***『長男と親友達の放課後』現在 ***(3)
その後、どうやって弓道場から逃げ出したのかはっきり覚えていない。
朝比奈会長の一言があまりに衝撃的過ぎて、考える事を拒否してしまった。
気が付くと、僕は律と約束していた生徒用の玄関にいた。
何人か、同級生とサヨナラの挨拶をしたけど、ほとんど反射的で顔も名前も素通りだった。
薄暗くなる玄関に僕一人…静かだ。
…すごく静かな現実…安心できる。
「お待たせ、凜。て、―――どうしたの?」
「あ…律…」
ぼーっとした状態のまま僕は律の顔を見て、心から安堵した。
しっかりと現実に戻ってきた!って言う安心感が半端ない。
でも、同時に、弓道場での怖い事を思い出して、ブルっと震えた。
まずい、涙まで出そうになった。
「うあぁあ、律、怖かったよー!」
我慢できずにがっしりと律に抱き着いた。
驚きつつも、律はしっかりと僕を受け止めてくれる。
ぽんぽんと、背中と頭をなでて落ち着かせてくれる。
「怖かったって、上級生に絡まれたとか?」
「うん…それに近い…、聞いてくれよ!
本当に、どうしていいかわからなくて怖かった」
そう前置きをしてから、僕は図書館から弓道場での出来事の流れを説明した。
律と話しているうちに少しは落ち着いてきたけど、怖いのは怖いままだった。
「朝比奈生徒会長って、超美少女で人気な人だったね?」
はっきり言葉にしないけど、そんな人に僕が結婚を申し込まれたことに首をひねる律。
僕もそう思うよ。
しかも理由が、白烏って…いうのが…。
「いや、凜は可愛いから申し込まれても問題ないと思うよ。
でも、先輩の所はこのあたりの神社の本宮だから婿養子になる事になるから―」
「ならない、絶対無理!」
ぶんぶんと頭を振る。
「普通は喜ぶところだと思うよ?
大きな神社の跡取りなんだし」
冗談じゃない!
僕はぐりぐりと頭を律に押しつけて声を絞り出す。
「なおさら、絶対、無理! あんな怖い人―あ、ん…」
そこまで言って、僕はようやく律の体が細かく震えているのに気が付いた。
もしかして―、と、顔を上げて律の顔を見た。
笑うのを我慢している顔だ。
だ、だまされた…!
「律、酷いぞ! 面白がってるだろう」
信頼してたのに!
「いや、ごめん。―あー、でも、凜はちゃんと嫌だってはっきり言えたんだな。
すごい進歩じゃないか」
「……ごまかされないぞ律。
それに、はっきりとは断れてない。怖くなって逃げたんだ。
必死に逃げてきたんだよ、本当に…迫力があって、全然話を聞いてくれなくて…」
「よしよし…偉いよ。逃げられたんだからさ」
再び頭を撫でられる。
「もしかして………、僕の事小学生だと思ってない?」
「ははは、まさか」
長い前髪と眼鏡に隠されているけど、僕にはわかる。
完全に面白がってる。
「というか、凛、中学生は結婚は出来ないから、しばらくは大丈夫だ」
「そ、そんなのわかってるよっ。
ただ、ものすごく勢いよく接近してくるからそれが兎に角怖くてっていう…、あ…」
そうだった。
僕は余りに勢いよく迫られたことが一番怖かったんだ。
そこで衝撃的な言葉が出たから、本当に…パニックになってしまって…。
「―――ありがとう、なんか、やっと落ち着いた気がする…」
「それならよかったよ」
律はいつもはっきりした言葉や態度じゃなくて、ちゃんと僕が気が付くようにしてくれる。
くっ…格好良い奴は、どんな時でもカッコいいんだなぁ…。
ふぅとため息をついてから、僕はカバンを持ち直す。
「ありがとう、律。さ、帰ろう。
なんだかごく疲れちゃった」
「凜は妙なことに巻き込まれがちだよね、気を付けなよ」
「…それは僕にはどうにもできないし…。
逆に、何かあったら、よろしく」
悔し紛れに答えると、律はおかしそうに笑った。
ちょっとだけ声を出して笑う律って言うのは本当に最近の事で、
それも僕と颯太が一緒の時だけの特別な感じがする。
これが親友同士って言うのかな?
夕日が西の空を染め始めていて、校舎の窓に反射している。
時々聞こえてくる誰かの話し声とかが耳を通り過ぎていく。
この雰囲気、まさに青春…?
