***夕凪島の嵐(5)
唐突に、意識が戻った。
仮眠から目が覚めた瞬間、不思議なくらい体の中からすっきりしていた。意識がとてもクリアになっている。考えることが沢山あったのに、その一つ一つが明確に認識でき、何をどう整理すればいいのかが頭の中で確実に動き出す。
腕時計を見ると、矢島一等陸曹にここに送られてからちょうど三時間たっていた。
食事と睡眠の大切さを、改めて実感した。
「よし。―――行ける」
ベッドわきに置いていたヘルメットをかぶり、顎紐を締めながら立ち上がった。
すぐに指揮所天幕に戻ろうと、建屋を出ると雨が降っているのに気が付いた。
風は少しだけ吹いている。まだ嵐と呼べるほどではないが、雨粒は生温かい。
空気がしっとりとしてくるのを感じた。
これは、嵐の前兆だ。
「待たせた! 状況はどうなっている?」
天幕の扉代わりのシートを勢いよくまくりながら中に入る。
通信機の前には佐久間がいた。矢島一等陸曹は届いた情報を整理し、地図に付箋を貼りこんでいる所だった。
「佐藤一等陸尉、―――休めましたか?」
「ああ。しっかり眠れた。すまない、心配かけたな。
佐久間も、戦闘糧食を温めておいてくれて助かった。ありがとう」
「いえ! お役に立ったなら何よりです」
嬉しそうに答える佐久間二等陸曹。素直なのはいい事だ。
「こちらがいま届いている本部からの情報と、監視任務の定時報告です。監視に関しては異常はありません。」
対して、矢島一等陸曹は―――うん。疲れてるな。さっきまでの俺も、こんな感じの顔色だったのかな。これは…確かに心配になる。
「報告ありがとう。 資料はそのまま受け取る。 分隊長たちの集合までは、あと四時間くらいあるな。 矢島一等陸曹はこの後仮眠休憩に入ってくれ。食事は摂れたか?」
「自分はまだ大丈夫です」
受け取ろうとした資料をそのまま素直に渡してはくれない矢島一等陸曹。
「俺と同じだけ動いてるよな?」
「経験年数が違いますから」
「ならなおさらだ。年齢を考えろ。
ぼけた頭でぐちゃぐちゃ考えても、ろくなことにならない―――そうだろ?」
「ぐぅ……」
ふふ、久しぶりに矢島一等陸曹を黙らせられた。
「さっさと食べて、寝てこい。 その間に俺はこっちを読み込んで、防衛ラインをもう一度考える。 矢島一等陸曹が起きてから、詳しく詰めよう」
「……了解」
渋々だが資料を差し出し、そのまま天幕奥に進もうとするのでそこも引き留めた。
「電波塔を使え。静かでぐっすりだぞ」
さっき言われたことを丸々返しておく。でも、これは感謝してるからだ。
良い環境で食べて寝て、すっきりできたからな。矢島一等陸曹にも感じてもらおう。
「二時間で戻ります。」
「三時間だ。」
厳しい顔になる矢島一等陸曹に、ポーチから最後の聖華の菓子小袋を渡した。
半分、俺が食べたけど―――。現状、仕方ないよな。
「任せろよ、俺に。」
ふぅ、とため息をつき、素直に小袋を受け取る矢島一等陸曹。
「これを出されたら……仕方ないですね。」
苦笑いで小袋と戦闘糧食を手に天幕を出ていった。
「よし! じゃあ―――」
俺は改めてすっきりとした頭で海に囲まれた夕凪島の地図に向き合った。
矢島一等陸曹が貼り付けている付箋の情報を、更に詳しく確認するため、送られてきた資料にも目を通す。
本部からの防衛ラインに関する指示はない。このまま、こちらの判断で構築したもので大丈夫だと判断されている。
砂浜が岩礁に代わっていたことや、アスファルトの劣化に関しても同様。臨機応変な対応をするしかないのは伝わっていた。
ただ、桟橋に関してだけはその後進展があったようだ。
「『国際海洋哺乳類保護機構』による無許可建築物と判断…だと?」
桟橋の所に張り付けられた付箋メモに書かれている文字に首をかしげる。
すかさず、矢島と一緒に話を聞いていた佐久間が説明をしてくれた。
「桟橋ですね。防衛省のほうで徹底的に調べたらしいです。時期が時期なので、県や国の関係部署に照会して、島の土地と周辺海域の管理関係を洗ったそうです。」
流石にまずいことになっていると、上が判断したんだな。
「なるほど…」
