表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

仮面舞踏会に行こう

 「これ、行こうぜ」


 陽の落ちる少し前の時間帯。橙がほんの少し溶けたくらいの空が窓の外に広がっていた。

 ルキウスがテオドールの部屋にやって来て一枚の招待状を差し出した。

 テオドールは、招待状を見た瞬間に眉を寄せる。

 差出人のない黒い封筒に、家紋すら無い封蝋。

 前髪に隠れた眉間に皺を作りながら受け取って開くと、テオドールの表情は更に渋くなった。

 

 ――

 今宵、名は鎖。仮面は鍵。

 素顔を暴くこと、名を問うことを禁ず。

 今宵に限り、王も乞食も等しくただの影である。

 夜明けと共に、すべては夢となる。

 ――


「どこでこんなもの……」

「さっき侍女たちが話してるの聞いて、面白そうだったから一枚譲って貰ってきた」

「はあ?」


 テオドールは頭を抱えた。胡散臭すぎる。

 場所は王都の外れ、東区の旧劇場跡。主催が誰かすらわからない。

 どう考えても、まともな舞踏会ではなかった。

 

 王族が夜中に行く場所ではない。

 まして、王位継承者が面白半分で覗いていい場所では絶対にない。


 そう説明した。かなり丁寧に説明した。

 それでもルキウスは、目を輝かせたままだった。


「面白そうじゃん」

「大体、舞踏会くらい君の名前で開いたらいいだろう。その方がよっぽど人が集まるよ」

「わかってないなテオ」


 ルキウスは片眉を上げて息を吐いた。

 やれやれとでも言いたげに首を振り、腕を組む。


「俺の名前で開いたら、全員()()()入れて来ちゃうだろ」

「……そうだけど……」


 正論だった。腹立たしいことに、正論だった。

 ルキウスの名で舞踏会を開けば、集まるのは貴族の娘と、その親と、縁談の匂いを嗅ぎつけた者たち。

 誰も彼もが正装以上の正装で、第二王子の隣に立つ権利を探りに来る。

 まず間違いなく純粋な“遊び”の場にはなり得ない。


「お前と行くならいいだろ、な」

「……」


 テオドールは何か言いたげに唇を動かし、結局その言葉をしまい込んだ。

 こういう時のルキウスが頑固な事をよく知っていたし、何よりルキウスの“お願い”に、テオドールは滅法弱かった。


「……仮面は? 持っていないよ僕は」

「任せとけ!」


 ルキウスがぱぁっと目を輝かせてふたつ差し出した仮面。

 対になるように白と黒の配置が反転した見事な細工。初めからテオドールが折れる事を見越していたであろう用意の良さに、テオドールは思わず喉の奥で笑いを転がした。


「貸して」

「ん」


 テオドールがルキウスから仮面をふたつとも手に取ると、指先で縁をなぞる。

 銀細工の奥に細い光が走り、術式の線が血管のように仮面の内側へ広がっていく。


「絶対に君と僕だとわからないように、髪色と声の印象も少しずらす。魔力紋を辿られても君だと気付けないようにしておく」

「手慣れてんな」

「誰のせいだと思ってるんだい」

 

 テオドールは一度も手を止めなかった。

 まるで国境結界の補修でもしているかのように、淡々と正確に夜遊び用の仮面へ国家級の隠蔽術式を刻んでいく。


「これで良いかな。仮面、絶対外さないでね。外したら意味がないから」

「勿論。お前に怒られるのは嫌だ」

「わかってるなら――」

「ほら、着替えろ着替えろ! お前、その服しか持ってないとか言わないだろ?」

「……わかったよ……」


 *


 王都の東区は、昼間であれば商人の荷馬車や劇場帰りの客で賑わう。

 だが、夜が深くなるにつれ表情を変える場所だった。

 石畳には古い雨の匂いが残り、建物の隙間には灯りの届かない影が溜まっていた。


 旧劇場跡は、そのさらに奥にあった。

 かつては王都でも名の知れた劇場だったが、閉鎖した今は正面扉に板が打ちつけられ、色褪せた看板だけが風に揺れている。けれど裏手へ回ると、そこだけが別の場所のように明るかった。

