大聖都 届けられない伝言
礼大祭を前に、大神殿は盆と正月が一緒に来たような忙しさを迎えていた。
これは、まんざら比喩という訳ではなく、お正月の国王会議と夏の礼大祭を一緒に行うような形なので、二重の手間がかかるのだ。
と言っても、私は前日から潔斎に入るので、実行の為の準備はリオンとフェイにほぼお任せ。
今だって祭祀の流れを確認したり、やってくる各国代表の為に晩餐会のメニューを考えたりする程度だけれども、一応、大神官という最高位に在る為、確認して承認サインをしなければならない書類がたくさんあるので、魔王城に帰るどころか、リオンと話をする暇もない。
「マリカ様。次はこの書類の決裁をお願いいたします。
今年度の人民税、前期の報告書です」
「え? それ、今確認しなきゃならないやつ? 前はもっとゆっくりだったでしょ?」
「そうですが、今年は礼大祭後、マリカ様が産休に入られるので、早められる書類は早めに確認して頂くように、と神官長からの御指示で」
「あう~。そういうことなら、仕方ないですね。見せて下さい」
私が息を吐くと、女神官長マイアさんは順番に文書を示してくれた。
その内容を確認し、一つ一つの金額などを照らし合わせてサインを入れる。
一つが終わっても、また次、次と書類が来るので、正直まったく終わる気がしない。
いつもはこれを全部フェイが一人でやっていたのかと思うと、申し訳なくなるけれど。
ちょっと限界。
精神的にも、だけど物理的にも。
「マイアさん。少し、休憩させて下さい! ずっと座り続けで、お腹が苦しくて……」
「! それは失礼しました。丁度区切りも付いたので、休憩に致しましょう。
カマラ様、お飲み物の用意をして参りますので、長椅子を整えて頂けますか?」
「解りました。マリカ様、立ち上がれますか?」
「それは大丈夫」
ふらつく足になんとか力を入れて、私は長椅子の方に歩いていく。
カマラがたくさんのクッションを置いてくれているけれど、お腹に衝撃がいかないように注意深く身を落とす。
「ふうう。つかれたああ」
「お疲れ様でございます」
「書類仕事そのものは嫌いではないですけれど、机に座ってずっと同じ姿勢、っていうのが辛いです。前傾姿勢もなんだか苦しくて」
「お腹もはっきりと目立って参りましたからね」
今、凡そ妊娠二十八週。
まだ妊娠中後期で、比較的安定している時期だと思うのだけれども、私が思うよりお腹の膨らみが大きいし、身体が重く、だるく感じることが多い。
この世界には産婦人科医などいないから、定期的にステラ様に相談して診て貰っているけれど、
「私も貴女以外の子を知らないし、貴方は一種の試験管ベイビーだから、普通の妊娠出産というものがどういうものかは分からないけれど、平均的、とされる子どもよりもかなり大きく生まれて来そうね」
だって。
疑似エコー検査みたいなものもやって貰っている。
もう性別もできているそうだ。
「女の子よ。なんとなく予想はできていたでしょうけれど」
「女の子ですか」
「ええ。色々と複雑な思いはあるでしょうけれど、今は呑み込んで健康に出産する事だけ考えなさい。
私も、貴女の許可なく、本人の了承なく、この子に処理を施したり、精霊の宿命に縛るようなことはしないと誓うから」
赤ちゃんの事に関しては、ちょっとステラ様を信じきれないところはあるのだけれど、そう言質は貰っているし、今は他に内診を頼める人もいない。
だから検診に関しては、お任せしている。
出産は大聖都で、お母様やリタさん達に頼んで行う予定だけれど。
お腹が重くなってきたせいか、固い椅子に座って書類に向き合い続けるのが最近、本気で辛い。
腰が痛くなる。
これに比べたら、立ったり身体を動かしている方がよっぽど楽だ。
「お待たせいたしました。夏ですが、お腹を冷やすのは良くないかと思いまして、暖かいミルクを用意させて頂きました。ハチミツとレモンで風味を足しております。軽い焼き菓子もありますので、お召し上がり下さいませ」
「ありがとう」
マイアさんが用意してくれたホットミルクを喉に通すと、身体が内側から暖かくなって、緊張がほどける気がする。
紅茶や緑茶よりも、今は確かにこっちの方がいいかもしれない。
「そう言えば、今年も礼大祭は禊とか潔斎するんです? なんだかいつも通りの気がしてましたけれど、禊の泉、壊れたでしょう? マイアさん」
ホットミルクを飲み、ジャムを乗せて焼いたクッキーを食べながら、私は思い出したので確認する。
