86話:湖の町
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「サフィ~! はやく~!」
翌日。お店の裏の馬小屋の前でリラとエフェリアが手を振ってわたしを呼んでいる。わたしも手を振り返して、もう少し待ってほしいことを伝えた。
荷馬車にはパンや少しのお金が積んであり、女の子は既に乗り込んでいた。お母さんに街へ行くのがとても楽しみであることを話している。
昨日は村のみんなに街へ行くことを伝えて、今日から数日のパンはお店まで取りに来てもらうように言ってある。そうしないとおばあちゃんが大変だからね。背中は真っ直ぐだけれど、杖を付いている御老体に鞭を打つわけにはいかないんだ。
「じゃあおばあちゃん、行ってくるね」
「ちょいと余分にお金を持たせてあるからねぇ。めいっぱい楽しんでおいで」
「でも大丈夫? 私だけでも残った方がいいんじゃないかしら」
シャナは昨日までとても楽しみにしていたようだったけれど、いざ行くとなると心配が勝ってしまったようだった。
けれど、そんなシャナを心配させまいとおばあちゃんは腕に力こぶを作るようにしてみせた。
「何言ってんだい。おばあちゃんはこの通り、大丈夫さ」
「たまにはお友だちと一緒に楽しい思い出を作ることだって大切だよ」
「お嬢ちゃん、シャナのお姉ちゃんのことをよろしくね」
「任せてよおばあちゃん」
わたしもおばあちゃんの真似をして、腕に力こぶを作るようにしてみた。けれど悲しき哉。あるのはぷにぷにの二の腕だけだ。それがおかしく思えてきて、おばあちゃんとわたしはお腹の底から笑った。
「もう、私はそんなに子供じゃありません!」
「……あっ、ちょっと!」
シャナは腰に手を当てて抗議するけれど、見た目が変わらないわたしたちはいつまで経っても子供のようなものだ。人と深く関わり合ってまだまだ日も浅いし、そう考えていたほうがいくらか気も楽になる。
わたしはシャナの手を引いてリラとエフェリアの元へ駆けていった。
お母さんお父さん、女の子は御者の席に座って、わたしたちは荷馬車の方に乗り込んだ。
お父さんが声を掛けて、それぞれが返事をする。
「みんな準備はできたかい?」
「じゃあ母さん、行ってくるよ」
「気を付けてお行きな」
道端から小さく手を振ってくれているおばあちゃんに、わたしたちも荷馬車から手を振った。段々と小さくなっていくおばあちゃんの姿を見ながらわたしたちは街へと出発したんだ。
◆
――馬車の乗り心地は想像以上だった。と、言葉を濁しておこう。柔らかい布がなければどうなっていたかなんて想像もしたくない。
馬車での移動中、積もる話はあったけれど、この話も省いてしまおう。そもそも酔いと眠気とで殆ど覚えていないんだ。コルンムーメの背中が恋しくなってきたのはナイショだ。
リラとエフェリア、シャナはなんともなさそうにしていて、馬車の揺れにあやされてすぐに眠ってしまっていた。
昨晩に楽しみであまり眠れていなかったこともあるかもしれない。
わたしもリラに身を寄せて、夢に身を委ねていた。そうしていつの間にか、わたしたちは街に着いていたんだ。
「お嬢ちゃんたち、そろそろ起きな。町に着くよ」
お父さんに声を掛けられて、わたしたちは唸りながら重たくなった瞼を持ち上げた。目を擦って荷馬車から上半身を乗り出すと、眼の前には端まで見渡せないくらい大きな湖の周りに栄えている町が見えたんだ。
赤い屋根が規則正しく並んでいて湖の対岸の方にも栄えている町が見えていた。少し目線を外すと、教会のような建物が目に入った。
一際大きな建物には領主が住んでいるのだろうか。もしかしたらギルドのような建物かもしれない。村とは違って、しっかりと自治体が敷かれていることが窺えた。
「わぁ……!」
太陽の光を反射して湖が煌めいている景色は、思わず声が漏れてしまうほどにとてもキレイだった。
「町ー!」
「見て見て! とっても大きな泉!」
リラとエフェリアは目を輝かせて、とても楽しそうにしている。
「アレは泉じゃなくて、湖って言うんだよ」
「湖ー!」
「ふふっ……すごい、キレイね」
シャナははしゃいでいるふたりを一瞥すると、湖に向かって目を細めて咲った。風に髪が靡いている横顔がとても様になっていた。
「お嬢ちゃんたちは泉の精霊なんだったか?」
「うん。リラとわたしはそうだよ」
「そうか。なら、俺たちがパンを売ったり、材料を買ったりしている間、あの湖で遊んで来たらどうだい? もしかしたら仲間が見つかるかもしれないね」
「手伝わなくてもいいの?」
「まぁお嬢ちゃんたちは人目に付くと良くないんだろう? それと都合良く使って悪いんだが、その間は娘と一緒に遊んでくれると助かるんだ」
「そうね。この子だけお仕事だなんてつまらないでしょうし、わたしからもお願いするわ。一緒にいいかしら?」
リラとエフェリア、シャナは快く首肯した。わたしもその方が良い。町を見て回れないのは少し残念だけれど、それはまた次の機会にすればいいことだ。
それに、わたしは久しぶりの水の存在に少し浮ついていた。身体が本能的に水を求めているのかもしれない。
「じゃあ、まずはギルドが運営している宿を取るから、そこを集合場所にしようか」
「ギルドもあるんだ」
「あぁ、小さいけどね。そこにある商業ギルドでパンを売る許可を取るんだ」
「ギルドに直接売ることもできるんだけど、俺たちはギルドに入ってないからちょっと多くお金を取られるんだよな」
「まぁ、売らせてもらえているだけギルドの心は広いかな」
お父さんはそんなことを零していた。
確かに、ギルドに加盟しないと圧力を掛けられて商売ができないようにする……なんてこともあるのだろう。
ギルドは商品の最低限度の品質を保ったり、需要と供給の均衡を保ったりすることが役割だと少しだけ調べたことがある。ギルドに加盟してないおばあちゃんたちのお店は、ギルドからすれば邪魔者のはずだ。
それでも私利を優先せず、公平に接して圧力を掛けていないのはかなり良心的だと言えるだろう。
「村や山を守るのはこの前話してくれたけど、ギルドに入るだけならいいんじゃないの?」
「そうもいかないよ。加盟すれば、その組織の取り決めに対して、絶対に従わないといけないことが出てくる」
「そうしたとき、俺たちがギルドに加盟しているとなにもできなくなっちゃうからな」
わたしは曖昧な相槌を打ってやり過ごすことにした。お父さんは以外と強からしい。いくつか先の未来を予想して行動することは難しいことだ。人はいい顔をされてしまったら、簡単に心を許してしまうものだ。けれど、お父さんたちがそうしないということは村や山への愛が強い故だろう。
自分たちの身の豊かさよりも、他の誰かを優先できるなんてことは誰でもできることじゃないんだ。
わたしはそんなことを思いながら、煌めく湖を眺めていた。




