***夕凪島の嵐(3)
吹き付けてくる風は、海辺よりは弱まってきた。
薄暗い視界に目が慣れ、緩やかな坂道は楽に登り切ると、坂道の先、対戦車班が構築した陣地に近づいた。
その瞬間、ガサガサと木々が動く音に動きを止める。
一瞬見えた人影は二人分。
小銃を構えているのも見えた。緊張しているのが伝わってくる。
「―――佐藤一等陸尉だ。所属と階級」
”敵”と言う事はないだろうが、念には念を入れる。
「対戦車班所属、三上 陸士長です」
「同じく、対戦車班、藤井一等陸士です」
二人は小銃を下げ、明らかにホッとした様子だ。声から、まだ若いと分かる。
ここは、自然の低木を利用して陣地を構築していた。
木々の隙間から、84mm無反動砲、12.7mm重機関銃が見える。少し離れたところには、天幕が二基。
弾薬、火器の保管用の天幕と、隊員が休むための天幕。
そこまでの準備と作業の流れを矢島から聞いている。
滝ケ原駐屯地、普通科教導連隊本部管理中隊から、今回だけ臨時で配属になった班だ。
東富士演習場で当日の朝に組み込まれたと聞かされたものの、その後の急展開で、まだまともに話をする機会がなかった。
これまでの動きに問題はない。むしろ非常に優秀だ。
だからこそ―――もう少し、この連中のことを知っておきたいと思った。
「二人で前に出てるのか」
「はい。南西側と東側を、交代で見ます。」
三上陸士長が答える。まだ声が少し硬いのは、緊張のせいだろう。
「食事は摂れているか?」
「はい。先ほど済ませて、これから監視に入るところです」
「そうか、―――」
もう少し声をかけようとした時、彼らの背後の木々の奥から別の声がした。
「三上、藤井、何かあったか?」
「神崎班長、佐藤一等陸尉がーーー」
三上陸士長が俺の名前を出した直後に、真っ黒に日焼けした大男が顔を出した。
「佐藤一等陸尉? ああ!小隊長」
ものすごい勢いで二人の前に出て、俺の前で敬礼をする。
「お久しぶりです、佐藤一等陸尉!
神崎一等陸曹、今回対戦車班班長を務めています。」
神崎に続いて、若い二人もあわてて敬礼をとる。
俺は苦笑しながら敬礼を返してから、お互いにしっかりと正面を向いて対峙する。
顔には東富士で施した迷彩ペイントが、まだ残っている。真っ黒に近い顔を見ていると、妙な既視感が沸いた。
「今回は最初からほぼ顔を合わせることが出来ず、申し訳なかった。
矢島一等陸曹からは優秀な班長だと報告を受けている。」
「若い奴らが頑張りました。自分は指示を出しただけです」
肩を少しすくめ、首をかしげるしぐさ。この言い回しにも、ちょっと覚えがある…。
「……今更だが……もしかして神崎 恒一、元二等陸曹か?」
「正解」
にやりと、いたずらが成功したような笑みを浮かべて親指を立てる。
その様子に、俺は盛大なため息をついた。
俺たち二人の様子に、三上と藤井は困惑している。
神崎一等陸曹はすかさず、すぐに二人に任務へ戻る様に指示を出す。
二人はチラチラこちらを気にしながらも監視任務に向かった。
「俺の事は、最初から気が付いていたか?」
「佐藤という苗字はありふれていますが、〈ヒグマ殺しの小隊長〉だと聞いて、すぐにわかりました。」
「それは、…殺してないし…」
「はは、知ってますよ。穴持たずのヒグマを締め上げたっていう話ですよね」
「…それも、どうしてそういう話になるんだ。」
当時一緒だった奴らが、絶対面白がって広げたんだ…。
「そういえば〈不死身の佐藤〉と言うのも広まってましたよね、習志野の時」
「……それも忘れろ。」
あれは、降下訓練中にパラシュートの開きが悪く、ほぼ垂直落下の勢いで落ちたんだ。
幸い、北海道での訓練中で、近くの牧草ロールの上に落ちたため、両足の捻挫で済んだ。
その時期は、神崎一等陸曹も習志野にいたのを思い出した。そして…。
―――ああ…思い出した。あの時、後で知った聖華がものすごく泣いたんだ…。
十五年前の自分を知っている人間が、まさか今回の対戦車班の班長とは…。
神崎一等陸曹の能力が高いのは昔から知ってる。心強いのは間違いないが……。
どうにも居心地の悪い恥ずかしさが拭えない!
