魔王城 『精霊』の秘密 前編
カマラの件を片付けて、魔王城に戻って来てみると、ちょうど朝の勉強の時間だった。
大広間ではティーナが中心になり、そして今日は戻ってきているから、アルとフェイも一緒に勉強を手伝っている。
子ども達の声が重なり合い、黒板を引っかく音やページをめくる音が混ざる。
穏やかで、でも確かな成長の気配が満ちている空間だ。
「ご苦労様。皆、頑張ってる?」
「ええ。今、魔王城にいる子どもは全員、基本文字の読み書きができるようになりました。
これは、本当に凄い事だと思います」
魔王城の保育士、ティーナが胸を張る。
うん、これは胸を張ってドヤ顔していい案件だ。
「全員、ってことはファミーちゃんやネアちゃんも? 凄いね!」
「ありがとうございます。マリカさま。
わたしのようなものが、まさか文字やけいさんをおしえていただけるなんて」
ネアちゃんは一生懸命に答えてくれる。
私が大聖都から預かって来た子だ。今まで色々苦労してきたみたいだから、思いっきり幸せになって欲しい。
ネアって名前は「無」という意味だと言っていた。
本当は改名させてあげたいのだけれど、本人がその名以外の自分を想像できないみたいなので、今はそのままにしている。
改めて魔王城を出て外の世界に戻る事になったら、その時にもう一度考えよう。
(でも、まだ緊張が残ってるなあ……)
「あ~、前にも言ったけどマリカ様なしで!」
「でも……マリカ様」
「だから、様なし。マリカ姉って呼んで」
「えっと……、その……マリカ姉」
「うん、上手! ありがとう。嬉しい!」
抱きしめて頬を寄せる。
すると、私がネアちゃんをだっこしてぎゅうっとしたのを見て、他の子達もわらわらと集まって来て――
「うわあ、いいなあ」
「私も」「ぼくも、ぼくも」
順番待ちを始める。
(うーん、かわいい)
一人一人を順番に抱き上げて、ぎゅうっとする。
小さな体温が腕の中で動くたびに、胸の奥が柔らかくなる。
「お疲れ様です。いつもながら大変だ」
ひと通り終えてフェイ達の所に戻ると、苦笑交じりに労われた。
けっこう大きくなって、もう外で働いているエリセやアーサー達も、未だにだっこをせがんで来るからね。
「まあ、好きでやっていることだから。ファミーちゃんも、ぎゅう~」
「ありがとう。マリカ姉。私も少しずつ、じゅつがつかえるようになってきたの」
「頑張ってるね。……と、どうしたの? その本?」
ふと視線を向けると、大広間のテーブルの上には分厚い本の山ができている。
「まさか、ファミーちゃんにこれ読ませているの?」
「そうじゃありませんよ。やっぱり忘れている?」
「何か?」
「頼まれた、精霊古語の本です」
……………… チーン!
「ああ、そうか! 思い出した。
魔王城にある精霊古語の本、できるかぎり種類集めておいて、って頼んでたっけ?」
「ええ、思い出してもらえたのなら良かったです」
すっかり忘れてた。
魔王城に帰ると体調は良くなるんだけど、その代わり、検討しようと思っていたことや、気付いたことが、よく思い出せなくなるのが怖い。
今回はフェイが教えてくれたから助かった。
念のために頼んでおいたんだよね。
「精霊古語、七種類あるって言っていたけど、全部ある?」
「はい。一応、解りやすそうな文字のものを揃えました。手書きで字が崩してあって、とても読み辛いものもたくさんあるので」
一冊手に取り、パラパラとめくる。
あ、これ英語じゃないやつだ。ヒンドゥー文字に似ている印象。
まったく読めない。
こっちは……英語風だけど、所々知らない文字が入っている。
「それはアルケディウスの精霊古語ですね」
ちょっとロシア系なのかもしれない。Дとか、Бとか、特徴のある文字が見える。
別の本をめくる。これは――漢字。中国語風だ。漢字が羅列されている。
まだ意味が解りそうだけど、やっぱり難しいな。
(海人先生も……多分読めないよね?)
