*** 回想 森の中の三人、世界が少し揺れる(2)
翌朝、僕たちのグループの女子三人が朝食に来なかった。
グループで食べるとは決まってなかったので、僕と律だけで先にご飯を食べる。ご飯とお味噌汁に卵焼きの朝ごはん。ほかに、何人かの女子が食べに来ていないみたい。
「井上さん達、どうしたんだろう…」
「ほかにもいないのがいるみたいだから、女子部屋の方で何かあったのかもしれないな」
食器を下げる時に独り言のようにつぶやいた言葉に律が返事をしてくれた。ちょっと嬉しい。
今朝寝坊しそうだった僕を起こしてくれたのも律だ。時間を守れなかったらグループの責任だから気にしてくれたんだ。本当にしっかりしている律がいてくれてありがたい!
「一度部屋に戻って、先に登山の用意をしよう。出発時間は決まっているから、それまでには集合地点に来るだろう」
「うん」
本当は顔を見て返事をしたかったけど、なんとなくまだ恥ずかしくて先に歩きながら返事をした。まだお互いに名前を呼んでないから、それがちょっと恥ずかしいんだ。
なんて呼びかけたらいいんだろう……。
そして、出発の10分前になってようやく集合場所に女子三人がやってきた。そうしてその後ろには宿泊研修に同行している保健室の先生が一緒だった。
あれ、何かまずい事が起きてるのかな?三人とも顔色が悪くて、特に井上さんは真っ青な顔で、今にも泣きだしそうになっている。
「どうしたの? 井上さん」
律が静かに声を掛ける。
「あの…ごめん、…なさい。私達…登山できなくなったの」
普段とは全く違う、か細い小さな声の井上さんに戸惑う僕と律。
「登山をしたいと言ったのは、君たちだったはずだが?」
「それは、そうなんだけど…でも…ええと…」
目を泳がせてはっきり話さない井上さんに、律がぐっとこぶしを握り締める。
「理由を言わない、約束の時間を破った説明もないなんて、君たちは僕たちを馬鹿にしているのか?」
珍しい律の口調に、鈴木さん達が慌てる。
「違う!そうじゃないの」
「井上さん、行きたくても無理なの」
「体調が悪いの?」
僕の問いかけに、三人は困ったような顔をする。だけど、立っているだけでも辛そうに見える。顔色も真っ青だし。
「体調が悪いなら、どこがどうなのかしっかりと伝えてくれればいい。無理をすることはないし、強制はしない。でも、何も説明がないのは納得できない」
「……ふっ…う…」
律の言葉に、とうとう井上さんは涙をこぼした。でも声は上げない。涙だけがポロポロこぼれてくる。ええっ!こんな井上さん初めて見る。
大声で話して笑って、男子にも負けない勢いがある井上さんが、まるで普通の女の子みたいで僕はびっくりした。ちらりと隣にいる律を伺うと、まだ怒ってる。いや、逆にもっと怒っているように見えた。
「……これだから…女は嫌なんだ……」
それは僕だけに聞こえた。律が心の底から吐き出したような悪意のこもった一言だった。
三人の様子も気になるけど、律の反応もおかしいような気がする。
そういえば保健室の先生がいるのも、変…だよ。ちらっと先生を見ると、先生も困った顔でこっちを見ている。先生には理由が分かってる。先生には、言えたんだ。
先生と僕たちが違うのは?学生?…あ…
ふと閃いた。
「あの…。もしかしてなんだけど…女の子の日…?」
ビクッと、井上さんの肩が上がった。真っ青だった顔が少しだけ赤くなって涙をこぼしながら小さくうなずいた。
律も息をのむ。すぐに察してくれた。「……そういうことか…」
その声は怒りではなく、戸惑っているのと多分少しだけ後ろめたいような気持ちなんだと思った。さっき、僕にだけ聞こえた言葉に対する罪悪感、っていうやつかも?
「それなら仕方ない。今日のレクリエーションは不参加になるのか?」
「ううん、ハイキングに変更してもいいって、保健の先生が言ってくれたから、私たちも一緒に変更させてもらうことにしたの」
「急に変更してごめんなさい」
まだ涙をこぼしている井上さんの代わりに、鈴木姉妹が交互に説明してくれる。最初からちゃんと説明したかったんだろうけど、やっぱり…女の子の体の事は言いにくいよね。僕も、母さんがつらそうにしている時何回も見てるから、なんとなくわかっただけで本当に大変なことはきっと何もわからないと思う。
律は…そういったこともちゃんとわかってる。でも、それが目の前の子たちの事だっていうのが思いもよらなかったんだよね。普段の律なら、絶対に気が付いたはずだ。
それが出来なかったくらい、律は…何で怒ってしまったんだろう?昨日から、いやこのグループになってからずっと女子に振り回されていたから、本当はずっと怒ってたのかな?
