ユリアン・アーネストの手記
拝啓。春光うららかな季節となりました。
皆様におかれましては、ご健勝のことと存じます。
王立宮廷魔術師団所属、ユリアン・アーネストと申します。
突然ですが助けてください。
「そのくらいテオに言われなくてもわかっている!」
「いやルキウスはわかってないね! わかっていたらこんな事はしないだろう!」
この国の未来そのものたるお二人が、今私の目の前で大喧嘩しています。
王立宮廷魔術師団に入って二年目。
ありがたいことに、私は宮廷魔術師テオドール・フォン・シェルナー様の側近補佐として働かせていただいております。
ええ。そうです。あのテオドール様です。
教皇猊下のご子息にして、国内最高峰の魔術師。
杖の一振りで山を消したとか、魔力量が魔術師団三つ分と言われている、テオドール様です。
先日、新しく習得した術式を見ていただいたら、欠点を三十七個挙げていただき、ありがたくも「その術式で消し飛ぶのは敵ではなく君の頭だろうね」とのお言葉を頂戴しました。
正論でした。大丈夫です。泣いていません。
いえ、それは良いんです。問題はそこではありません。
問題は、ルキウス殿下です。
この国の第二王子であり、陽光のような金の髪に、誰にでも人好きのする笑みを向け、若くして民と国境政策に深い関心を示される、次代の王に相応しいお方。
私はお二人を深く尊敬しております。これは本当です。
しかし同時に、どうか私を巻き込まないでほしいとも思っています。
なんで魔術師塔の書庫で言い争っているんですか。
せめて王宮の方でやっていただければいいのに。
状況を整理しますね。
ルキウス殿下が本日、国境視察に行っていたようです。
予定より少し早いご帰還だったそうで、これは大変喜ばしいですね。
王子殿下が無事に戻られた。大変良いことです。
ただし、外套の下に怪我を隠しておられました。
その時点で、私は嫌な予感がしました。
嫌な予感というものは大抵当たります。
魔術師団に入って二年、これだけは身をもって学びました。
テオドール様は、最初なにも仰いませんでした。
ただ、読んでいた書類を閉じ、手袋を外し、ルキウス殿下の肩を見ました。
「……ルキウス? 肩、何だい、それ」
「え、ああ、うん、魔物に引っかかれた」
ルキウス殿下は笑っておられました。
いつものように。
まるで、自分の肩から血が滲んでいることなど、ほんの些細なことだと言わんばかりに。
因みに殿下。全然些細ではございません。
あなたは王位継承者なのですよ。
もちろん、私は口には出しません。
王子殿下に意見するなど恐れ多いですし、なによりテオドール様がもうお気づきだったので。
いや、お気づきというより、完全に見ておられました。
「なんだい、その……あっても無くても変わらないようなお粗末な治癒魔術は……」
「近くの村に寄って診て貰ったんだけど魔術師一人しか居なくてさ」
「……ルキウス、まさか君、一人で国境まで行ったのかい」
「うん、結界あるしな」
あっけらかんと殿下は仰いました。
確かに国境には魔物の侵入を防ぐ堅固な結界術が結ばれています。
テオドール様をはじめとする宮廷魔術師団による術式を何重にも重ね、この王宮の中央で管理している魔石によって常時発動している、我が国最高の技術です。
だというのにルキウス殿下がお怪我をなさったということは、結界に不備があったか、若しくは、ルキウス殿下が自ら結界の外に出たということです。
因みに、不備の報告は上がっておりませんし、結界に何かあればテオドール様がお気付きにならないわけがありません。
「なんかふわふわしたのが居てさ、触れるかなと思ったんだけど、魔物って懐かないんだな!」
殿下、当たり前です。魔物ですよ。
犬とか猫じゃないんですよ。
「あいつなんて魔物だったのか気になってさ。なあテオ、魔物図鑑どこ?」
テオドール様が息を吸う音が、魔術師塔に響きます。
それだけで、空気の温度が三度低く沈むのがわかりました。
そして冒頭に戻るというわけです。
初めはテオドール様が言い聞かせるようにルキウス殿下に進言しておられました。
しかしルキウス殿下が大したことはない、子供じゃないんだからと言い返してから、あれよあれよという間に売り言葉に買い言葉。
誰も止められないまま今に至るのです。
「ルキ、君は自覚が無さすぎる! 何で護衛をつけて行かなかったんだい!」
「ただの散歩だろ! 大体、俺だって多少戦える!」
「君が戦えるかどうかは問題じゃないんだ! 万が一があったらどうするつもりなんだい! 魔物だけが敵じゃないんだよ、いつどこに暗殺者がいるかわからないのに!」
「だからちゃんと顔も隠して俺だってわからないようにして出たさ! 護衛なんかつけてたらそれこそバレるだろ!」
「どうしてそういつもいつもいつも楽観的なんだ君は!」
助けてください。どうしたらいいんですか。
お前が止めろって? ははっ。ご冗談を。
口を挟めると思いますか? これに?
