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水国 嵐の中の嵐

 石造りの城の中にいた時は気が付かなかったけれど、外は本当に酷い雨だった。

 屋上だから、なおのことそう感じたのかもしれないけれど。

 空は一面、鉛色どころか墨を流したような黒に沈み、遠くで稲光が断続的に雲の腹を照らしている。

 雨粒は斜めどころではなく横殴りに叩きつけ、肌に当たる一つ一つが小石のように痛かった。


「うわっぷ!」


 扉を開けて外に一歩出たとたんに身体に叩き付ける雨と風。

 もし、ミーティラ様とリオンが前に出て風よけになってくれていなかったら、吹き飛ばされていたのではないか、って思うくらいにそれは凄いものだった。

 台風の真ん中にいるみたい。

 いや、台風の真ん中って目だから、無風なんだっけ。

 どうでもいいけれど。

 そんな益体もないことが頭をよぎるくらいには、目の前の状況が現実離れしていた。


「ソレイル!」

「本当に姫君を連れて来たのか?」


 私が入ったことが無かった城の屋上には魔方陣が不思議な光を放っていた。

 魔方陣の中央に立つのは大きな宝石のついた笏を構える公主様。

 魔方陣の中に入らず傍らに立つ公子。

 危険だからなのか、機密だからなのか。他に護衛とかは一人ずつしかいない。

 フェリーチェ様もいない。

 吹きすさぶ暴風雨の中、その光だけが異様なほどに澄んで見えた。


 驚く事に魔方陣の中に猫がいる。

 なんで? と思うより早く


「はい。どうしても必要だと思ってお願いしました」


 ソレイル様が前に進み出た。

 私もその隣に歩を進める。

 私達の姿を見て公子は明らかに眉根を寄せている。

 その表情には、驚きと困惑と、責めるような色とがないまぜになっていた。


「公主様、公子。

 私がこの国の危機を助ける事ができるのであれば、お申し付け下さい」

「これは、フリュッスカイトの事情、我らが解決しなければならない試練。

 他国の姫君の力を借りる訳には……」


『そういう、国の建前とか面子とかは今は捨てておけ。国を、子ども達を守るのが最優先。そうだろう! オーシェ!』

「なっ!」「まさか……『精霊神』様?」


 公子様だけでなく、公主様の瞳にも驚嘆が浮かぶ。

 私の腕から飛び降りた精霊獣が魔方陣に向けて叫んでいたのだ。

 オーシェ。

 前は聞き流してしまったけれど、名前に聞こえる。

 公子でも、公主様でもなく、名前を呼ばれる存在が今、他にいるとしたら……。

 雷鳴すら一瞬だけ遠のいたように感じる、そんな張り詰めた静けさがあった。


『まったく。めぐり合わせが悪いな。後、残り二日であったのに』


 魔方陣の中心でこちらを見る猫しかいない。

 そして思った通り、猫はそのしなやかな身体に似合わない低い声で、どこか自嘲するような言葉で、返答を返した。


「ね、猫がしゃべった?」

「落ち着いて下さい。カマラ。あれはおそらく『精霊神』の端末。分身です」


 フェイの説明は多分合ってる。

 城の中で会った時とは違う。その身体から伝わる力に弱まりは感じられるけれど明らかに他者を圧倒させるもので、『精霊神の端末』精霊獣だと感じられる。

 小さな獣の姿をしていても、その場の中心にいるのが誰なのかは、否応なく解ってしまう存在感だった。


『ラス。悪いが再会を喜んでいる暇も、事情を説明する時間も無い。お前達に借りを作りたくは無かったし無理もさせたく無いがこの『嵐』だ。力を貸して貰うぞ』

『解っている。どうやって端末を残していたのか、とかなんで連絡してこなかったのかとかは今は聞かないよ。

 とにかく今は、この場を切り抜けるのが先だ』


『精霊神』同士の会話はシンプルだ。互いの現状を理解し、やるべきことを把握している。

 余計な言葉は無いのに、それだけで十分なのだと解る。


『ナターティア。メルクーリオ。今は、変なプライドに固執している暇は無い。

 皇女と『精霊神』の力を借りて、この場を乗り切れ』

「ですが……」

「解りました」

「母上」


『精霊神』の言葉を受けてもなお、割り切れない様子の公子を諌めて、魔方陣の中央に立つナターティア様は私の方を向き、スッと膝をついた。

 その動きには迷いがなく、為政者としての覚悟があった。


「アルケディウスの『精霊神』様、そしてマリカ様。

 自らの国を自らの力だけで守り切れぬ我々の弱力をどうかお許し下さい。

 そして、どうかこの国と城とここに住まう人々を守る為の力を取り戻す為に、御助力を頂けないでしょうか?」

「私は、その為に参りました。何をすればいいか、どうか教えて下さい」

「マリカ様、どうかこちらへ。メルクーリオ! ソレイル!