その時、神崎一等陸曹から陣地の確認をお願いしますと声がかかった。
「あ、ああ…」
「そのつもりだったでしょう?変わりませんね佐藤隊長。昔から、自分の目でしっかりと確認をして回るところ」
「…別に信用してないわけじゃないんだが…」
神崎一等陸曹の案内で、陣地内を見て歩く。
「わかってますよ。信用してないんじゃなくて、心配してるんですよね。」
「……」
何でもないことのように話す神崎一等陸曹。
なんだかものすごく…知られているのが恥ずかしい…。
陣地内は、短時間で整備したにしては薄暗い中でも足下が危なくないように、余計な灌木や石、アスファルトの破片、草は撤去されていた。
天幕二つのうち、実弾が収めてある方は、絶妙に重火器類と距離が保たれつつも、すぐに運び出せるように実弾のケースが保管されている。
隊員の休憩用天幕の方も覗いてみた。
「「あ!」」
軽く天幕の中を覗くだけのつもりだったが、隊員二人がちょうど食事をとっていた。
折りたたみ式の椅子に座り、地面に直に置いたライトは一番暗い状態だった。
驚いて立ち上がろうとする二人に手を振って、そのままで、と告げる。
「そのままで。食事を続けて構わない」
「……」
困ったように顔を見合わせ、そうして俺の隣にいる神崎一等陸曹の反応を見る。
「二人とも、佐藤小隊長だ。氏名と階級を。それから飯にしろ」
すかさず、神崎一等陸曹の声に二人は答えた。
「はい。対戦車班所属、小野寺 陸、陸士長です。」
「は、はい!同じく対戦車班所属、高瀬 恒太、一等陸士です!」
こちらの二人は、戦闘糧食のパックを片手に持ちながらも敬礼で名乗りを上げる。
しかも、高瀬一等陸士の声が―――大きい。鼓膜に突き刺さってくる。
「高瀬、声が大きいぞ。それに二人とも、手に飯を持ったまま敬礼するな!」
「「―――!! 申し訳ありません!!」」
慌てて再度敬礼をやり直す。しかも、今度は二人そろって声が大きくなった。
若いなあ…。上官に叱られると自然に声が大きくなったなぁと、昔の自分を思い出す。
これは、神崎一等陸曹と一緒にいるからかもしれない…。
休憩用のテントの中には、運ばれた追加物資の他は折りたたみのベッドが三台。ベッドの上には寝袋がきちんとたたまれている。
交代で仮眠をとれるようになっている。が、さすがにまだ誰も利用してなかった。
天幕を出たところで、天幕裏の木々の中から人が現れた。思わず身構えたが、神崎が声をかける。
「おう、黒田、どうした?」
どうやら六人目の対戦車班隊員らしい。
「次、俺が監視に入るんで。トイレ行ってました」
「そうか、水もちゃんと飲んでおけよ。また脱水になったら、洒落にならないからな」
「はい。…あの、班長……」
ぼそぼそとした小さな声で答える彼は、俺を見て戸惑っているようだ。薄暗いからな、俺が誰か分からないようだ。
神崎一等陸曹がすかさず俺を紹介する。
「こちらは佐藤一等陸尉。第二小隊の小隊長だ」
「―――…マジですか?」
「おい黒田!きちんと挨拶をしろ。名前と階級―」
「し、失礼しました!対戦車班所属、黒田 恒一、三等陸曹です!」
最初の一言とは真逆な、きちんとした敬礼だ。しかもものすごい勢いがある。声もでかい。さっきのぼそぼそ声は何だった?
「佐藤一等陸尉だ。あ―――、よろしく頼む」
思わず勢いに押されてしまった。
「はい! もちろんです! 佐藤一等陸尉と同じ小隊で動けるなんて光栄です!
あの……握手してもらってもいいですか?」
「握手…?」
え?何だこれ?