ほかにも校門を抜けて下校する生徒が何人もいて、僕たちもその中でゆっくりと歩いていた。
ああ、学校での一日が終わるんだなぁって、しんみりとか、わくわくとか、なんだか心の中が嬉しいなって言う気持ちで満たされていく。
さっきの怖い思いの後だから、その反動かもしれない。
その時――
生徒玄関の方から穏やかな空間を突き破る大きな声が響いた。
「おーい、凜! 律! リリーズ―――」
その恥ずかしい呼び名を、まだ使うのか!颯太!
僕と律は本当に嫌そうな顔で、駆け寄ってくる颯太に対峙する。
学校指定のジャージのままなので、バスケット部のお試しからまっすぐこっちに来たみたいだ。
あっという間に駆け寄ってきた颯太は、がっしりと僕の肩に抱き着いてくる。
律は素早く颯太の腕が届かない距離を取って少し離れた。
無駄に大きいんだから、全身で抱き着いてくるなよ、重いんだってば!
「お疲れー、なぁ、凜、何かおばさんのお菓子とか残ってない?腹減ったー」
「―――ない」
さっきピーちゃんに全部あげたしね。颯太の分はない。
「ええー、残念。
凜なら、何か持ってきてる…―――ん?」
僕をホールドしている颯太はそのまま僕の頭に顔を寄せて匂いを嗅ぎ始めた。
「ギャー!な、なんだよ!何をしてんだよ!」
「颯太!」
律がぐいぐいと颯太の顔を押しのけようとしてくれるけど、なかなか離れてくれない。
さっきの朝比奈会長のことを思い出してゾっとした僕は、反射的に颯太の足を踏んだ。
「いてー!」
颯太の腕が離れた瞬間、僕は律にしがみついた。
「痛いよー、凜ー」
「だ、だって、あ、頭の匂い嗅ぐなんて、変態!」
「颯太、お前、凜が食い物に見えたか?」
情けない声を上げた颯太は、すぐにぶんぶんと首を振る。
「ち、違うって!凛の頭から、おばさんのクッキーの匂いがした気がして、確認したかっただけだ」
「え?クッキーの匂い?」
一瞬そんな馬鹿な、と思ったけど。
律が冷静な返しをした。
「ピーちゃんの、残りかすだな」
「あ…」
さっきの弓道場のことを思い出し、颯太にも弓道場に白烏が来たことを説明した。
「ピーちゃん!? えええっ!あいつ、学校にまで来たのか!
くそ、いつもおばさんのそばにいておやつをもらってるくせに。
こんなところまでついてきたのか、図々しい奴だなぁ」
ピーちゃんのことは、律も颯太も知ってる。
前に二人が家に遊びに来た時に、母さんからおやつをもらっているピーちゃんを見たからだ。
最初は二人とも白烏に驚いたけど、普通のペットみたいな様子にすぐに慣れてしまったみたいだった。
「あ、そういえば、弓道場に上級生がいなかったか?
朝比奈っていう女の上級生」
颯太が何気なく言った名前に、僕は思わず耳を疑った。
「え?知ってる人?」
「うん、俺の又いとこなんだ。
母ちゃんのいとこの娘でさ、小さい頃からすげー強引で、おっかないんだよなあ」
颯太が思い出し笑いをしながら、さらっととんでもないことを言った。
「「……え?」」
僕と律は揃って声を上げた。
「それで…」
あの強引さになんとなく覚えがあったのは……。
「遺伝の奇跡…か」
律の呟きに、僕もコクコクと頷いた。
「ん?どうした二人とも、妙な顔になってるぞ」
「あー、いや…。凜、自分で話せるか?」
心配そうな律に頷いて、僕はピーちゃんに対する先輩たち、
とくに「颯太の又いとこ」の朝比奈先輩の暴走の様子を説明した。
出会い頭に抱きしめられて、
その後、もう一人の高峯先輩とその態度に対して口論が始まって、
ピーちゃん登場。
その後、がっしりと手を握られて、結婚を迫ってきたことを一気に説明した。
思い出すと怖いから、律の手をしっかり握ってたけど。
本当、律がいてくれて良かった…。
「ああぁぁ…それは、なんていうか…、親戚として謝るよ。ごめんな。
弓姉、あ、弓月って言うんだけど、昔から妙に責任感が強くてさぁ。
自分しか跡取りがいないから、しっかりしなくちゃって、物凄く―熱心なんだ、何事も。
地域の皆さんの安寧と平和を守護するのがうちの神社の存在理由だ!って言って、
何もかもが…あんな調子で」
「……誰か止めないの?」
「あそこは一家でそんな感じだから、俺たち親戚一同、サポートしてる。
まぁ、根は悪い人じゃないから、それは安心してくれよ。
時々、悪だくみとかもするけどさ、ハハ」
親戚ならではの緩い対応に、ちょっとムッとする律。
「安心できるのか?今後も、凜に絡まれたら…」
「あ!じゃあ、俺も明日一緒に弓道部に行くよ!