表情が良く分からないから、律が何を考えているのか、感じてるのか良く分からないや。
「わかった、じゃあ登山は僕と佐藤が参加するよ。―怒って悪かった」
「私たちこそ、ごめんなさい。迷惑ばかりかけてごめんなさい」
律の謝罪に、井上さんはすごく素直に謝罪する。なんだかすごく意外でびっくりだ。
保険の先生は僕たち自身で解決できたことを喜んでるみたい。なにも、泣き出すまで見守らなくてもいいのになぁ…。まぁ、先生から生々しい話を聞かされるのも、嫌かも…ね。
律と二人、登山コース選択の集合場所に向かおうとして、ふと僕はリュックの中から母さん特製のマフィンの包みを三個、井上さんに渡した。
「母さんの手作りだけど、休憩の時にでも食べてみて。体調の悪い時でも食べられるような優しい味だと思うから。三個あるから、三人で食べて」
「え…?あり…がとう…??」
「「……?」」
「じゃ! お大事にね」
渡してすぐ、急に恥ずかしくなって僕は小走りでその場を離れた。そのあとを律も無言でついてきてくれる。恥ずかしい…。一気に恥ずかしくなってきた!
どうしよう、普段そんなに交流ないのに、急に手作りのお菓子なんて渡して!気持ち悪い、とか思われなかったかな? 怪しいって思われて、捨てられたり…するかも?
ごめんね母さん、万が一捨てられたら、本当にごめん!
結局、僕と律は二人なので別のグループと一緒に行動することになった。で、何故かクラスが違うのに颯太のグループに入った。
幼稚園から一緒の人間がほとんどなんで、クラスの違いはあまり関係ないので、先生たちもしょうがないな、っていう雰囲気で流してくれた。
お天気は薄曇りで、登山にはちょうどいい感じだった。頂上まで登ってからお弁当を食べて、下山する。途中、林の中の植物の観察や、偶然見かけた小動物、昆虫の観察をした。
そして、このコースの名物でもある、暗闇の(勇気の洞窟)を抜けるエリアへと差し掛かる。
なんで登山道にこんなコースがあるんだろう? 暗いところ苦手なのに。
三十メートル程度らしいけど、坂道のごつごつした岩場の真っ暗な中を進むのは、怖いのでみんな誰かと手をつないだりして進んでる。壁に手をついて進めるけど、入り口で律が無言で手を出してくれたから、ホッとして手をつないで、ゆっくりと歩みを進めていた。
「おい大丈夫か? ずいぶんノロノロだぞ」
後ろから颯太の声が聞こえる。普通に歩いてる颯太、本当に怖いものなしだ…。
「大丈夫だけど、ちょっと足元怖いから、颯太が先に行ってよ」
僕たちを追い越して進むくらいのスペースはあるんだから。せかされるのは、嫌だ。
すると、颯太が後ろからトントンと足音をたてて距離を詰めて、僕の横に並んだ。
「引っ張って行ってやろうか? 律、代われよ。俺が連れていくよ」
「―断る。僕達は同じグループなんだから」
ぎゅっと僕の手を強く握る律。同時に、颯太も僕の反対側の手を強く引っ張った。
「今は俺だって同じグループだから、いいんだよ。ほら、凜」
ぐいぐいと颯太に引っ張られて、僕はその場に転びそうになった。馬鹿力めっ!
「ちょ、颯太。危ないって、強く引っ張らないでよ」
「佐々木、よせ。危ないだろう。佐藤が痛がってる」
「律が手を離せばいいんだよ、ほら」
ぐいぐいと颯太の引っ張る力が強くなる。
「そ、颯太。本当に、危ないから―っ――あっ」
颯太に訴える今、心配したとおり、足元のバランスを崩して前のめりに転びそうになった。
「危ない!」「あっ!」
壁を伝っていた律の手が僕の体を支えようと伸び、同時に律と僕は一緒に転倒する。
ジャリッ、ガキッと二人とも地面に膝を打ち付けてしまった。颯太も手を放す。
「凜、ごめん!大丈夫か?」
肩を掴んで立たせてくれる。暗くてよく見えないけど、たぶん膝をぶつけたくらい。血は出てないはず。
「僕は大丈夫だけど…秋月くんは?」
颯太に立たされた時に気が付いたけど、僕、律の上に乗っかってた。だから膝をぶつけただけで済んだんだ。
「……大丈夫だ。―佐々木、君が乱暴に引っ張るから」
「律が、凜の手を離さないからだろ」
「佐藤は強く引っ張るなと言っていただろう」
「だからそれは律が凜の手を離さないからで―」
「どうしたー? 喧嘩かぁ?」
後ろから同行している先生の声が聞こえた。はっとして、颯太も律も口を閉じる。
「だ、大丈夫です。僕が、ちょっと転んだだけです」
「おおー、佐藤か。怪我したか?」
ずんずんと、先生が近づいて来た。
「僕は大丈夫です、怪我もしてないです」
答えて、ちらりと隣の律を見る。表情はわからないけど律も無言で頷いた。大丈夫そう?よく分からない。
「ごめんね」って、律にだけ聞こえる声で謝ったけど、小さく首を振るだけだった。
「よーし、気をつけろよ。佐々木も、お前の元気で振り回すなよ」
