***夕凪島の嵐(4)
対戦車班の陣地から戻ると、指揮所天幕には本部から最新の天気図と、不審船団の動きの連絡が入ってきた。俺のいない間に、矢島一等陸曹に指示を出して、仮置きだった電波塔からこちらに通信一式を移動させていた。
緊急の連絡、指示があった場合、情報伝達は少しでも早い方が良い。むさくるしい男四人が天幕の中に詰めることになるが、これはいつものことだ。
天気図の情報は各分隊、対戦車班へ送らせた。
佐久間二等陸曹はちょうど食事と仮眠休憩に入ったばかりで、中原二等陸曹が代理を務めている。
中原はちゃんと休めているか? 見かけると常に動いているので心配になる。
俺の視線に気が付いた矢島一等陸曹が、小声で「中原は、さっき飯は食ってましたので大丈夫です」と囁く。なら安心だな。
天気図の情報と不審船団の情報に改めて目を通す。
天気図では、迫ってきているはずの雨雲の勢いが弱まっている。このままなら、大雨の一夜は免れそうな気配だ。
船団の動きは島到着時に受け取った情報よりも、ゆっくりだが確実に夕凪島へ近づいている。
今回は、熱感知カメラの写真が添付されていた。かなりの高度から撮影したのか、マッチ箱ほどのサイズの船の中に、白い点々がわずかに見える。
大型船の方は全く見えないが、小型・中型の船にはかなりの数の光があった。人の体温なのか、機械の発熱なのか判断できない。
「小隊長、第十五旅団司令部から音声通信です」
「繋いでくれ」
中原の隣に置かれた通信端末のヘッドセットを受け取り、装着した。
一度、息を整える。司令部からの音声なんて―――嫌な予感しかしない。
「第十五旅団司令部、こちら第二中隊第二小隊、佐藤一尉。どうぞ」
『佐藤一尉、確認した。第十五旅団司令部より現状を伝える』
思わず、喉が鳴った。
『夕凪島への後発部隊派遣が延期となった。期間は未定』
「―――了解。」
何が起こった? なぜ今なんだ? 天気は、まだ穏やかだ。人員移動にも問題はないはずだ。背中に嫌な汗が流れる。
『理由を伝える。
近日中に、魚釣島周辺海域で、中国海軍が演習を行うと事前通告が入った』
「…」
『同時に、千島列島北方では、ロシア海軍の艦艇が航行不能となり、救難・曳航活動のため、しばらく周辺海域に艦艇が留まるとの通達があった。』
三つ巴かよ! こちらの動きを見るつもりなのか? 不測の事態を―――誘発する?何のために? とにかく、今はたとえ一個小隊規模でも新たな部隊の移動は相手を刺激すると判断したのだ。
指先が震えた。心臓の音が頭の中いっぱいに広がる。
『なお、第二中隊第二小隊の夕凪島防衛任務は継続となる。不審船団の動きに今のところ変化はない。現時点で、近隣国に特段の動きは確認されていない』
一番大きなところがおかしな動きをしてるが、それは『世界的約束に沿って』きちんとこちらに連絡がしてあるから『何でもないこと』になる。
「確認します。不審船団との間で武力衝突に至った場合、小銃、重火器の実弾使用は速やかに本部へ連絡したのち、本部の判断となる―――、そういう認識でよろしいですね」
『―――規定の通りだ』
返事に間があるのが嫌だ…が。規定と言うならば、必ず本部確認が必要だ。
たとえ俺の部下が攻撃されたとしても―――この場で、俺の判断だけで実弾を使う事は出来ない。それが俺たちの現実だ。
俺はぐっと胸の奥の嫌な重さを飲み込んで、平常心を取り繕う。
「第二中隊第二小隊、佐藤一等陸尉、了解しました」
平坦な、機械的な声で返事が出来ただろうか?