まあそうですね、個人的な意見を申しますと、ルキウス殿下が悪いと思います。せめて護衛はつけてください。
何度も言いますが、殿下は王位継承者なのですよ。
しかし、最早どっちが正しいとかでは無いのです。
ルキウス殿下もテオドール様も、どちらも意固地になってしまっているのは明白ですから。
「ルキウス、大体君はこの間だって……」
「わかったわかった! お前がそんなに怒るなら次は適当に護衛でも魔術師でもなんでも連れて行く!」
ルキウス殿下の声には、完全に苛立ちが混じっていました。
その場を投げるような、子供じみた乱暴さ。
そしてテオドール様も、もう止まれなかったのだと思います。
「僕でいいだろ!!」
ん?
「……」
「……」
誰も彼も、動けませんでした。
テオドール様はいつも仰っておりました。
時と命を操る魔術は禁忌であると。
しかし確かにその時、魔術師塔の時間が止まりました。
「……だから……その……」
テオドール様の灰色の瞳が右往左往しておりました。
私に「君の術式は無駄が多いね。この術式で一人救う間に三人死ぬよ」と仰るときとは大違いです。
それもそうでしょう。“置いて行くな”と言ったようなものですから。
ルキウス殿下は、しばらくテオドール様を見ておられました。
いつものようにすぐ笑うかと思いました。からかうかと思いました。
ですが、そうはなさいませんでした。
ただ少しだけ眉を下げて、困ったように息を吐かれたのです。
「お前、そんなに俺の治癒したかったのか」
あ、多分違いますよ殿下。
「君があまりにも無謀だから怒ってるんだ」
「ごめんって」
会話が戻りました。
よかったですね。よかったのでしょうか。私にはわかりません。
ただ少なくとも、魔術師塔の時間は再び動き始めました。
テオドール様が改めてルキウス殿下の肩に手を翳す。
淡い光が傷口を包み、先ほどまで雑に塞がれていた治癒跡が、みるみるうちに綺麗に整えられていきました。
それはそれは美しい術式でした。無駄がなく、早く、正確で、優しい。
「ユリアン」
「はいっ!?」
急に名前を呼ばれて、私はペンを落としかけました。
「何か聞いたかい」
「……何も……」
「それでいい」
聞いていませんし見ていません。何も。
テオドール様が何も無かったと仰るなら何も無かったのです。
「なあ、怒ってる?」
「怒ってるよ」
「まだ?」
「一生怒ってる」
ルキウス殿下は楽しそうに笑われました。
テオドール様は怒っていると言いながら、治癒を終えた手をすぐには離されませんでした。
仲がよろしくて何よりです。
何を見せられているんだろうとは思いましたが、それを顔に出したら本当に文字通り首が飛ぶので、私は頬の裏を必死に噛んでおりました。
その翌日から国境視察の同行者欄には、必ずテオドール様の名が加えられております。
そしてなぜか、補佐として私の名も添えられるようになりました。
私はどうすれば良いか、誰か教えて下さい。
そして願わくば、助けてください。
宮廷魔術師ユリアン・アーネストの手記より
かわいそうなユリアン。
でも彼はメンタルが強いので大丈夫です。
あと君、アーネストって言うのか。




