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水国 分けられた力

 雨も風も全て消え去ったかのような静かな空間の中で、重力を無視したように公主ナターティア様が空中に浮いている。

 その眼前には同じように王杓と呼ばれていた、短い杖が同じように直立で浮かんでいた。

 水色の大きな水晶が周囲の光を集め弾いている。

 まるでミラーボールのようだ。

 けれど、その輝きは祭りの飾りみたいな軽いものではなく、深い海の底を思わせるような神秘と威厳に満ちていた。


 聖域は無重力空間で宙に浮いていたけれど、こんな風に他の人が、重力の軛を無視しているのを見ると、なんだか特別感がある。何か、これから起きるというのがはっきりと感じられて、不謹慎だけど胸が沸き立つような気持ちになる。

 静かなのに、空気はぴんと張り詰めていた。

 嵐の只中にあるとは思えないほど穏やかなこの場所だけが、世界から切り離された別の理の中にあるみたいだった。


『メルクーリオ、解っているな』

「はい。『精霊神』様」


 メルクーリオ様が、スッとナターティア様の前に膝をつく。

 ナターティア様の声が太く重い。

 気が付けばさっきの猫、多分、精霊獣がいないから、ナターティア様に憑依しているのだ。

 きっと。

 その声音は女性のものなのに、同時に人ならざる存在の響きを持っていて、耳からではなく骨に直接届くような不思議な圧があった。


『本来であるなら、お前は文句の付けようがない『王』の資質を持つ者だ。だが、不老不死である以上、『精霊』との接続は叶わない。

 時間も無い。故に『王権』と『魔術師』の力を分ける。

 『魔術師の力』はソレイル。其方が担うのだ』

「え? 僕が?」


 突然向いた矛先に明らかにソレイル様は動揺している。

 それもそうだろう。自分にはそんな力は無い。長になりたい訳では無い、と言っていたのにいきなり王族魔術師となれと言われたら。

 目を見開き、肩を強ばらせたその姿は、いつもの落ち着いた彼からは想像できないほど年相応に見えた。


『メルクーリオには魔術師の力が無い。ソレイル、其方には君主としての知識と力が無い。

 故に二つに分ける。其方はメルクーリオの手足となってこの国を支えるのだ』

「で、でも。僕が魔術師だなんて、務まる筈が……」

「務まるか、務まらないか、ではない。やるか、やらないかだ」


 渋るソレイル様の頬を平手打つ様に、立ち上がったメルクーリオ様が厳しく言い放つ。

 その声は鋭い。けれど、怒りというより自分自身にも向けられた焦燥と決意の色が濃かった。


「私ができるなら、そうしている。

 運命のあの日、不老不死を得たことで私は王族魔術師となる資格を失った。

 何も考えず、神の光を受け入れた事を後悔しなかった日は無い」


 呟くような声。それは、インテリで自信に満ちた公子が決して人前では見せることの無い本音の吐露だろう。

 誰もが望む永遠の幸福、不老不死。

 それが、自らがいつか辿り着くと信じていた道を永久に閉ざすことになろうとは。

 その悔恨は、長い長い時間をかけて胸の底に沈殿していたものなのかもしれない。


「不老不死を返上する事も真剣に考えたが、一度返還してしまったら、二度目は無いと神殿に告げられた。母上の手助けをすることができなくなり、公主になったとしても、一時的でしかない。そう思うと踏み切れなかった。

 他の国は王族が魔術師の力を持たなくてもどうにでもなっている。だから、大丈夫だと思おうとした」


 だが、フリュッスカイトには王族魔術師が必須だった。

 運よく封印を免れた『精霊神の端末』が残り、かろうじて母公主を助けていたものの年々力は衰える。

 新たなる王族魔術師となる者の誕生をフリュッスカイトはひたすらに待ち続けていたのだ。

 静かな海に見えるこの国が、その実ずっと綱渡りの上に立っていたのだと、今更ながらに思い知らされる。


「ソレイル! この国にはお前が必要だ! 全ての罪も責任も私が背負ってやる!