『第十五旅団本部、以上。
―――何かがあればすぐに連絡をくれ』
かすかに、無線の向こうからの声にもやるせない感情がこもっているのが伝わった。
そのかすかな声の震えに、少しだけ苦い思いを呑み込めた。
「了解です。」
プッと無線が途切れる。
大きく息を吐き出して、俺はちょっとの間項垂れて動けなかった。
「佐藤隊長、何か問題発生ですか?」
ポンと矢島一等陸曹に肩をたたかれて顔を上げる。
「―――後発部隊が、来ない」
「「えっ!」」
矢島と中原の声がそろった。
「正確には、後発部隊の派遣は延期。期間は未定、だそうだ」
不審船団の目的が何か分からないが、遅くてもあと二日以内にはこの島の海域に入ってくるだろう。そんな状態で、援軍派遣の期間が未定と言うのは、ほぼ中止の意味だ。
そもそも何かあってから投入されては―混乱が大きくなるだけだ。
「つまり、俺たちだけで任務を遂行することになる」
「「―――」」
さすがの矢島一等陸曹も言葉を失っているし、中原に関しては顔色が真っ青だ。
おそらく、他の隊員達も同じような反応をするだろうな。
何より、俺自身がまだ現状をうまく呑み込めていない。
―――なぜ俺たちが、こうなる? 俺たちは、いつもの演習をしていただけだ。
なら、俺達でなくても…! 他にもっと適した小隊が―――、と思った瞬間に。
『―――豪さんは〈最強の自衛官〉だから、仕方ないわ』
昨日の電話での聖華の声が頭の中に響いた。
パン!と自分自身の頬を両手で叩いた。
もっと適した他の小隊? 違う、他の誰か、じゃないんだ。
「俺たちなら―――やれる。任務を遂行できる」
自分自身に強く言い聞かせる。奮い立たせるしかない。
「各分隊隊長、対戦車班の班長に明日、マルゴーマルマル、指揮所集合、送れ。」
「了解」
中原に指示を出し、俺は島の地図を広げる。修正ばかりのそれを、今自分で見てきた状況と照らし合わせながら再確認する。
後発部隊が来ないなら、その分人員配置を考え直すべきだろう。
上陸される危険性のあるポイント、動かせる人員と重火器の最優先配置を……。
ぶつぶつと独り言を言いながら地図を見ていると、矢島が地図を取り上げた。
そしてかなり厳しい顔で俺をにらむ。
「部下にいつも言ってるのに、自分が食事をとらないのはどうかと思います」
「え……?あ……」
そういえば、今朝食べてから、水しか飲んでなかった。いや、さっき聖華のクッキーは食べた。だが、確かに食べてないに等しいか……。
「今は夜だからごまかせますが、顔色がかなりひどいですよ。食べて、少し寝てください」
「しかし、今は」
「今だからこそ、です。ぼけた頭でぐちゃぐちゃ考えても、ろくなことにならない」
「……」
正論だ。わかる。分かるんだが……!
今、凄くやる気が出てきてるんだ。なのでこのタイミングを逃したら―――。
「食べて、寝てきてください。佐藤一等陸尉。それから考えればいい。
―――三時間、私がここに残ります」
ちらりと見える中原二等陸曹も、矢島一等陸曹の言葉に頷いている。
ふぅ…駄目だな。自分の状況がしっかりと理解できてなかったな。
「―――すまない。では、三時間。矢島一等陸曹、任せる」
「了解。中原、さっき佐久間が隊長の分も一緒に戦闘糧食温めてたな?」
「はい。まだ温かいと思います」
本当に、俺の部下たちは優秀だ! ほのかに温かいそれを受け取って、指揮所天幕奥に移動しようとすると、また矢島一等陸曹に止められる。
「隊長、電波塔一階に簡易ベッドを運んであります。そちらにどうぞ」
「え? わざわざ? 別にここで寝ても」
「ここに寝かせたら、無線が鳴るたび隊長が起きるからです」
「………」
否定できない。
「さっさと食べて、寝てきてください」
矢島一等陸曹―――本当に、本当に優秀な副官だと実感した。
そうして向かった電波塔一階は、静かだった。
風が建物にぶつかる音はするが、人の気配がないだけで不思議なくらい静かな空間だった。
最初にここに入るために吹き飛ばした南京錠が、さりげなく扉近くの内戸棚の上に置かれていたのを見て、思わず苦笑した。
建屋内では外に灯を漏らさない為、室内灯を使わない。窓もないので、扉を閉めると真っ暗になる。外の気配や音を感じる為、少しだけ扉を開けておく。決して真っ暗闇が怖いわけではない。
