57話:村へ
わたしたちとシャナは一緒に暮らすこととなった。らしい。
らしい。というのは、まだわたしたちの家やらなにやら、何もかも。まだなにも決まっていないからだ。シャナが後から別々の家にすると言い出すかもしれないし、家を持つことができなければ宿暮らしになるかもしれない。
「ねぇシャナ、家ってどうやって建てるのかな」
「えっ……えっ!? 私も知らないよ!?」
知らなかった。生憎、わたしも建築方面には明るくない。中世なんてティンバーフレームの三階家屋が主流であった。みたいなことしか知らない。
そもそも戸籍とかってどうなってるんだっけ。
土地も勝手に使うのはダメだろうし、領主がいるのか知らないけれど税金とかも納めないといけない。そんなことをシャナに延々と一方的に話しかけていた。
「サフィがまたヘンテコなこと言ってるわ? 叩いたら治るかしら?」
残念なことにこれは持病だから治らないんだエフェリア。この世の病気が叩いて治るなら苦労はしないのにね。苦しみを脳内で咀嚼するのはやめて、口から外に吐き出すことで多少なりとも楽になろうとするのは人間の性なんだよ。たぶんね。
「取り敢えず、おばあちゃんのところに行こっか……!」
シャナがわたしを気遣ってそんなことを言う。おばあちゃん――頼もしい響きだった。こういうときは老人ほど知恵と経験に頼りたくなる存在はいない。
わたしたちはどこまでも続く天然の花畑の中を進んでいる。まばらに赤い屋根の家が建っていて、進むにつれてその間隔が近くなってきている。村の郊外から中心へと近づいているのだろう。
時々、遠くに家畜であろう動物たちの姿も見えた。まだ人間の姿を見ていないからか、自分たち以外の言語を発する生命体がいるのか不安になってくる。シャナは限りなくソレに近いけれど妖精であることに変わりはない。
わたしの胸の裡には、人間なんて存在しないんじゃないかというわけのわからない不安が拭えないでいた。
◆
いつしか村の中心までやってきて、赤い屋根の家が建ち並ぶようになっていた。木造の家の窓辺には花が飾られて、石畳の路を彩っていた。そう、この山奥の村であっても、その中心に近い家が多く立つ場所では路が整備されていたんだ。その中には灰色っぽい石造りの家もあった。
お昼時だからかまだ村の人たちは仕事に出かけているようだった。人影はなく、寂しさが残る……いわばノスタルジックな場所だと思ったんだ。
けれど、そんな胸の裡の不安や寂しさを塗り替えてしまうくらいにどこまでも澄んだ青空がきれいに映っていた。その火照りを冷ましてくれる、少し涼しい気温。日を浴びるとちょうどいいくらいに温かくて、風が吹けば花が薫る。
いつか憧れていたものに似ているその風景に見惚れて上を向いて歩いていたら、パンの焼けるような香ばしい匂いがしたんだ。シャナはその匂いが強くなっていく方へと迷いのない足取りで進んでいく。わたしたちはその背を追って、いつの間にかステップを踏むかのように心を踊らせていた。
リラのハイポニーの髪が跳ねるように揺れている。視界の映るものは初めて見るものばかりで、見るもの全てに心を奪われているようだった。
人の家族が住んでいる家という建物。地面に敷かれている石畳。村を照らす街灯、彩るガーランドだって見たことがない。
そしてなにより、リラは嗅いだことのない、いい香りの虜になっていた。
「このいい匂いはなぁに?」
「パンだと思うよ」
「こういうところなら、シチューに浸けて柔らかくして食べるのかな」
かつてのような、ふわふわのパンを食べることはできないのだろうと思うと少し寂しく感じる。前世生きていた日本と云う国はあまりにも食が美味しすぎる。パン単体で美味しく食べられるとは思わない方がいい気がしている。
そのいい匂いの薫る扉の前でシャナは立ち止まって、身なりを整えてから真鍮製の取手に手をかけた。すると思わずめいっぱい息を吸い込みたくなるような香ばしい香りがわたしたちに覆い被さってきたんだ。