 黒い外套の男が二人、扉の前に立っている。

 その背後から、薄く音楽が漏れていた。


「本当にやってるじゃん」


 ルキウスは楽しそうに言った。

 仮面をつけ、黒に近い深藍の上着を纏っている。

 王宮の夜会服ほど堅苦しくはない。けれど、襟元に走る銀糸も、袖口の細かな刺繍も、庶民の遊び着とは明らかに違う。

 テオドールは、銀灰色の上着を選んだ。

 教会の白ではない。魔術師の黒でもない。夜の灯りに溶けるような、冷たい灰色だった。

 装飾は少ない。だが、布地は上等で、動くたびに細い光を返す。

 喉元まできっちり留めた襟と、手首を隠す黒い手袋のせいで、舞踏会に来たというより、誰かを見張りに来たように見えた。

 事実、テオドールはそのつもりだった。


「帰るなら今だよ」

「帰るわけあるかよ、ここまで来て」

「ここまで来たから言ってるんだけど……」


 テオドールは仮面の位置を確かめる。

 顔の上半分を覆う白黒の仮面は、術式によって肌に馴染んでいた。声の響きも、髪色の印象も、見る者によって少しずつずれる。ルキウスの金の髪も、今は燭火の下では淡い茶にも鈍い金にも見えるようになっている。

 

 この仮面をつけている限り、ルキウスを認識できるのはテオドールだけで、テオドールを認識できるのはルキウスだけだ。


「招待状を」


 黒衣の男が低く言う。

 ルキウスが懐から招待状を出すと、男は封蝋を一瞥し、すぐに道を開けた。

 

「素顔を暴くこと、名を問うことを禁ず。夜明けまでは、誰もが影でございます」

 

 男が扉を開く。

 途端に、音と光、人のざわめきが飛び込んでくる。

 古い劇場の内部は、外観からは想像もつかないほど美しく飾られていた。

 天井から吊られた硝子の燭台。赤い絨毯。

 舞台だった場所には楽師が並び、客席を取り払った広間では仮面をつけた人々が踊っている。

 少しきつい香に、酒と湿った古い木の匂い。


 王宮の舞踏会とは何もかもが違っていた。

 誰もルキウスへ膝を折らない。誰もテオドールへ祈りの言葉を向けない。

 視線は向けられる。だが、それは身分を見る目ではなく、ただ新しく来た仮面の客を見る目だった。


 ルキウスがその視線の中で目を輝かせる。


「すごいな」

「思ったより人がいるね」


 テオドールは会場を見渡した。

 出入口は三つ。正面は塞がれているが、非常用の脇扉が左右にある。二階席へ続く階段は奥。楽師の後ろに小さな控室。

 参加者の魔力はまばらだった。貴族、商人、神官崩れ、宮廷に出入りする程度の低位魔術師。

 危険が無いとは言わないが今すぐルキウスに触れるほどのものはない。


「テオ」

「なに」

「見ろよ。誰も俺を見てない」


 ルキウスが小さく笑った。

 その声は、子供が初めて秘密の抜け道を見つけた時のようだった。


「見てはいるよ。君が誰かを知らないだけで」

「だから良いんだろ」


 そう言われて、テオドールは少し黙った。

 ルキウスは王子だ。

 どこへ行っても、誰かの期待と値踏みと媚びた笑みが付きまとう。

 この場ではそれがない。少なくとも、今だけは。


「……一時間だけね」

「え、二時間」

「一時間」

「一曲踊ってから考えようぜ」

「あ、ちょっと」


 ルキウスはもう聞いていなかった。

 広間の中央へ向かって歩き出す。すれ違った仮面の女が、ルキウスへ軽く手を差し出した。

 ルキウスは一瞬だけテオドールを振り返る。


 テオドールは無言で睨んだ。

 ルキウスは笑った。

 そして、そのまま女の手を取った。


 テオドールは壁際へ移動した。

 葡萄酒の入った杯をひとつ受け取る。飲むつもりはないが、壁の花を装うには手持ち無沙汰より都合が良い。

 壁に背を預けて、人の気配を読む。

 浮かれている者。酔っている者。ルキウスの手を取った女の指輪に刻まれた家紋。

 

 ルキウスが望んだ夜だ。楽しむに越したことはない。

 好きにすればいい。

 ――何が楽しいのか知らないが。


 三拍子の軽やかな旋律。何曲目かで楽師たちが最後の一音を揃えると、ルキウスが令嬢の手を離して上機嫌に寄ってきた。


「今の」

「君が鼻の下伸ばして浮かれてるところならしっかり見てたよ」

「伸ばしてねえし。そうじゃなくて」


 ルキウスは声を潜め、テオドールの耳元に顔を寄せた。

 

「あれ、兄上の婚約者だ」

「……なんだって?」


 テオドールの視線が、先ほどまでルキウスと踊っていた女へ向かう。

 白銀の仮面。淡い青の流行りのドレス。髪は結い上げられ、首元には目立たないように細い宝石飾りが揺れている。

 歩き方にも、手の差し出し方にも、育ちの良さが滲んでいる。


「どうしてそんな人がこんな所にいるんだい」

「さあな。兄上じゃ満足できないんじゃないの」 

「全然笑えないよ」


 即答だった。

 王位継承者の婚約者が、素性の知れない仮面舞踏会にいる。

 それだけで十分にまずい。しかもこの場は、名を問わない、素顔を暴かない、夜明けと共にすべてを夢にする、などと書いた招待状で人を集めている場所だ。

 

