大聖都 たった一つの答え
舞舞台の中央に、リオンが直立していた。
満天の星明りしか照らすものは無い筈なのに、何故かはっきりとその全てが見える。
透き通るように青白く、無表情な顔。
すっかり長いことが当たり前になってしまった黒髪が、肩口に零れるように風に揺れていた。
大神官の聖なる衣どころか、シャツやズボンさえも今は纏っていない。
身を飾る装飾も何もない。
魔王体への変生。その時に見た、素のままの彼だ。
皮膚が漆黒に硬化していて、まるで全身ラバータイツを身に纏っているように見えるけれど。
これってリオン的には裸に近いんじゃないかな、と、どうでもいいことを思う。
周囲に灯りは無いのに、発光している訳でもないのに、はっきりと私の眼には彼が見える。
私には解らない。
けれども、彼が確かに抱いている思いと決意と共に。
「選択権?」
私の質問に、リオンは黙って首を前へと動かした。
「そうだ。明日の礼大祭は、この星にとって変化の日となる。
良くも悪くも」
「どういう……意味?
そもそも、リオン。一体何があったの? 何かしたの?
今、大聖都がおかしいって聞いたよ。何か知ってる?」
「知ってる。やったのは俺だからな」
「やっぱり……」
「大聖都周辺の精霊の力にジャミングをかけて、通信と人の出入りを制限した。
軽いものだから、フェイや精霊神達が本気で向かい合えば消せる程度だけれど」
「ジャミング、って……」
「この星の生命、物質。全てに母、『星』の授けた『精霊の力』が宿っている。
それに命令した。
誰にも邪魔されたくない。違う。邪魔される訳にはいかないから。
明日、いや、今日、この時までの時間稼ぎだ」
時間稼ぎ。
つまり、リオンが結界もどきを張ってまで、精霊神様達や、きっとお父様達がここに来るのを止めようとしたのは、私とのこの時間を邪魔されたくないから?
「命令? ……どうしてそんなことするの? っていうか、できるの?
リオンの中のオリジン。マリクに何か命令されて、力を借りてるとか?」
「違う」
「違うって……」
リオンの口角が微かに上がる。
どこか困ったような、寂しげで哀しい笑み。
そして。
「ナノマシンウイルスと俺達が呼ぶ、力の微少媒体。救いの力の意思をオリジンと呼ぶのなら、母、ステラによって生み出された第二世代のウイルス。
そのオリジンは俺だ」
彼の告白に、心臓がキュンと切ない音を立てた。
「リオンがオリジン?」
「正確にはマリクだったけどな。
今、俺はマリクと完全に同化した上で、オリジンとして覚醒した。
ナノマシンウイルスの意思としての知識も記憶も、全部俺が有している」
リオンの言葉に嘘は無い、と『解る』。
「……一体、いつから?」
「マリクとの同化処理自体は『神』に施され、徐々に進んでいた。
魔王体の力は強すぎる。変化は人間の精神では耐えきれなかったのだろう。
ただ、奴は自分がオリジンであることを知らぬまま、俺に力と記憶を譲渡していた。
オリジンとして覚醒に導かれたのは、あのアーヴェントルクの夜だ」
何が起きたのかは、凡そ理解できる。
私の中のオリジンが、私の精神の中に自分の意識を溶かし、侵食させているように、リオンもまた、中にいたオリジン、マリクの意思、力と完全同化したのだろう。
主導はリオンに与えられているようだけれど。
私が自分のことで悶々と悩んでいる間に、リオンは同じステップを一足で飛び越えてしまったということだ。
私のように精霊神様達やお父様、お母様に愚痴を零すことも無く、助けを求めることも無く。
一人で、苦しみながら。
「お前に怒られると解っていたけどな。
一人で抱え込むな。分け合おうって最初に言ったのは俺だったのに。
今、『子ども』の頃はよかったと心底思う。
逆らえない圧力、上からの意思がない。何も知らず、自由に生きられた時代は、本当に救いだったんだ」
自分が恥ずかしくなる。
私は、リオンの苦しみに気付いてあげられなかったなんて……!
「ちょっと、待って。導かれた? 逆らえない上からの圧力?」
今のリオンの言葉には、はっきりとした違和感を感じた。
リオンの中のナノマシンウイルスの意思、オリジン、マリクがリオンと同化したのは解った。
でも、マリクは私の中のオリジンが言っていた通り、精霊達の『意志』としての自覚と記憶を持っていなかった。
同化したからって、無いものが引き継がれることは無い。
言ってみれば、オリジンの記憶を失った記憶喪失状態だったマリクを、オリジンに覚醒させる何か。
いや、誰かがいたということ、なのだろうか?