「マリカ? 何か解りましたか?」
「うん。解らないけど、知ってるってことが解った」
こうしてじっくり見てみると、やっぱり明らかだ。
この世界の精霊古語は、向こうの世界の外国語。
私達が今いる世界と、転生前にいた世界――太陽系第三惑星、地球は、何らかの形で繋がっている。
『精霊神』がかつてこの文字を使っていたとするのなら。
一番解りやすい推察は、この世界の起源たる『精霊神』は私と同じ異世界からの転生……違う、転移者であろうということ。
何らかの理由でこちらの世界にやってきた彼らが、この世界を作り上げ、『精霊神』と呼ばれるようになった。
この世界の七国が、異世界でありながら、どこか外国チックなのは、『精霊神』様の趣味、というか故郷をなぞっているからなのかもしれない。
どうしてこの世界に来たのか。
どうやって国を作ったのか。
聞いても、多分教えてはくれなさそうだけれど。
「リオンは、この文字全部読めるって言ってたんだよね?」
「はい。書くのはちょっと苦手だ、そうですが」
勉強を始めた初期の頃、文字を書くのにも四苦八苦していたことを思い出す。
ペンを正しく持って字を書くというのは、けっこう高度な技術なのだ。
食具の持ち方と一緒で、小さいころから訓練していないと大変。
魔王城の子ども達は慣れているけど、アルケディウスのゲシュマック商会の人達は苦労してたっけ。
「ジョイ。書き取り上手になったね。ちょっと見せてくれる?」
「うん」
「ありがとう。とっても綺麗に線が引けてるね」
アルケディウスで使われているミニ黒板を見せてもらう。
紙が貴重な世界なので探してみたら、覚書用の書いては消せるミニ黒板みたいなのが商売人向けに作られていた。
早速、子ども達用に大量購入して使っている。
こういうのはどこの世界にもあるんだね。
ジョイが練習しているのは、もちろんこの世界の共通語の基本文字だ。
「……じっくりと見てみるとローマ字風、かな?」
「どういう意味ですか?」
「二つの文字で一つの音を表す、っていうこと」
厳密には全部同じじゃないけれど、母音と子音を組み合わせて、MAというような感じで音を繋いで文章を作る。
(なんで、気が付かなかったんだろう?)
「『精霊神』様達に聞いても教えてはくれないよね?」
「まあ、いつもの。でしょうね。魔王城に戻ってから、また姿を見せなくなってしまいましたし」
確かに、転移門を一緒に潜って来たはずなのに、気が付いたら見えなくなっていた。
私に追及されるのが嫌で隠れてるんだ。きっと。
「アル。『精霊神』様、どこかで見かけたら捕まえてて……って、アル?」
黒板をジョイに返し、声をかけたけれど、アルはどこか心ここにあらず、といった様子でぼんやりしている。
何かを見つめているようで――その視線の先にあるのは、剣?
「あ、マリカ? すまない。呼んでたか?」
「うん、別に急ぎじゃないからいいんだけど……もしかして、さっきの事を考えてた?」
意識を取り戻したアルは、私の言葉に小さく頷いた。
さっきの事――それはカマラの所へ行く前に起きた一騒動。
アルが使って練習していた剣と、クラージュさんの話。
さっきのカマラとの訓練の時、クラージュさんは業物ではあるけれど、エルディランドから持ち込んだ普通の剣を使っていた。
魔王城に戻って来たのだから、精霊石付きの剣も何本かある。
かつて精霊国騎士団長が使っていたという剣もあるのだ。
今、アルが訓練や護身用に使っている、あの剣がそれだ。
それらの剣を渡す、あるいは使っていた剣を返す――そんなことも考えていたのだけれど。
「ああ。精霊石の剣って本当に……?」
朝の会話を思い出す。
彼は、自分がかつて使っていた懐かしい剣を見つめながらも、触れることすらせず、言ったのだ。
「私には、もう『彼』と戦う資格はないのですよ」
そう――寂しそうに。




