません。魔術師塔の脇がうっすら光っているなどという事実もありません」
「ユリアン、現実逃避が上手くなったね」
「全部殿下とテオドール様のせいです!」
ルキウスは地面を眺めながら、ふと首を傾げた。
「なあ、これもっと深く掘ったら解決しねえ?」
テオドールは地面を見下ろし、少し考える。
「うーん。どこまでいけるかな」
「お前ならいけるよ。俺のテオだもん」
テオドールの表情が、わずかに緩んだ。
「仕方ないなあ」
満更でもない顔をしながら、テオドールが魔術杖を両手で構える。
「あああ……テオドール様がすごくやる気に……」
こういう時のテオドールを止める術を、ユリアンは持っていなかった。
ルキウスはその後ろで、もう完全に楽しそうだった。
「地下に巨大都市作ろうぜ」
「ルキウス、君が望むなら」
「やめてください」
ユリアンの声は、もはや祈りだった。
テオドールは床に手を翳す。
淡い光が地面に広がり、すでに作られた地下空間を包み込んだ。
「今ある空間をそのまま深く転移させる。壁面の補強術式を保持したままなら、地盤への負荷も少ないはずだ」
「最高じゃん」
「ああ神よ……お許し下さい……信仰をこのような……」
光が強くなる。
地下空間が、ゆっくり沈む。
沈む。沈む。沈む。
その時、どごん、と妙な音がした。
テオドールの手が止まる。
「あ」
たった一文字で、こんなに不安になる事があるだろうか。
ルキウスが瞬きをする。
「ん?」
次の瞬間。
間欠泉の如く、垂直に水が噴き上がった。
地下から勢いよく吹き上げた水が、倉庫の床板を押し上げ、土を巻き込み、三人まとめて浴びせかける。
跳ねた泥がルキウスの頬に飛び、テオドールの前髪を濡らし、ユリアンの書類を無惨に染めた。
王宮の庭に、水音が響く。
飛び散る土。噴き上がる水。
光を受けて、空中にかかる小さな虹。
三人は黙ってそれを見上げた。
「綺麗だな」
ルキウスが呟いた。
ユリアンは、濡れた書類を握りしめたまま、震える声で言った。
「あのこれ、王宮の地下水道を……」
テオドールが前髪を指で直しながら、かかった水を払っていた。
「……まあ、そういう事もあるよ」
「ありませんよ」
「ぶち抜いたなあ」
その後、三人はまとめて怒られた。
王は頭を抱え、王妃は扇で口元を隠し、第一王子は首を傾げ、教皇は祈るように目を閉じた。
そしてユリアンは、濡れた書類を抱えたまま、ただひとつだけ思った。
次からは、殿下が魔術塔に来た時点ですぐ逃げよう。
過去ってことでここはひとつ




