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ヴァレリウス兄弟の受難

 信仰は魔力となり、それによって齎される恩恵はこの国に欠かせぬものである。

 だが、強大な力は時として、扱いを間違えれば忽ち牙を剥く。


「…………」

「…………」


 第一王子クラウディオは、弟の顔を見ていた。

 正確には、弟の顔をした自分を見ていた。

 

 向かいに立つルキウスが、クラウディオの顔で眉間に皺を寄せる。

 鏡で何度も見てきた顔だというのに、自分の意思とは関係なく動いているとこれほど気味が悪いものなのか。


「兄上」

「喋るなルキウス」

「なんでだよ」

「私の声で喋るな。気味が悪い」

「俺だって同じだよ」


 喉から弟の声がして、耳に自分の声が届いてくる。

 クラウディオは目を閉じた。頭が痛い。

 ルキウスもまた、目の前の自分の姿をした兄から目を逸らした。


 事の発端は、ほんの数分前。

 宮廷魔術師団の研究室で、新たな転移術式の実演を視察していた時のことだった。


 若い魔術師が、術式を展開した。

 そこまでは良かった。

 問題は、その術式が途中から見覚えのある異様な形に変わったことだ。


「……待ちなさい、きみ、それはシェルナーの術式では?」


 クラウディオが気付いた時には遅かった。


「はい! テオドール様が以前、転移術式を三重構築されていたので、それを参考に――」


 魔法陣が、ひしゃげた。


「おい馬鹿! 止めろ!」


 ルキウスの怒声。閃光。

 体が浮くような奇妙な感覚。

 

 そして現在に至る。


「……つまり」


 クラウディオは、自分たちの前で顔面蒼白になっている魔術師を見下ろした。


「見様見真似でシェルナーの真似をした、と」

「……はい」

「必要魔力量は」

「計算上では、私の保有魔力でも可能なはずで……」

「実際は」

「……足りませんでした」

「だろうな」


 隣でルキウスが呆れ果てた声を出した。


「あいつの真似すんなって。テオ、自分が魔力余ってるからってむりくり途中の工程すっ飛ばしてんだから」

「先に言え」

「俺に言うなよ」


 クラウディオは額を押さえようとして、指先が見慣れた自分のものより僅かに骨が太いことに気付き、また頭痛が増した。

 なにはともあれ、原因が魔術事故であるならば話は早い。


「ルキウス、元に戻るためにシェルナーを呼ぼう。彼なら早いだろう」


 室内の空気が凍った。


「兄上」


 ルキウスが、妙に低い声で言った。


「……何かね」

「駄目だ」

「何故」

「こいつらが死ぬ」


 クラウディオはゆっくり弟を見た。


「……は?」

「あいつ、俺が被害受けたって知ったら、この場の魔術師を連帯責任で全員殺す」


 冗談かと思ったクラウディオの口元が、「そんなわけ」と言いかけて止まる。

 事故を起こした魔術師たちが一斉に青ざめたのが目に入ってしまった。

 どうやら、冗談ではないらしい。


「自分の術式真似したやつが事故って俺と兄上の中身が入れ替わったなんてテオが知ったら、もう、多分冬とか来るぞ」

「今は夏なんだが……」

「兄上、王宮周りだけ永久凍土にしたいのかよ」

「化け物かあの男は」


 床には焼け焦げた魔法陣。砕けた魔石。ひっくり返った机。壁際には、未だ顔色の戻らない魔術師が数名。

 そして、自分の身体に入った弟。

 最悪である。

 

