*** 回想 森の中の三人、世界が少し揺れる(4)
「ああ、佐々木―――だな?」
「え? 颯太?」
律につられて振り返ると、今まで僕らが歩いて来た道から颯太が大きく手を振って近づいてくるのが見えた。
「お前ら―! 何やってんだよーっ!」
「颯太!」
僕らも颯太のもとに歩み寄る。もたついて走れなかった。
「どうして? 僕たちみんなを追いかけていたはずなのに、いつの間に後ろにいるの?」
「お前らが、変なわき道に入ったんだよ。心配かけんなよなぁ」
まっすぐ進んでいたはずなのに?と首をかしげる僕。でも、律がそういえば…と、気が付いた。
「道の案内板が、変な方向に曲がってたのを見た…な」
えっ!僕、ずっと下を見てて全然気が付かなかった…。
迷ってたのって、僕のせい?!
ああああ、僕がダメダメすぎる…。
ごめん、本当にごめんね、律。と、颯太もごめん。
「ああ、誰かわざと曲げてたみたいだ。先生が気が付いて間違えなかったけど。
後から来るお前らがいないのに気が付いて、心配になって見に来た」
颯太が当たり前のように話す内容が、とんでもなく物騒だなって思った。
いたずらにしても、ひどい。
「―、佐々木、このことは先生に伝えてきたか?」
「え? あ、――言ってないや。失敗失敗」
絶対失敗したとは思ってない颯太の返事に、律が珍しく大声で怒鳴った。
「二人が迷子じゃなくて、三人が迷子になったじゃないか!
報連相は大事だって、いつも言われているだろう!」
「ははは、ほうれん草は大好きだけど、今じゃないよ」
「その『ほうれん草』じゃない! 報告、連絡、相談、だ。」
「おー、さすがだな、律。大人の言葉をよく知ってる」
「大人だけじゃなくて、僕たちにも大事なことだ。報告、連絡、相談」
ちょっとイライラしながら律が颯太に注意するが、うーん、ごめんと言いながら颯太は僕らを確認している。
「じゃあ、報告してくれよ。律は―足を怪我してるな?
凜は…泣いてたのか?律にいじめられたのか?不安でか?」
「「―――!」」
なんで見ただけでわかるんだよ。 颯太の野生の勘、凄すぎる。
「な、泣いてない! 涙じゃなくて、雨だよ」
「あー、はいはい。ごめんな、俺がもっと早く気が付いて迎えに来てやれば良かったよなぁ」
ぽんぽんと、偉そうに僕の頭を撫でる。
「そうじゃなくて―! 泣いてないから、絶対泣いてないから」
むきになる僕をちらっと見てから、しゃがんで律の足元を見る颯太。チッ、無視したな。
「うーん、ひねった?打撲か? ちょっと引きずって歩いてたろ?
足跡に筋出来てるし、このまま歩くのがきついなら、俺がおぶろうか?」
「―――肩を貸してもらえればいい」
すごく嫌そうな声で答える律に、颯太は通常営業だった。
「りょうかーい! じゃ、戻ろうぜ。みんな待ってる」
楽々と律に肩を貸して歩き出す。僕もあわてて後に続いて元来た道を進む。
そして、僕らは今降っている雨の凄さにまた驚かされることになる。
「やばい、ほんとに迷子になったかも」
「「えっ!」」
進んできた足跡が、雨でぐしゃぐしゃになって見分けられなくなっていた。
やまない雨の音が、まるで僕たちを閉じ込めようとしているみたいだった。
道だと思っていたところが、実は道ではなかったのかもと思うくらい、地面はぐちゃぐちゃになっていた。犯人は、颯太だった。
「標識の所から曲がって探してて、いろいろ動き回ってたら、こうなった」
悪びれない口調だけど、さすがに困ったぞと言う表情ではある。少しは反省しろ。
「とりあえず、先に行ってみるか。うまくいけば登山道に出るかもしれない」
いや、反省は全然してないな、颯太は。
「佐々木―」
怒り出しそうな律の声にかぶせるように、雨に負けないくらいの大声を出す僕。
「それは一番やっちゃいけないよ、颯太!」
「んん?」
「昨日の講習会で言われてただろう。
道に迷ったらむやみに動き回らないで、出来るだけその場にとどまりなさいって」
「あ! そうだったな、ウッカリしてたぜ」
なんで昨日のことを忘れちゃうのかなぁ。
「そうなると―この近くでとどまるところ探さないと…」
今は、この雨を少しでもしのげるところにいたい。
ポンチョを着てても雨のせいで体温がどんどん下がっていく感覚がある。
指先とかちょっと冷たくなってきてる。
洞窟とか、大きな樹の下とかも周りには見当たらない。
かといって、このまま雨の中に立っているのもあまりいい事には思えなかった。
