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皇国 生まれてくる命

 毎週二回の『精霊古語』勉強会。

 王宮に行くことになった私は、必ずある場所に寄ることにしていた。

 その扉の前に立つと、自然と背筋が伸びる。静かな廊下の空気さえ、どこか柔らかく感じられた。


「お加減はいかがですか。アドラクィーレ様」

「体調はだいぶ落ち着いてきました。つわりが収まったと思ったら、食欲がかなり出てきているの。

 どんなものを食べたらいいと思いますか?」

「妊娠中後期の妊婦は栄養をとらないといけないので、食べたいものがあれば食べていいと思います。体重の増えすぎには注意が必要ですが。何か食べたいものはありますか?」

「そうね、脂っぽいものはいらないわ。さっぱりとのどを通るものがいいかしら」

「分かりました。いくつかメニューをお伝えしておきますね」

「貴女から貰った妊娠出産の覚書を今、読んでいるの。今は妊娠八カ月、というところかしら」

「はい、そんな感じかと。順調にいけば大祭の後、すぐくらいの誕生になるのではないでしょうか?」


 第一皇子妃アドラクィーレ様のところだ。

 室内にはほのかに香草の香りが漂い、窓から差し込む光がやわらかく彼女の姿を包んでいる。


 すでに妊娠八か月近くになるアドラクィーレ様は最近、ふっくらと柔らかくなってきた。

 体型は勿論なのだけれど、全体の印象も最初の頃のシャープで厳しい印象から、ふんわりと丸みを帯びてきたように感じる。

 声色さえもどこか穏やかで、言葉の端々に余裕が滲んでいた。


 ティラトリーツェ様の時も似たようなことを感じたけれど、アドラクィーレ様は最初の印象が悪いというか怖いというかだったので、変わり方が凄いなあと思う。

 あの張り詰めた空気を纏っていた人が、こうして穏やかに微笑んでいるのだから。

 これが体内に子どもを宿した『母親』というものなのだろうか?


「ティラトリーツェの子ども達とほぼ同じくらいというのはなんだか、複雑ですけれど。

 そういえば先日孤児院で出産があったそうね?

 無事生まれましたか?」

「はい、母子ともに健康で、女の子が生まれました。私と女官長ミュールズさんと……が立ち合い取り上げました」

「隠さなくてもいいわよ。お姉様も一緒だったのでしょう?

 子の名付け親になった、と知らせてきたわ」

「連絡をとりあっておられるのですか?」


 ちょっとびっくり。

 アドラクィーレ様の姉、アンヌティーレ様は現在、保育士兼、孤児院長になる勉強の為、アルケディウスに来ている。

 でも挨拶の時は顔を合せなかったし、その後は孤児院にほぼほぼ籠ってらして外にも出ていない筈。

 仲が悪いって言葉で言い表せないくらい仲が悪そうなので、まさか自分の様子を伝えているとは思わなかった。

 あの二人の間に、こんなやり取りがあるなんて。


「私も、ね」


 アドラクィーレ様は、少し何かを噛みしめるような苦笑で応える。

 その視線はほんの一瞬だけ遠くを見て、すぐに現実へと戻ってきた。


「姉上と仲良くするつもりなどありませんでしたよ。

 ですが、不老不死を失い、降格。

 自分より下の立場となった姉上が遜り、まあ、直接ではありませんが謝罪と、この国で世話になることの挨拶を第一皇子妃に文で寄越して来たら、受け入れないわけにはいかないでしょう?」


 溜飲が下がったことで、見方も変わったというアドラクィーレ様の想いも解らなくはない。

 感情だけでなく、立場と責務が彼女の背を押したのだろう。


「父上や兄上からも良しなに、と言われていますし、妊娠の祝いもして頂きました。

 全ての蟠りが融解した訳ではありませんが、いつまでも拘っているわけにはいかないと切り替えたつもりです。だから、あまり気にしなくて構いませんよ」

「それは、良かったです」

「まあ、お互いの為にあまり積極的に近づかない方がいいでしょうが、姉妹関係を少しずつ取り戻していきたいとは思っています。

 ……本当に、私も我ながら変わったものです」

「アドラクィーレ様」


 柔らかく微笑むアドラクィーレ様は、自分の丸みを帯びたお腹をそっと、愛し気に撫でている。

 その手つきはとても丁寧で、壊れ物を扱うようでいて、同時に揺るがない強さを感じさせた。


「最初は自分の変わっていく身体と心が恐ろしくて仕方なかったのですが、こういうものだと受けいれてしまえば不思議に満たされて心地良く感じるのです。

 自分の体内に命が在り、無垢に頼られている。

 私がこの命を生み出し、守らなくてはならないのだという強い意思。

 今迄の私には絶対に無かったこの思いを『母性』というのでしょうか?」


 私は向こうの世界でも妊娠、出産を体験しないまま多分死んだから、完全に理解できるとは言えない感情だけれども、ティラトリーツェ様やティーナの時も見て感じた、母親ならではの強い意思と自信をアドラクィーレ様からも感じる。