「ならばこの件は極力伏せる。王族二名が揃って魔術事故に巻き込まれたなど、余計な混乱を招くだけだ」

「まあ、それはそう」

「戻るまでは互いに入れ替わっていることを悟られぬよう振る舞うしかない」

「……兄上が俺の真似すんの?」

「そうなるな」

「できんの?」

「お前こそ私を何だと思っている」


 クラウディオは不愉快そうに眉を寄せた。

 第一王子として生まれてから今日まで、他者の目を意識せず生きた日はない。

 王族として何を求められているか。どう振る舞うべきか。何を言い、何を言わないべきか。

 それを理解して振る舞うことなど、呼吸と変わらない。

 弟の真似事くらい出来るだろう。問題は


「ルキウス、頼むから、頼むから書類に判を押すなよ」

「え、なんでだよ。兄上のところで止まってるの絶対あるだろ」

「止まってるんじゃない、確認のために止めてるんだ。勝手に案を通すな。絶対。絶対」

「えー……」


 かくして、第一王子と第二王子の反転生活が開始された。


 正午。第一王子の執務室。

 クラウディオ——もといルキウスは早速、財務官から今年度の王領収支について報告を受けていた。


「——以上でございます」

「ん、いいんじゃね」

「はい?」


 ミスった。もうミスった。

 ルキウスとしてめちゃくちゃ素で返事していた。


 財務官が僅かに顔を上げる。


「……殿下?」

「いや」


 ルキウスは咳払いをひとつした。

 背筋を伸ばし、机の上で組んでいた手を解く。


「……概ね、問題ない。続けなさい」

「は。では次に……」


 やべーやべー。危(あっぶ)ねー。

 

 にこやかに微笑みながら、背中に尋常じゃなく汗をかいていた。


 兄の普段の口調くらい知っている。

 立ち居振る舞いだって、幼い頃から嫌というほど見てきた。

 なんかこうゆっくり喋って、にっこりしていれば大体クラウディオになる。


 問題は、内容だった。


「昨年度と比較して——徴税額については——」


 財務官が紙面を指し示す。

 ルキウスも見る。


 数字数字数字知らない地名数字数字知らない貴族の名前。

 ついでに数字。


「…………」

「殿下?」

「聞いている」

「失礼いたしました」


 聞いてはいる。理解しているとは言っていない。

 話が長い。よくわからない話が果てしなく長い。


 これを兄は毎日やっているのか。

 ルキウスは初めて、第一王子という立場にほんの少しだけ同情した。


 やがて財務官が次の書類を取り出す。


「続きまして、ルキウス第二王子殿下より再申請が」

「あ、それ通して」

「……はい?」

「…………」


 二度目である。


「殿下、こちらは先月、現状維持とのご判断を——」

「知っている」


 だって突き返されたし。


「では、何故」

「私の弟は優秀だからな」


 財務官が目を瞬く。


 ルキウスは澄ました顔で書類を受け取った。

 今通して仕舞えば都合はいい。コストはかかるが長い目で見たら悪い案でもない。


 ラッキー、俺。と誇らしげに頷いたのを、財務官が不思議そうに見ていた。


 *


 一方その頃。


「ルキウス殿下、ごきげんよう」

「ああ、ごきげんよう」

「殿下! 先日の……」

「ああ、その話はまた」

 

 廊下を歩けば、侍従や兵士が声を掛けてくる。

 クラウディオは弟の人望に、少し面食らっていた。

 自分が廊下を歩いても、にこやかに声を掛ける者はいない。恭しく頭を下げるか、打算に満ちた目線が向けられるか、どちらかだ。

 王位を継ぐ者。それは看板であり、十字架だ。


「あ、ルキウス殿下」


 背後から声を掛けられ、振り返る。

 顎で切り揃えられた黒髪に、金色の瞳の魔術師。

 どこかで見た覚えはあるが、クラウディオには思い出せなかった。


「あ、ああ、きみか」

「きみ?」


 魔術師が首を傾げる。しまった。ルキウスならば「お前か」の方が自然だったかもしれない。

 多分、名前を呼ぶのがベストなのだろうが、わからないのだから仕方がない。


「いや、どうした、何か用事でもあるのか」

「いえ、 テオドール様からの言付けで」


 そこでクラウディオははっと思い出す。

 この魔術師(おかっぱ)、 テオドールの後ろに控えていた補佐か。


「シェ……テオから?」

「はい、お戻りは夕方になると。」

「そ、そっか。わかった」

「それでは、私はテオドール様と共に南の森で大量発生したスライムの調査へ向かいますので、これで」


 魔術師が一礼して去って行く。後でルキウスに名前を聞こう。クラウディオはそう思った。


 それよりも。


「……夕方までいない」


 思わず、小さく呟いた。


 テオドール。

 今回の入れ替わりを最も知られてはいけない人間。

 その男が、夕方まで帰ってこない。


「……よし」


 それまでに元に戻ればいい。

 そう思えば俄然、気が楽になった。

 クラウディオは足取りも軽く歩き出す。


 その後も何人かに声を掛けられた。

 騎士団の若者からは「また訓練見に来てください」と言われ、厨房の使用人からは昨日勝手に持っていった焼き菓子の皿を返せと言われ、庭師には頼まれていた花が咲いたと報告された。