「確か、事前に貰った地図には…―、佐々木、倒れていた標識には何が書いてあったか覚えているか?」
「あ……確か、この先の展望台立ち入り禁止、って…なってたような?」
昨日の講習をうっかり忘れちゃう颯太の記憶で大丈夫?って心配になったけど、律はよし、って頷いた。
「僕が覚えている地図の記憶に間違いがなかったら、その展望台まで移動した方が良いかもしれない。ここに立ったままより雨風はしのげると思う」
「律が言うなら、そうしよう!」
即答する僕に、颯太がムッとする。
「―なんで俺より律を信用するんだよ」
「「あたりまえだろ?」」
「二人そろってそんなこと言うなよ、失礼だなお前ら。せっかく助けに来たのに」
「一緒に迷子になりに来ただけだろう?―ほら、行こう。多分直ぐ到着出来るはずだから」
颯太の言葉は無視して、律はひとりでも歩き出そうとした。僕が慌てて手を差し出そうとすると、颯太が先に律の腕を取り肩を貸して歩き出す。
「迷子になりに来たんじゃないの、俺は親友を助けに来たの」
ぶつぶつ文句を言う颯太の言葉に、僕も律も一瞬息をのむ。
こんな時にも親友って…言ってくれるんだ。不思議で、くすぐったい気持ちになった。
律の予想通り、しばらく歩くと古くてあちこちが崩れかけている展望台の影が見えてきた。
念の為、近くに熊が居ないかをじっくり観察する。
雨の中でも、クマ特有の獣の匂いは解るらしい。父さんの熊知識だ。
「熊は、いないみたいだね」
「とりあえずは…あの床下に入るか、ちょっとでも雨があたらない方が良い」
僕らは崩れそうな階段手前の、黄色と黒のトラ柄バリケードをくぐりぬけて、階段の下に何とか潜り込んだ。雨のせいで見晴らしがいいはずなのにあたりは薄暗くて、この床下は更に暗い…。
床下の空気は湿っていて、土と木と、枯れた草なんかの古い空気が混ざり合っていてちょっとだけ息苦しい感じがした。
ポンチョのフードを脱いで、フルフルと頭を振って深呼吸をする。
雨の音は少しだけ遠くになって、雫もあまり落ちてこないのでホッとした。
狭いから、三人でぎゅうぎゅうにくっついているしかない。と、颯太がポンチョをまくり、リュックの中からごみ袋を取り出して、足元に敷いた。
「ホントはゴミ入りの袋の方が分厚くなって良いかもだけど、何も敷かないよりはましだから。ほら、律、座れよ」
一応、けが人を優先している。颯太が!
「…―何枚持ってきてるんだ?ゴミ袋…」
びっくりしている律。そうだよね、僕もびっくりした。
「え?一袋。40Lだから、10枚。色々使えて便利だって、山菜取りに行くときにじいちゃんがいつも言ってた。濡れた服とか脱いでこれに包まるとか、ああ、雨具みたいにここを切って頭を突っ込んでもいいんだって」
袋の縁を見せながら説明をしてくれる。そういうことはちゃんと覚えてるんだ。
ホッとしたのと、颯太の雰囲気でなんだか急におかしくなって笑いだしそうになる。
「ぷっ…―佐々木らしいな」
噴き出した律に、颯太は珍しく不機嫌な顔になって問いかける。
「なんでだ?」
「佐々木らしいって事? 講習の話はすぐ忘れるのに、―」
「じゃなくて、いや、忘れるんじゃなくて――、じゃなくて」
颯太が何を言いたいのか全く、分からない僕と律。
顔を見合わせて首をひねると、更に颯太が口をとがらせる。
「だから、なんで凜を名前で呼んで、俺のことは佐々木のままなんだよ」
「へ?」「ぶっ、ふふふふふ」
律から変な声が出た。僕は思わず噴き出して笑い出した。
颯太はむきになって早口になった。
「なっ、だっておかしいだろう! 俺、二年生の時からずっとお前の事を律って呼んでるのにまだ『佐々木』のままで。
今朝までは、凜のことも佐藤って呼んでたのに、なんで急に名前で呼んでるんだよ。
俺たち、親友同士だろ!なんで俺は、『佐々木』のままなんだよ。」
「……僕たちはそんなに親しかったか?」
「かーっ! 薄情者、昨日カレー作るの手伝ってやったし、軍手だって貸してやったじゃないか。
お前が親友だからだぞ」
「……本気か?……」
「なんで疑うんだよー、律」
「佐々木はお調子者で誰とでも楽しくやっているから、知り合う全員にそういってるのだと思ってた」
颯太の顔に、ガーン、っていう文字が見えた。本当にこんな表情があるんだ。
あ、待てよ。
僕はさっきの自分の恥ずかしい態度を思い出して、一気に顔が熱くなった。
律が僕のことを凜って呼ぶようになったきっかけは…ちょっと、いや、絶対に知られたくない。
特に颯太には知られたく無い。律は…話したりしないよね?
