107話:お母さんと受付嬢さんのお話
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あれはまだ、私たちが生意気なお転婆娘だった頃のお話。
「エミー!」
仕事の休憩時間に糸車から抜け出して幼馴染のエミーに会いに行く。お名前を呼んではしたなく手を振り上げれば、彼女はお店に飾られているどのお花よりも美しくそのお花のようなお顔に笑顔を咲かせてくれた。
私たちは飽きずに毎日のようにお昼を一緒に食べて、記憶にも残ってくれないようなくだらないお話をたくさんしていたわ。
お花のように可憐で、弱々しいエミーはいつかふと消えてしまうんじゃないかという儚さを帯びていた。それがまた魅力となって、煩わしい虫たちを呼び寄せるハメになってしまっていたの。
エミーは両手でカップを持って、少し俯いたお顔には長い睫毛がその大きな宝石の目を隠すように伏せられていた。お上品、なんて皮肉を言う気にもなれないような無垢な美しさが彼女にはあったと思う。
そんな彼女を見ていたら、頭にお花が着いているのが目に入った。お店にはないお花だったの。
「エミー、そのお花、どうしたの?」
「え? どれ?」
エミーはバターの香る美味しそうなパンを頬張りながら、キョトンとしたお顔でその大きな目を私に向ける。「そのお花よ」と、頭を指さすとエミーは咲って言ったの。
「これね、このパンを買った男の子から貰ったの……ふふっ、その子、わたしがお花屋さんだって知らなかったのね。このお花の花言葉、ちょっぴり悲しいものなの」
「なぁに? また言い寄られたの? ちゃんと断らないとダメよ? それでそのお花の花言葉はなんていうの?」
「まずこのお花のお名前はロックローズ。お山の上でもキレイなお花を咲かせる強い子よ。だから、逆境に耐えるっていう花言葉があるわ。あとは思いやりだとか、優しさだとか。でも、もうひとつは――」
「私は明日死ぬ……だったかな」
キレイなお花ではあるけれど、とても人に贈るような花ではなかった。無造作に摘まれたのか、少し傷んでしまってもいる。
エミーはその美しさから、町一番の美人だと噂されることも多い。いたるところで声を掛けられては断りきれなくて困ったようなお顔をしてる姿もよく見る。気が弱いから押せばいけるのではないかと考える者も多いらしい。けれど、その一方で無理やりエミーに手出ししようとする者は町から邪険にされることもある。
そう大きくないこの町では情報の伝達がはやく、良くない噂も瞬く間に広まってしまう。
それが幸いしてか、エミーがヒドイ目に遭うことはなかったの。
「――その男の子ね、とってもかわいかったわ」
エミーの口から、トンデモないことが言い放たれた。私は思わず凄んだ声を出してしまっていた。だって、今まで男の子に興味を示さなかったエミーが「かわいい」だなんて、湖が干上がってしまうくらいありえないことだったのだもの。
「その子ね、ちょっぴり遠くにある村で、パン屋さんをしてるんだって。それでね、その村にはどこまでも広がるお花畑があってね。とってもキレイなんだって」
それを聞いて、私は少し安心してしまった。エミーが興味を示したのはそのお花畑の方であることがわかったから。
「へぇ、良いじゃない。私も見てみたいわ」
「イドニアも一緒に来てくれるの?」
「なぁに? 私にも来てほしいの? というかその男の子に誘われてたの?」
「え? うん。俺の村に来ないかって言われたわ」
私は思わず両手で顔を覆ってしまったことを憶えているわ。だってそれ、告白じゃない。直接は言ってないでしょうけど、結婚してくださいって意味じゃない。
いつも夢見心地でふわふわしているエミーは、恋や愛には興味があるものの、その知識自体には疎かったの。毎日のようにお店にやってくる虫のことも気の良いお客さんだと思っている節がある。よく今まで無事にいられたものだと思うこともあるけれど、それはエミーのその純情さ故かもしれない。
すべてを前向きに、良いように解釈するエミーの世界に悪い人はいない。心の奥底では悪意に気づいていたとしても、エミーはそれらをなんでもないこととして扱った。
だって、誰にだってやましい気持ちはあるものだもの。でも、ワザワザその暗い心を覗く必要はない。ちょっと恥ずかしいから嘘をついてしまう。ちょっと後ろめたいから嘘をついてしまう。誰にだってある間違いは、笑顔で許してあげるべきだとエミーは考えているようだった。
そんなエミーも、私の前ではよく嘘をつく。
誰も傷つかないような、くだらない嘘。
私はそんなエミーが好きだった。二重の目を細めて、少しだけ口角をあげた小さなお口がかわいらしいの。イタズラな笑顔を浮かべて、小さく肩を揺らす彼女が愛しかった。他の誰にも見せない、エミーの無邪気な一面。そんなお転婆な一面を私だけが知っているのだと、ある一種の優越感に浸っていたの。
「でもその村って遠いんでしょう? 気軽に行けないのは残念ね」
「そうね。どんな所なのかしら。お山の上にあるって言ってたし、雲にも手が届くのかな」
「届いたら食べてみないとね。どんな味がすると思う?」
エミーは上を向いて、小さく唸ってみせた。ゆっくりと流れていく雲を見て、手元のパンを見つめた。その白さが同じだと思ったのか、エミーは咲っていた。
「パンみたいな味だったら美味しそう」
夕暮れの雲はハチミツを塗ったパンの味、夜の雲はカシスのジャムを塗ったパンの味。そんなことを言って、残りのパンをその小さなお口に運んでいた。エミーったら食いしん坊さんなのね。
「じゃあ、雨の降る黒い雲はどんな味なのかしら」
「うーん……そうね……じゃあ、焦げたパンの味にしましょ」
「どうして焦げたパンなの?」
「うーん……雨が降るのは美味しい雲を焦がしちゃって、雲の精霊さんが悲しんでいるからかも」
「なにそれ、雲の精霊さんはおっちょこちょいさんなのね」
「ふふっ、そうよ。雲の精霊はおっちょこちょいさんで、いっつも雲を焦がしちゃうんだから」
なんて、くだらないお話をよくしていたわ――。