 弟は一体、普段何をしているのだ。

 公務らしい公務はないくせに、王宮中に行動の痕跡だけはある。


「…………」


 クラウディオは、少し考えた。

 そして気付く。


「第二王子……自由度が高いな……」


 誰にともなく呟いた。

 とりあえず自室――正確にはルキウスの私室でも行こうかと思ったところで、廊下の向こうから足音がした。


「ルキ」


 聞き覚えのある声だった。

 そして、今最も聞きたくない声でもあった。


「テオ……ドール……」


 王宮の廊下にブーツの踵の音が鳴る。

 ルキウスにいつもついて回る、どこまでも離れない月。


「出発前に君の姿が見えたから。ユリアンから聞いたと思うけど——……」


 振り返った先の テオドールは、にこやかだった。

 口元に弧を描き、目を細め、そして、右手に魔術杖を握っていた。


「テ」


 オ、と言う前に、クラウディオの視界は反転していた。

 背中から床へ叩きつけられる。

 肺から空気が抜けるより先に、喉元へ杖の先端が突きつけられた。


「が、っ……」

「ねえ、誰?」


 先ほどまでの笑みは消えていた。

 灰色の瞳が、床に転がったクラウディオを冷たく見下ろしている。


「ルキをどこにやった?」

「ま、待て、シェルナー、話を」

「僕を家名でなんて、ルキは絶対に呼ばない」


 言ってから、クラウディオは己の失言に気付いた。

 遅かった。テオドールの目が、さらに細くなる。


「君が誰かなんてどうでもいいか。引きずり出して殺してやる」

「待て! 待て待て待て説明する!」

「僕のルキを冒涜した罪、身をもって償え」

「だから待て!!」


 クラウディオは生まれて初めて、弟が普段どんな男を飼っているのかを心の底から理解した。

 光のない目が髪の隙間から覗いている。

 

「私だ、クラウディオだ!」

「…………」


 テオドールが止まった。


「……クラウディオ殿下……?」

「そうだ、私だ! 魔術事故で私とルキウスの中身が入れ替わって、ルキウスは私の身体にいる!」


 必要そうな情報を一息で全部吐いた。やろうと思えば三秒で説明できるものだ。

 テオドールはしばらく黙っていた。


「仮に本当だったとしても……寧ろ都合が良いか……」

「……シェルナー?」


  テオドールが魔術杖に力を入れて込めかけた、その時。


「あーーーーーッッッ!! テオ!! ストップそれ兄上ーーー!!!」


 廊下の向こうから、自分の声が響いた。

 テオドールの手が止まる。

 クラウディオが床に倒れたまま顔を向けると、そこには自分の身体で全力疾走してくるルキウスがいた。


「ルキっ」


 テオドールの声が変わった。

 ほんの一瞬前まで人を殺そうとしていた男のものとは思えないほど、柔らかい。


「おう俺! 俺俺俺! それ兄上!!」


 ルキウスが息を切らしながら二人の間へ滑り込む。

 テオドールは杖を下ろし、まじまじと顔を覗き込んだ。


「……ルキ? ほんとにルキだ」

「だろ?」


 クラウディオは床に転がったまま、そのやり取りを見ていた。


「……シェルナー……何故ルキウスはすぐわかる……?」


 テオドールは少し考えた。


「立ち方も、歩き方も、こっちを見る時の目も、全部ルキなので。おおかた、誰か僕の転移術式でも真似たのでしょう。僕が魔力でカバーする範囲の途中式を飛ばして、第三陣の回路が第一陣に干渉、座標の狂いと魔力不足でこのザマ。違いますか?」


 クラウディオは弟を見て、 テオドールを見て、一回自分の手を見て、もう一度弟を見た。


「いつもこうか?」

「うん。怖いよな」

「ルキウス」

「褒めてるって」


 テオドールが不服そうに眉を寄せている。

 その横でクラウディオは、朝魔術師達が怯えていた理由を静かに理解した。


 その後、 テオドールの手によって無事兄弟は元に戻り、王宮に再び平穏が訪れたのであった。


 数日後、身に覚えの無い道路拡張計画が進んでいた事を知ったクラウディオが、ルキウスを普通に叱ったのはまた別の話。

兄上ェ!!!!

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