 姫君をエスコートして、中に入って来なさい」

「ですが……」

「姫君と一緒なら入れます。時間が在りません。早く!」

「は、はい。すまない。姫君」

「僕も、ですか?」

「そうです。いいから、急いで!」


 躊躇いがちにメルクーリオ様が私の右手を取った。

 一度だけ振り向いた私はリオンの頷きを確認して彼と手を繋いだ。

 反対側の手をソレイル様と。

 二人の手はどちらも冷たく、けれど力強かった。


『そこの、シュルーストラムの魔術師!』

「は、はい?」

『これから、暫しこの領域にかけてある守りの術が消える。代わりに少しでもいい。この風雨を弱める結界を張れ』

「解りました」


 フェイを名指しで命令したのは魔方陣の中の猫、違う。

 フリュッスカイトの『精霊神』だ。

 彼はきっと、私達の事情を把握している。

 フェイの表情が一瞬で切り替わるのが見えた。


『ア……、そこの戦士達は周囲に立ち、風雨や魔性からこれから行われる儀式を守れ』

「魔性?」

『見えないか? 風雨の狭間に紛れる影が』

「え?」


 フリュッスカイトの『精霊神』の言葉に私達は目を凝らす。

 暴れる雨雲と、叩きつける雨の幕の向こう。

 目をこらしてなお見失いそうな、暗い影。


「いっ!」

「あ、あれは一体?」


 雲間に怪しげな蛇身が見える。

 それも一匹や二匹じゃなくけっこういっぱい。背に蝙蝠のような翼をつけて雨と雲の間を飛び回っている。

 稲妻が走るたび、その輪郭だけがぬらりと浮かび上がる。

 宙に蛇が飛んでいる訳は無い。あれは……


「水魔性、セルペンティグル……なんで、こんなところに……」


 信じられない、と蒼白な顔で空を見上げるリオン。

 セルペンティグル。初めて聞いた。

 というか魔性に名前があったんだ。今まで出会ったワイバーンもどきとかにもあったのかな?


『おそらくは『あの方』の目だ。普通なら積極的に攻撃はしてこないだろうが、これから儀式を始めて強大な精霊力が放出されれば、本能に従って近づいてくる可能性がある。

 ……蹴散らせ』

「はい」


 一瞬、呆然としていたリオンは、『精霊神』の言葉に頷くと腰に帯びていたカレドナイトの短剣を引き抜く。

 それは、戦士としての自分を目覚めさせ、切り替える儀式のように私には見えた。

 雨に濡れた刃が、青白い光を鋭く返す。


「ミュールズ様、カマラ。

 リオンと一緒に魔方陣の外にいて下さい。吹き飛ばされない様に気を付けて、魔性退治は無理なく、できる範囲で構いませんから」

「お前達も、少年騎士と共に魔方陣と魔術師を守れ!」

「はっ!」


 少し離れたところにいた、フリュッスカイトの騎士達も魔方陣を取り巻く。

 風に煽られながらも踏みとどまるその姿は、頼もしくも痛々しい。


『始めるぞ。ラスはこの場全体の維持と底上げを頼む。

 私はこれから、全ての力を継承の儀式につぎ込む』

『任せて!』


 フッと、周囲が明かりを消したように暗くなった。

 と同時に、叩き付ける雨風の勢いが尋常でなく増した。

 あれでも、この場は『精霊神』の力で風雨が弱められ、守られていたのだと、今更ながらに気が付いた。

 空気そのものが牙を剥いたみたいに、暴力的だった。


「姫君! ソレイル!」


 長身のメルクーリオ様が、私とソレイル様を抱きしめるように手を廻す。

 マントと大きな体に守られるようで、少し息がしやすくなった。

 それでも、耳元では風が獣みたいに吠え続けている。


「先に進め! ソレイル! 魔方陣の中に入るんだ!」

「解りました。行きます。姫君!」


 ソレイル様が私の手を引いて前に進む。

 ぽよん、と軽いシャボン玉のような抵抗があったけれど、後は難なく私達は魔方陣の中に入ることができた。

 まるで水の膜をくぐり抜けたみたいな、不思議な感触だった。


「入れた?」「母上!」


 雨や風の影響は一切感じられなくなった。

 柔らかい太陽の下にいるような明るく蒼い、カレドナイトの優しい光の中、私達と公主ナターティア様は向かい合った。

 さっきまでの嵐が嘘みたいで、却って外の凄まじさが際立つ。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 全てが無事に終わった暁には、フリュッスカイトはアルケディウスに借りを認め、一つ、どんな希望も聞き入れるとお約束しますから」


 申し訳なさそうに微笑むナターティア様はこういう時でも公主、国の長なのだなと、感じてしまう。

 自分の命も国の命運も懸かっているのに、なお取引と責任を口にするのだから。


「今は、そんなことはどうでもいいです。

 とにかく、私にできることを教え下さい」

「姫君はそこに立っていて下さい。それだけで構いません」

「? 立っていればいいのですか?」

「ええ、少し、力を頂くかもしれませんが、抵抗せずに立って頂ければ幸いです。

 メルクーリオと、ソレイルはこちらに」

「「はい」」


 お二人は私と手を離し、並んで前に進み出る。

 私は言葉通り、その場に立ち手を祈りに組んだ。

 多分、力を吸い取られるのだろうけれど、そんなのは慣れてる。無問題。

 胸の内でそう軽口を叩いてみても、指先には自然と力が入っていた。


「始めますよ。

 この嵐はむしろ好機。全ての憂いと問題を洗い流してしまいましょう」


 ふわりと、魔方陣の中央でナターティア様の身体が重力を無視して宙に浮かぶ。

 衣の裾が水の中みたいにゆるやかに揺れた。


「……太祖たる『精霊神』の名において、今ここに王権と力の継承を……」


 目を見開く二人の周囲に薄青い光が渦を巻く。

 それは嵐のただ中にありながら、ひどく静謐で、神聖で。

 不老不死世界が始まっておそらく初めての、魔術儀式が今、始まろうとしていた。

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