「港湾関係での記録はなし。土地管理の記録にも正式な施設としての届け出はない。
そこで、県庁の各部署や国土交通省に一斉に『夕凪島』の名前が付いた書類の捜索を依頼。
やっと県庁の自然環境課で、過去に出された自然団体の桟橋設置の申請記録を見つけたそうです。」
発見できたのは奇跡かもしれない…。
「その団体、この辺りを回遊しているイルカなどの哺乳類の生態観察をする時に、この島にも時々『無許可』で上陸していたそうです。
二年ほど前に桟橋の建設・設置を申請したが、審査中のままで結論が出なかった。そこで、待ちきれなくて団体の一部のメンバーが独断で簡易的桟橋を作ったと。
防衛省本部からの鬼のような問い合わせに、県庁の自然環境課の担当者が慌てて連絡を取り、ようやく保護団体の日本支部の人から回答があったそうです。」
佐久間は、少し呆れた口調で説明をしてくれた。
夕凪島は確かに人は住んでいない。だからと言って自由に上陸していいものではない。ここには、国や県が管理している公共の建物がある場所だ。何をするにも『許可』がいる。
「待ちきれないって…。子供かよ……」
いや、子供の方がこういう時は行動力がある。子供だからこその行動力だな。
数年前にノーベル平和賞をとった少女のことを思い出した。
でもきっと、桟橋を作ったのはいい大人なんだろうな…。自然を守りたい、という熱い正義と使命感を持った……ちょっと迷惑な大人だ。友達には欲しくないかも……。
そうなると、桟橋の扱いは変わらないな。
「無許可なら、壊してもいいかと言うと…そうもいかないか…」
実際、正体が分かっても『撤去の許可』はない。
色々と上の方でややこしくなりそうなので、やはり撤去は諦めた方が良いな。
『国際』―っていうのはちょっと引っかかるが…。でも、今は深読みよりも、対応の方に集中した方が良いだろう。
これは、半日で、正体が分かっただけで良しとする。
一旦、桟橋から意識を外して島と、周りの海を見る。周囲五キロほどの島だが、この人数をどう配置するか。
「対戦車班の位置をもう少し前に出すか。84mm無反動砲を見せた方が威嚇にはなる」
小さな離島だからこそ、重火器の存在で相手がどう出るかも変わってくる。
後ろの大型船に何を乗せてるか分からないが、流石に戦車は乗せてこないだろう。この小さな島に対して効率が悪い。
航空写真で確認できた大型船の甲板上の人数は多くない。船を動かすのにはぎりぎりの人数だ。戦車乗りがずっと船底にいることは出来ないだろう…。
そもそも―――姿を見せ始めたのがここ半月程。
海自や海保をかわし、他国船の検閲もすり抜けてまで、『夕凪島』に求める物は……?
電波塔は国の管理下にある。地理的に、戦術的に上陸後に求めるものは何だ?
行動の意味が全く想像できない。
彼らが何を思ってここを目指してるのか―――。
あ。
……違う。
相手の目的など、俺に分かるわけはないんだ。
俺が考えるのは、―――。
「そう―――。我々は、どう迎えるか、だ。」
頭の中を整理する。必要なものだけは可能性として整理するが、それ以外は無視だ。
まず、先行して突っ込んでくるのは前にいる小型船と中型船だ。
大型船接岸の可能性はほぼない。
大型船では島まで寄ることは出来ない。桟橋があっても、無理だ。
小型船、中型船三隻に乗り込んでいる人数は不明。よって船の大きさから見て、二十人前後と仮定。……いや、もう少し多い可能性も捨てきれない。
装備、武器、共に不明。
小型船だけで上陸を強行するなら、大型船は後方支援の役割を持つ可能性が高い。
つまり、大型船には重火器を装備している可能性が高い。
さらに、何らかの形でドローン投入する可能性も計算に入れておく。偵察カメラ型や攻撃型、その両方の対策を立てておいた方が良い。これは、矢島一等陸曹と相談だな。
船団がまっすぐ向かってくる状況下で。
南西、岩礁線に展開した第一、第二分隊が迎える。
接岸、上陸を強行してくる場合は、警告、警告射撃―応戦。―――避けたい状況だ。
警告だけで引いてくれる可能性は―――限りなく低い。
どこまで、ではなくどこから「実弾発砲許可」の判断か。規定通り―――で、俺はあいつらを守れるか?