矢島が運んでおいてくれた折り畳みパイプベッドに座った。佐久間の温めておいてくれた戦闘糧食の封を切り、流し込むように食べる。
辺りが暗いから、何を食べてるのかよく分からない。味からして……多分、生姜焼き。暗闇で手探りで食べることにも、すっかり慣れた。
新米だった頃、夏場の演習で虫が白飯に飛び込んでいたことに気づかず食べたことは、いまでもトラウマだ。幸い、体調に変化はなかったけど。
今回はその心配はおそらくない。屋根があるのはありがたいな。
数分で食べ終わって、ようやくポーチから聖華のクッキーを取り出した。
『お菓子はちゃんとご飯を食べてからにしてね』という聖華の声を思い出しながら、かなり残り少なくなったクッキーをかじる。優しい味のクッキーは、聖華そのものだ。
「―――沁みるなぁ……」
いつになったら聖華のご飯を食べられるかな…。早く帰りたい…。
聖華の笑顔を思い出す。優しい声も。凜を叱る時の声も、可愛いかった……。
聞こえるはずのない聖華の声が、耳の奥に届いている様な錯覚なのに……。
「あ………れ?」
直前までの焦った気持ちが落ち着いてくる。呼吸が軽い。瞬きを数回繰り返して、こめかみを軽くもむ。
「…ん…今、だな」
さっきまでとても眠れるとは思えなかったけれど、今なら―――大丈夫そうだ。
きちんと体と頭の疲れを感じられる。俺の体を、俺はちゃんと認識できている。
疲れた体をベッドに預けるように、横になった。目を閉じる。
―――意識が途切れる直前に、聖華の優しい声が聞こえたような気がした。
――私の大切なあなたが私のもとへ無事に戻りますように
私の最愛を守り慈しみたまえ―――
****
佐藤小隊長が眠りについた少し後。
「―――佐藤隊長……」
中原が小用のために指揮所を出たついでに、建屋の中を静かに覗き込んだ。せっかくならきちんと寝ているか確認して来い、と矢島一等陸曹の命令だった。
もしも起きてたら何をしてでも寝かせろ、と矢島一等陸曹は言っていた。
「何をしてでも?」「実力行使もありだ」「え?そ…れは……」
言葉になってないけど、つまり殴ってでもってこと―――?
でも、『自衛官最強』と言われている隊長にそんなことが出来るわけがないと、びくびくしながら中に入る。
真っ暗―だと思ったけれど、先ほど運び込んだ隊長のベッドの辺りがぼんやりと明るいように見えた。
『明るい? まさか、本当に寝てないの? どうしよう……殴ってでも寝かせろとは言われても……』
無理だ…どうしよう? 足音を忍ばせ、ゆっくり近づいていくと、灯りだと思ったものは〈白い鳥〉だった。
鳥は隊長の胸元で顔を伏せ、一緒に眠っているように見えた。
そして、その鳥の白い羽のせいか、暗闇の中で隊長の周囲まで淡く明るく見えていた。
「―――え?」
思わず小さな声が出たが、すぐにしっかりと手で口を押さえ声を殺す。
その気配に、鳥は顔を上げ、羽音を立てないでふわりと飛び上がると、中原の方へ迫って来た。
「―――!」
ぶつかる! と思ったときには、もう鳥の姿は消えていた。ぶつかってはいない。
しかし、脇を通り過ぎた感覚もしなかった。
中原は立ちすくみ、あたりを見回すが鳥の気配はどこにもなかった。
「……ええと…」
見ると、ベッドの上の隊長は目を閉じて眠っている。先ほどまで見えていた淡い明かりは、もう消えていた。
とっさに、幽霊か? とも思ったが、それはそれで怖いと思い直す。
「……俺は疲れてるんだ……。変な幻を見ちゃったんだ…」
中原は、自分自身に言い聞かせ、隊長を起こさないように静かに建屋を出た。
指揮所に戻り、矢島一等陸曹に隊長はきちんと眠っていたことを報告。
その後、十五分だけ目を閉じさせてくださいと申告した。
「なんだか、疲れてるみたいで…。幻を…」
「いいよ。緊張もしてるだろうし。―――この時間は本部からの定時連絡もないから」
「ありがとうございます。すみません」
無線機の横で、腕を枕に顔を伏せて目を閉じた。
落ち着いてくると、そんなに怖いものじゃなかったな…と思い返す。
『幻でも幽霊でもない、あの白い鳥は……もしかして隊長の守護霊……?まさか……ね。』