 彼女と踊る男たち。二階席から広間を眺める仮面の紳士。給仕に紛れた低位魔術師。音楽に紛れて交わされる囁き。


「大人しそうな令嬢だと思ってたんだけどな。知ったら兄上がどんな顔するかは見ものかな」

「よしてやりなよ。可哀想だ」

 

 テオドールがそう返した時、広間の端で、小さな笑い声が崩れた。

 先ほどルキウスと踊っていた女が、仮面の男に行く手を塞がれている。


 男は酔っているのか、距離が近い。

 女が一歩退けば、一歩詰める。

 手首には触れていない。だが、触れる寸前の距離で、逃げ道だけを塞いでいる。


「先ほどからお断りしております」

「今宵は名も身分もないんだろう? なら、つれないことを言うなよ」


 女は笑みを保っていた。

 仮面越しでもわかるほど、明らかに困っている。


 テオドールが動こうとするより早く、ルキウスが広間へ足を踏み出した。


「ルキ」

「うまくやる」

「……っ」


 テオドールが言葉を飲み込む。


 ルキウスはもう聞いていなかった。

 軽い足取りで男の横へ入り、何食わぬ顔で女へ手を差し出す。


「悪いが、俺が先約でね」


 女が目を瞬かせる。

 それから、ほんの少しだけ安堵したように、ルキウスの手を取った。


「ほら」


 ルキウスは笑って、女を自分の方へ引いた。

 それで終わればよかった。

 男の顔が歪む。


「横取りか?」

「誘い方を学べよ、貴族ならな」


 ルキウスは軽く返した。その声は楽しげですらあった。

 だが、男にはそれが癪に障ったらしい。


「このガキ、調子に乗るなよ……!」


 男の手が、ルキウスの肩へ伸びる。

 触れた瞬間。ぱち、と小さな音がした。

 雷鳴ではない。硝子が割れる音でもない。

 ただ、乾いた火花のような音。


 けれど男は、血の気を失った顔で手を引いた。


「……っ、何だ、お前」


 男の声が裏返る。

 ルキウスが首を傾げた。


「何って?」

「今の……何重だ? いや、違う、隠蔽じゃない、護身でもない……魔力紋が、見えない。見えないのに、近づいた瞬間にこっちの探査だけ焼かれた……?」


 どうやら、酔ってはいても魔術の心得はあるらしい。

 男の声が大きくなる。周囲の何人かが振り返った。


 テオドールの顔から、すっと表情が消える。

 仮面は完璧に身元を隠している。

 髪色も声も魔力紋も、第二王子ルキウス・ヴァレリウスへ繋がる道はすべて潰してある。


 ――潰しすぎた。


 夜遊びのための認識阻害にしては、質が良すぎる。

 王宮の秘匿結界に使うような、過剰なまでに精密な隠蔽術式だ。


 男が後ずさる。絡んでいた時の勢いはもうない。顔にあるのは苛立ちではなく、明確な恐怖だった。


「こんな魔術、普通の貴族がつけるもんじゃないだろ……!」


 ざわめきが広がりかける。

 その瞬間、テオドールは壁際から動いた。


「帰るよ」


 ルキウスの腕を掴む。


「え、今の俺悪くないよな?」

「僕が悪い」


 テオドールは短く言った。

 その声に、ルキウスが一瞬だけ目を丸くする。


「君を隠す術式を盛りすぎた。目立つ」

「それで見つかりそうになってるの、面白すぎるだろ」

「全然笑えない」


 テオドールは女へ一瞬だけ視線を向ける。


「失礼」


 それだけ言って、ルキウスを連れ出した。


 女は仮面の奥で小さく瞬きをした。

 何か言いかけたようだったが、結局、名を問わなかった。

 それが今夜の掟だからだ。


 ルキウスは引きずられながら、まだ少し笑っていた。


「なあ、あいつめちゃくちゃ怯えてたぞ」

「だから帰るんだよ」


 テオドールはルキウスの手を引いて旧劇場の裏口へ向かう。

 背後では、仮面の客たちがまだざわめいている。

 音楽は止まっていない。

 ワルツの旋律だけが、何事もなかったように広間を回り続けていた。


「テオ」

「なに」

「楽しかったな」


 今宵、名は鎖。仮面は鍵。

 夜明けと共にすべては夢になる。


 テオドールがルキウスの手を引いたまま、夜の街へ出た。

 仮面の下でルキウスが笑っている。

 それだけで、テオドールはもう少しだけ、この夢に付き合ってもいい気がした。

 

 月が覗いている間は、まだ夜だ。

 

いちばん可哀想なのは第一王子

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