「はーい」
珍しくちょっと不機嫌そうに答える颯太。
そうそう、颯太のパワーに付き合える人なんてそうそういないんだから。気を付けて欲しいよ。
そのあとは出口まで先生が一緒だったから、颯太と律の雰囲気はそれ以上悪化しなかった。でも二人ともしっかり僕の手を握ったままだった。
足元が悪くて、濡れた土や岩で転びそうになるたびに二人が強く手を握ってくれる。
すごく長く感じた洞窟の中だったけど、目の前に外の明かりがちょっと見えてきた。
ホッとした。五分もかかってなかったみたいなんだけど…。すごく疲れちゃった。
さぁ、頂上まであと少し! お弁当、楽しみだなぁ!って、のんきに思ってた。
洞窟を出ると、そのまま登頂まで進むグループとここで下山してからお昼を食べるグループに分かれることになってた。僕と律の最初のグループは下山組だったんだけど(女子三人の希望の、軽い登山、と言う形)、颯太のグループはそのまま頂上を目指す予定だった。
なんとなく、颯太が行くなら僕も、っていう気持ちになったのは洞窟を乗り切った達成感でちょっと気が大きくなっていたからだ。
「先生、僕、このまま頂上まで行きたいです」
点呼を取る先生に申告をすると、
「登山をやる気になってよかったよ!山はいいだろう!」と、大喜びで許可してくれた。そして僕の横にいる律を見た。
「秋月はどうする?」
あっ! しまった、律の希望を考えてなかった!ただでさえ、メンバーが減ったり、転んだりで。律、きっと嫌な思いしてる!
「あ、あの、あ―」
律が行かないなら僕もやめようって、言おうとしたときに、
「行きます」
いつもの静かな声で律が答えた。先生は、秋月も登山が面白くなっただろう、と更に喜んでいるけど…。僕は小さな声でまた律に問いかける。
「……いいの?」
「グループは一緒に行動するのが今回のミッションだからな」
淡々と、もしかして少し怒ってるのかも?と思うくらいいつも以上に静かな声で律が答える。僕は、ぎゅうっと胸が痛くなってしまう。
「ごめん、僕が勝手に先生に行きたいって言ったから…。あの、今からでもやめるって…」
僕がやめると言う前に、律は僕の手を取って歩き出す。
「いいんだ。ほら、点呼とったし、佐々木たちが待ってるぞ」
律の声は静かだったけど、少しだけ冷たく感じた。僕は胸の奥がきゅっと痛くなってうつむきながら歩く。
ものすごく申し訳ない気持ちになっていた。
僕の様子がそんなのだから、颯太やこのグループの皆が声をかけてくれる。
「大丈夫か?凜。無理しないで下山してもいいんだぞ?」
颯太が僕の顔を覗き込んで聞いてくる。
「あ、うん…」
ちらっと、律を見るけど涼しい顔をしているままだ。怒ってない?
でもその視線に、颯太は律が無理に僕を誘ったと思ってしまった。
「おい律、こっから先は結構きついのに、こいつを無理矢理誘ったのか?」
少しきつい声の颯太は律をにらむ。律は気にした様子はない。焦った僕はすぐに颯太の言葉を否定する。
「違うよ颯太。僕が登りたいって、先に言い出したんだ。り…律くんは関係ないんだ。
ごめんね、勝手に…その、…みんなで頂上に行ってみたいっ!―てテンションが上がっちゃったから…。颯太たちのグループにも迷惑かけちゃうよね、ごめん」
あ、まずい!勢いで、『律』って言っちゃった!
最近、五年生になってやっと名字で呼ぶようになってたのに、いきなり名前よびなんて!図々しい、って思われるかも!恥ずかしい!
「「「……」」」
だけど僕の心の叫びとは別の、いつになく僕が大きな声で話した事で、周りにいた皆がちょっとびっくりして無言になった。そして、すぐに一斉に笑い出す。
「ばぁーか、別に迷惑じゃないよ。お前が一緒なのは嬉しいよ、変な勘違いするなよ。な?みんなもそうだろう?」
颯太の言葉に、みんながうんうん、と頷く。律も呆れた顔をしているのが見えた。
「よし、じゃあ…。これから先は軍手とかも必要なんだ。持ってきてる? ないなら予備があるから、俺のを貸してやるよ」
リュックから新しい軍手を出してくれたけど、―悔しい。僕にはブカブカだ。
「佐々木君のは秋月君に貸してあげなよ。佐藤君には、私のを貸してあげる」
僕より少し背の高い女の子が、かわいいキャラクター付きのピンクの軍手を貸してくれた。ぴったりなのが、本当に悔しい…。
颯太は、律に軍手を押し付けている。律は少し困ったように受け取った。でも仲良しだな。男同士の友情って、こういう感じなのかな。ちょっとカッコいいかも。
「よーし、全員準備できたなぁ。頂上までは四十分くらいかかるから、気を引き締めていくぞー!」
「はい!」
登山大好きな先生の号令に、登山組総勢十人の僕たちは元気よく返事をした。
頂上までは遠いけど、颯太や律がいるから大丈夫だろうなって気がした。




