56話:初めまして
エフェリアがシャナの手をとって、一緒に住もうと言い出した。
それにはシャナも、わたしも目を見開いてお互いの顔を見合ってしまった。
同じ気持ちを抱いて、同じ行動をしたのがおかしく思えてしまって、笑いが込み上げてきてしまった。エフェリアのことを笑ったわけではないことだけはわかってほしいと思う。
「シャナ、わたしからもいいかな」
「シャナが言っていたみたいに名前があるなら、シャナだって役割を果たさなくても消えないんじゃないかな」
「それに、ここからでも山は守れるでしょう? それならさ、わたしたちと一緒に行こうよ」
「屋根のある家で、温かいベッドで寝てさ。一緒にご飯を食べるんだ。一緒にオシャレをして、お出かけをしよう」
わたしはシャナにそんな提案をしていた。わたしはシャナを見ていて、わたしに似ていると思ったんだ。本当は寂しがり屋のクセに、強がってひとりでいようとするんだ。ワザとツラい路を選んでそれが強さだと勘違いしている。
それではいつか壊れてしまう。拠り所があればまだしもシャナは独りだ。かつては竜がいたらしいけれど、そのヒトはもう眠ってしまっている。森の愛しい隣人たちがいると言っても、シャナを理解してくれる存在はいないだろう。
なんて、傲慢なことを考えていた。相手の気持ちを勝手に決めつけて、理解したように振る舞う。自分の価値観を押し付けて、施したと思い上がる。
大っ嫌いだ。大嫌いだけれど、迷惑なのだろうけれど。
シャナが人と共に暮らそうとしないのには理由があるんだろう。自分は人ではなくなってしまっただとか、妖精の役割の話であるだとか。誰かを想って自分のことを傷付けるのは誰でもできることじゃないし、優しい仔なんだとも思う。けれど、それは本当の優しさなんかじゃない。
自分を蔑ろにすることでしか成立しない優しさなんて、あってはいけないんだ。それを優しさだなんて呼んではいけない。
シャナはリラやエフェリアにとって、わたしにとっても初めてできた同族の気のいい友だちだ。そのせっかくの出会いを無駄にしたくない。今ここでシャナを帰してしまったら、二度と会えないんじゃないだろうか。そんな予感がしたんだ。
だから、お節介かもしれないけれど、わたしはシャナの手を引くことにした。
「別に一緒の家じゃなくたっていいんだ。少し近くに家を立ててさ、良き隣人ってやつになろう」
「時々あの山に帰って、夜には星を眺めよう。そしたら今度はさ、わたしたちのいた泉にだって遊びに行こうよ」
「せっかく歩ける足があるんだから、色んなことをしようよ」
きっと、あの洞窟にはシャナの大切な思い出があるだろうし、今までの生活をすべて変えてしまうようなわたしたちの提案に乗るのは気乗りしないかもしれない。断られてしまうかもしれない。
それでもいい。それでいいから、わたしたちの想いくらいは届いてほしいと思ったんだ。
「ステキね! ねぇシャナ、わたしからもお願い!」
リラはオオカミと戯れながら、花のような笑顔でシャナを見た。シャナはその金糸雀の髪を真っ赤になった耳にかけて、わたしたちの顔に何度も一瞥を投げかけた。
「私が一緒にいてもいいの?」
「だって……迷惑じゃないかしら、私、ただの他人だもの」
「他人? シャナはもう、わたしたちとはお友だちじゃない」
「いっぱいお話もしたし、お名前だって知っているわ? わたし、シャナとはお友だちがいい」
「これからもサフィとエフェリアとも一緒にいっぱいお話したり、遊んだりしたいもの」
「ね?」
リラはシャナに咲いかけた。シャナはエプロンの裾を掴んで、俯いてしまっている。わたしたちはシャナが返事をしてくれるまで、おとなしく待っていた。
「へっへっへっへふへふはっは」と、オオカミの仔の楽しそうな息遣いだけが聞こえる。意識を割くと思わず笑ってしまいたくなるけれど、今は我慢だ。
「麦の乳母、ちょっと来て……」
シャナがオオカミの仔を連れて、少し離れたところで息を整える。麦の乳母と呼ばれたオオカミの仔は尻尾を振りながらシャナの横に寄り添って、ふたりで大事な話をしているようだった。
わたしたちは山の上で穏やかな風を受けながらシャナの気持ちに整理がつくまで待つことにしたんだ。わたしはリラと並んでその様子を見守っていた。エフェリアもわたしの肩に座っていいこにしていた。
「いい返事、してくれるといいね」
「うん」