「くーろーだ! お前、いい加減にしろ!いくら憧れの人でも、今はそんな場合じゃないだろう! お前、しばらく隊長に近づくな!さっさと監視に入れ!」
「は、班長! そんな、せっかく…伝説の人に会えたのに!」
「いいから、もう行け!」
ブンブンと手を振り、黒田三等陸曹を追い払う神崎一等陸曹。しぶしぶ任務に向かう黒田に、俺はどう反応していいのか全く分からなかった。
「すみません。悪い奴ではないし、普段はこんなことはないんですが…。」
苦笑いの神崎一等陸曹。
「……憧れの人? 伝説の人? 俺が?」
凄く嫌な予感がするので、じっと神崎一等陸曹を見る。
「まぁ…昔話を、若い隊員にするんです。励みになるような話とか、訓練の成果がどうでるか、とか」
「…その材料が、俺か?」
肩をすくめ、首をかしげる神崎一等陸曹。
ああ…昔の俺…。頑張ってたけど、まさか十年以上たって若い隊員の為のネタになってしまうとは…。
「あの頃の佐藤一等陸尉は―――それはもう。輝いてましたから。」
少しだけ申し訳ない、と言う口調になる神崎。
「……輝いてた?」
「可愛いお嫁さんを迎える為、凄く頑張ってましたから。羨ましかったです」
「―――」
本当に、何を言っていいのか分からない。
なので深く深呼吸をして、何とか気持ちを整える。
俺がここを見に来た理由は、見回りと―――。
「あ―――、監視対象に桟橋周辺も入れるように。
可能性は低いが、あそこを使って上陸される可能性もある。
84mm無反動砲はあのままで構わないが、12.7mm重機関銃は少し位置の調節をして、桟橋方向への発砲も可となる様に」
「了解!」
お互いすぐに自衛官の顔になる。
迷彩ペイント顔の神崎一等陸曹は教本通りの敬礼で俺に答えた。
「何かあればすぐ連絡を。風は強いが、最新の予報では雨は夜半以降。
油断はできない。」
「はい。お任せください。」
神崎一等陸曹に背中を向けて歩き出そうとして、止まった。ウエストポーチから、クッキーの小袋を一つ取り出して渡した。
折角だ、今の俺の幸せを、少しだけ見せてやろう。
「『可愛いお嫁さん』の手作りだ。良かったら全員で食ってくれ」
「……幸せそうで、何よりです」
神崎一等陸曹は静かに笑いながら小袋を受け取った。
閑話***『夜の海には妖精がいるようだ』***第三分隊の二人
第三分隊、分隊長森下三等陸曹は先に監視任務に就いていた松井陸士長と交代の為に海辺へ出た。土嚢の影に立ち、立膝で監視任務に就いている松井の肩を、ポンポンと叩く。
風が強く、波の音もあるので同時に「交代だ。」と声を掛けた。
暗視ゴーグルを掛けた状態の松井は、一瞬、ビクッと背中をすくませてから森下を見上げる。
「どうした、幽霊でも見たような顔だな」
「あ…。いえ…。―――あの…」
戸惑う様にチラチラと海と森下の顔を交互に見る。
「何かあったか?」
それならばすぐに中隊長に連絡を、と無線機に手をかけようとした。
「自分、疲れてるかもしれないんですが…。何だか、変なものが見えるというか…」
歯切れの悪い言い分に、森下は眉を寄せる。松井は、自分が今見ていた、中隊長に気を付けておくように言われていた桟橋周辺の海を指さす。
「何が見えるって言うんだ? 嵐の近い夜の海だぞ、敵襲じゃな……ん?」
夜の波は、風で大いに荒れている。
暗視ゴーグルで見る限り、不審な船、ゴムボートのようなものは確認できなかった。
しかし……。
「イルカ……? あれは…鳥か? カモメか?」
数頭のイルカが海面から顔を出している。そうして桟橋の先にいる、何か『白いもの』に対峙している。
「……白い鳥? え、いや、カラス……!」
思わず二度、三度瞬きをして、ゴーグルを外してから再度装着するも、結果は同じだった。
「ですよね? あれ、カラスですよね? 海鳥しかいないって聞いてたのに…。
それと、イルカの方も、見てください」
言われて今度は頭を出しているイルカたちにしっかりと照準を合わせる。
「……白い…イルカ?」
「やっぱり見えますよね?
分隊長にも見えるってことは、俺だけが見えてるわけじゃないんだ…。良かったぁ……」
松井は聞いていないカラスの存在や、見たことのない白いイルカの姿に疲れから幻覚を見てるのでは?と不安になったようだ。
「……異変は、あの二点だけだな。」
「はい。船やゴムボートの類はありません。イルカたちも騒いでいる様子はないです」
「了解。引継ぎは以上だ、一旦下がって仮眠をとれ。」
「了解。あの、小隊長からもらったクッキー、まだ残ってますか?」
夕食時に食べた一枚が忘れられなかった。
「……欠片しか、ない」
「……欠片でも…いいです」
少しだけガッカリしながら後ろに下がる松井。多分、第三分隊の全員が同じ気持ちだろう。
森下は、すまない!と思いつつ半分に割って残していたクッキーを口の中に放り込むと、音声ではなく、文章で定時報告を指揮所に送る。
ー第三分隊監視エリア、異常なし。白い動物の姿を二体確認。脅威には当たらずー
「あれは…妖精みたいなもんだよなぁ…きっと。」
嵐が近く、島の空気は緊張感に満ちているが。
白い鳥と白いイルカは、なんとなく、吉兆の予感がした。