扉の上に付けられたベルが鳴る。部屋を覗けば飛び込んできたものは琥珀色の温かみの溢れる部屋にガラスのショーケースに入ったバゲット。その他にも噛み応えのある黒パン、柔らかそうな編みパンなど……この環境では考えられないような様々な種類のパンが輝いて見えたんだ。
「こんにちは――」
シャナが中の様子を窺うように少し腰を曲げて挨拶をするとカウンターの裏からひょっこりとかわいらしい女の子が顔を見せた。白い三角巾を頭に巻いてエプロンを付けている女の子だった。
「あ、シャナお姉ちゃん! いらっしゃい!」
太陽のように眩しい笑顔で、女の子はシャナを迎えた。シャナが「おばあちゃん、いる?」と訊くと、大げさに頷いて裏へと風のように走っていった。元気の有り余る、いい子だと思った。
わたしたちはシャナに手招きされてから部屋へと入っていった。おばあちゃんがやってくるのを待っている間、わたしたちは興味津々で美味しそうなパンに魅入っていたんだ。あまりにも近づきすぎて、ガラスにぶつかってしまうんじゃないかと思ってしまうほどだ。それくらいにリラも、エフェリアも口を開けて目を輝かせていた。どれもとっても美味しそうで、美味しそうな匂いが溢れていて、初めて見るパンに食欲を唆られていた。
わたしは食いしん坊さんになっているふたりとは別に、扱われている技術に魅入っていた。ショーケースに取り付けられている熱源は石に見えた。そういう魔法の石だろうか。パンを焼く厨房も素晴らしく整っている。衛生管理が行き届いているのが素人のわたしでもわかるほどだ。
魔法が存在するということは、つまりそれだけ扱える技術が跳躍しているということなのだろうか。転生者の存在はリラから聞いているし、歴代の転生者たちが技術を持ち込んで普及させたのかもしれない。
けれど、自分がいた世界の価値観で異世界というものをなんでも推し量るのは良くない。凝り固まった思考は傲慢で脆い。この世界に対しても礼儀を欠いた慎むべき行為だと思う。
それにしても、ベーカリーというには広くオシャレなお店だった。ブーランジェリーと呼んだほうが雰囲気に合っているかもしれない。二階まで吹き抜けになっていて、光る魔法の石が取り付けられたシャンデリアのようなものが吊るされている。一階には食卓と椅子が置かれていて、お食事処のようにも見えた。カフェのようなお店なのだろうか。
「……ここって買ってその場で食べられるの?」
「うん。そうだよ」
「メインメニューはパンだけど、他にもシチューやお酒も頼めるし、二階は宿になってるの」
「まぁ、酒場みたいなものかな」
「今日はここに泊めて貰おうと思ってね。いいかな?」
シャナは色々考えてくれていたようだった。確かに、わたしたちは宿無しで今のままでは野宿をする他ない。ここなら温かいご飯も、寝床も確保できて丁度いいだろう。
「シャナ、ありがとう――でも、お金は大丈夫? わたしたち、お金は持ってないんだけど……」
「お金のことは気にしないで。私が出すから。ここにはよくしてもらってるから、心配しないで」
「じゃあシャナ、どれくらいの価値があるかわからないんだけど、これを受け取ってくれないかな。それなりに価値はあると思うんだけど……」
シャナはそう言ってくれるけれど、それに頷くことはできない。そう思ってわたしは魔氷晶の欠片を掌に取り出した。リラから聞いた限りはとても貴重なものらしいし、人とも関りをもっている妖精であるシャナなら何か使い道があるかもしれない。
すると、シャナは目を見開いて魔氷晶を隠すように手で覆ったんだ。
「こ、これ……どこで?」
「わたしたちの泉で?」
「……わかった。取り敢えずこれはまた後で話しましょう?」
「サフィ、それはあまり人前に見せちゃダメよ?」
わたしはシャナの勢いに圧倒されつつ、おとなしく魔氷晶をしまうことにした。