私がいつも式典の度にじゃぶじゃぶ水をかけられていた泉は、大聖都の地下に隠されていた『星の翼』の真上にあった。
『星の翼』は増幅炉だ、と精霊神様が言っていた通り、『神』レルギディオス様が遠隔操作で送った、彼の色に染めた精霊の力を拡大、増幅させていたのだそうだ。
人々を不老不死にしたり、神官適性者を疑似変生させるのに使っていた結晶は、それを濃縮させて作るのだとか。
「はい。ですので、今回はマリカ様の祈りで水を出して頂き、その水で禊を行うようにとの神官長からの御指示でございます」
「リオンからの?」
「はい。『星の翼』の格納されていた天井部分は修復されておりますし、泉も再建いたしましたので、マリカ様におかれましては潔斎に入る前に、祈りによって水を満たして下さいますようお願いいたします」
「水を呼び出すなんて真似、私には……」
できない、と言いかけて、私は左手の薬指で蒼く光る輝きを見て言葉を止めた。
そっか。
多分、できるか。
「リカちゃん、できる?」
『はい。可能です。マリカ様』
マイアさんに驚かれないように、髪をかき上げるフリをして指輪を耳に寄せて聞いてみると、頼もしい返事。
「解りました。ただ、あんまりお腹の子に刺激を与えたくないので、禊はお手柔らかにお願いしますね」
「承知しております。マリカ様のお子は『神の御子』にも等しいお方。万が一にも害が及ぶ事の無いよう、細心の注意を払ってお世話させて頂きますので、ご安心下さいませ」
本当は禊とか着飾ることは、力を贈るという本来の役目にはあんまり意味はないと言われているけれど、こういうのは気持ちと神への敬意だから、無駄という訳でもないのだろう。
出産前の最後のお勤めだ。
しっかりと務めようと思った。
「リオンは、忙しそうですか? ここのところ、全然会えないんですけれど」
「はい。今回の式典はリオン様にとって、初めて差配する神事。
準備や学ぶことが多く、とてもお忙しいご様子です。
加えて、神官長として大聖都ルペア・カディナの政務も行わなくてはなりませんから」
大聖都ルペア・カディナは、大神殿あっての町。
ほぼ全ての雇用が大神殿と繋がっている。
大神殿が無くなれば、数万の人達は路頭に迷うことになるのだから、責任は重大なのだ。
「そっか……リオンも大変だよね……。
面会を求めても、難しいかな」
「おそらくは。
ですが礼大祭の前々日。マリカ様が潔斎に入られる前には、エスコートにおいでになると思います。聖なる泉に水を満たす式典にも立ち会って下さるでしょう」
「解りました。マイアさんは、リオンに書類を届けたりする機会はありそうですか?」
「無くは無いですが、あまり個人的な話などはできないかと」
「それでもいいです。頑張って、無理しないで。と伝えて欲しいんです。
そして……」
「そして?」
「いえ、なんでもないです。会えるのを楽しみにしているって」
「かしこまりました。必ず、お伝え致します」
ホットミルクを飲みながら、私は思う。
リオンは、最近、私を明確に避けている。
そう感じずにはいられない。
私の通信鏡には、リオンが持っている筈の鏡とも繋がっているのだけれど、何度かけても返事があった試しがないし、いくら忙しくても同じ神殿にいるのだ。
本気で会おうと思えば、チャンスは作れる筈。
リオンには転移術もあるのだし。
「……リオンは、寂しくないのかな?」
「マリカ様? どうかなされましたか?」
私の吐息のような呟きをカマラが拾って、心配そうに首を傾げる。
「あ、気にしないで。何でもないの」
首と手を振って否定したけど、ちょっと言えないよ。
リオンの肌を感じられないのが寂しいなんて。
私とリオンはあの日。
この子が宿った最初の日以来、肌を合わせていない。
抱き合って眠ったりはしていたけれど、コスモプランダー襲撃があって、その後、昏睡状態になって、それどころじゃなくなって。
後はお腹が大きくなって、物理的にできなくなった。
『全てが終わったら、もう一度』
リオンとした約束は、まだ叶えていない。
妊娠中期の安定期に入れば、しちゃいけないって訳でも無いと聞く。
リオンに避けられるようになってから、無性に一人寝が切ないのだ。
今は、この子優先なのは勿論だけれど、それでもリオンに側にいて欲しい。
一緒にいたいのに。
この思いは、どうしたらいいのだろうか。
マイアさんに届けられない伝言は、私の心の中で静かに今も燻り続けていた。




