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いっぱい食べろ

 宮廷魔術師は身体が資本だ。

 王宮勤めは思ったよりも仕事が多い。王宮の警護から景観の管理まで、その業務は多岐に渡る。

 難解な術式を紐解けても、莫大な魔力を有していようとも、倒れてしまっては元も子もない。

 

 にも関わらず、ここ最近テオドールが飯を食わない。


「テオドール様……朝からこちらにいらっしゃいませんか」

「ん、ああ、そうだね」


 西日の差す魔術師塔の書庫で、ユリアンが恐る恐る尋ねる。テオドールは眼窩にモノクルを掛け、分厚い魔術書を杖でなぞりながら、隣の羊皮紙にペンを走らせていた。


「王都の魔獣除けの結界術、今の魔石頼りだと定期的な交換が必要だろう。それなら直接魔力を流し込める機構を構築した方が効率的だし、それに」

「あの」


 ユリアンがテオドールの言葉を遮ると、モノクルの向こうの瞳が羊皮紙からゆっくり離れる。


「夕食は召し上がりましたか」

「……いや」


 ユリアンは長く長く息を吐いた。

 元々食は細かったが、このひと月ほどは何かを食べている様子がまるで見られない。

 魔術師塔の食堂にも現れないし、気を遣ってユリアンが食事を差し入れても、ほとんど盆に残ったまま。

 元々教会の粗食で育ってきた名残もあるのだろうが、それにしたって食べなさすぎていた。


「少しだけでも召し上がって下さい。」

「大丈夫だよ。お腹空いてないから」

「テオドール様」


 テオドールは気のない返事をするばかりで立ち上がろうとすらしない。

 ユリアンはため息をつきながら離れ、そっと魔術師塔の廊下に掛けられた当直表に目をやった。

 正式な業務ではない、小さな印。朝、昼、夕の欄の端に、誰が書き始めたのかも分からない丸が三つ。

 食堂に姿を見せた日は丸。差し入れに手をつけた日は三角。何も口にしていない日は、誰も書きたがらない空白。

その空白が二つ続くと、誰かが焼き菓子を持って書庫へ向かい、誰かが果物を切って研究室の机に置き、誰かが温め直したスープを当直室へ運ぶ。

 けれどやはり、皿の上はほとんど減らないまま戻ってくる。

 特に料理長の特製煮込みを差し入れてひと匙だけで返された日の魔術師団は、葬儀のように静かだった。

 

 困り果てた末に、ユリアンは泣きついた。


「殿下ぁ」

「あいつ……」


 第二王子ルキウス。テオドールの幼馴染で親友。

 親友というより悪友という響きの方が近いが、それはそれである。


「何だそれ……俺と居る時は普通に食ってるけど……」

「だから頼んでるんです。テオドール様に三食召し上がるよう殿下から言ってくださいませんか! 新入りが真似するんですよ!」

「……あー……」


 ルキウスが爪の先で耳の後ろを掻いた。

 テオドールは良くも悪くも目立つ。破格の魔力、出自、加えて第二王子の腹心。どれを取っても不都合で好都合。

 故に、憧れる魔術師は少なくない。テオドールの真似をして術式を四つ同時展開出来るようになれるならば、喜んで餓死するやつがいてもおかしくはなかった。


「わかったわかった。言うよ。あいつ今どこに居んだ」

「魔術師塔の書庫に三日お篭もりです」

「三日!? 飯は!?」

「料理長曰く、食堂にはお見えになっていないと……」

「死にてえのか!?」


 ルキウスが机を思い切り叩いて立ち上がる。

 勢いのままに厨房へ向かい、夕食の仕込み中だった料理長の尻を蹴り上げて簡単な食事を用意させた後、テオドールの居る書庫の扉を開けた。


「おい、テオ!」


 木製の扉をほとんど殴るように開けると、蝶番が悲鳴を上げた。

 指先に三重の術式を展開していたテオドールは、その音でびくりと肩を震わせる。展開していた魔法陣が霧散し、あぁ、と残念そうな声が漏れていた。


「……ルキ? 何……」

「飯食ってねえらしいな?」


 詰め寄られたテオドールが目を丸くしてまばたきを二回。

 何故怒られているのかわからないとでも言いたげな表情をしていた。


「食べてるよ、ちゃんと」

「嘘つけお前。料理長が自信失くしてたぞ」


 ルキウスは盆を机へ置いた。

 焼きたての丸パンが二つ。具沢山のスープに、薄切りの燻製肉、葉物のサラダ。それから小さな林檎が一つ。

 どれも特別な料理ではない。仕事の合間でも食べやすいよう、料理長が急いで用意したものだった。

 