『神々』ではあり得ない。
そもそもリオンがオリジンであることも、私の中のオリジンが伝えるまでは知らなかった筈。
ラス様が言っていた、
『精霊神様達に沈黙の呪縛をかけた上位者』
は、リオンの中のオリジンの力であるようだけれど――
「マリカ。さっきも言ったが、お前は選ばなくてはならない」
私の質問を黙殺し、その続きを言わせない、と言うように、リオンは言葉を遮り、私に向かって声と足を進ませる。
「なんの、選択、なの?」
リオンの足が止まる。
私と彼の間には、まだ距離がある。
人一人分以上。
それが心の距離だとは思いたくないけれど。
「端的に言えば、俺にこの場で抱かれるか、否か」
「!」
一瞬、フリーズした。
予想もしなかった『選択肢』に、心も頭も真っ白になる。
「抱かれるって……」
「俺と交わるということだ。
襲撃前の人型精霊リオンではなく。
魔王体へ作り替えられた、俺。
真実の意味でのリオン・アルフィリーガと」
「ここで? 今?」
「今、祭壇で。
拒否してもいい。選ぶ権利はお前にある。
だが、選択すること無く、無かったことにする。
逃げる。それだけは許されない」
感情を完全に殺し、淡々と告げるリオン。
何を思い、何を考えてそんなことを言い出したのか、全く分からない。
でも……。
「お前に委ねる。俺のこれからも、この星の未来も」
選択権を私に与え、返事を待つ彼の、露に濡れたような優しく哀しい眼差しは思い出させる。
ああ。
変わったけれど、変わってない。
ここにいるのは、リオンだ。
幼い頃から一緒に暮らし、泣き、笑い、共に育ち、そして愛した、たった一人の人。
魔王城時代、一緒に過ごしたたくさんの日々。
利用された勇者の転生、と自分を嫌い、幸福になることを諦めていた彼が、初めて私に向けて恋情を向けてくれた時の事。
コスモプランダーとの決戦前、二人で過ごした忘れられない夜の事も。
昨日のことのように思い出すことができる。
「理由を……聞いてもいい?」
「お前が欲しい。お前を抱きたい」
今まで。
平坦で抑揚なく、感情を押し殺していたリオンの声に、初めて熱が宿った。
「笑顔も涙も、優しさも柔らかさも、ぬくもりも。お前の全てを。
俺の中に記憶したい。
お前の中に俺の全てを刻み残したい。
それ以外に理由が必要か?」
燃える炎のような情愛は、彼自身を薪にくべているかのよう。
きっと彼は全身全霊で願っている。
ただ一度の機会に、選択に全てを賭けて。
「……ううん。要らないね」
私が本当に聞きたかったのは、何故、礼大祭の前に、祭壇でなのか。
ここでリオンに抱かれることに、何の意味があるのか。
潔斎の最中の姫巫女が、式典を行う舞台の上で男と行為に及ぶなんて、あり得ないくらいにあり得ない。
そうでなくても、冷静に考えれば解る。
地球の、原初の意思。
オリジンが宿る私を。
『神』の代行者。第二世代ナノマシンウイルスのオリジンだというリオンが求める理由、意味がきっとある。
私がリオンに抱かれることで何かが起きる。
間違いのない予感がした。
『精霊神様』達がリオンと距離を取れと言い、アルが『中の人』に注意しろと伝えてきた事を考えれば、きっと拒否して説得するか、情報収集を試みるのが正解だ。
でも。
「いいよ。リオン」
そんな正解は、頭から吹き飛んでいた。
「マリカ!」
「お腹の赤ちゃんを傷つけないように注意してくれるなら。うん。いいよ」
距離を開けて佇んでいたリオンに、一歩、一歩近づいていく。
躊躇や不安、心配などを払い落とし、踏みしめて。
「……いいんだな。本当に」
拒否する理由なんて、最初からどこにも見つからない。
この暗闇の中で。
震える声で問いかける彼を。
自分以外の誰かの為にしか生きられない戦士を。
愛する夫を、拒むことなんてできっこない。
全ての重荷をただ一人で背負い、精一杯の虚勢を張って、でも一人孤独に泣く子どもを。
受け止め、救い、慰められるの女は、私以外いないのだから。
「約束したもんね。コスモプランダーとの戦いが終わったら、もう一度、ううん。何度でもって。だから……」
歩を詰めて、自分から。
私は彼に抱きついた。
触れて、抱きしめて。解る。
リオンが平静の下に隠していた、早鐘のような心臓の音。
緊張と、恐怖と、安堵と、喜びが、燃えるように熱い体温と一緒に伝わってくる。
「うん。私の全部。赤ちゃん以外は、リオンにあげる」
「……マリカ」
「いつも、一緒だよ。どこにいても。何をしても。何に変わろうとも。
私はリオンの側にいる」
「ああ。俺も。どんなに離れようとも、心はいつもお前の側にいる。
最後まで諦めない。
お前の決断は、俺に力と意思と機会をくれた」
応えるように抱き寄せるリオンの腕と胸から伝わってくる鼓動と熱とは裏腹に、私の中は驚く程に静かだ。
心臓も子宮も、きっと私の決断を許してくれているのだろう。
「マリカ。お前は俺の生きる理由。
存在の全てで……愛している」
頷く私に、そっと寄せられた唇を、目を閉じて重ね合わせた。
最初は、触れるだけの優しいバードキス。
それが優しく心をノックする。
恐る恐る、震えるように口唇を叩くリオンの舌を受け入れれば、あっという間に私の舌は絡め取られ、貪られてしまう。
脳が蕩けるようなキスに気を取られていたら、いつの間にか私の服は消えてしまっていた。
脱がされたのではなく、消滅した。
風に、白い塵よりも細かい粒子が飛んでいくのが見えたから、きっと分解されたのかもしれない。
「あっ! あああっ!」
肌の上で蠢く指、口腔を掻きまわす舌、触れる熱い中心。
どうして? どうやって? と聞く余裕はもう、私には無かった。
「リオン……。受け取って。……持って行って。私の全てを……」
どこまでも続く、降るような満天の星の下。
抱き合い、一つになった私達には、星も、世界の運命も関係なく。
もう、お互いしか見えていなかったから。