一旦、地図に視線を落とす。
天然のトレンチとなっている波食棚は攻めにくいが、応戦も難しい。
ただ、ある程度の高低差があるので優位ではある。
そこから展開して、一点集中させずに船を分散させ、桟橋側の海岸線へ上陸しようとする可能性もある。
第三分隊の対応。―――桟橋側が脆弱だ。その時は、第二分隊の半分を援護に回す必要があるか―――。
対戦車班の監視対象を広げてある分、上からの援護も可能。その場合は、―――。
そうやって、考えられる複数の襲来パターンを洗い出す。それに合わせた小隊の動き方を思考し、付箋に書き留めていく作業を繰り返していった。
「佐藤隊長、最新の天気図と予報が届きました」
夢中で考えている横から、佐久間が声をかけてくる。
受け取った天気図は、夕方受け取った物とかなり形が変わっていた。夜半以降激しくなる予報の雨と風が明日の午前中にずれている。半面、新しい気圧の渦が赤道近くに発生していた。熱帯低気圧になりかけているような形になっている。これは、今の風雨が、やがて吸収されていく可能性が上がる。大陸の方からの前線も下に降りてきているので、長雨は確実だろう。
「注意すべきは、空もか…」
手元に天気考察用の付箋を引き寄せたタイミングで、佐久間が缶コーヒーを差し出した。
「中原と自分からです。クッキーのお礼、と言うのはあれですが…。ちょっと一息いれてください」
小さなブラックコーヒー缶は、俺が時々飲んでいる銘柄だ。こんなところも、佐久間と中原は細かく見てるんだなぁ…と、感心する。
「―――ありがとう。嬉しいよ」
受け取り、プルトップを開けると更に聖華のクッキーも二枚、差し出された。
「これは、お前たちに渡した分だろ?」
内心、物凄く嬉しかったけれど、隊長としては…なんだか申し訳ない気持ちになる。
「矢島一等陸曹に、隊長には栄養ドリンクよりもこっちが効くからって言われました。
自分も中原もしっかりいただきましたから大丈夫です」
―――俺の部下たち……最高だな。
缶コーヒーと聖華のクッキーを味わった後は、自分でも驚くほど集中した。頭の中がすっきりとして、次々と予測できる状況に対して対応策も思いつく。
天気の動きは天の采配なのでどうにもならないが、雨や風の動きは読み取れそうだ。
おそらく、明日の午前中はギリギリ現状と同じ。
それ以降は大きく荒れてくる―――そう、台風並みに。
おそらく夕凪島だけではなく、沖縄、奄美列島、そして九州南部までを飲み込むほどの大雨と風になるかもしれない。台風と呼ぶにはまだ早いが……。
天気図の情報を交えて、一つの仮説を立ててみた。
不審船団が不意打ちで上陸を狙うとすれば、このタイミングの可能性が高い、という仮説だ。
雨と風を隠れ蓑にする作戦は、昔から使われてきた。視界や音が遮られるため、奇襲で一気に攻め切ることができた。
現代はサーマルセンサーやミリ波レーダーもあるので、こちらが完全に相手を見失うことはないだろうが。
うちの小隊にはナイトビジョンが全員分ある。あとは対戦車班のサーマルセンサー頼みになるな……。
追加の装備品の中に、何かあったかな……。
「佐久間、追加装備品の目録はあるか?」
近くにいた佐久間に声をかけた。
「こちらになります」
答えたのはいつの間にか背後に立っていた矢島一等陸曹だった。反射的に腕時計を見る。きっちり三時間たっていた。さすが、できる補佐だ。
「時間通りだな。」
「当然です。」
疲れた顔は解消している。いつもの矢島一等陸曹。
俺に目録を渡した後、それまで俺がしていた付箋の海の地図に苦笑いしていた。
「隊長も、大概ですね。」
『働きすぎなんだよ、お前!』という目で見てくる。これも矢島一等陸曹だ。
「…当然だろう? 隊長なんだから」
しっかり隊長らしいところを見せてるつもりだが、矢島一等陸曹にはごまかせない様な気がした。
「じゃあ、矢島一等陸曹。打ち合わせを始めようか」
「了解」
俺は自分の仮説を説明し、それに沿った対応と幾つかの流れの予測を説明した。
その一つ一つに、矢島一等陸曹から確認や不備、不要と思われる指摘が入る。
こうしてお互いが思っている事態の流れをすり合わせていく。
できるだけ多角的にシミュレーションを行い、共通の認識を持つように話し合った。
夜間の監視については、追加の装備品の中にあった『いいもの』を提案する。
矢島一等陸曹から渡された目録にあった、今一番欲しい『いいもの』は、携行型熱画像観測装置と三脚、バッテリーの一式。
「それは、どこに置きますか?」
できれば三分隊すべてに置きたいところだが……。一式しかないので、今回は第一分隊か第二分隊のどちらかだな。第三分隊の監視範囲は、対戦車班のサーマルでも補える。
「第一か第二でいこうと思う。」
「…自分でしたら、第二です。第一より南西の海を広く見渡せます。」
「よし…じゃあ、それでいこう」
話し合っていくと、思考がより明確になるな。
「 追加装備品は他に偵察用のドローン一式もありましたが、使いますか?」
「いや。天候が悪いので今回は使いにくい。天候が落ち着いたタイミングがあれば、だな。しかし準備はしておくように」
「了解。」
そして、最後にとても小さなことで気になっている事を矢島に投げかけた。
「あと、最後に一つ。気になることがあるんだが」
「何でしょうか?」
「俺が最初に命令を受けたとき、船団は中型船、小型船で五隻だった。だが直近では大型船を含めて四隻、になっている」
あっ、という顔になる矢島一等陸曹。 そばで聞いている佐久間もハッとした。
「見間違いはないとは思うが。単に、一隻が離脱した、関係無い船をカウントしていた、とかならいいが…」
向かってくる船の数が微妙に違う事が気になる。たかが一隻、されど一隻。
「つまり船の数は……信用できない、と言う事ですね」
「ああ、用心に越したことはない」
なんといっても、桟橋や鍵、太陽光パネルの件があるからな。