「ほら」

 

 テオドールは盆を見た。それからルキウスを見た。

 

「……多いよ」

「普通だろ」

「いや、多い」

 

 押し問答の末、テオドールは観念したようにパンを手に取った。

 小さくちぎる。

 一口。

 もぐもぐ、とゆっくり噛む。

 二口。三口。

 そこで水を飲んだ。

 

「……ごちそうさま」

「いや終わるな終わるな終わるな」

 

 テオドールはきょとんと首を傾げる。

 

「もうお腹いっぱいなんだけど」

「パン三口だぞ?」

「今日はパンもういい」

「じゃあスープ飲め」

 

 言われるまま匙を持つ。

 ひと匙。ふた匙。

 

「ごちそうさま」

「だから終わるな!」

 

 テオドールは本気で困った顔をした。

 

「でも本当に入らないんだよ。今日は結構食べたから」

「何をだよ」

「……パン」

「三口だろが」

「仕方ないだろ、お腹いっぱいなんだから」


 テオドールが不機嫌そうに顔を逸らす。そこでルキウスの片眉がひくついた。


「……あー、っそう。じゃ、しょうがねえな」


 それだけ言うと、盆を引き寄せて立ち上がった。

 

「料理長にごめんねって言っておくよ」

「そうだな、そうしとけ」

 

 それだけ返し、ルキウスは書庫を後にする。

 廊下へ出たところで、ルキウスは振り返らずに言った。


「ユリアン」

「はい」

「あいつなんか隠してんな」

「え、師匠が?」


 ルキウスが腕を組んで扉を睨む。

 

「あいつが俺の言うこと聞かねえとか、ありえねえ」

「そんな横暴な」

「あいつがあの顔する時大体なんか隠してんだよ。こっちが何年幼馴染やってると思ってんだ」


 即答だった。

 ユリアンが少し黙ってから苦笑する。何の根拠もない言い草でも、ルキウスが自信満々に言うと本当にその通りな気がしてくるから不思議なものだ。


「ユリアン、明日空いてるか?」

「空いてはないですが……」

「空けろ。俺の護衛につけ」

「私が!?」


 ルキウスの口元が、ゆっくりと吊り上がる。

 嫌な笑みだった。

 ユリアンはその顔を知っている。

 嫌な予感しかしなかった。

 こうなるとルキウスは人の話を聞かない。

 止めても止まらないし、止まる気もない。

 

「明日一日、テオドールを尾行すんぞ」

 

 勘弁してください、と言える勇気は、ユリアンには無かった。


 *


 翌日、相変わらずテオドールは魔術師塔にいた。

 モノクルを嵌め、魔術書を捲る。


「……動かねえな」

「そろそろお昼ですけど、葡萄ふた粒しか食べてませんよ」

「魔力があると腹減らねえの?」

「そんな馬鹿な」


 その時、テオドールが本からようやく目を離し、モノクルを外して眉間を指先で押さえた。両腕を頭上へ伸ばし、猫のように背筋を反らせる。

 椅子から立ち上がって窓辺へ歩き、外の光を細めた目で眺めながら深呼吸した。

 それから周りを少し見渡し、窓枠に手を掛けた。


「お」

「あ」


 ルキウスとユリアンが瞬きひとつする間に、テオドールが窓枠へ片足を掛ける。そのまま、まるで散歩にでも行く気軽さで窓から飛び降りた。


「は!?」

「ちょ……っ」


 2人が慌てて追いかけると、テオドールはすでに地面の上。なんでもない顔をして歩き始めていた。


「あいつほんとバケモンだな……」

「殿下、追いましょう! 見失いますよ!」


 *


「あっいた、居ましたよ殿下!」

 

