74話:初めてのお風呂
ご飯を食べ終わって後片付けをした後、わたしたちはお風呂に向かった。
「サフィ、お風呂ってなぁに?」
「温かいお湯に浸かって、身体の汚れや疲れを落とすんだよ」
「アラ、それなら別に魔法で良いじゃない? 水浴びとも違うのン?」
当然のことなのかもしれないけれど、リラとエフェリアにはお風呂に浸かった経験はないようだった。お風呂は物理的に身体をキレイにすること以外にも、精神的に心身を労ることができる。
魔法を使うことで瞬時に得られる清潔感とは別に、身体の内側から洗われていくような感覚はお風呂でなければ得られないものだと思う。
「まぁふたりも絶対に気にいるって。毎日入りたくなるはずだよ」
この言葉は嘘ではない。けれど、前世のような時間に追われる生活では中々ゆっくりとできる時間は少ない。髪が長ければ長いほど洗うのも、乾かすのも時間がかかる。お肌のケアも怠れないし、正直言って面倒だ。
でも魔法があるこの世界ならどうだろう。それに加えてわたしたちは水を司る泉の精霊で、濡れた身体や髪を乾かすなんて造作もない。お肌のケアだって必要ない。面倒だと感じる肯定をすべて省けるなんて、夢のようじゃないか――!
わたしは思わず口を綻ばせていた。
「ふふっ……」
「アラ、またサフィがヘンテコになっちゃったわ?」
「お風呂に浸けたら治るのかしら」
残念なことにこれは持病だから治らないんだエフェリア。この世の病気がお風呂に入って治るなら苦労はしないのにね……このやりとり前にもしなかった?
わたしは両手で頬を叩いて、気合いを入れた。
「よし、じゃあまずはお湯を張らないと」
お風呂の片隅には現代チックな水道らしきものがあり、赤い色の蛇口と青い色の蛇口があった。魔法と魔法石の存在のおかげか、インフラ設備が充実している。済ました顔をしているけれど、これでも感嘆を漏らしたくなってしまうほどには驚いている。
でも、今からお湯を張るのは時間が掛かってしまう。ここは水魔法でどうにかならないものかと考えて、まずは行動を起こすことにした。
お湯だって温度が違うだけでただの水だ。わたしは水を動かすことだってできる。なら、分子の運動を活発にさせれば温かい水にだってできるはずだ。魔法は想像力だと言うのなら、できないなんてことはないだろう。
そう考えて、わたしは湯船いっぱいに水を出して手を付けてみた。
リラとエフェリアは不思議そうに張られた水とわたしを交互に見ていた。
火に熱される水を想像していると、水に浸けていた手が温かくなっていく。腕まくりをして腕を突っ込み、全体が温かくなっているかを確かめるついでにかき混ぜてみた。水は全体的にちょうどいい温かさになっていた。
お風呂の完成だ。
リラとエフェリアも手を付けて、温かい水に声を漏らしていた。そして、リラは服を着たまま入ろうとするものだから、慌てて止めに入ったんだ。
「リラ待って! 服は脱いで入るんだよ!」
「そうなの? でも、泉では服を着たままだったじゃない?」
確かに、わたしたちは魔法で乾かすことができるからそれでいいのかもしれない。けれど、服を着たままでは何にも縛られない開放感は得られないだろうと思う。
「じゃあサフィ、脱がして♪」
「その次はアタシも~♪」
「ふたりとも……仕方のない甘えたさんだね」
更衣室に移動すると、リラはそう言って両手を広げて待っ。わたしも「自分で脱ぎなよ」なんて冷たいことは言えず、小さく息を吐いて脱がしてあげた。するするとコルセットドレスの紐を解いていって、シャツのボタンを外していく。布の擦れる音がヤケに大きく聞こえるのは気のせいではなかったと思う。
リラの服を丁寧に畳んでいる間、スリップだけの姿になったリラはわたしの服に手を掛けていた。
「サフィの服はわたしが脱がせてあげるね」
「……わかったよ。じゃあ、今度はエフェリアの番ね」