「アラ、心配なのン? してくれるに決まってるじゃない。誰だってひとりぼっちはイヤだもの」
「そういうものかな」
「そういうものなのよ。だからサフィだってシャナに言ってくれたンでしょ?」
どうやら、エフェリアにはバレてしまっていたらしい。わたしはそっぽを向いて咲うことにした。
妖精は嘘をつけないし、見抜くこともできない。彼女たちはわたしたちが真摯に接した分、彼女たちも真摯に接しようとする。
つまり、これは一種の契約だ。その内容は同棲すること。対価はお互いの時間のみ。シャナがこの契約内容を少しでも魅力的に感じていて、シャナ自身に強く拒む理由がなければ成立する。
ただそれを正式に契約することはないだろうと思う。契約なんてものはない方が良い。そんなものがなくてもわたしたちは仲良くなりたいし、友だちになれるだろうと思っている。
そんな気がしているんだ――。
◆
「コルンムーメ、私、どうしたらいいのかしら」
この仔は一吠えするだけで、私の質問には答えてくれなかった。いいえ、きっと肯定してくれているのだと思う。さっきの吠え方は、そういう声だったもの。
この仔はいつにもまして幸せそうな顔で尻尾を振っていた。久しぶりに見る顔だと思った。
いつの間にか私の背より大きくなってしまって、見上げないとお顔が見られなくなってしまった。
「私、あの仔たちと一緒にいてもいいのかしら。ヒトと暮らしていけるかしら」
私はこの仔のふわふわの毛に埋もれて麦の匂いに包まれていた。いつかの日、あんなに小さくて弱々しかったオオカミの仔が、こんなにも立派に育ってくれた。この仔は今や私の代わりに山を駆けて守ってくれている。
おかしくて笑ってしまいそう。私が山の守り人であるべきなのに、この仔の方がその名に相応しいのだもの。もしそうなら、私は泡になって消えてしまっても大丈夫なのかもしれない。
「コルンムーメ、私はこの村が好きよ。この村があるから、今でも山を守っているの」
「……山からこの村を守れていたのなら、この村から山を守ることだってできるかしら」
この仔は呆れたような、息を多く含んだ声を出すと私のことを鼻で押し出した。身体を持ちあげられて、イチイのように真っ赤な目が私の目と合った。
優しくて、力強い目。赫々と萌えさせる夕日のようにキレイな宝石だった。
「コルンムーメ、あなたは山から、私たちの見守ってくれる?」
「それとも一緒が良い?」
そう言うと、この仔は目を伏せて私を降ろしてしまった。そうして、私の身体をあの仔たちの方に向けて背中を押し出す。
振り向いても、顔を横に振るばかりで付いてきてはくれなかった。
あの仔たちはまだ待ってくれている。もう一度振り返ってその赤い目を見つめると、コルンムーメは頷いてくれた。なぜだろう。それで私はあの仔たちについていこうと決心がついたの。
――いいえ、本当はずっと迷っているままなのかもしれない。けれど、ずっと悩んでしまうよりなにも考えないでぶつかってしまえばいいんじゃないかと思ったの。
かつてのあの日、まだ小さかったあの仔を救いたいという思いの一心で動いたように――。
「ごめんなさい、待たせちゃって」
「ううん。いいよ」
「……返事、聞かせてもらってもいい?」
「私、私ね……私も……ううん……」
「あなたたちと一緒に暮らしても……いい、かな……」
いざ言おうとすると恥ずかしくなってしまって、お顔が熱くなって、痒くなってきてしまった。目を合わせるのが怖くて、そっぽを向いて小さな声になってしまった。
けれど、あの仔たちはそんなこと気にしないというように私に左右から抱きついてきて、咲っていたの。
澄んだ水のように優しい匂いが私の体を包みこんだ。
風が小さな花々を舞い散らせて、私たちを祝福するようにその香りを浴びさせた。それは目尻浮かんだ泪を拭ってくれる手のように優しくて、温かなものだった。
今までずっと守ってきたつもりでいた、大切なわたしの愛しい仔から慰められてしまったみたい。
情けないよね。
山々は私の選択を肯定してくれていた。喝采を上げるように風が唸って、私の泪を攫っていく。
薄い雲の間から太陽が射し込んで、金のヴェールで包み込んでくれたの。
コルンムーメも遠吠えをして、私たちを祝ってくれているようだった。
私はあの仔たち――サフィやリラ、エフェリアを抱きしめ返した。
「これから、よろしくね」