 2人がテオドールに追いついたのは、城下町についてからだった。

 ユリアンが魔力を辿ってようやくテオドールの姿を確認した時、テオドールは大通りからひとつ離れた小さな小路を歩いていた。


「おい、本屋も魔導具屋も過ぎたぞ」


 建物の影からルキウスが怪訝そうに辺りを見渡す。

 やっているのかいないのかわからないような店が建ち並ぶ通りは、古い建物ばかりで、商店街だろうにも関わらず商売気がなかった。

 

 その時、前を歩くテオドールがぴたりと足を止めた。

 小さな店の扉に手を掛け、するりと入り込む。


「殿下!」

「なんの店だ」


 小走りで店に近付く。すると、ふわりと小麦の焼ける甘い香りが鼻腔を擽った。


「……あ?」


 小さな木の看板に、橙色の灯り。香ばしくてどこか懐かしい。

 棚の上には、控えめにパンが並んでいた。

 丸いもの。細長いもの。干し葡萄や木の実を練り込んだもの。

 どれも華やかではないが、焼き上がったばかりなのか、窓硝子の内側がわずかに曇っている。


「……パン屋?」

「パン屋ですね」

 

 窓の向こうで、老婆とテオドールが何かを話している。

 テオドールは遠慮するように両手を上げていた。

 対する老婆は腰に手を当て、何やら叱るように指を振っている。

 やがてテオドールが差し出された丸パンを受け取ると、老婆は満足そうに頷き、今度は葡萄の入ったパンを持たせた。

 さらにもうひとつ。またひとつ。おまけにひとつ。

 テオドールの腕に、着々と紙包みが積み重なっていく


 負けている。

 国内最高の宮廷魔術師が、パン屋のおばあちゃんに押し負けている。


 テオドールは、しばらく紙袋を見下ろして、それから、焼きたての丸パンをひとつ取り出して齧りながら店のドアに手を掛けた。


「…………ん」

「よお」


 パンを咥えたまま扉を開けた テオドールは、仁王立ちするルキウスを見上げて少し固まった。


「ふひうふ」

「食ってから喋れ」


 テオドールがパンを噛みちぎり、少しバツの悪そうに咀嚼する。

 ルキウスはその間、もごもご口を動かすテオドールを黙って見ていた。

 やがてごくりと嚥下するのを確認して、ルキウスは腕を組んだ。


「何やってんのお前?」

「……いや……お昼を……」


 テオドールが手にした丸パンを少し持ち上げる。

 ルキウスはその腕に抱えられた紙包みの山を見た。

 ユリアンも見た。


「 テオドール様、全部買ったんですかそれ」

「いや、買ったのは一個なんだけど……」


 その時、店の奥から老婆が顔を出す。


「あらあんたやだよぉ、お友達がいるんならそれじゃ足りんでしょ」


 老婆はそう言うと店に引っ込み、まだ湯気の立つパンをトレーに乗せて戻ってきた。


「これは今日の新作。蜜と胡桃入りね、あとほれしょっぱいのも食べるでしょう若い人は」

「あの、もう十分です」

「遠慮しないんだよ食べな」

「でも」

「食べな」

「……はい」


 テオドールは素直に頷いた。

 ルキウスが片手で顔を覆う。


「というわけ」

「大体わかった」


 ユリアンは紙包みの数を数え始めた。


「えー…丸パンが三つ、葡萄パンが二つ、木の実入りが一つ、それから新作が……」

「数えなくていいよ」

「数えます。魔術師団へ報告する義務がありますので」

「やめてくれる?」


 テオドールが初めて、心底困った顔をした。


  テオドールは、食べていないわけではない。

 城下町のパン屋へ通い、毎日のように老婆から食べきれないほどのおまけを持たされ、夕飯が入らなかっただけの話。


「……お前、ちゃんと食ってたんだな」

「だから最初からパン食べてるって言っただろ」

「紛らわしいんだよ」


 確かに言っていた。

 “今日はパンもういい”とも、“結構食べてる”とも。

 だが、誰が“おばあちゃんに貰ったパンでお腹いっぱい”だと思うだろうか。


「言えよ」

「なんでわざわざ言うの」


 周りが勝手に心配して、勝手に気を揉んだだけ。

 理不尽に叱られたテオドールは、不服そうにパンをもう一口齧った。


 後日、貰いすぎたパンは魔術師団への差し入れとなり、 テオドールは3食しっかり食堂に現れるようになったという。

もぐもぐテオと押しの強いおばあ

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