第24話 地獄が始まった日
「私はただの村娘でした。」
その声は静かだった。ただ淡々と過去をなぞるようにアイリスは語りだした。
「アンナ、やっぱりここに居ましたね。」
「げっ!アイリス。」
「げっ、とは何ですか。」
「いや〜、ちょっと驚いて…。」
「まったく、またサボって…。ほら戻りますよ、おばさんも探してましたし。」
「はいはい、すぐ行きますよ。」
「ただいま〜。」
「セルマおばさん、アンナ連れてきましたよ。」
「やっと戻ってきたねこのバカ娘!収穫祭が近くて忙しいってのにどこほっつき歩いてたんだい!」
「ごめんごめん、ちゃんと今から手伝うからさ許してよ。」
「いーや、今度という今度は許さないよ。覚悟しな!」
「ええ!お願いだよ、母さんこの通り!」
「まぁまぁ二人ともその辺で…。」
「ほら、アイリスのお母さんもこう言ってるし。ね、お願いだよ〜。」
「……はぁ、仕方ないね。ビオラさんに免じて今回だけだよ。」
「やった、ありがと母さん。」
「お、アンナちゃん戻ったんだね。」
「オスマンおじさん。」
「丁度いいこっち来て手伝ってくれるかい、人手が足りなくてね。」
「任せてください。バッチリやってみせます。」
「ハハハ、良いね。アンナちゃんは元気があって助かるよ。」
「まったく、みんなアンナには甘いんですから。」
「いつもごめんねアイリス、ちゃんとあなたにも感謝しているわ。」
「わかってますよ、ありがとうございます。お母さん。」
「フフ、それなら良かったわ。それじゃ早速手伝ってくれるかしら?」
「はい、もちろん。」
私はこの国の東にある小さな村で生まれました。村の周りには何もありませんでしたが家族や村のみんな、それから親友のアンナと過ごす日々は確かな幸せを感じる楽しいものでした。私はずっとこんな日々を送っていくんだと思っていました。―三年前までは。
ある日のことです。私の村を蟲が襲いました。森から村はそう遠くなかったとはいえ初めてのことでした。増援も見込めぬ中私たちは必死に抗いましたが結果は虚しく私の村はいとも容易く壊滅しました。
「アンナ、早く!!」
「待ってまだ、母さんが!!」
「ダメです!ここで戻ったらおばさんたちが囮になった意味が!!」
「…でも!!」
『Bet,@@@』
「!アンナ、危ない!!」
「えっ…!」
―グシャッ。
次に目覚めた時私はベッドの上に寝かされていました。あの時潰されたはずの身体は再生しそれどころか以前よりもたくましくなったように思えました。
「ここはどこ、それに私はあの時死んだはずじゃ…。」
「目覚めたようだね。」
私が目覚めた音を聞きつけたのでしょう、突然目の前のドアが開き理髪そうな眼鏡をかけ、見慣れぬ白い上着を羽織った男が入ってきました。
「貴方は誰ですか?」
「どうやら意識ははっきりしているようだね。」
「私が誰か、か。そうだね、まぁドクターとでも呼んでくれればいい。」
「ええと、それではドクターさん、貴方が私をここに?」
「ああ、そうだよ。あの日蟲に襲われたという村を視察に行ったら君たちが倒れていてね。治すためにここに運んだんだ。」
「他の、他のみんなは無事なんですか!」
「落ち着いて。」
「…すみません。」
「残念だがほとんどの村民はもう既に死んでいた。」
「…そう、ですか。」
「ただ、君と一緒に倒れていた子は生きている。」
「…っ、それは本当ですか!」
「ああ、彼女も君のことを心配していたよ、そうだね、ここに連れてくるとしようか。」
「アイリス!」
「アンナ!」
「良かった、身を覚ましてくれて、アイリスまで居なくなったらあたし…。」
「アンナも、良かった本当に。」
「ドクターさん、本当にありがとう。この恩は必ず…!」
「いいよ、気にしなくて。」
「ですが…。」
「私としては君たちが早く動けるようになってくれることが一番の恩返しだと思っているよ。」
「…わかりました、ありがとうございます。」
「うん、それじゃ私は用事があるからこの辺で失礼するよ。しばらくはここで経過観察の為に過ごしてもらうからよろしくね。」
そう言って優しく微笑むとドクターと名乗る男はその場を後にしました。分からないことはまだありましたが助けてくれた彼を疑うことはできず私たちは彼を信用しました。その時既に彼の掌の上だとは知らずに。
それからひと月の間、定期的な検診を受けながら私たちは着実に回復していきました。それどころか五感は以前よりも鋭くなり、身体はほとんど動いていないにも関わらずたくましくしなやかになっていきました。そうして徐々に違和感を感じ始めた時です。それは起こりました。
「アイリス、それ…!」
「それ、とは…?」
「いいからこっちに…!」
アンナに手を引かれたった鏡の前で、私は絶句しました。
「なに、これ…。」
翡翠色だった瞳は金色に染まり、大きく裂けた口元からは牙が覗いている。そこにあったのはまるで獣のように変容を始めた私でした。
「どういう事、これは一体…?」
「どうやら変化が始まったみたいだね。」
振り向くとそこにはあの男が立っていました。
「ドクター、これは、なんですか…?」
「ああ、これはね…。」
「うっ!」
男が何かを話そうとした時です。アンナが急にうずくまりもがき始めました。
「アンナ!」
「アイ、リス…。」
その顔は苦痛に歪みながら私と同じように獣のように変容し、それを抑える腕からは針金のような鋭い毛が生えていました。
「アンナくんの方も同様のようだね。」
その時確信しました。この男だと、この変化はこの男が元凶であると。
「良かった、これでやっと実験を次の段階に移せる。」
そう語る男の顔は酷く歪んで見えました。
その日から地獄が始まりました。