 だから、魔術師の力を継ぎ、この国を守る手足となれ!」

「僕は、この国を守ることができるのですか?」

「お前以外にできるものはいない。やるのか? やらないのか?」

「やります!」


 それは、迷いの無い決断だった。

 いや、多分、迷いや恐怖はあっただろうけれど、それ以上に自分がこの国の為に役に立てるという思いが、喜びがソレイル様の背を押したのが解る。

 その返答には震えが混じっていた。それでも、声そのものはまっすぐだ。


「この国の役に立てるのなら、僕の全てを捧げます」

『決断したのなら、膝をつけ。何度も言っているが時間は無い。

 外の連中ももたないだろう』

「はい」


 外を見てみれば嵐の中、杖を掲げるフェイの顔色が苦しげに歪んでいるのが見えた。

 さらにはフェイを狙って魔性達が襲い掛かって来るのも。

 蒼い閃光、リオンが魔性を切り裂き、他の護衛達も必死でフェイとこの場を守っている。

 でも、『精霊神』様の言う通りきっと長くはもたない。

 光の膜越しに見る外の景色はどこか遠いのに、そこにいる皆の必死さだけは痛いほど伝わってくる。


『始めるぞ!』


 魔方陣の中央で膝をついた二人の決意を待っていたかのように、水色のさざ波が公主様を中心に放たれ、閉鎖空間を超えさらに広がっていく。

 私の足元に透明な水が触れた瞬間、背筋にぞわり、と悪寒が奔る。身体から、一気に力が抜けていくのだ。

 まるで血の代わりに何か別の大切なものを抜き取られていくみたいな、底知れない喪失感があった。


 魔方陣の中の全ての力が、公主様の姿をした『精霊神』に集まっていくのが見えた。

 もしかしたら、魔方陣の外にも影響しているのかもしれない。

 フェイの足元がぐらりと、揺れている。

 私は膝をつき魔方陣に手を当てた。

 エルフィリーネに教えて貰って、今まで訓練して来た能力のコントロールを思い出しながら、自分が動かせる力を全部注ぎ込むつもりで。

 私が送る力を増やせば、外から吸い取る力は少なくて済むかもしれない。

 指先から広がっていく感覚は冷たいのに、内側では熱が燃えるようで、上手く言葉にできない不思議な感触だった。


 そんな事をしている間にも『精霊神』の力は間違いなく高まっている。

 周囲に渦を巻くようにナターティア様の前の水晶に水色の光が集まっていく。

 淡いはずのその光は、次第に目を逸らしたくなるほど濃く、強く、深くなっていった。


『右手に知識の剣、左手に護りの盾。

 『星』と水の『精霊神』の名において命じる。

 水の王よ。子らを護る、新たな王に祝福を』


 キラリ、と王杓の水晶が煌めいたと同時、幻が降り立った。

 玻璃の髪、瑠璃の瞳。水流を織り上げたようなドレスを纏った美しい美女。

 どこかナターティア様によく似た彼女はホログラムのように透き通り、実態感が無い。

 けれども、確かにそこに在るのが解った。

 私は、これとよく似た者達を知っている。

 その姿は儚げなのに、存在だけは途方もなく大きい。


「あの、王杓の……『精霊』?」


 女精霊はメルクーリオ様の前で丁寧なお辞儀をして、その頬に口づける。

 と同時に反転、くるりと空を泳ぐように宙返りして今度はソレイル様の前に立つと柔らかく微笑んで彼の胸元に飛び込むように身を寄せた。

 実体があれば、多分、ぶつかっていただろう。

 けれど、まるで彼女はソレイル様の中に吸い込まれたように見えた。

 もう、目をこすっても瞬きしても彼女の姿は無い。

 無いけれども、確かに彼女はいた。残滓は残っている。

 メルクーリオ様と、ソレイル様。

 どちらも、今までとは全く違う、大きな力を放っているのだ。

 空気が震える。世界の輪郭が少しだけ塗り替わったような錯覚さえ覚えた。


『今、ここに王権の譲渡を宣言する。

 さあ、新しい王達よ。我が子らよ。その力をもって水の脅威を打ち払え!』

「はっ!」


 まだ、どこか呆然としているソレイル様よりも先に全てを察し、立ち上がったのはメルクーリオ様だ。流石公子。

 この土壇場で迷わず役割を理解し、前に出るあたりが本当にこの人らしい。