心配になってちらちらとした僕の視線に気が付いた律は、ちょっとだけ笑って頷いてくれた。
…大丈夫、だよね?
「なぁー、俺のことも名前で呼んでくれよー」
「そのうちな」
そっけない律の返事でも、颯太はめげてない。
「そのうち? 明日? 明後日?」
「…しつこいのは嫌いだって言ってあるだろ」
二年生の時から変わらない律の返事に颯太は肩を落とす。
「うぐっ…。わかった、『そのうち』なんだな。絶対だぞ!」
「あー、はいはい」
律は気のない返事をするばかりだった。で、颯太が僕に話を振ってくる。
「なぁ、凜。どうしたら、律に名前で呼んでもらえ―」
「あ!ああ! 二人とも、おなかすいてない? 甘いもの食べたくない?」
しつこい颯太の意識をそらさないと!僕は急いでリュックの中から、とっておきを取り出した。
「母さんの、お菓子。少し残っているから、食べよう!フィナンシェなんだ。三個あるから、一個ずつ!ね? ほら、颯太、食べるだろ」
お菓子をたくさん持たせてくれてありがとう母さん。そして颯太の食い意地が悪くて、よかった…。
颯太はすぐにフィナンシェにかじり付き、律もゆっくりと口にしているけど、時々首をかしげている。美味しくなかったかな?
「律、どうしたの? 味、おかしい?」
「あ、いや…なんだか不思議な感じで。『母親』って言うのが作るお菓子類を食べたのは、凜のくれたのが初めてなんだ。手作りのお菓子って…こんな感じなんだな」
「あ、そうか。律の母ちゃんは、東京だっけ?仕事忙しいからこっちに来れないの?」
一気に食べ終わった颯太の言葉に、律は嫌そうに笑った。
「忙しいんだと思うよ、娘の芸能界活動のサポートで。男の子じゃキラキラしないからつまらないわー、って言ってたから」
「「えっ」」
自分の子供に、そんな差をつけるの?
しかも、律が息子だから? 馬鹿なの?
「―律の母ちゃん、目が悪いのかなぁ? 律、すげーキラキラじゃん。ちっちゃい芸能人?子役みたいにさ、キラッキラしてるのに」
珍しいな。珍しく颯太と意見が一致した!え?もしかして、颯太って前から律の素顔みてたの?
僕、ずっと同じクラスだったけど、今日初めて知ったのに!
なんだか悔しい…気がする。
「僕は自分の顔なんてどうでもいいんだ。
息子だって言うだけでいらないって言うならもう、どうしようもないもの。
―だから、凜や佐々木がちょっと羨ましかったのかもしれない」
「そんなことないよ、うちの母ちゃんは怖いぞ。すぐ怒る」
「それは佐々木が怒らせるようなことをするからだろう?」
正解だよ、律。
「僕のうちは…平凡?目立たない普通の母親だよ」
「そうか…? でも、きっと凜に似てるんだろうな。
お菓子、すごく優しい味がする。
食べるとホッとするっていうか、疲れが取れる…怪我の痛みも取れる、みたいなかんじ」
「そ、それは褒めすぎだよ! 僕はそんなに優しくないし!お菓子だって普通だよ」
律に正面から褒められると、焦ってしまう。恥ずかしい!
「いや、確かに! 凜の母ちゃんのお菓子とか飯って、普通なんだけどすごく元気になる気がしてたんだよなぁ。ずっと」
母さん、母さんの評価がすごく上がってます。嬉しいけどこれは結構…恥ずかしいです。
「そ…れはきっと、父さんの為に…いろいろしてるから…じゃないかな?
僕なんて、そのついでみたいな…」
「ついでに、でもこんなにたくさん持たせないよ。それに、今朝、体調の悪い井上さんにもお菓子を渡していただろう?マフィン」
う、しっかり見られてたんだ…。益々、恥ずかしい…。
「マフィン! おばさんのマフィン、本当に旨いんだ! 凜、帰ったら焼いて貰ってくれよ!
暫く食べてないから、あったって聞いたら無性に食べたくなった!」
「へぇ…そんなに美味しいなら、僕も、食べてみたいかな」
律にまで食べてみたいって言われたら…。
ちょっと、母さんに頼んでみようかな…。
でも、父さんがいない時じゃないと、駄々こねるかもしれないなぁ…。
母さんの作る物は全部自分の物にしたい人だからなぁ…。
息子にまでやきもちを焼くなんて誰にも言えない。
雨の音はまだしているし、律の馬鹿な母親の事とかはムカムカするけど、母さんのフィナンシェのお陰で、僕たちの心の距離は少し近くなったような気がした。