 その場に満ちる空気さえ、どこか温かく、守られているように思えた。

 母は強し、っていうものなのだろうか。


「と、同時に自分がしでかした愚かな行為も悔やむしかないのですけれどね。

 かつて、自分がティラトリーツェに為した事も、どれだけ罪深かったのか知れば知るほど恐ろしくなります。彼女の激怒も当然です」


 変われば変わるものだと改めて思う。

 まさか、あのアドラクィーレ様から自分の非を認める言葉や、お母様に対する悔恨の想いを聞く事があるとは思わなかった。

 あの頃の彼女からは、想像もできなかった言葉だ。


「出産が無事に済んだら、ティラトリーツェには謝罪し、家族として母親の先輩として関係を築き直していけないか願うつもりです。その時は仲介をおねがいできないかしら?」

「できる限り、お手伝いさせて頂きます」


 私は心からの思いで頭を下げた。

 本心から変わったアドラクィーレ様の手助けをしたいと思ったし、生まれて来る赤ちゃんの道を照らしてあげたいと考えている。


 ――新しく生まれてくる命の先に、少しでも優しい未来を。


 ただ、やっぱりお母様はそう簡単に割り切れるものでは無かったようで


「その話は後にしましょう。

 赤子が無事生まれてから考えます」


 と面会後、館に戻り伝言を伝えても硬い表情は変わらなかった。

 その声音には感情を抑え込むような固さがあり、過去がまだ癒えていないことを物語っている。


 まあ仕方ない。謝られても流れた最初の子は帰らないし、生まれて来る子は男女どちらであっても双子ちゃんの上としての待遇を受ける事になるのだろうし。


「ねえ、マリカ」


 独り言のように呟くお母様は私に語り掛けながらも私を見てはいない。

 どこか、遠いものを見ているようだ。

 今ここではない、過去か、それとも――まだ見ぬどこかか。


「はい。なんでしょうか? お母様」

「人の命は、どこから生まれて、どこに行くのかしら」

「え?」

「不老不死社会では殆ど考えたこともありませんでしたが、人の命はどこからやってきて、いつ女の身体に宿り、そしてどこにいくのかしら?

 最近、そんなことをよく考えるのです。

 双子たちが生まれてもうすぐ一年。この子達が健やかに過ごす姿に喜びを感じる反面、生まれてこなかった子はどうしているのかしら、と」


「……解りません。死を司るアーヴェントルクの『精霊神』様は、失われた命は『星』に還り、新しい命に生まれ変わる、とおっしゃっていましたが」


 確かに、そう言っていた。

 アーヴェントルクで殺され、神殿に括られていた子ども達の魂を開放した時に、今後、生まれて来る子どもの数が増えるだろうと言われたことからも多分。

 この世界の天国と地獄、死者の魂の仕組みがどういうモノなのかは解らないけれど。

 けれど、あの時確かに感じた――循環するものの気配。


「そう……ならば、あの子もどこかに生まれ変わっているかしら」

「その可能性はあると思います」

「あの子には、もう一度私の所に来て欲しかったけれど、きっと守り切れなかった母親に愛想をつかせているでしょうね?」

「そんなことは絶対ないと思いますよ。

 もしかしたら、次こそはお母様の子どもにもう一度生まれようと待ってるかも。

 でなければ既に生まれ変わって、お母様とどこかで会っているかもしれないですし」


 私には、誰が誰の生まれ変わりとか、解らない。

 記憶を残したまま生まれ変われるのは『星』の転生者のみだと聞くけれど、私もクラージュさんも死後の記憶を殆ど持たない。

 聞いた範囲内では持っていないだろう、多分。

 死後のことを知っているとすれば……リオンだけ?

 ――あるいは、それに近い存在。


「だとしたら、あの子がどこに生まれ変わっていても、幸せに暮らせるようにしないといけないわね」

「はい。その為に私も世界の環境を整えていきたいと思っています」


 いつ、どこに誰が生まれても。

 子ども全てが幸せに生きられる環境を作りたい。

 実際は生まれて来る場所や親で、子どもの人生はかなりなところ決まってしまい、その差は子ども自身にはなかなか覆せないけれど。

 だからこそ、周囲の助力と環境が必要なのだ。


「そう考えると、いろいろとやる気が出てきます。

 マリカ、改めてまた教えて頂戴」

「はい、お母様」


 今は、アルケディウスに生まれる子だけでも。

 でもいつかは世界中で、子ども達がいつどこに生まれても幸せになれるようにしたい。


 保育士として。

 私は最初に目覚めたあの日から思い、……願っている。

 その願いは、今も胸の奥で静かに燃え続けている。

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