「王杓を掴み、立て! ソレイル。其方の力が必要だ!」

「は、はい! 兄上!」


 言われるままにまだ空中に浮かび、光り輝く王杓にソレイル様は手を伸ばした。

 王杓は何の抵抗も無く、ソレイル様に握られ、その手の中で光り輝く。

 主を見つけた、とでも言うように、その光はさらに澄んで、輝いて見える。


「向こうの奥、水門が見えるな」

「はい」


 公子が指さす先、ヴェーネを包む城壁と、防壁、そして海側に閉ざされた水門が見える。

 その向こうに、今にもその水門を乗り越えようとする高波も。

 幾度となく、幾度となく、ヴェーネと言う美しい美女に襲い掛からんとする猛獣の牙にも似た水の脅威はもうすぐそこまで迫っている。

 さっきまで雨と風に隠されていたその巨体は、今やはっきりと悪意ある生き物みたいに見えた。


「この結界の術式を拡大してあの防護壁まで広げるのだ! 水に命じ、押しのけろ!

 ここは、貴様らの在るべき場所では無い、と!」

「でも、僕はやりかたなど解りません!」

「細かい調整は私がやる。お前は精霊石に力を注ぎ、願え。

 お前の能力は最適を計算し、必ず術を届けてくれる!

 自分を信じてこの街を、ヴェーネを護ると、全身全霊で願え!」

「わ、解りました!」


 全身を包む小刻みな震えを懸命に隠しながら、少年は目を閉じ、自分の力を杖に注ぎ込もうとし始めた。

 それを公子は見つめ、淡く微笑むと自らもその水晶に手を触れ、小さく口を動かす。

 聞き取れない呪文詠唱は歌う様に、優しくどこか懐かしさを帯びている。

 まるで遠い昔から繰り返されてきた祈りを、そのまま呼び起こしているみたいだった。


「エル・スクード・マーレティオール!」


「うわっ!」


 一時、止まっていた力の吸引がさらに酷くなる。

 もう本当に全部持って行かれそうな勢いだ。

 でも、それだけの力をもって発動した呪文の効力は、正しく絶大だった。

 ほんの直径数メートルだった、魔方陣を取り巻く光のシャボン玉。

 それが、見る見るうちに広がって、ヴェーネ全体を包み込んでいくのだ。

 雨と、風と、それから魔性達。

 その全てを押しのけながら。

 淡く丸い光は儚げなのに、押し返される嵐の方がむしろ脆く見えた。


 どこまでも範囲を拡大させていく様に見えた力のシャボン玉は、公子が言ったように外城壁と水門で動きを止め、安定。

 その容を確立させる。

 透明な防壁が街そのものの新しい空になったみたいに、ヴェーネを丸ごと包み込んでいた。


 雨も、風も止まった。

 雲はまだ分厚く黒いままだけれども、嵐の気配は完全に遠ざかっている。

 耳が痛くなるほどだった轟音が消え去ったせいで、逆に静けさが信じられないほど重い。


「よし! 成功だ! 良くやったな。ソレイル」

「兄上!」


 二人の兄弟が嬉しそうに手を取り合っているのが見えた。

 良かった、と思った瞬間、身体の力が抜けた。

 トサッ、と何かが落ちた音が聞こえる。

 自分の身体かと思ったけれど、そうではないようだ。


「!母上!!!」「大丈夫ですか?」


 二人が慌てて魔方陣の中心に落下した公主様の側に駆け寄る。

 ナターティア様の身体から何かが蒸発するような湯気が上がっている。

 と、同時。


「マリカ! おい、しっかりしろ!」


 私の耳元に声が聞こえる。

 どうやら、リオンが私の身体を揺さぶっているらしい。

 あれ、やっぱり私の身体も落ちていた?

 身体の感覚がまったくない。

 全身の力が完全に抜けている。

 まぶた一つ動かすのも、もう無理だと思うくらいに。


 大丈夫、とか。心配しないで、とか言おうと思ったけれど、声にもならない。

 そうして私はまた、いつものようにいつものごとく。

 ホントにワンパターンだと解っているけれど。

 意識を失いバタンキュしたのだった。


 リオンの腕と、温かい水色の光に包まれて。

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