で、弓姉には、凜は俺の親友だから婿にはやらないって説明してやるからさ、大丈夫」
なんだか一番安心できない展開な気がしてきた。
颯太の説明にあの人は納得するの?
親友って、そんな、人生決められるものなの?
「何を不安そうな顔してるんだよ二人とも、大丈夫だって。
凜が安心して弓道を始められるように伝えるから。
俺さ、凜が運動部は嫌だって言ってたのに、弓道に興味を持ってもらえて嬉しいんだよ!
俺には、無理だって大兄ちゃんに言われたから、凜が出来るって言うのは凄い羨ましいぜ!」
え? 僕、颯太の中では弓道をすることになってるの?
さっきの説明の中のどこで、そんな解釈になるの?
頭の中でハテナマークが一杯になった。律を見ると、律も同じ顔になっていた。
「颯太、凜は別に弓道をしたいというのではなく、ただ見学に…」
「え?弓道って、見学したら即入部だって弓姉が言ってたぞ?」
「「……」」
今年も見学者が一人も来なかった理由は、たぶんそれだ。
見に行ったら即入部なんて、とんでもなく乱暴な話なんだから、一年生なんて誰も行かないよ。
僕も律も同時に深くため息をついて、まずはそこから会長に話をしなくちゃいけないと思った。
善意があって勢いがあるけど、話を聞いてもらえないと、せっかく会長の努力も伝わらないかもしれない。
誰も付いてきてくれなくなっちゃう…と、ちょっとだけ思った。
「一緒に行ってくれるのは嬉しいけど、
本当に見学だけで、まだ入部は考えてないって言う事は先に説明してよ!絶対だよ!」
「…一応、行ってみるんだ?」
律は不思議そうな、でもすぐに苦笑いで僕を見る。
「だって…僕、びっくりしすぎて何も言わないで逃げ出してきたから、そのこともきちんと謝りたいし。それに――音が…良いなって」
「音?」
「矢が、的に当たった瞬間の音の響きがすごく、良いなって思ったんだ。
初めて聞こえてきたときにそう思ったから。
だから、それがどんな風になってたのかを見たかったんだ」
「へぇ…」「ふぅーん」
律と颯太がちょっと考えてから、にやにやと笑う。
「あ、違うからね。朝比奈会長がどうとか、じゃないからね!」
そこはしっかりと否定しておく。
「ああ、分かってるよ。
凜はまだおこちゃまだから、女の子なんて興味ないよな」
にやにや笑う颯太、ムカつくー。
自分だってまだ彼女とかいないじゃん。
そもそも、中学一年で彼氏彼女なんて早い!―って、父さんが言ってた。
ムッとする僕に、律がやさしく笑う。
「違うよ、凜。
僕たち、凜が初めてのことに興味を持ったのがすごいな、よかったな、って思ったんだよ。
颯太も、そんな風に凜をからかってたら、嫌われるよ」
「なにを言う!大丈夫だ!
俺と凜は幼稚園からの親友だから!」
その自信がどこから来るのか、こんなところも朝比奈会長ににているのかも。
「…しょうがない、僕も一緒に行くよ。颯太が付いていくならなおさら心配だしね」
律も名乗りを上げてくれた。
「律ー!なんでだよ、俺がいたら百人力だろう―?」
胸を張る颯太の自信満々な様子は、逆に…今まで沢山体験した「巻き込まれて先生に怒られちゃう」状況を思い出させた。
「マイナスにしかならない気がしてきた…」
「うん…僕もそんな気がしてきた…」
「二人とも、俺の扱いが酷くないか?親友なのにー」
あー、ハイハイ、って言いながら三人で歩き出す。
夕焼けの光が僕たちの影を長くのばしていた。
明日は…、ちょっと怖いけど、でも大丈夫な気もしている。
だって、親友二人が付いてきてくれるんだから。