意識を向けると恥ずかしくなってしまうから、わたしはその間にエフェリアの服を脱がしてあげることにした。エフェリアもリラと同じように手を広げて、わたしにされるがままになる。大きな姿のままエフェリアの服を脱がしていくのは大変だったけれど、却ってリラのことを意識しなくて済んだんだ。
みんなして肌着姿になった後、最後のソレも脱ぎ捨ててわたしたちは生まれたばかりの姿になった。そして、わたしが先に入ってリラの両手を取る。リラも転ばないようにゆっくりと入って、息を漏らした。
エフェリアはそのまま入ると溺れてしまうから、木製の桶にお湯を入れてその中に入ってもらった。
「ふあぁぁ……気持ちいい……」「お風呂っていいわねぇ……」
リラも、エフェリアもふたりして同じようなことを言う。
「ふふっ……どう? 気に入った?」
「うん! とっても!」
「でも、もう少し大きかったらいいのに……泉も温かい水だったらもっと気持ちいいのかしら」
「それもいいね。だけど、泉はやっぱり冷たい水の方が落ち着くかも」
「お風呂は大きすぎると溺れちゃうから、しかたないよ」
「エフェリアはどう? 楽しめてる?」
「別に楽しくはないケド、とっても気持ちいいわ♪」
お風呂の脇に置いてある桶に話しかけて見てみると、エフェリアの気持ちよさそうに寛いでいる姿が見えた。翅が水に浸かってしまっても大丈夫か不安だったけれど、気持ちよさそうにしているエフェリアの様子を見る限り心配はなさそうだった。
わたしも久しぶりのお風呂を堪能しようと、広い浴槽に足を伸ばして肩まで浸かった。頭を縁に預けて、目を瞑る。
こうして誰か……家族と一緒にお風呂へ入るのはいつぶりだろう。本当に、昔の朧気な記憶しかないような気がする。
リラとエフェリアが楽しげに鼻歌を歌っているのが聞こえる。わたしもそれに続いくように小さく口ずさんだ。ふたりのキレイな声が反響して、オーケストラみたいになって、とても心地良かったんだ。それはまるでセイレーンやローレライのような魅惑の歌声を思わせて、こんな声を聴いてしまったら魅了されてしまう船乗りたちの気持ちもわかってしまう気がした。
遠い記憶の中で「後何秒したらお風呂を出ましょうね」なんて声が聞こえてきた気がする。ふたりの歌が終わったら出ようか。長く入りすぎていてはのぼせてしまう。
そんなことを考えていたら、リラの声が聞こえなくなってわたしの頬に手が触れられた。目を開けるとわたしの顔を覗くリラがいて、身体に張り付いた髪が少し色っぽく感じたんだ。
「サフィ? 寝ちゃったの?」
「ううん。気持ちよかったから目を瞑ってただけだよ」
「身体も温まったし、そろそろ出よっか」
「――おまけの汽車ポッポ……だったかなぁ」
エフェリアを手に掬って、胸の前まで持ってくる。更衣室までやってきて、ネグリジェを出した所で気が付いたんだ。
お風呂から上がった後、いつものクセで自分の身体を乾かしてしまっていた。髪を乾かす時間が一番面倒で省きたい工程なのは違いないのだけれど、それは時間に追われているからだ。今こうしてのんびりと過ごすことができる空間なら、わたしはリラの髪を乾かしながら梳きたいと思っていた。
けれど、リラも既に余分な水気は落としていて、すっかりお風呂に入る前のようにサラサラとした髪を揺らしていた。
失念していた。残念で仕方がない。わたしはお風呂に入ってさっぱりしたことさえ忘れて、気分は泥沼に落ちてしまったときのように黒く濁ってしまっていた。
手の中では髪からお湯を滴らせたエフェリアが不思議そうにわたしを見上げていて、それに気が付いたわたしはエフェリアが風邪を引いてしまう前に水気を取ってあげた。
エフェリアとリラにネグリジェを着せてあげて、わたしも袖を通した。
「部屋に戻ったら髪を梳こうか」
「うん! 早く戻りましょ♪」
リラは嬉しそうにわたしの手を引いた。その笑顔を見たら、わたしの澱んだ気持ちも清らかな水で洗い流されていくように澄んでいっていたんだ。




